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refrain  作者: 水幸
第十六章 消えてゆく
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第66話

 出立を告げられたのは、ディオンがククと共に目を覚ましてから四日後。集合場所に指定されたのは王城ではなく魔術師塔だった。


 諸々の疑問はさておくとして、ディオンは邸を訪れた連絡係に連れられて、ククと共に塔へ向かった。


 魔術師塔の中にもやはり人は少なかったが、それでいて妙に落ち着かない空気が漂っていた。

 案内されて奥の一室に向かうと、数人の魔術師が忙しく立ち働いている姿の向こう、部屋の奥にアルスが立っていた。今日はあの甲冑姿ではない。


 来たね、と軽く微笑んだアルスに、ククが首を傾げる。


「現地に向かうのはわたしたちだけ?」


「先発隊が向こうで待機してるよ。後からも人は来る」


 とりあえず今出立するのは四人だけ、ということだろうか。


「で、こっからどう向かうんだよ」


「この転送装置で付近まで向かうんだ」


 アルスが指し示したのは、一同の前に鎮座する大型の機械だった。背の低い円柱型、とでも言えばいいだろうか、膝くらいの高さだが、円の直径はかなりある。大人五人くらいであれば同時に乗っても余裕がありそうだし、もっと詰めれば更にその数は増えるだろう。まるでちょっとした舞台のようだ。


 円柱の下側からは長い導線が伸びていて、部屋の端にある機械に繋がっていた。その前には少年が一人立っていたが、ディオンと目が合うと妙にむっとした顔で視線を逸らした。

 人のことを言うのも何だが、随分無愛想だ。


「前に君たちに携帯版を渡したけれど、あれと原理は一緒だよ。勿論こっちの方が安定してるけどね」


 アルスがククに向かって説明している。ククは特に疑問もないようで、「そうなんだ」と頷いているが、ディオンにしてみれば驚きしかなかった。


 無論、転送・転移の術が魔法として存在していることは知っているし、身をもって経験したこともある。ついでに言えばアルスの言う「携帯版」の装置とやらも体験済みではあるのだが、ここまで大型の装置……いや、設備として運用されているのを見ると、もはや魔法というより単なる技術だ。


 そんなことを考えていると、ククがこちらを見ていることに気が付いた。


「何だよ」


「……えっと、世の中は進化してるな顔だなって」


「してねえよ! ……いや、してたか?」


 してたかもしれない。


「とは言え、これはあくまで最終調整中の試作機だし、実用化と普及まではしばらく時間がかかるだろうけどね」


 アルスがこちらを向いて補足する。


「そういや敵への切り込みも転送魔法を使うんだろ? そっちも大丈夫なんだろうな?」


「大丈夫じゃないかも」


「おい!」


「転送魔法の理想は移動先を固定して十分な準備をすることだけど、今回はそういうわけにもいかないからね、でもそこは元天才魔法使いの実力をもってなんとかするよ」


「元かよ」


「新星は日々生まれてくるからね」


 とにかくアルスを信用するしかないということか。


「呑気に話してる場合?」


 不意に背後から甘い匂いが届いた。振り返ると、やはりリスティアーナだった。


「さっさと行きましょ」


 面倒なことは早めに終わらせたいと言わんばかりの態度だが、アルスは慣れているのか「はいはい」と請け負った。


「エリ坊、準備は?」


「後は起動するだけです」


 操作盤らしき機材の前に立っている少年がアルスに答える。であれば、あの円形の装置の上に移動した方がいいのだろうかと思ったが、アルスもリスティアーナもその場から動こうとはしなかった。


