表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
refrain  作者: 水幸
第十二章 落花
51/75

第51話

 自分の生活範囲の中に他人の存在があるというのは、本来リスティアーナにとってけして快いものではなかった。


 時折アルスがやってきたり、王に請われて登城した結果、他人と交流する機会はあるが、基本的にはこの塔で一人で過ごすのがリスティアーナの生き方だった。

 それで満足していたし、それ以外の何かを望んだこともない。


 だが、桃という少女を預かったことでリスティアーナの生活は一変した。子供とは言え、他人が近くにいるのが常になった。

 それは快いものではなかった……はずだった。



 リスティアーナは壁に軽く寄りかかったまま、淹れたての紅茶を一口含んだ。行儀は良くないが、注意する人間もいないのでいいだろう。


(でも、教育には悪いかもしれないわね)


 そんなことを思った後、自然、溜め息が漏れた。


 視線の先では、桃が床に敷いたラグの上に座って、リスティアーナが与えた絵本を読んでいた。なるべく子供向けと思われるものを与えたつもりではあるが、彼女の年齢に適しているのかどうかは分からない。ただ、読み古したページをめくる桃の横顔はいつもより明るく見えた。

 そんな桃の様子にリスティアーナはほっとして、すぐにほっとしてしまった自分を疎む。うんざりするが、そのうんざりする気持ちにさえ、最近少しずつ慣れてきている自分がいた。


(よくない傾向だわ)


 とは言え、そうした複雑な感情や苛立ちを桃本人にぶつけるわけにもいかない。

 ぶつけるのであれば、この状況を持ち込んだアルスにこそだが、その彼もリスティアーナ自身の推薦で現在城外の任務に赴いている。明日には帰ってくるだろうから、その時は大いに文句を浴びせてやらなければ。


 そんなことを考えていると、ふと、リスティアーナは桃がこちらを見上げていることに気が付いた。


「……あなたも飲む?」


 カップを軽く掲げて問うと、「うにゃ」という返事が返ってきた。

 遠慮しようとして噛んだらしい。桃は恥ずかしそうに俯いている。

 とりあえず渡せばそのまま受け取るだろう。

 キッチンに向かいかけたリスティアーナは、しかしすぐに足を止めた。


 振り向き、顔を上げる。

 視界に映るのは、常と変わらない白い天井。いつも通り、とても静かだ。

 ……表面的には。


 近くの棚にティーカップを置き、リスティアーナは桃に歩み寄った。桃は不思議そうに、じっとこちらを見上げている。


「来て」


 告げると同時に、肌の上を冷たい感触が駆け抜けた。濁って、鋭い、嫌な気配――殺気だ。

 リスティアーナは少し躊躇った後、桃の腕を掴んだ。引き上げるように立ち上がらせる。


「こっちよ」


 そのまま中央の階段へ向かおうとしたが、数歩もいかない内に、ぶわり、と室内の空気が膨れ上がった。

 途端、塔を護る障壁が破られる感覚と同時に、激しい音と振動が塔全体を揺さぶった。


「っ、行くわよ!」


 悲鳴を上げる桃の手を引き、走りだす。

 天井にヒビが入り、頭上から細かな破片が落ちてくる。直後に再び床が揺れ、背後の天井が轟音と共に崩落した。

 巻き上がる粉塵の中に人影が見えた気がしたが、確認している余裕はなかった。

 二人は階段を駆け下りる――いや、駆け下りようとした。

 二度の爆発音。

 足元ががくんと沈み込む。階段の一部が破壊され、踏みしめるものが何もない。

 同時に、リスティアーナの右手から小さな手のひらが滑り抜けた。桃の体が石ころのように投げ出される。


「……っ!」


 必死に伸ばした腕で桃を引き寄せ、抱え込む。

 防壁の展開も間に合わず、曲がった手すりの残骸が体を打ち、息が止まった。そのまま崩れた階段を転げ落ち、床に叩きつけられる。息を吐き出すと痛みと熱が全身を駆け巡ったが、腕の中の桃に怪我はなさそうだった。


