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refrain  作者: 水幸
第十四章 想い、鼓動
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第58話

 定例議会は紛糾していた。

 もっともそれはいつものことで、だからククもいつも通り、並べた机の後ろの方でぼんやりそれを聞き流していた。


 そもそも国の重役が集められるこの場所に何故自分も毎回呼ばれるのか、ククは未だに納得していない。兄からは王の意思だと説明され、だからこそ逆らうことも出来ないのだが、それでも「何故」という思いは拭えないし、その答えが与えられることもない。


 そして、周囲も同じように疑問と不満を抱えているのは明白だった。

 だからククは定例議会の度、末席でなるべく存在感を消している。議場の中心にいる王や、そのすぐ近くに五勇の一人として列席する兄の方を見ることもない。些細な振る舞いで余計な嫌疑をかけられたくないからだ。


 しかし、その日は会議が進む内、


「それではこのまま祝典を行うと!? 」


 大声が広い室内に反響して、流石にククも顔を上げた。


 今回の議題はそのほとんどが祝典に関わるものだった。今も式事の準備は粛々と進められているが、昨今の城内外の状況からその危険性を訴え、取りやめるべきと声を上げる者が出始めているらしい。今し方発言したのも、その一人だろう。


「再三伝えているように、祝典は必ず行うものとする」


 王の声が響くと、一瞬議場が静まりかえった。

 だが、すぐにどこかから、


「陛下の御身に危険があるかもしれないのですよ!」


 そう反論が上がる。声の主を見れば、先王の時代から信を得ている大臣の一人だ。元老は。真っ赤な顔を主に向けていた。


「もちろん、あらゆる危険は承知の上だ」


 静かな声が老人に向けて放たれた。立ち上がったアストリアに、再び議場が静まりかえる。


「此度の祝典を中止すれば、今以上に反乱分子に付け入る隙を与えることになるだろう。私の統治が確固たるものと示すためにも、これは行わなければならないのだ。私だけではない。偉大な先王たちのためにもな」


 かつてリバリティを滅ぼし大陸を統一した先々代と、彼の築いた巨大な国土を戦後の疲弊から少しずつ立ち直らせたという先代の王。二人の存在はこの城では神聖視されていると言っても過言ではない。


「う……それは……」


 案の定、英雄を盾にされた老人が言葉に詰まる。彼が反論を諦めれば、もう他に王に意見出来る者は多くないだろう。実際、主君の有無を言わせない雰囲気に呑まれて議場の不穏な空気は徐々に薄れつつあった。