「おい……」


 声を上げたその時、傍らの装置が低く唸りながら輝きだした。ディオンたちの足元、床に大きな魔法陣が浮かび上がる。


「始めてくれ」


「はい。転送、開始します」


 アルスの声に応えて、少年が手元の機械を操作するのが見えた。しかし、それも一瞬――ふわりと浮遊感がして、視界が暗転した。


「…………」


 無意識の内に固く閉じていた瞼を開くと、目映い日差しに軽く眩んだ。

 下を向くと乾いた大地が視界に入る。

 屋外だ。


 目が慣れるのを待ってから顔を上げると、ディオンの正面には広い平地が広がっていた。

 青空の下、そこかしこに天幕が張られ、無数の人々が行き来している。周囲は緊迫しているわけではないが、和やかというわけでもない。


 隣を見れば、ククとアルス、リスティアーナの姿もあった。

 どうやら全員無事に転移出来たらしい。


「ここが目的地なのか?」


「いや、ここで準備して更に移動するよ。さあ、行こう」


 アルスの指示に従い、天幕の一つで五名ほどの兵士と合流し、武器と補給品、移動用の馬を受け取ると、一同は早々に野営地を出発した。



 平原を囲む雑木林を馬で一時間ほどかけて進むと、目の前に傾斜の険しい崖が現れた。


 先頭を進んでいたアルスが崖下で馬を止め、後続のディオンたちを振り返った。


「一旦ここで休憩を取ろう」


「必要か?」

「賢明な判断ね」


 声が重なった。


 遅れて馬を止めたリスティアーナは若干顔色が悪かったが、それでも表情は澄ましたままだ。


「というか、君は現地まで自力で転移すればよかったのに」


「簡単に言わないでくれる?」


 苦笑するアルスに、リスティアーナが唇を尖らせた。


「そっちの方が疲れるし、もしあなたたちにトラブルがあったら前線で一人きりじゃない」


「確かにそれもそうか」

 アルスはあっさり納得した。

「僕は先に行って様子を見てくるよ。一時間くらいで戻るから、ククとディオンも一旦この辺りで休んでてくれ」


 そう言い残すと、アルスは兵士たちと共に崖を迂回して木立の奥へと消えてしまった。

 リスティアーナはこちらを気にする様子もなく、さっさと適当な木陰で腰を下ろしている。

 わざわざ全員固まって休む必要もないだろうが、微妙な空気が漂うこの状況下でククを放置するのも気が引けた。

 なので、傍らの頭を見下ろして口を開こうとすると、


「ディオ、わたしなら大丈夫だよ」


「……。お前、力はコントロール出来るって……」


「ご、ごめん!」


 ククは両手をブンブン振った。


「もうすぐ力を使うだろうし準備しなきゃと思ってたら、つい……。その、やっぱりディオの声は拾いやすいみたいで……」


 何やら馬鹿にされているような気分は拭えないが、それはそれとして。


「で、大丈夫なのか?」


「うん、わたしはここに残るから、ディオは散歩してていいよ」


 何もかもお見通しな上、こちらが気を遣う必要はなかったということか。

 何やら肩すかしというか、空回った自分が妙にいたたまれなくなりつつも、ククの言葉に従ってディオンは勝手にその辺りを散策することにした。


 ***


 ディオンの背中が木立に消えるのを見送って、ククはそっと息を吐き出した。


 正直に言えば、ディオンと一緒に行きたかった。単純にディオンの傍にいたいという思いもあったし、気の進まない選択肢から逃げたいという更なる本音もあったから。


 でも、今を逃せばきっとこの先同じ機会は二度とない。


 ククは、木陰に座り込むリスティアーナの傍らに立った。


「……あの」


 無感情な視線に心が萎みそうになったが、ここで引くわけにはいかない。腹に力を込めて、声を出した。


「ディオをわたしのところまで送ってくれたこと、聞きました。感謝してます。ありがとうございました」


 ククが逃げ込んだあの世界に、ディオンは迎えに来てくれた。

 しかし、それは本来なら簡単に叶うことではなかったはずだ。

 事の経緯は目覚めてからディオンが詳しく教えてくれた。リスティアーナがディオンに力を貸してくれたことも、その時聞いた。


 元々ククはリスティアーナのことが好きではない。それは彼女がククのことを嫌っているように感じていたからだ。

 そのリスティアーナがどうしてディオンに力を与え、ククを現実世界に戻らせる手伝いをしたのか――。

 疑問ではあったものの、実はその理由を聞きたいという気持ちはそこまで強くはなかった。聞いたところで、彼女を理解出来るとも限らない。


 ただ、お礼を言わなくては、と思った。

 真意がどうであれ、リスティアーナに救われたことには違いない。


 ……ということで、なんとか感謝を伝えてはみたものの、リスティアーナは未だ黙ったままだった。


 気まずい空気を抱えたまま、途方にくれかけていると、


「私、あなたに対してずっと悔しい思いをしていたわ」


 突然、相手がそんな言葉を口にした。


「悔しい?」


 思わず繰り返してしまう。まるで意味が分からない。


「あの……どうして?」


「あなたは私より優れた存在であると言われていたから」


 その言葉で、ククは彼女が自分同様リバリティの研究所で生まれた存在であることを思い出した。

 その背景自体は兄を通して以前から知っていたものの、これまでそれについて深く考えようとはしてこなかった。

 今でこそ、その理由ははっきりしている。リスティアーナの境遇について考えることで自身の過去の蓋を開くことを無意識下で恐れていたからだ。


(この人とわたしは、同郷って感じなのかな)


