第73話
落ちていく太陽が地上をオレンジ色に染めていた。
求める姿を探すのは、それほど難しいことではなかった。
平原の一角、荒れ果てた大地に血溜まりを広げて、紫色の竜が横たわっていた。
「ディオ……!」
散乱する石塊に躓きながら、ククは竜――ディオンに駆け寄った。
巨大な体を迂回し、大地に伏せられた頭、その額に触れると氷のように固くて冷たい。心が止まりそうになった瞬間、けれどかすかに瞼が動いた。
ディオンは、生きている。
「ディオ、しっかりして!」
彼の全身には無数の傷口が開き、今も血が流れ続けている。
早くどうにかしなければ。
焦燥と共に腰を浮かせかけた時。
――ああ、やっと……。
頭に響く声にククは瞠目した。
呆然と立ち竦む心の隙間から、ディオンの声が流れ込む。
それはどこまでも凪いで、静かな感情だった。
そこには一変の後悔も迷いもなく、あるのはただ、穏やかな安堵だけだった。
「……ディオ」
ククは呼びかける。
濁った瞳にはククが曖昧に映っている。
だが、反応は返らない。
「ディオ!」
再び、今度は強く呼びかけると、
――クク。
やっと、ディオンはククを認識してくれた。
穏やかな心が迷いで揺れるのが伝わってくる。
そして、それより強い罪悪感も。
――……悪い。
心を通したその一言は、これまで重ねてきた時間やここに至るまでの混乱すべてを飛び越えて、ククに一つのことを理解させた。
ディオンが今、何を望むのか。
それが分かってしまった。
ククには想像も出来ない長い間、ディオンはこの世界で生き続けていた。
永遠に続くその生に、ディオンはこれまで苦しみ続けてきた。
けれど今、彼はそこからようやく解放されようとしている。
救われようとしているのだと。
気付いてしまった。
「……ディオ、もう行っちゃうんだね」
――ああ。
呼吸が乱れる。
どうして、やめてと泣き叫びたかった。
こんな最後なんて、別れなんて、納得出来るわけがない。
出来るわけが、ないのに。
――一緒にいてやれなくて、ごめん。
「……っ」
視界がぼやける。
溢れる感情をなんとか押し込めて、ククは笑った。
「ほんとだよ」
結局、あなたはちっとも優しくなどなかった。
「わたし、もっとディオといたかったな」
共有した時間はあまりに短かった。
まだまだたくさん話したいことがあった。
一緒にいたかった。これからも、ずっと。
ずっと。
「……でも、いいよ。わたしなら、大丈夫だから」
ククは熱を失っていく体を抱きしめた。この両腕ではちっとも足りなかったけれど、それでも全身で、精一杯。
ディオンから伝わってくる安堵と幸福。それらはどうしてもククの手の届かないところにあったけれど、それでもよかった。
わたしはあなたが大好きだけど。
大好きだから。
だから、この結末を受け入れる。
わたしを救ってくれた、あなたの願いを叶えたい。
そう心から思うから。
――俺は、ずっと待っていた。
「うん」
――終わりを。
――この長すぎた命の終わりを。
「……うん。ねえ、ディオ」
どこにも行かないで。ここにいて。
「わたしと出会ってくれてありがとう」
ずっと、ずっと。
わたしの、傍にいて。
「助けてくれてありがとう」
――クク……。
「……おやすみ、ディオ」
――ああ……。
気配がゆっくりと消えていく。
手のひらから砂が零れるように、一つの命が消えていく。
ひどく平凡で、ありふれたことのように。
「……っ」
冷たい鱗に、零れた涙がぼたぼた落ちる。次々溢れて、止まらない。
いつしかククは泣きじゃくりながら、竜の鼻先に額を寄せた。
「ディオ……」
結局、わたしは何にも言えなかった。
「……こんなの、嫌だよ」
もう何も返ってこない。どんな言葉も、どんな感情も。
「わたしを、置いていかないで……」
優しい声は、もう聞こえない。




