第49話
リエフ街道沿いの森に入ってから二日が経った。城を出てからは、二日半。
いくら王都からそれほど離れていないと言っても、通常あり得ない日程での現地入りだが、当然歩きではない。早馬でもない。尋常でないほどの時間短縮は、アルスの転送術で目的地近くの村に飛ばしてもらったからだった。
本来転送術はそう簡単なものではないし、隔てられた二つの地を結ぶにはそれぞれの場所で事前の準備が必要とされるはずである。彼が何の目的でアストリアから離れた辺境の村に転送術の下地を作っていたのかは不明だったが、それはこの際置いておくことにした。
いずれにしても、術士たるアルスがいない以上帰りに同じ手は使えない。
久しぶりに王城を離れたからか、それとも単に自然が豊かだからか、呼吸する空気はいつもより清々しく感じられた。が、そんなことで喜んでいる場合でもない。
ククは辺りを見回した。
前も緑。後ろも緑。瑞々しい木々たちが細い道を今にも浸食しそうな様子で立ち並んでいる。足元には陽光が散らばっているが緑に塞がれた空は高く遠い。人間の声は聞こえないものの、風が吹き渡る度、木擦れのざわめきと生き物たちの気配が耳に届き、真昼の森に静かだという印象はなかった。
「クク様、何か分かりましたか?」
ククの背後から、ミナベルが顔を出した。緑だらけの森では、彼女の真っ白な姿が更に眩しく見える。
自然、瞳を細めつつ、ククは「ううん」と首を振った。
「よく分からないや。とりあえずこの辺に人間はいないみたいだけど……」
周囲を探って分かったのはそれくらいだ。首都から離れれば自らの「力」ももう少し扱いやすくなるかと思ったのだが、城とは違った雑音の多さでうまく情報が拾えない。
こんなことで杏里を探せるのだろうか。今更な不安が過ぎる。
「あらクク様、それが分かるだけでも素晴らしいですわ」
ククの焦燥を宥めるように、ミナベルが明るい声を出した。
「この辺りですと、一番近い村からも結構離れてますものね。一旦人里を目指してみます?」
「そうだね。それがいいかも」
杏里に直接繋がるような手がかりがない以上、人の集まる場所で彼女を知っている者を探す方が早そうだ。もし杏里の滞在していた町や村に行き着いたのなら、そこから足取りも掴めるかもしれない。
しかし、その後向かった近くの村では収穫なし。更にそこから移動した隣村でも聞き込みを行ったものの、これといった情報は得られなかった。
日が暮れたため村で宿泊場所を探すと、宿はないが近くに最近住民が出ていったばかりの空き家があるという。勝手に使って構わない、という村のまとめ役の厚意に甘えて、ククとミナベルは村端の空き家で休むことにした。
「それにしても、この辺りの地域は少し変わっていますわね」
家財はほとんどないが元は居間らしき部屋で缶詰の簡単な夕食を摂っていると、ミナベルがふとそんな言葉を漏らした。
「そう?」
「ええ、なんと言いますか、広い森に村が点々としていて……」
――田舎ですわね。
という心の声が伝わってきた。
「ミナベルは都会育ちだもんね」
ミナベルはうふふと笑った。
「こういう長閑な所もけして嫌いではありませんが」
あっけらかんとした言いぐさは、ククが心を読んだことにも、まったく頓着していない様子だった。
彼女のそういう態度は何も今に限った話ではない。元々ミナベルはククの奇妙な力を特に恐れていないようだった。どころか、場合によっては有用なものだと思っている節すらある。
なんとなく気が抜けるのを感じつつ、ククは手にした缶詰の中身を掬った。加工した鹿肉は口に含むと塩気が強いが、疲れた体にはちょうどよかった。
黙って食事をしている内に、夜の静けさが室内にひたひたと満ちていく。人里の中だが、人々の声は聞こえない。夜も大分更けてきたので、皆眠りについているのだろう。
(確かにミナベルの言う通りだな)
ここは王城とはまったく違う。
この森ははるか昔の統一戦争以前からアストリア国の領土であり、王都からの近さもあって比較的庇護者たる王の目が届いている地域だと言われている。
だが実際訪れてみると、森に点在する村々の暮らしはほとんど自給自足で、王都の影響などほとんど受けていないようだ。ここには、ここに住まう人々の暮らしがあるだけ。それがこの場所の――いや、王都から離れた多くの場所の当たり前の在り方なのだろう。
どうやら長らくアストリアという国の匂いが強すぎる場所にいたせいで、そんなことも忘れかけていたようだ。
ククはふと、ミナベルがにこにこしながらこちらを見ていることに気が付いた。
「どうしたの?」
「クク様が普段よりお元気そうなのが嬉しくて、つい」
「? 元々元気だけど……」
特に体調が悪かった覚えはない。怪訝に思っていると、
「クク様はどうして五勇のお話を受けないのです?」