 改めてそう考えてみるものの、取り戻したククの過去の記憶にリスティアーナの姿があるわけではなかった。彼女と直接関わった記憶は一切ない。個人的な感情を抱かれる理由は見付からないように思えた。


 しかし、リスティアーナは言う。


「あなただけじゃない。あの場所で私たちは誰よりも地位が低かった。他の誰もが私たちより優秀だって言われてたわ。だから私はあなたたちのことが羨ましかった。悔しかった」


「それは……」


「そして、私より優れた存在であるのに、自分に向き合おうとしないあなたのことが許せなかった」


「…………」


「あなたにはあなたの苦しみや悲しみがあるのは分かってるわ。それでも、私はあなたが私を踏み越える姿を見たかった。そうして初めて納得したかったの。あなたが私より優れてるって。自分のために、諦めたかった」


 興奮したように喋り続けていたリスティアーナは少し黙ってから、言い足した。


「……で、それをエゴだったって謝ろうかとも思ったけど、やっぱりそんな気分になれないわ」


「……変な人」


 思わずククはそう言った。

 素直な感想だった。だって、意味が分からない。そんな勝手なことを言われたって、納得なんか出来っこない。


「あなたに変とか言われたくないわ」


 リスティアーナが顔をしかめてこちらを見る。でも、そこに敵意のような強い感情は感じなかった。

 それに、たとえ敵意を向けられたとしても、きっともう、わたしは動じないだろう。


「わたし、あなたのことが苦手だった」


 ククは告白した。


「あなたがわたしを嫌っていたから。あなたがわたしを嫌う理由が分からなかったから。……でも、今ので納得した」


「そう、それで?」


「やっぱりあなたのことは好きじゃないし、どっちかっていうと嫌いだよ。でも、もうあなたや他の人たちにビクビクするのはやめる。あなたのことも他の人のことも、誰が何をわたしに言おうが、もうどうでもいい」


 守りたいものがある。大切な人がいる。

 それ以外のことは、どうでもよかった。

 誰に嫌われても怖くない。


「そう。……で、言いたいことはそれだけかしら?」


「うん。そう。……あ、でも」


 一応、あると言えばもうひとつある。


「あなたって、お兄ちゃんのことはどう思ってるの?」


 リスティアーナは瞬きして、少し首を傾げた。


「あなたにはどう見えるのかしら?」


「それが分からないから聞いてるんだけど……」


「だったら探ってみればいいんじゃない?」


 挑発的に言われたので、むっとしつつ意識を集中させる。だが、よく分からない。リスティアーナからは何も読み取れない。


 突然、鈴のような笑い声が響いた。


「そう易々と看過されてたまるものですか」


(ああ、やっぱり……)


 この人のことは好きにはなれない。

 これ以上の交流はお互いのためにはならないだろう。そう諦めて、ククは魔女の元を離れることにした。


 ***


 川面は複雑な光を辺りに弾いていた。空気は澄んで、一帯には状況を忘れそうなほど穏やかな時間が流れている。


 ククが近付いてきたのは足音で分かった。

 ディオンは座っていた岩から腰をずらした。座れるスペースに余裕はあまりなかったが、小柄なククが座ると案外ちょうどよく収まった。

 向こうが何かを言おうとする気配があったので、ディオンは黙っていた。


 すると突然、


「言いたいことを言ってやったの」


「は?」


「わたし的には、ちょっと頑張ったかなって」


「はあ……それは、おめでとう」


 いまいち意味不明だが、とりあえずそう言っておく。


「どうもありがとう」


「……で?」


「え?」


「それで終わりか?」


「うん……」

 ククは若干戸惑ったような顔をした。

「ディオはわたしに言いたいことを言えって言ってくれたでしょ? だから、そうしたの。あの魔女の人に、言いたいことを言ってきたんだ」


 ようやく少し話が見えてきた。

 先ほどククが一緒に来なかったのは、あの女と会話したかったからだったのか。それはいい。そこで交わされたやりとりに踏み込むつもりもない。……しかし。


(言いたいことを言え、か)


