第9話
アストリア大陸の北西、八十余年程前に勃発した統一戦争以前はリバリティという大国の管理下にあった「ゲート26」は、古くは単なる関所だった場所に商人や傭兵たちが集まって興した町だが、現在は付近一帯でも有数の商業地だ。その繁栄ぶりを証明するかのように、舗装された通りには人々が溢れ、昼夜を問わず馬車が行き交っている。
ククと杏里、そしてアルスの三人が乗っているのも、そうした中の一台だった。
道は整備され、快適な移動ではあるのだが、何分道行く人々も多いため馬の脚は度々止まる。長い時間を掛けた後、ようやく到着したのは巨大な建物の前だった。
「す、すごいねえ……」
馬車から降りたククはしみじみとその建造物を見上げた。
五階建てぐらいだろうか。縦にも横にも、とにかく巨大な建物だ。正面には馬車をつけるスペースが広々と取ってあり、その奥にある大きなガラス扉の前には、建物の従業員と思しき制服を着た人々が訪れる客を恭しく出迎えていた。
「聞いてはいたけど……大陸内の文明格差、えぐいわね」
同じく建物を仰いでいる杏里の呟きに、ククは頷いた。
「えぐいねえ……。あ、待って、アッ君!」
ククたちに構うことなく、アルスはいつも通りさっさと歩いていってしまう。杏里と二人、後ろ姿を慌てて追いかけ、ククは巨大な建物――ホテルの中に踏み込んだ。
再び、息を呑む。
広いロビーは沢山の人で溢れていた。制服の従業員とは別に揃いの黒服を来た男女の姿があちこちに散らばり、その誰もが緊張した顔をククたちに向けていた。
剥き出しの警戒心を感じて思わず立ち止まったククに対して、アルスは迷わずカウンターへ向かっていって従業員とやりとりを始めている。と、慌ててカウンターから出てきた従業員が近くの黒服の耳元で何かを囁いたかと思うと、今度は囁かれた黒服がどこかへ走り去っていく。
気付けば、先ほどの緊張した空気ともまた異なるざわめきが建物全体に広がっていた。
(何かあったのかな?)
ククが美しく装飾されたロビーの中を見回していると、急に高い音がした。奥にある昇降機のベルが鳴ったようだ。開いた扉の内側から、黒服たちに囲まれた男がこちらに近付いてきた。
恰幅の良い体を上等な衣服で包んだ男は、探るような目つききでククと杏里を眺めた後、離れた場所に立っていたアルスを見つけて、信じられない、という顔になった。
「おお、まさか貴方様もこちらにいらしていたとは!お知らせいただければ迎えの者を寄こしましたのに……」
小走りで駆け寄る男に、アルスは表情一つ変えずに答えた。
「しばらくの間ここに滞在する。どこかの誰かに部屋が占領されてて困ってるんだけど」
「そ、それは申し訳ありません……!お前たち!」自分より遥かに年下の少年に頭を下げた男は、すぐに振り返り、黒服たちに指を突きつけた。「最上階を今すぐ空けろ!」
「ですが、それでは……」
「私の部屋は下に移せ!いいから、今すぐにだ!」
「っ、分かりました!」
血相を変えた黒服たちがどたばたと走り去っていく。残った男は、再び恭しく頭を下げた。
「すぐに準備させますので、どうか今しばらくお待ちください、アルス様」
「分かった」
「…………」
男とアルスを見比べて、ククは隣の杏里を仰いだ。
「……前からちょっと気になってたんだけど、アッ君って、もしかして王子様か何かなのかな?」
「まさか……と言いたいけど、あり得そうでむかつくわね。ううん、あの態度のでかさは逆にそうであって欲しいわ」
杏里は、眼帯に覆われていない方の目を細めている。
「複雑だねえ」
「複雑よう」
二人が謎の答えを得るのは、もう少し後のことだった。
***
女が笑う。嘘みたいに晴れた空を背に、地面に突き立った二振りの剣を示して、告げる。
「それは餞別よ」
どちらも赤い剣だった。美しいが、この世のものとは思えず、どこか不気味に見える剣だった。
背後で男が何かを叫ぶ声がする。ディオンはそちらを向かず、また女を見た。陽光さえ呑み込むような黒い髪と、同じ色の瞳を。美しい彼女を、ただ。