 結局祝典は続行で着地する。そう悟りつつ、しかしククは憂鬱な気持ちを隠せなかった。

 その理由は自分でもよく分からない。

 それでも、少しずつ時は動きだしていた。


 ***


 この地での生活も大分慣れたと言うべきか、飽きたと言うべきか。

 当初はやたら広い城内の景色に戸惑ったり、城下に出る際の面倒臭さに辟易したりしたものの、徐々にそれらも当たり前のものとして呑み込める程度にはなった。


 そうして王城での暮らしが日常になりつつある中、その日ディオンは朝食の席で珍しくククに外出に誘われた。


 そもそもククはあまり家の外に出ることはなく、たまに出かけることがあっても王城に用事だか仕事だかを済ませにいくか、城内の施設でちょっとした買い物をするくらいだ。

 珍しいことだと思いつつ、どうせ大した用でもないだろうと、ディオンは特に詮索もせず了承した。


 しかし――。


「……おい」


 馬車を使って到着した、邸のある住宅街からはほぼ対角線上に位置する城の外周部。背の高い柵に囲まれたその一角は遠目からでも明らかに異様な賑わいを見せていた。

 馬車から降り、迷わず先へ進んでいくククに、ディオンは流石に疑問を投げた。


「どこ行くんだよ」


 彼女はわずかにディオンを振り返り、


「この先の広場で騎士団の入団テストをやってるの。今度の祝典で新しい騎士を発表するんだって」


 妙に他人事のようにそう言った。しかも、これといって楽しそうな顔でもない。


「それをわざわざ見に行くのか?」


「そう。陛下が来いって言うから」


「なんでまた」


「頑張る若者を見たらわたしも心を改めるかと思ってるんじゃないかな」


 意味が分からない上に、ククは「楽しくなさそう」を通り越した嫌そうな顔で何やら溜め息を吐いている。

 いずれにしても、ここまで来たのだ。ククが行くというのなら、ディオンも同行するより他にない。


 会場だという柵の方に向かって、人々の間を縫って進む。


「入団テストとやらはいつもこんなに喧しいのか?」


「わたしはよく分からないけど……多分そうじゃないかな」


 ククは柔らかそうな髪を揺らしながら首を傾げる。


「騎士団は誰でも入れるわけじゃないし、半数以上はそれなりの家柄の人たちらしいよ。実力を示して入団を認めてもらえる機会は少ないから、テストがある時は城内でも話題になってるみたい。でも今回は祝典のこともあるし、特別盛り上がってるのかもね」


「祝典か……」  


 それも度々耳にはするが、いまいちぴんとこない話題だ。

 しかし、そのことについて掘り下げる間もなく、進路からわあっと歓声が上がった。どうやら入団テストとやらはとっくに進行しているらしい。

 ククの先導で人々が流れ込む簡素な門ではなく、衛兵に守られた入り口から会場に入ると、仮設の階段を上がって階段状の座席に行き着いた。周囲にはやたら小綺麗な身なりの人間ばかりが揃っている。


 なんとなく上の方を仰げば、一番上段には緋色の外套を羽織った男が座っていた。髪も目も外套と同じでやたらと赤い。「あれが王か?」とククに耳打ちすると、呆れたような声で「知らなかったの?」と返ってきた。

 知らなかったし、興味もなかった。そう正直に返しつつ、ディオンは更に尋ねた。


「っつーか、ここ、関係者席じゃないのか? 部外者の俺がいていいのかよ」


 下の方では簡易的な見物席が円形の広場を囲んでいて、一般の見学者らしき人々が溢れている。本来ディオンはそちらにいるべき人間だろう。


「そういえばそうだね」

 ククはのんびり瞬いた。

「だけど誰も何も言わないし、大丈夫じゃないかな」


 それは大丈夫ではないのでは?


 しかし現に少々の視線は感じるものの、咎めてくる者はいなかった。ククが隣にいることも関係しているのかもしれない。


 まあいいかと納得しかけたその時、広場から再び歓声が沸き起こった。


 中央の方に視線を向ければ、柵で区切られた空間に男が二人。一人は剣を片手に立っているが、もう一人はその場に膝をついている。どうやら今まさに決着がついたところらしい。

 膝をつく男が小綺麗な皮鎧に身を包んでいるのに対して、勝者たる男は随分くたびれた襤褸を纏っていたが、猛禽を思わせる鋭い眼光や傷だらけの顔、大柄な体躯と合わさって、それが妙に似合ってもいた。


 ふと、ディオンはその姿に何か引っかかるものを感じた。


「あいつ、どっかで……」


「あれ、クレストだ」


「は? ……は?」


 一瞬思考が完全に停止した。しかし、沈み込んだ過去の記憶を攫いつつ、よくよく男を眺めてみると、


「……ほんとだな」


 としか言いようがなかった。

 かつての少年らしい面影は薄れているし、体も大きく成長している。だが、鳶色の髪と鋭い金の瞳、何よりその妙にふてぶてしい表情は変わらない。

 男は確かにクレストだった。


 ふと、また眼下が騒がしくなった。新たに現れた男――恐らく騎士が、クレストに向かっていく。どうやら連戦になるようだ、と思った瞬間、勝負はすぐに決着した。

 クレストの振った木刀で騎士が吹き飛ばされ、歓声が大きくなる。次、と誰かが自棄になったように叫んだ。

 しかし案の定と言うべきか、クレストは次々向かってくる騎士たちを剣一本でのしていく。誰も彼もクレストには敵わない。謎の人物の規格外の強さに、最初は湧いていた見物席からも徐々に不安げなどよめきが起こり始めていた。


 そうして十人ほどを打ち負かした後、不意にクレストは客席を――というより、こちらを見上げて大声を放った。


「そこの紫の。お前と勝負をしてみたい!」


(嘘だろ)