 確かに前にそんなことを言った覚えはあるが。


「……あれは俺に対してって意味だったんだが」


 別に他人にべらべら本音を言えと言ったつもりはない。あくまでディオンとククの関係性においての話をしたつもりだったのだが、どうやら完全に誤解しているようだ。


「そうだったの?」


 ククは目を丸くしている。

 その気の抜ける顔を見ていると、なんだか急に全部がどうでもよくなってきた。


「……いや、別にいい。お前が満足してんなら文句はねえよ」


 ついでに間近にある頭を撫でる。ククの髪は柔らかくて、なんとなく「毛並みがいい」という言葉が浮かぶ。褒め言葉にならないのは分かっているので言わないが。

 ククはじっとしていた。ディオンが手を離しても、まだ俯いてじっとしている。


「お前、緊張してるのか?」


「え、……してる、かな? うん、多分」


 もしやと思って尋ねると、ククは途端にしどろもどろになった。大きな戦いの前で緊張するのは理解出来るが、もう少し肩の力を抜いた方がいいんじゃないだろうか。


「……ディオは緊張しないんだね」


「いや、してもしょうがないだろ。やるべきことをやるだけだ」


「え? あ……えっと、そうじゃなくて」


「は? ああ……」


 そこでようやく、ディオンは会話が噛み合っていないことに気が付いた。


 ククはどこか寂しそうに微笑んでいる。

 少しだけ罪悪感を覚えたものの、かと言ってどうしてやれることでもなかった。


「……歳を取ると大抵のことには慣れちまうんだよ。良くも悪くもな」


 確かに、ククのことは大切だと思う。

 また彼女がどこかへ閉じこもるなら何度でも迎えにいくだろう。その手を取って、共に生きようと言うだろう。その確信も胸にある。

 だがそんな自身の感情に甘やかなものが附帯するかと言えば、正直よく分からなかった。少なくとも目が眩むような恋情を彼女に示してやることは難しいだろう。


「そっか」


 ククは短く頷いた。その顔には先ほどまでの寂しさを拭った、いつも通りの呑気な微笑みが浮かんでいる。

 少し迷って、ディオンは言った。


「その緊張しない男から提案なんだが。手、借りてもいいか」


「え、うん」


 差し出された手を握ると、ククの顔がまた赤くなる。少女の緊張が、熱や鼓動と一緒に伝わってくる。


「ディオ、どうしたの?」


「確かめてるんだ」


 そこに甘く鮮烈な感情はなくても、ククの存在が傍にあると心地よかった。

 ククがここにいる。そう感じると、心の底からほっとする。その思いに偽りはなかった。


「……俺は何をやってるんだかな」


「え?」


「なんでもねえよ」


 ディオンは手を握ったまま、光る川面を見下ろした。

 そこには自分と、隣にいるククが映っている。どちらも七年前、出会った時と同じ姿だ。


 ククはこれから先、成長しないのだろうか。

 ふと、そんなことを思った。


 彼女は、普通の人間とはいくらか事情が違う。このままいつまでも変わらないということもあり得るかもしれない。


「なあ。……お前は、普通の人間より長生きなんだよな?」


 実際に訊いてみると、ククは「え?」と首を傾げた後、


「……うーん、分からないなあ。でも、あの魔女を見てるとそうなのかも。多分、不死ってわけじゃないとは思うけど……」


 もの凄く曖昧な返答だった。


「……自分の寿命が分からないって怖くないか?」


「た、確かに……」


 あまりに呑気なので思わず笑ってしまった。

「確かに、じゃねえよ。しっかりしろよ」


「だって、分からないから仕方ないかなって」


「それもそうか」


 それで仕方ないと思えるのがククらしいと言えばククらしい。

 なんとなく納得しつつ話を終えようとしたが、ククはまだ何か心残りがあるようにじっとこちらを見つめていた。


「ディオ、さっき他にも何か言おうとしてたよね?」

 そう言うなり、慌てて付け足す。

「今度は勝手に聞かないから、教えてほしいな」


「いや……」


 大したことじゃない。そう誤魔化そうとも思ったが、それでククが納得するとも思えなかった。それに彼女に言いたいことを言えと言った手前、こちらの腹の中を伏せておくのも気が引ける。


