第75話
岩壁に囲まれた隙間のような細い道を抜けると、やっと開けた場所に出た。
世界の底のような景色を想像していたけれど、夜にも関わらず辺りは存外明るかった。
ただ、音はない。とても静かだった。
(ここがディオの故郷なんだ……)
あまり実感はない。
本人がいないから、本当に合っているか尋ねることも出来ない。
そう思った途端、話したいなと強く思った。
ディオと、話がしたい。
発作的にそんなことを願う瞬間は日に何度もあった。話せなくてもいいから顔が見たいと思う時は、それ以上にたくさん。その度にどうにかやり過ごして、自分の内側で何かが少しずつ欠けていくのを感じる。ずっと、毎日その繰り返しだった。
しかし、折角なので少し歩いてみる。
地面はところどころが小山のように隆起していて、あちこちに巨大な生き物の通り道に相応しい大きな穴が穿たれていた。よく見れば岩壁にも無数の大穴が開いている。かつてこの地に生きていた者たちの住居に繋がっているのだろう。
歩く内に、目の前に一際目立つが岩山が現れた。足場は悪いが傾斜は緩い。
なんとなく上ってみると、空がほんの少しだけ近くなった。
ククは、岩山の頂に腰を下ろした。
ここはとても静かだった。
でも、ククの中はちっとも静かではなかった。
目を閉じると、体の――いや、心や魂も含めたククという存在全体の内側で、無数の生き物が怨嗟の声を上げ、固く閉ざされた扉を内部からこじ開けようとしているのが感じられた。
彼らはククが封じ込めた無数の魔物たちだ。彼らが跋扈する世界は今、ククの内側にあった。当面食い破られることはないだろうが、ククが望んで扉を開けば――あるいは意思の力を手放しすべてを諦めれば、再びこの世界に溢れ出すだろう。
押さえなくては、とは思う。
でも、何のために? 誰のために?
もう分からない。ククにその答えを与えてくれた人たちはもういない。どこにも。これからどれだけ生きていても。もう会えない。
(わたしは、ひとりになってしまった)
大切な人たちを取り戻したい。
それが叶わないのなら、過去に戻ってやり直したい。
けれど、どちらも叶わない夢だと知っている。
そして、永遠に叶わない夢を抱いて生きられるほど、わたしは強くない。
目を閉じて、息を吐く。力を少しずつ解放すると、背中に熱と痛みが走った。あの青い翼が現れたのだろう。容易く人間であることを手放せる自分が少しおかしかった。
緋色の剣を手にすると強い眼差しが頭を掠めたが、きっと彼もこの選択を許してくれるだろう。
この命を終えれば、この身に抱えた力や世界も潰れるはずだ。
それでいい、と思った。
最後にこの場所に来ることも出来たから、もう後悔もない。
刃を首元に添えると、温かくて寂しくてどうしようもなく景色が滲んだ。
ディオ、と最後にその名前を零した瞬間。
――クク!
突然、荒々しい風が世界を駆け抜けた。
「……っ」
咆哮にも似た強風が、地上を激しく吹き抜ける。
何度も何度も、吹き続ける。
それは、まるで竜が通ったような風だった。
「――」
ククは顔を上げた。掠れた声で、名前を呼んだ。
やがて風は弱くなり、消えた。
頭上には断崖に切り取られた星空が広がり、刺すような月光がここまで降り注いでいた。
だから明るかったんだ、と今更気付く。
膝に目を落とすと、取り落とした剣が砂のように崩れていた。すべての役割を終えたように、さらさらと壊れていく。
わたしの役目は、まだ終わっていないのだろうか。
わたしは、生き続けなければいけないのだろうか。
答えは、返ってこない。
流星をいくつか見送った後、ククは立ち上がり、帰り道を歩き始めた。