 会場が一瞬にして冷え静まる。が、すぐにどこかの空気の読まない馬鹿が「紫の?」と頓狂な声を上げた。その声に誘導されるように、会場の視線が見物席の一角に集中する。


 人々の注目の中、死ぬほどうんざりしつつディオンは答えた。


「断る」


 無数の顔越しに見えるクレストは、口の端に不敵な笑みを乗せていた。


「なに、遠慮は不要だ」


 どういう発声の仕方だか知らないが、声がやたらにでかい。

 遠慮じゃない、とディオンは呻いた。


「俺はそんなこ……」


「おっと、大衆の前で生き恥を晒したくないと言うのなら、無理強いはしないがな」


「……何だと?」


「ディオ」


 隣からククの戸惑ったような声がした。勿論分かっている。挑発に乗ってどうする。だから今の言葉は無視して――。


「おお、やはり止めておくのか。賢明だな、流石、紫頭をしてるだけある」


 よし決めた。ボコボコにする。


「何を勘違いしてるか分からんが、負け面晒すのはお前の方だ」


「これは随分な大口だな。なら一つ戦ってみるか?」


「望むところだ」


 ディオンが立ち上がると、会場がざわめき、クレストの笑みが深くなった。奴の思惑に乗ってしまったような気もしたが、もはや構わない。冷やかしと怒号でうるさい客席を突っ切り、最前列の柵を跳び越える。


 砂埃が舞う広場の中央に進み出ると、クレストが木剣を放り投げてきた。先に倒された騎士のものだろう、片手剣を模した木片は軽すぎて扱いにくそうだったが、とりあえず文句は呑み込むことにした。


 ディオンは剣を構えてクレストと対峙した。

 合図はなかったし、必要もなかった。互いの呼吸が揃った瞬間、二人は同時に地を蹴った。


 それぞれの木剣がぶつかり、鈍い音が響く。


 間近に迫るクレストは、ディオンより頭一つ半ほど背が高くなっていた。剥き出しの腕や顔に大小無数の傷が付いている。もう妙な力の恩恵はないようだが、それでも恐ろしく腕力が強い。

 どいつもこいつも好き放題成長しやがって。

 内心で毒づきつつ、ディオンはなんとか刃を押し返す。隙なく迫ってくるもう一撃を払い落とし、一旦距離を取った。


(長期戦に持ち込むか? いや……)


 使い慣れた剣ならともかく、扱いづらい武器で戦闘を長引かせても勝算は薄い。

 ならば、とディオンは腰を落とした。

 息を吸い、クレストの攻撃を待つ――と、予想通りすぐに来た。迫る攻撃に対して、ディオンはすべての力、すべての速さをつぎ込んで剣を振る。


 次の瞬間、乾いた音と共に勢いよくディオンの剣が折れ、同時にクレストの剣も折れた。流石に相手の体ごと弾き飛ばすことは叶わなかったが、わずかに逸れた上体に向かって、ディオンは手に残った木片を突き出した。

 騎士の所作とはほど遠いものの、ぎざついた切っ先はクレストの喉元を指して止まった。

 一帯が水を打ったように静まりかえる。


「……うむ」


 クレストが半端に振り上げた自身の木剣の残骸をあっけなく手放し、宣言した。


「流石に勝てぬか。降参しよう」


 特に悔しくもなさそうな顔には、大粒の汗が浮かんでいる。これまで何人もの人間と戦っているのだ。相当消耗しているのだろう。勝つには勝ったとは言え喜ぶ気にもなれず、ディオンも折れた木剣を放り投げた。