 仕方なく、告白した。


「もし、お前がうんと長生きする生き物で、俺の呪いがいつか奇跡的に終わるんなら……俺の最期にお前がいたらいいなって思ったんだ」


 それはふと過った思い。

 願いと呼ぶには淡すぎる感情だった。


「……それは、ディオにとって幸せなことなの?」


「まあ、多分な」


 ククはなんとも言えない、苦い、どこか悲しそうな顔をしている。予想通りだった。


「そういう顔になる気がしたから、黙っとこうかと思ったんだ。……別に本気で考えてたことじゃない。気にするな」


 大体そんなことが叶わないのも知っている。

 ディオンはこの世界の理から弾き出された存在だ。いつかククが死んでも、ディオンはこの世界に残される。この生は永遠に終わらない。


「わたし、頑張って長生きするよ」


 川面に向かって足をぶらぶらさせながら、ククが言う。


「一生懸命、長生きするよ。ディオの願いが叶うかもしれないくらい。でも、それはきっとまだ当分先のことだから……」


「……ああ。分かったよ」


 ディオンは苦笑した。


「とりあえず、今は目の前の雑用を終わらせないとな」


 輝く川面に目を向ける。

 そのまま二人、言葉も交わさないまま浅瀬を過ぎていく水流を眺めていた。束の間、穏やかな日常の中にあるように。


 ***


 アルスは一時間も経たずに兵を連れて戻ってきた。

 彼の案内の元、移動を再開すると、雑木林はじきに途絶えた。


 平原を見晴らす丘陵の頂がククたちの作戦場所だった。


 視界を遮るものはほとんどない。陽光が穏やかに降り注ぐ中、見下ろす大地の彼方には敵軍らしき黒い塊がいくつも展開されていた。

 対して、丘の下方にも無数の人の気配がある。アストリアの騎士と王の私兵だと、アルスはククたちに説明した。


「敵が動いたらこっちも始めよう」


「うん、分かった」


 平らな場所に魔法陣を張って、アルスとリスティアーナの二人がその上に移動する。

 ククとディオンはその前方、少し離れた場所に位置取った。


 段取りは確認済みだから混乱はない。だが、それでもアルスはやや不安そうに付け足した。


「事が始まったら、向こうもこちらを放置はしないだろう。一応障壁は展開するけど、僕はどうしてもリティアの支援が優先になるから、万一の時は自衛してほしい」


 今のところ敵の動きはないが、確かにここで派手なことをすればいやでも目立つことだろう。

 周囲にはククたちの他に数人の術士がいるが、彼らはあくまでアルスとリスティアーナの補佐役だ。ここまで護衛してくれた兵士も丘の下の自軍に加わるため離脱してしまったので、それぞれの身はそれぞれで守るより他にない。


 分かった、と再びククが頷いた時、にわかに空気がざわめいた。慌てて視線を向ければ、前方――敵方の一角が動きだしているようだ。

 遠すぎて肉眼での視認は難しい。しかし、だからこそククがここにいる。


「……始めるよ」


 目を瞑ると、瞼の裏に色彩が踊った。ゆっくりと、自分の感覚が研ぎ澄まされ、広がっていくのを感じる。

 その中でも、今、知覚したいのは魔力の流れだ。集中し、色彩の中から求めるものをたぐり寄せる。


 ククは顔を上げ、そっと瞼を開いた。


 戦場の上に、赤い光の膜が漂っていた。色彩の濃度は一定ではなく、敵兵が集まっている付近がいやに濃く見えた。


「敵の魔法の可視化、成功したよ」


 戦場から目を離さず、ククは背後に報告した。

 それにしても随分広範囲だ。これだけの人数の心をねじ曲げることなど本当に可能なのかと疑いたくなる。


 と、背後から突然歌声が届いた。


 甘やかな声の主は振り返らなくても明らかだった。何の歌かは分からない。少なくともその言語は今この国で使われているものではなかった。美しく、どこか寂しさを感じる歌声は、見下ろす戦地を魔力と共に渡っていく。


 同時に、ククの視界にも変化が起きつつあった。


 背後から真っ直ぐ帯状に伸びる青い光が、目の前の赤い魔力の膜の一部を切り取っていく。その下にいる黒い塊が進軍を止めたのが分かった。歌声――いや、力が届いたのだろう。


「クク、状況は」


 アルスに問われて、ククは頷いた。


「反応が出てる。足が止まったよ」


「ってことは、こっちも気付かれたかな」


「……!」


 突然の風切り音に、ククは顔を上げた。

 上空から飛来してきたいくつかの礫は、しかし半円球の障壁に阻まれ、ククたちの元に届かず砕け散る。歌声は止まず、リスティアーナの傍らに立つアルスが腕を掲げたまま言った。


「とりあえずこの程度なら問題はないよ。本格的に攻められる前に片付けよう」


「……うん」


 ククは戦場に視線を戻した。敵はとうとうアストリアの兵士とぶつかり、眼下の戦地は混乱を迎えつつあった。

 それでもククのやるべきことは変わらない。

 集中すると、平原を覆う色彩の膜がいくらかはっきりする。

 リスティアーナの歌声によって、敵兵の上に広がる赤い紗幕は次々と払われていく。だが、それも完全に制圧出来ているわけではなかった。一度足を止めた敵軍も、すぐにまた緋色の光に覆われ、動きだす。


 やはり誰かがどこかで彼らを操っているのだ。その大元を止めない限り、この状況は変わらない。


(どこにいるの……?)