 リスティアーナは顔を上げ、階段を仰いだ。


 背の高い男がこちらを見下ろしていた。

 青白く、妙につるりとした蛇のような顔をしているが、四十は下らないだろう。装飾の少ない黒衣で両手も空いているが、左右の指にいくつもの指輪を嵌めていた。その一つ一つが不自然な輝きを放っている。


「……その娘を渡してもらおう」


 冷ややかで、なのにいやに粘着質な声だった。

 リスティアーナは桃を抱えたまま、ゆっくりと立ち上がった。


「この子を渡せ、ですって?」

 あえて男の言葉を繰り返し、リスティアーナは眉をひそめた。

「名乗りもしない訪問態度が気に食わないわね。お断りよ」


 無表情のまま挑発を受け止めた男が、軽く右腕を上げる。中指に嵌めた指輪が煌めき、男の傍らに砕けた天井の残骸が浮き上がった。


――来る!


 リスティアーナは桃を抱えて身を捩る。

 男が腕を下げると同時に、瓦礫が空気を裂いて飛来した。体の横を突っ切って、そのまま床に突き刺さる。放射線状のヒビがリスティアーナの足元まで伸びてきた。


 再び男が手を上げる。


「させないわ!」


 リスティアーナの声に応じて、階段の上に水分が凝縮した青い球体が出現し、自在に形を変えながら男の片手に絡みついた。男がそれを空いた手で引き千切ろうとするのを横目に、リスティアーナは桃の手を引き、一気に地階へと駆け下りた。


 空間を広々と使った他の階層とは違い、地階は複数の小部屋を擁しているため、階段の先は細い廊下になっている。


「逃げ回っても無駄だ」


 背後から男の声と共に石礫がいくつも飛んでくる。複雑に折れ曲がった廊下のおかげで直撃は免れたが、後ろで壁や天井、あらゆる設備が次々に破壊されていくのが分かった。


 止まない攻撃に追い立てられるように、リスティアーナは一つの扉に飛び込んだ。

 室内は狭く、調度もあまり使っていないテーブルセットといくつかの小物を置いているだけの殺風景な空間だ。

 リスティアーナは室内を横切り、奥の壁沿い、腰から頭くらいまでの高さにある小さな鉄扉を両手で開いた。


「桃、あなたはここへ」


「あの……」


 扉の先を指さすと、桃が怯えた顔をした。

 扉の内側は箱形に切り取られた暗くて狭い空間だ。桃の体ですら膝を抱えなければ収まらないだろう。

 幼い少女が怖がるのも無理はないが、しかし今はとにかく時間がなかった。


「あなたの意見を聞くつもりはないわ」


 リスティアーナは桃の体を無理矢理抱えて、目の前の空洞に押し込んだ。


「あの、これは……」


「いいから手を引きなさい。挟むわよ」


 身を乗り出そうとする少女を奥へ押しやって、鉄扉を閉める。

 外側についた掛金鍵を閉めると同時に、魔力の気配が背中に迫った。壁ごと破壊されたドアが、室内に音を立てて倒れ伏す。


 リスティアーナは振り返り、片手を振った。

 目の前に展開された障壁に飛んできた礫が突き刺さり、がりがりと表面を削った後、なんとか地面に落下した。

 その間に、もう一方の腕を背後に回し、扉横に据えられた金属製のパネルに触れる。簡単な文字列を後ろ手に打ち込むと、扉越しに重い音がして、その奥にある「箱」が動きだすのが分かった。転送術ではない。もっと簡単な自動運搬の制御術だ。