 無責任な見物人たちから雷雨のような歓声が上がる。

 そのまま客席へ戻ろうとしたディオンは、正面から近付いてくる男に気付いて足を止めた。

 クレストに負けず劣らず骨の太そうな壮年の男だ。堂々たる足取りと派手な銀の甲冑姿でどういう立場の人物かは想像に難くなかったが、立ち止まった男はすぐに自ら名乗った。


「私はハリス・ルドロイド、アストリア騎士団の団長を務めている」


「そらどうも」


 男はこちらの適当な返答にやや眉をひそめたものの、すぐに笑顔を浮かべて言った。


「さて、この試合で活躍した者には騎士団入りの栄誉が与えられるわけだが、今回は二人もの素晴らしい人材に……」


「悪いが俺は騎士になるつもりはない」


「俺もだ。特に悪いとは思っておらぬが」


 ディオンはクレストを見た。この場を散々騒がせていた元凶はけろりとした顔をしている。


「この地の盛況なのを見て腕試しがしたいとは確かに言った。だが、騎士になるつもりはないし、そのような誓約書を交わした覚えもない」


「……君もそうか?」


 ハリスに鋭い視線を向けられて、ディオンは肩を竦めた。


「そもそも俺はこいつに巻き込まれただけだ。それに、既に世話になってる奴がいる」


 ディオンは背後を振り仰いだ。

 高い位置にある客席に、ククがいやに神妙な顔をして座っているのが小さく見える。ディオンの視線を追ったハリスが、「あれか」と低い声を出すのと同時に、ククがさっと視線を落とした。まるで何かから逃れるように。


「……あれの指示で我々を愚弄しに来たか。果てしなく下劣な品性だな」


「……は?」


 何を言っているのか分からない。だが、こちらに向けられたハリスの顔には明確な敵意が滲んでいた。

「おい、一体何の……」

 問いかけようとした直後、後ろから恐ろしい力で襟首を引っ張られ、ディオンは息と言葉を呑み込んだ。


「とにかく俺たちは騎士にはならぬ。ではな」


「おい!」


「いいから行くぞ、紫頭」


「っ、るっせえな。分かったから引きずるのはやめろ!」


 振り払うと、クレストはさっさと広場の外に向かって歩きだす。この状況に会場には混乱が広がりつつあった。飛び交う野次の中、ディオンも仕方なくクレストの後を追う。

 周囲は当然混雑していたが、皆クレストに怯んで道を空けていくので、通行に困ることはなかった。そのまま広場を囲む柵の外に出る。


「ディオ!」


 聞き慣れた声の方を探すと、ククがこちらに駆けてくるのが目に入った。

 おう、と手を上げたディオンの前に、ぬっと影が差す。

 もう驚くこともなく、ディオンは頭を傾けた。


「で、お前はどういう了見だ」


「何、そう急くな」

 クレストは鼻を鳴らした。

「とりあえず俺は疲れた。何か甘いものを食わせろ」


 その限りなく尊大で横柄な態度を前にして、ディオンは数年越しに思い至った。

 この男は「元」王様なのだ、と。


 ***


「……で、とにかくお前はどうして生きてるんだ」


 騎士団本部前の広場からクレストを連れて邸に戻るなり、ククの隣でディオンはいきなりそう訊いた。もう少し前置きがあっても、とは思うものの、ディオンの疑問はククの疑問でもあった。


 ダイニングテーブルを挟んで山盛りのスコーンを食べているクレストは、間違いなくクレスト本人だった。到底幽霊には見えないし、そもそも幽霊だったらこんなに成長しないだろう。つまり生きている。

 ……けれど何故?


「ふむ、そうだな……」


 クレストは食べかけのスコーンを手に、重々しく頷いた。


「分からん」


「え」


「おい、もう少しまともな返事をする気はないのか?」


「分からぬものは分からぬのだ」


 クレストは難しい顔でスコーンを囓った。


「……七年前、あの城が崩れた後、気付いたら俺は瓦礫の山の端に寝そべっていた。自分でも自分が生きていることに確信はなかったが、そうこうしてる内に傷は癒えるやら腹が減るやら……どうにも生者と変わらぬらしいと察したのだ」


「察したのだ、って……」


 信じがたい話だが、クレストが嘘を吐いているとも思えなかった。


「めちゃくちゃだな……」


 ディオンも呻いているが、すぐに何か思いついた顔になり、


「お前、ライックのことについて何か知らないか?」


 真剣な顔でそう訊いた。


「問題はそれだ」

 クレストが不意に顔を歪めた。

「あの獣人の男は生きている」


 部屋の空気が一瞬にして冷えていく。


「……それは確かなことなのかい?」


 声は戸口から発せられたものだった。


「兄さん」


「まさかあんたが生きてるとはね」


 アルスは部屋に入ってこようとはせず、軽く壁にもたれてこちらを見ていた。


「で、ついでにライックまで生きてるって?」


 クレストはアルスの登場にも特に驚かず、ああ、と頷いた。


「城の跡地に転がっていたのは俺一人だったし、てっきり死んだものと思っていたのだが、去年北方の町でそれらしい姿を見かけてな。後を追おうとしたが途中で見失ってしまった」