 もう一度目を閉じる。

 赤と青の色彩は今や瞼の裏でも確認出来る。それでも流れ漂う色を追うと頭が痛んだが、構わず意識を集中させる。些細な変化でも気が付けるように、感覚を研ぎ澄ませる。

 そうしてどれくらい経っただろう。

 青い色彩がまた緋色の光を払った瞬間、それを頭で理解するより早く、ククは声を上げた。


「いた」


 目を開く。ここから右方、木立で敵の姿は見えない。だが、そこから真っ赤な光が空に向かって飛びていた。

 周囲に干渉する強い魔力反応。きっとあれが術士だ。


 歌声はまだ続いていたが、リスティアーナの傍らから離れたアルスがククの元に歩み寄ってきた。ククは荷物から周辺の地図を取り出し、その一カ所を指し示す。


「ここ」


 次いで、ここから見えるその場所を直接指す。


「あの辺りで間違いないと思う」


「分かった。ディオン、頼む」


「了解だ」


 アルスの呼び声に、後ろで控えていたディオンが立ち上がる。

 その手には、鞘を払った両手剣が握られていた。


「ディオ……」


 ディオンはククをちらりと見ただけだった。


「じゃ、ちょっと働いてくるな」


 言うや否や、その姿は光に包まれ、一瞬でククの目の前から消えてしまった。

 後ろからアルスが誰かに援軍を要請する声が届く。

 木立の付近に味方はいないが、そこまで離れた場所でもない。きっと援軍の到着にそれほど時間はかからないだろう。

 すべて手筈通り。

 それでも、心配だった。


「兄さん、わたしもやっぱり……」


 振り返ったククは息を呑む。

 その場に膝をついたアルスは、着流しの胸元を真っ赤に染めていた。同じ色に染まった片手で青白い顔を押さえながら、ククに向ける双眸をわずかに細める。


「大丈夫、問題ない」


「問題なくないよ!」


 ククが駆け寄るより早く、歌声を止めたリスティアーナがアルスの傍らで膝を折り、その肩に手を触れた。しかしその彼女の顔色も、これ以上ないというほど悪かった。


「慣れないことして少し脳みそがへばってるだけだよ。格好悪いけどね」


 唇と鼻から伝う鮮血を乱暴に拭って、アルスが苦笑する。


「本当に平気なの……?」


「とりあえず、すぐ死ぬ心配はないよ」


「でも……」


「……ねえ。あなた、あの人を追いかけたいのよね?」


 何の前置きもなく、リスティアーナがククを見上げてそう言った。

 ククは思わず、相手の顔をまじまじ見つめる。


「あの人のところに行きたいんじゃないの?」


 リスティアーナは青ざめた無表情のまま繰り返した。


「……はい」


「じゃあ、そうしたらいいわ」


 何を、と思っていると、リスティアーナが片手を上げた。指先に灯された青い光が、ククの顔へと向けられる。


「言っておくけど、あなたのことは永遠に嫌いよ」


「……っ!」


 ふわりと内蔵が浮き上がるような感覚と同時に、視界が白く包まれた。

 次いで目の前に広がった光景は、一面の緑。

 木々に囲まれた場所へ、ククは転移していた。


「ここは……」


 人の声と足音が聞こえる。状況を理解し、そちらに向かって走りだすと、すぐに開けた場所に出た。

 見慣れた背中が目の前にある。

 ディオンは自らに向かってくる魔獣を次々に斬り伏せていた。

 その向こう、彼の正面には魔術師らしい外套が見えた。杖を掲げた灰色の髪の女だ。少女というほど若くもなさそうだが、アルスの言っていた術士だろうか。

 女の周囲には操られていたと思しき人々が倒れ伏し、その合間を縫うように唸り声を上げる魔獣がうろついていた。


 ディオンが魔獣と戦っている隙を狙うように、女が腕を振る。

 途端、杖の先の光が輝きを増した。


「させない!」


 ククは咄嗟に腕を掲げる。止めたい、という意思の力に応じて出現したのは、無数の青い蝶だった。


「……っ、クソ……!」


 蝶に視界を遮られ、女がたたらを踏む。

 そこに、魔獣を踏み越えたディオンが肉薄した。


「悪いな」


 剣の一撃。呻き声を上げ、女が倒れ伏す。魔獣たちはしばらく唸り声を上げていたが、じりじりと後退し、やがて蜘蛛の子を散らしたように去っていった。


「ディオ、大丈夫?」


「ああ」


 ディオンは頷いて、女の傍らにしゃがみこんだ。