 ぼろぼろの戸口に現れた男は、室内にいるのがリスティアーナ一人であることを確認し、やや不快そうに眉をひそめた。


「……逃がしたのか」


「いいえ」


 咎めるような問いに首を振る。自然、唇が弧を描いてしまったが、あえて引っ込めず、そのまま男に微笑みかけた。

 男は一瞬怪訝そうな顔をしたものの、すぐにまた元の無表情に戻って言った。


「下らん去勢だな。ここにお前を守る魔術師はいないぞ」


「は? ……ああ、そういうこと」


 一瞬意味が分からなかったが、すぐに理解した。

 理解したと同時にリスティアーナはいよいよ声を上げて笑いそうになった。


「このために、わざとアルスを城から引き離したのね」


 大方この塔にアルスが出入りしている情報を掴んで、彼がこの塔における「鍵」もしくは「盾」のようなものだと思い込んだのだろう。だから、その彼が城を離れるような事件を起こした、ということか。

 とは言え、事件解決の任をアルスが引き受けたのは偶然だ。彼を推薦したのは他ならぬリスティアーナだが、もちろんこの事態に協力しようという意図があったわけではない。


(一体どういうつもりなのかしら)


 色々疑問はあるが、まあいい。どのみち後で吐かせれば済むことだ。


「あなた、さっき私が桃を逃がしたのかと訊いたわね?」


 改めてリスティアーナは問いかけた。

 ああ、と答える男は薄く笑みを浮かべているが、その目には先ほどよりも強い疑念が浮かびつつあった。

 彼もようやく気付きつつあるのだろう。自分が何か根本的な勘違いをしていることに。


 実際、あまりに表に出ないリスティアーナに対して王城の中でもその実態を掴めている者は少ない。だから、誰がどう事実誤認していても何らおかしくはなかった。


「違う、ともう一度否定してあげるわ。私のストレス解消には邪魔だったから、どかしたのよ」


 リスティアーナは両腕を掲げる。呪文は必要ない。光る指輪などという玩具めいた道具も要らない。

 そんなものに頼るほど、私は凡庸な術士ではない。


(おいで)


 そう、ただ心の内で囁いた直後。


 ひび割れた壁や廊下の奥、天井、ありとあらゆる場所から青が室内になだれ込んだ。可視化され、質量もある。だが、それは液体でも気体でもない。人の視覚で識別が叶うほど、高濃度かつ高密度で形成された強い魔力の奔流だ。


「これは……」


 男が目を見開き、息を呑む。自身を包みつつあるものの正体に気付いたようだが、もう遅い。


「あなたがあちこち風通しを良くしてくれたおかげで随分作業がはかどるわ」


 やがて、室内は青に満たされた。

 男の足が床から離れ、暴れる体が浮き上がる。

 声もなくもがき続ける男に、リスティアーナは泳ぐように軽い足取りで近付いた。


「私のもてなしはどうかしら? もしかして苦しいの? 辛いのかしら? 凡人の感覚はよく分からないから、ごめんなさい」


 男は答えない。答えられない。ただ塔に満ちた魔力に溺れ、開いた唇の合間からごぼごぼと空気を漏らしている。

 水とは異なり酸素を完全に奪っているわけではないので早々に死ぬことはないが、だからこそ苦痛はいつまでも終わらない。放っておけば、その内精神から壊れるだろう。


 リスティアーナは改めて男の顔を覗き込んだ。

 宙吊りで苦しむ顔もやはりどこか滑らかで、怒った蛇を連想させる。そのまましばらく男の狂乱を見ていようかとも思ったが、すぐに桃のことが頭を過った。


 彼女を閉じ込めた箱は、今頃王城まで続く地下道を進んでいるはずだ。城内で誰かに見付かる前に、彼女を迎えに行かなければ。


 まだ仕置きが足りない気もするが、仕方ない。

 室内を染める青色が蠢き、ゆっくりと圧縮されていく。支えを失った男の体が高度を落とし、床に転がった。その首には青銅の首輪が、全身には同じ色の拘束具が、美しい装飾のように装着されている。口枷はないものの、男に言葉を発する余力はなさそうだった。


「愚かな人ね。次から喧嘩を売る相手はよく選びなさい」


 リスティアーナは、男に優しく微笑みかけた。

 アストリアの魔女らしく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