 クレストはわずかに悔しそうな表情を浮かべた。


「それでとりあえず町の様子を調べてみたのだが、何やら廃墟に妙な……尋常でない様子の人間が集まっていた」


「尋常じゃないって、どういう感じに?」


「かつての俺から更に自我を奪ったような状態だった」


「そりゃ尋常じゃないな」

 ディオンは頷いた。

「つまり誰かに操られてるってことか?」


「分からぬ」


 は、と短く息を吐き出す音がした。


「で、君はそれを放置してわざわざここまでお知らせに? 呑気なことだね」


 アルスの口調には険があったが、クレストは特に表情を変えなかった。


「生憎他人の呪いを解くような高度な魔法に疎くてな。それに罪を犯してもいない民草に手を出すわけにもいかぬだろう」


「そいつらのことはともかく、ライックはどうなったんだ?」


「それも分からぬ。結局あの男が再び現れることはなかった」


「じゃあ一回見たきりか」


「ああ」

 クレストは頷き、付け足した。

「しかしその代わりと言ってはなんだが、近隣の町や村を探る内、妙な話を掴んだのだ」


「集会の話かな」


「集会?」


 ククは兄の顔を見た。


「ほう、既に掴んでいるか。であれば、これまで何もしていなかったのはお前たちの方ではないか?」


 意趣返しのようなクレストの言葉に、室内の空気が強張った。


「どういうことだ?」


 ディオンがアルスに問いかける

 アルスはしばらく険しい顔をしていたが、やがて諦めたように話し始めた。


「このところ、各地で妙な集会が行われているらしくてね。一応関係各所で調査してるけど、現場を押さえても首謀者どころかまとめ役さえ掴めていないのが現状だ。それどころか、最近では調査担当者が失踪する事件もいくつか報告されている」


 初めて聞く話にククは思わず首を傾げた。


「そんなことが起きてるなら、どうして騒ぎになってないの?」


 いくら王都の外の出来事であっても、関係者が行方不明になっているのならただ事ではない。


「集会が宗教絡みのものである可能性もあるから干渉に慎重になっている、というのはあるだろうね」


「宗教絡みだと何かまずいのか?」


「個人の信仰に関して王都は強く口出し出来ないんだ。アストリアは宗教国家ではないし、大陸統一の際に各地の信仰には手を出さないことを約束したからね。今になって急に抑圧的になればかえって反乱の口実を与えることになる。だから積極的な捜査や制圧は控えるべきだ」


 アルスは淡々と言って、目を伏せた。


「……というのが陛下の意見だよ。ついでにこの地で祝典が滞りなく行われれば、そんな不穏な動きや各地での些細な反発なんかも全部まとめて消えると思っているらしい」


「恐ろしく楽観的だな。いや、いっそ逃避的と言うべきか?」


「同意するよ」


「とにかく、その集会っていうのにライックが関わってるってこと?」


 ククは改めてクレストに尋ねた。


「俺にもそこまでは分からん。だが可能性は高いのではないか?」


「それなら放っておくわけにはいかないよ」


 ククの言葉に、しかしアルスは暗い顔をした。


「だけど今、僕たちがあの男の影を追いかけ、王都をないがしろにすることは出来ないよ。……それにライックが何か仕掛けるつもりなら、もっとも標的になりやすいのがこの地であり、例の祝典なんじゃないかな」


「つまり、ここで何か事が起きるのを待つしかないってこと?」


「今の時点ではね。もし何も動きがなかった場合、祝典の後なら多少動きやすくなるだろうし、そこから本格的に調査を始めることも出来ると思う。もちろん、何も起きなければそれが最善ではあるんだけど」