「……よし、まだ生きてるな。一応こういうのは生け捕った方がいいんだろ?」


 そこそこ物騒なことを平然と言って、ディオンはククを振り仰いだ。


「で、お前は何で来たんだよ。そんなに信用なかったか?」


「ご、ごめん」


「まあいい。っつーか、助かった」


「……うん」


 ほっとして、ククは周囲を見回した。

 倒れた人々も命に別状はなさそうだ。


「これで終わりか。……なんか呆気ないな」


「そうだね」


 そう、作戦は終了した。今頃他の敵兵も動きを止めているだろう。後は拘束するなりして保護すれば解決だ。

 すべては、うまくいったはずだ。


 ***


「なんでククに力を貸したんだ」


 案の定、アルスはそう訊いてきた。


「別に。ただの気まぐれよ。それに、頼まれなくても吹っ飛ばしてたわ」


「吹っ飛ばすって……何でまた」


 追求されて、リスティアーナは視線を落とした。

 邪魔だから、と言いそうになるのを堪えて別の言葉を選ぶ。


「ここにいたってあの子に出来ることなんかないでしょ」


 これも本音ではあった。あの少女がここにいたところで何にもならない。運命はもう変わらない。


「……それより、痣、また広がったわよ」


 リスティアーナはアルスの顔を覗きこんだ。

 元々首から頬まで伸びていた黒い痣が、更に範囲を広げていた。指で軽く目尻に触れると、アルスが「そこまで来てるか」と軽く呻いた。

 敵の魔法を無効化させたのはリスティアーナの魔法だが、その効果範囲や威力の細かな調整を補助していたのはアルスだ。神経を使う分、消耗が激しかったのだろう。


「薬は? この間試薬が出来たんでしょう?」


「試したけど僕の体では無理だった。やっぱりポイントは成長の早期段階での抑制かな。こうなったら子供たちにも早く……」


「今そんなことを聞きたいわけじゃないわ。無駄にべらべら喋らないで」


「いや、話を振ったのは君だと……」


 生意気に反論してくる口を右手で塞いで、リスティアーナは目を閉じた。

 治癒の力は使えないが、身の内にある魔力を渡せばいくらか楽になるだろう。そう思って、実際そうした。


 手のひらを離すと、アルスは困惑を隠さない顔でリスティアーナを見つめていた。


「……僕に構ってる場合じゃないだろ」


「あなたに死なれたら困るのよ。大体、もし今また敵が来たらどうするつもりかしら?」


「流石にそれはしんどいな」

 アルスは苦笑した。

「万が一の時はそこの優秀な部下たちに任せるよ」


 無責任な上司の言葉に近くで控えていた術士たちが呆れたような困ったような顔をしている。彼らも一流の術士ではあるが、アルスほど無茶が出来るタイプではないし、何より彼らの専門は防衛術だ。

 彼らは、戦えない。


 リスティアーナは目を閉じ、息を吐き出した。

 疲れているが、まだ動けなくなるほどではない。


 私はまだ戦える。


「ねえ、アルス。私やってみたいことがあるの」


「……何?」


「ほら、よく勝った時とか嬉しい時にみんなで手を鳴らすでしょ? いえーい、ってやつ」


「いや、今別にそういう雰囲気じゃないと思うんだけど」


「いいから。このくらいは付き合ってくれるでしょ」


 おかしいと思われる前に両手を上げる。そのまま軽く勢いをつけて振ると、アルスも反射的に手のひらを掲げた。

 本来するべき音はなく、絡めた指にアルスが何かを言いかける。


「まだまだね、あっちゃん」


 ようやくこちらの意図を悟って、アルスの瞳がわずかに揺れる。でも、もう遅い。内心で微笑んで、簡単な魔法を解き放つ。


 意識を失い、もたれかかってきた体は、リスティアーナには少々重すぎた。肩口に乗った頭、痣の広がった頬に口付けた後、背後の術師たちに助力を求めるため振り向くと、騒々しい足音が耳に届いた。


「大変です! 東で何者かが……」


「ええ」


 すべて聞き遂げない内に、リスティアーナは頷いた。


「私が行くわ」


 ***


 それは一瞬の間に起きた、想定外の出来事だった。


 ハリスは、座り込んだまま呆然と周囲を見渡した。

 散乱する武器。飛び散った血痕。えぐれた大地のあちこちに倒れ伏す部下たち。屍。


 一体何が起きた?