見ていた。
「いつか――」
投げられた声は、雨音に掻き消される。広がる青空が塗り潰されて、暗く、黒い闇が落ちてくる。
止まない雨の音がする。
「……っ」
目覚めると、薄いカーテンを引いた部屋の中はまだ暗かった。
体を起こしたディオンは、額の汗を乱暴に拭った。
雨の音はもう聞こえない。
軽い安堵と共に瞼を閉ざすと、夢とは全く別の――このところずっと頭を巡っている光景が蘇った。
それは長閑な村の長閑に終わるはずだった小さな祭りの景色だった。その舞台に現れた少年。魔物を解き放ち、立ち去る彼の後ろ姿。その腰に、下がっていた剣は。
「違う」
そんなはずはない。何かの見間違いだ。実際、その時は大して意識に留めなかった。後になって、もしかしたら、と思えてきただけのことである。
(だから、違う)
ディオンは首を振り、がたつく窓を押し開けた。
乗り出した上体が冷えた外気に包まれる。ほの暗い夜明けの空の下、立ち並ぶ建造物の狭間から一際大きな建物――町の内外で有名らしいホテルと、細長く聳える時計塔が見えた。
ゲート26。ここが今、ディオンのいる町だった。
朝を迎えると、ディオンは古宿を出て町の中心部へ向かった。
行先は傭兵ギルドだ。
この町には以前にも滞在していたことがあり、ギルドの職員もディオンの顔を覚えてくれていたらしい。諸事情とやらで町が騒がしく、外部の人間への新規の仕事の斡旋が停止している今も、その時の信用を担保にディオンは職を貰っていた。
本日ディオンに与えられた仕事は、二人一組で当たる町の見回り役だった。
「……ったく。毎日やかましいな」
雑踏を足早に進みながら、ディオンは思わず呟いた。
右を見ても左を見てもとにかく人だらけだ。元々大きな町だから住人も多いが、それに加えて旅行者らしき姿も溢れている。
ほとほとうんざりしていると、隣を歩く同業兼同僚のリックが苦笑しながらディオンを見遣った。
「まあまあ。式典までの我慢さ」
「式典か……」
よく知らないが、確かあと五日くらい先だっただろうか。
そんな予測を立てていると、リックに肘先で小突かれた。
「お前さ、もしや明後日が式典だって忘れてないか?」
「ああ、明後日だったか」
「おいおい、もうちょい興味を持てよ。俺たち警備だぞ」
間に合わせのな、とディオンは補足する。
式典の運営にあたっては、町の自警団で間に合わない人員をギルドの傭兵で補填することになっていた。だが、所詮は余所者は余所者、どうせ町の中央に配備されることなどないし、報酬も微々たるものだ。やる気がある方が不思議だが、対するリックは何故か憐れむような表情をディオンに向けてきた。
「お前、その感じだともしかして……今この町に誰が来てるのかも知らない、とか……?」
馬鹿にするなよ、とディオンは唸った。
「首都のお偉いさんが来てるんだろ。なんたらっていう政務官だか……」
「なんたらってなんだよ!いや、ってか、やっぱり分かってなかったかぁ……」
リックは溜息を吐いた後、びしりと指を突きつけてきた。
「政務官サマなんかこの際目じゃねーぜ!五勇の魔法使いが来てるんだってよ。五勇だぞ五勇、陛下直参だ!」
「五勇……」
聞いたことはある。この大陸を牛耳るアストリア王国のアストリア王が直々に召し上げ、手元に置く五本の刃をそう呼ぶと。
現王の幾代か前より続く慣習として、五勇に選ばれる者には王に連なる権力が与えられるとさえ言われており、一般市民にはまず縁のない存在である、とも。
だが、そうは聞いたところで。
「要は王様がえこひいきしてる連中だろ」
「おいおい、滅多なこと言うなよ!」
リックが悲鳴を上げた。
「五勇様なんて力と権力の化け物なんだからな!下手こいて睨まれでもしてみろ。ギルドごと俺らの首が吹っ飛ぶぞ!」
「化け物呼ばわりは許されるのかよ」
「とーにーかーく、目を付けられたら最後ってことだ!だが、逆に……」
そこでリックはにやりと笑った。