「……そうだね」


 後手後手の方策には不安しかなかったが、ひとまず納得してククは正面に視線を戻す。

 クレストはちょうど六つめのスコーンを食べ終えるところだった。


「それで、クレストはライックのことを教えるために、わざわざここまで来てくれたんだよね?」


 クレストは、目を上げて「ああ」と低い声を出した。


「だが、取り次ぎに時間がかかりそうだったのでな。手っ取り早くお祭り騒ぎに首を突っ込むことにしたのだ」


「そんな理由だったの……」


 手っ取り早そうだという理由で大事な入団テストを引っかき回された騎士団には同情するが、クレストらしいといえばクレストらしかった。


「それで、えっと……ってことは、クレストもわたしたちに協力してくれるんだよね?」


「いや、そのつもりはない」


 クレストはあっさり首を振った。


「お前たちが健在であるなら一応伝えておくかと思ったまでだ。それにこの都もあまり好かぬ。用を果たした以上、さっさと出ていくつもりだ」


「だけど……これから一人でどうするの?」


「どうにでも。もとより一度のみならず、二度も死に損なった身だ。精々世間の理を無視して亡霊の生を謳歌するさ」


 物騒な言葉のわりに、クレストの表情には暗いところがなかった。金のまなざしもその力強さは相変わらずだが、かつてのようなどこか追い詰められた色は見えなくなっていた。

 クレストは自分のすべきことが見えている。

 そう分かった以上、ククに彼を引き留める言葉を見つけることは出来なかった。


「そろそろ会談も終わりか。ではな」


「お前、まだその剣持ってるのか」


 あっさりすぎるほどあっさり立ち上がったクレストに、突然ディオンがそんな言葉を口にした。彼の視線はクレストの右手、まさに今テーブルの下から取り上げられたばかりの武器に向かっていた。