 元々ハリスが束ねる騎士団に今回与えられた命令は「遊撃」だ。

 あの国王お気に入りの魔術師たちが珍妙な作戦とやらを遂行する間、敵の侵攻を食い止め、極力注意を引きつけておくこと。そういう内容である。


 捨て石とまでいかずとも、五勇の便利な傭兵扱いされることは鼻持ちならなかったし、憎悪と言っていいまでの感情すら湧いたのは確かだ。だが、そんなことにこだわっているほど状況が甘くないことも知っている。

 なればこそ、ハリスは荒れる部下を宥めてなんとかこの作戦を承服した。

 その部下たちも作戦が始まれば悪態を吐くことはなかった。

 その余裕がなかった、と言えばそうだ。


 ハリスたちが対峙する「敵」の多くは、武器を持ってこそいるもののただの民間人だった。得体の知れない力で統制された彼らは大きな脅威ではなかったが、なんとか殺さずにいようと思うとそれはむしろ普通の戦闘よりも難しかった。


 それでもなんとか敵を抑えつつ、跋扈する魔獣だけを始末するよう奔走した結果、気付けば敵対していた人間は無力化された状態で、魔獣も撤退していった。魔術師たちの作戦とやらが成功したのだろう。


 戦は、終わった……はずだった。


 もう一度ハリスは視線を巡らせる。

 攻撃を受けたのは、つい今し方。黒い閃光が弾けたと思った瞬間、ハリスの前方にいた騎士たちが吹き飛んだ。同じような攻撃が立て続けに三回。それだけでこの惨状は完成した。


 無傷の兵はほぼ皆無。ハリスの左腕も鎧ごと砕け、あり得ない報告に大きく曲がっている。爆風で折れたのだ、と判断は出来ても、頭が働かないので痛みはさほど感じない。


 ゆらゆらと夢のさなかを彷徨うようなハリスの視界が、一つの影を捉えた。

 前方、死体や血溜まりを踏み越えてやってくる若い男。

 黒い外套に、長く伸びた緑色の髪。あの耳と尾は獣人だろうか。散歩でもしているような気安さでこちらに歩いてくる。


 あれは、まずい。


 ハリスの騎士団長としての直感と人間としての本能が、そう強く訴えかけていた。あれには近付くべきではない。あれは、俺にはどうしようもない。


(……ふざけるな)


 大声で呼びかけてくる心の声の一切を無視して、ハリスは立ち上がった。幸い剣は握ったままだった。左手は使い物にならないので、右手だけで構える。


 自分以外に戦える者はいるだろうか。

 前方の部下はぴくりとも動かない。後方に視線を向けている余裕はない。しかしただ一人だったとしても、ここで逃げる選択肢はなかった。

 額や頬を流れる生温い血の感触に顔をしかめつつ、ハリスは男に向かって自ら一歩を踏み出そうとした。


「……ここはあなたの死に場所じゃないわ」


 ハリスの傍らを、声と女が通り過ぎていった。

 危うい足取りと汗を吸ってまだらに透けた白いワンピース。一瞬見えた横顔は死人のように青く、城内において忌々しい存在である女の姿は、いつものように取り澄ましたものではなかった。


 女が眼前に立ち塞がったために、ハリスの視界から男が消えた。しかし次の瞬間、前方――男のいた方から波頭のような闇が押し寄せてきた。


 またあの力だ。

 思わずハリスは顔を背ける。

 だが、先ほどのような衝撃波は来なかった。視線を戻すと、変わらず女の背中が目の前にある。

 違う、それだけではなかった。

 いつの間にか女の正面……いや、周囲一帯に青い障壁が展開されていた。


(……ああ)


 状況を悟って、ハリスは息を吐く。

 なんて腹立たしいのだろう。

 この女に――魔女に救われるなど。


 しかし、湧き上がる怒りはそれ以上形にならず、ハリスはその場で意識を失った。

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