「もしも目をかけられたら最っ高の出世コースだ。あーあ、式典で何かトラブルでも起きるといいんだがなぁ。俺がばしっと活躍して目立ってみせるのに」
「よく分からんが、俺には関係ないな」
話を切り上げて前を見る――と、通りの向こうにどこか見覚えのある姿が横切った気がした。
だが、確信に至るより早く、相手はぱっと角に曲がって消えてしまった。
「どうかしたか?」
問われ、ディオンは首を振った。
「いや、何でもない」
それは夜明けに過ぎった幻影と同じ。
多分、気のせいだろう。
***
「……?」
どこかから視線を感じた気がして、ククは振り返った。
だが、往来に溢れる人の中でククに視線を向けている者など誰もいない。きっと気のせいだったのだろう。
両腕に荷物を抱え直し、再び帰路を急いだ。
ホテルに戻ったククは、最上階の静まり返った廊下を進んだ。
与えられた一室に入ると、奥から杏里が顔を出した。
「おかえり。外はどうだった?」
「うん、今日も賑やかだったよ」
調達してきた大きな布包みの荷物を横に置き、ククは答えた。
「いよいよ明後日が式典だものね」
ククたちがこの町を訪れてから、かれこれ五日。この地ではもうすぐ、少し前に代替わりした新町長と町の周年とを祝して、王都からの使者を迎えた大規模な式典が行われるという。
町長と使者の顔合わせは明後日の昼頃だと言われているが、広場には早くも数日前から露店が軒を連ねていた。きっと今夜も外は朝まで賑やかなことだろう。
町には式典そのものよりもお祭り騒ぎの状況を楽しんでいるような雰囲気があったが、対してククはと言えば、あまりそれどころではなかった。
ククの心境を察したように、杏里がぽつりと呟いた。
「ククが探してる奴って、本当にここに来るのかしら……」
「うーん、どうかなあ……」
曖昧に応じて、ククは窓の外を見遣った。
――わざわざこちらから追いかけずとも、ただ餌を撒いて引き寄せればいい。
以前、クレストに対してアルスが口にした言葉を思い出す。
式典を目前に控えた町はただでさえ浮足立っているが、元々の来賓である王都の政務官に加え、更なる「有名人」が非公式に滞在している話が、あちこちで噂になっていた。町の人々の間では、式典で何か重大な発表でもあるのかもしれない、などとも話されているようだ。
それこそがアルスの狙いだった。
囁かれる噂は町中だけに留まらず、商人や旅行者の口から外部に伝わり、興味を持った人間が続々と町を訪れているらしい。
状況を鑑みれば、この騒動がクレストの耳に届く可能性も皆無だとは言えないだろう。
子細の不明な、けれどいかにも重大な何かに繋がるような情報を得れば、きっとクレストはこの町にやってくる。そうアルスは考えているようだ。
ククもそれを信じたい気持ちはある。ある、けれど。
「クク、大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫だよ」
既に事情を心得る杏里に心配そうに尋ねられ、ククは慌てて首を振った。
「それより、アッ君はまたいないのかな」
「さあね。今日はずっと見てないけど」
この町に非公式に訪れている有名人……ことアルスは、相部屋で過ごすククと杏里とは異なり左隣に個室を充てているが、日中も夜もどこかへ出かけていることが多く、姿を見ることは滅多になかった。
「それにしても、アルスが五勇様ねえ」
「うーん、いまいちぴんとこないね……」
「ま、あたしたちは世間知らずの箱入り娘だからね」
杏里は笑った。
「でも、あいつが超ハイパー有名人だってのは確かみたいだし、精々権力者の恩恵にあずかっときましょ」
「この部屋みたいに?」
「そ。って言っても、ちょっと広すぎだけど」
彼が外せば、貸し切りのこのフロアにはククと杏里の二人だけ。広くて静かな部屋はククたちだけでは持て余しがちだった。
「ねえ、杏里ちゃん。ご飯は広場に出て食べない?」
落ち着かない気持ちを誤魔化すようにククが提案すると、杏里は勿論、と頷いた。