「ああ、これか。……まあな」


 クレストが剣を腰に下げつつ頷く。

 それは黒い鞘に収まった、柄まで黒い片手剣だった。ククの記憶が正しければ、鞘を払えば刃まで夜の色をしているはずで、ついでに元々はクレストの剣ではなかったはずだ。


「持ち主に返し忘れたのだ」


 ディオンの知己たる黒塚の魔剣を穿いたクレストは、やはりあっさりと告白した。


「俺が生きていることは勿論、これを横領していることもバレているだろうが、向こうから接触してこなければ返せとも言われない。だから勝手に持っていることにしたのだ」


 ディオンは絶句していたが、堂々と言い切る姿にククは思わず苦笑してしまった。

 クレストは、やはりクレストだった。




 すぐにでも王都を出るというクレストを見送るため、ククは彼と共に自邸の外に出たが,それほど歩かない内に「ここでいい」と、これまたさらりと告げられてしまった。


「ほんとに? 城下まで結構距離があるけど大丈夫?」


「都の作りには慣れている。問題ない」


「そっか……。あの、クレスト……どうしても行くんだよね?」


「ああ」

 クレストの顔に迷いはない。

「さっきも言ったがこの都は好かん。まあ、それは俺個人の心情によるところも大きいが――何にせよ、一所に留まるのは性に合わぬしな」


「……そっか」


 本当はもっと聞きたいこと、話したいことは色々あった。

 けれど、クレストの意志の強さは前からよく分かっていた。これ以上言っても、彼の決定は覆らないだろう。


 辺りに他に人の姿はない。美しく整備されているがどこか無機質な舗装路は、確かにクレストの雄々しい存在感とは相対するものにも見えた。


「……実は少し気恥ずかしかったのだ」


 不意にクレストが声を放った。


「気恥ずかしかった?」


「ああ。七年前、俺は随分見栄を張ってお前らと別れたからな」


「あ、一応気にしてたんだ」


 ククが言うと、クレストは軽く鼻を鳴らした。


「どのみち死に損なったことに変わりはない。つまらぬプライドだとは分かっているし、実際こうして拾った生に甘んじているのだがな」


 滲む自嘲。けれど彼の気高さはけして失われていなかった。


「……クレストは変わらないね」


「お前は少し変わったな」


「それって……」


「良い悪いかは聞くな」


 向けられた苦笑はすぐに消えた。真面目な表情に戻ったクレストが、ククに向かって右手を差し出す。


「だが、この地でお前に再び会えて良かった。それだけは確かだ」


「……うん」


 ククもその手を握り返した。


「わたしもクレストとまた会えて良かったよ」


 寂しくはある。けれど、これが最後という感じはしなかった。

 こうして再会を果たした今、きっとまたどこかで会うこともあるだろう。そんな予感があった。


「お前をお前たらしめているものを見失うなよ、クク」


 手を離す直前、クレストはそんな言葉をククに残した。


 ***


 ククがクレストと共に部屋を去ると、必然、その場にはディオンとアルスが残された。

 ようやく席に着いたアルスに、ディオンは尋ねた。


「お前はあいつを憎んでるのか?」


「どうして」


「妙に攻撃的だっただろ」


「それは……昔の悪い癖が出たかな」


 アルスは苦笑しながら皿に残った焼き菓子を取った。


「あまり歓迎したくない相手ではあったけど、別に憎んでるってほどでもないよ。……そんなことより、君は騎士団長の恨みを買ったそうだね」


「随分情報が早いな」


「城は既に大騒ぎだよ。入団テストをめちゃくちゃにした紫頭がいるってさ」


 アルスは面白がっているようだが、まったく冗談ではない。


「俺はあの亡霊男に勝手に指名されて戦っただけだ。元々騎士団なんかに興味はねえし、騎士様が怒ろうが知ったことかよ」


「それなんだけど、問題は君がクレストと戦ったことじゃないんだ。君は『ククの客人』を自称したんだろ? まずかったのはそっちだよ」


「どういうことだ?」


 アルスの言葉は意味不明だったが、ふと騎士団長だと名乗ったハリスとのやりとりが蘇った。そういえば奴はククの名を聞いて、いやに敵意を剥き出しにしてきた。


「もしかして、あいつとククは仲が悪いのか?」


「ククとっていうか、五勇である僕とだね」


 五勇というのはアストリア王の側近だったか。なんとなく忘れがちではあるが、目の前の男はこの国の主の懐刀なのだった。

 その懐刀が菓子を食いながらディオンに説明した。


「五勇は元々騎士団と折り合いが悪いんだ。陛下お気に入りというだけで大きい顔が出来る五勇に対して、騎士は陛下ではなくこの国そのものに忠誠を誓い、王に対しては清廉さや公明正大さを求める立場にある。……つまり僕らの存在は、彼らの在り方や理想とはまったくかけ離れたところにあるんだ」


「だから敵視されてるのか?」


「そう。五勇である僕はそれこそ彼らに憎まれてるし、僕の妹であるククももれなくその敵対心の対象になってるってわけ」


「なんか……理不尽じゃないか?」


「まあ、個人の好き嫌いもあると思うよ」


 どこかのんびりした声が背後から届いた。

 いつの間にか戻ってきたククは、再びディオンの隣席に腰を下ろす。もういいのかと尋ねると、頷き、先ほどの言葉に付け足した。


「今の騎士団長は特に古来の騎士の在り方にこだわってるから、愛国心の薄い兄さんやわたしみたいなタイプが心底許せないみたい。他の五勇と比べても当たりが強いんだ」


 事情を完全に理解出来たわけではなかったが、つまりディオンがククの客人を名乗ることは騎士団関係者の感情を逆撫ですることだったのだろう。あの時あの場で安易にククの名前を出すべきではなかったのだ。


「すまん、俺が軽率だった」


「わたしは全然大丈夫だよ。……ただ、ディオが今後嫌な思いをするようなら悪いなって」


「あんたは目立つし、余計な喧嘩を売られたくないなら騎士の出入りする場所には行かない方がいいかもね」


 アルスが親身なようで無責任なアドバイスをしてくる。


「具体的にどの辺りがまずいんだ?」


「王都全域」


「つまり外出するなってことか?」


「あ、でも、わたしと一緒なら大丈夫だと思うから」


 ククが慌てて言い添える。


「いや、お前が一緒だと余計にまずいんじゃないか?」


「いい顔はされないだろうけど、多分誰も近寄ってこないと思うよ」


「なんでだよ」


「わたしは気味悪がられてるから」


「ああ」

 ディオンは納得した。

「わりと分かる」


「それはとにかく」

 アルスが汚れた手を叩きながら言った。

「当分は名実ともにククの客人らしくしていた方がいいだろうね。変に動いてスパイだのなんだの言われるのは嫌だろう? なるべく大人しくしておいた方がいい」


 そんなことを言われても、とは思うものの、面倒に巻き込まれたくない以上その努力をするより仕方ないだろう。

 分かった、とディオンは不承不承頷いた。

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