突然、ミナベルは別のことを問うてきた。
「……知ってるの?」
「わたくし、城内の噂話には耳ざといんですの」
堂々と誇るようなことでもないと思うが。
ククは溜め息を吐いた。ミナベルに……というよりは、彼女の問いで一連の面倒なやりとりを思い出したからだ。
「どうしてもこうしてもないよ」
王に五勇になれと言われるようになったのはいつの頃からだっただろう。
確かに現在その席は一つ空いている。かつてその座についていたシトラスが七年前に亡くなって以来、欠番のままだからだ。
その地位を狙っている人間は多いようだが、クク自身をその中に含めてもらっては困る。というよりは迷惑なのに、王はそれを理解せず度々無意味な勧誘を持ちかけてくる。
「クク様は五勇に興味がないのですね」
ククはミナベルの顔を見た。彼女の兄――確かロストベルといったか――は、かつて五勇になりたがり、その執着の末に命を落とした人間だった。その肉親である彼女にどう答えればいいか分からないでいると、不意にミナベルが苦笑した。
「申し訳ありません、クク様を困らせるつもりではなかったのですが……どうか気になさらないでくださいませ」
ただ、とミナベルは続けた。
「これは個人的な意見ですが……五勇の一角に兄以外の誰かが名を連ねるのなら、クク様が最も相応しいのでは、とわたくしは思っております」
「どうして」
「だって、お強いですもの」
いたって単純な意見だったが、ミナベルは本気のようだった。
「……ミナベルも強いと思うけど」
「ええ、強いですわ。もしクク様がいらっしゃらなかったら、わたくしにお声がかかっていたかもしれません。もしもそんなことになったら面倒そうなのでお断りいたしますけれど」
「なんだ」
ククは呆れた。
「わたしと一緒じゃない」
「ということは、クク様も面倒だから嫌なんですね」
実際それがすべてではないのだが、ククは「そうだよ」と頷いた。
現在アストリアの王から提案されているのは、五勇の地位をククに与えること――に加えて、それを件の祝典で発表するというものだ。
冗談ではない。
ただでさえククは城内で遠巻きにされている。元々「アルスの妹」というだけで城に招かれたのを疎んじる人間もいれば、得体が知れない女と不気味がる人間もいる。そんな嫌悪の対象が国王から地位を与えられたらどうなるか――当然反発が起きるに違いない。
そうなれば、ククのみならずアルスの立場とて危うくなるだろう。どうして王にそれが分からないのか、ククにはそれこそが理解出来なかった。
「正直に申し上げますと、わたくしもクク様に五勇の地位は似合わないと思いますわ」
ミナベルは先ほどとは正反対のことを穏やかに言った。
「あの城はクク様には少し窮屈そうに見える時がありますから。昔、旅をしていた時の方が……いえ、あの時も楽しいだけの旅ではありませんでしたけど、でも、少なくともクク様の心は今より伸びやかに見えましたわ」
「……そんなことないよ」
ククは首を振った。
戻れない時間のことを考えても仕方ない。
そう思いながらも、不意に遠い約束が蘇る。
でもそれも、きっともう叶う望みのない夢だろう。
突然玄関扉がノックされたのは、食事を片付け、寝床の用意をしている時だった。
もう随分遅い時間だ。ククはミナベルと顔を見合わせた。
「嫌ですわ、こんな夜更けにうら若き乙女の元を訪れるなんて……どんな邪な者なのでしょう」
ミナベルはいかにも不満げだが、もしかしたら村の人間が何か連絡に来たのかもしれない。
とりあえず扉を開くと、外に立っていたのは見覚えのない男だった。無精ひげを生やして、腰には剣を下げている。
「夜分悪いな、ここに旅人が泊まってるって聞いて……って、俺も旅人なんだがな」
「あの、何のご用でしょう?」
「あんたたち、化け物かなんかを見てねえよな?」
「化け物?」
随分ざっくりした問いかけだ。
「いや、とにかく変わったもんだよ。って、その顔は何も見てなさそうだな」
「どういうことです?」
「あー、まあ話していいか。……あのな、この辺りに最近竜が出るんだとよ」
「竜? ……って、あの絶滅した?」
「ああ」
男は苦笑いしながら頷いた。
「俺も冗談か間違いだと思ってるんだが、ギルド経由で調査の依頼を受けててよ、あんたたちがなんか見てないかと思ったんだが」
「それは……お役に立てなくて申し訳ないですわ」
「ま、あんたらも森を通る時には気を付けろよ」
男はひらりと手を振って、そのまま去っていこうとする。
「あ、待って!」
ククは慌てて呼び止めた。
「すみません、杏里ちゃんって人を知りませんか?」
「は? アンリ?」
「わたくしたちの探し人なんです。二十代後半で眼帯をした、桃色の髪の女性です。よく旅をしていて、今は一緒ではないのですが以前は娘さんを連れていたと思います」
旅人であれば、村の住人が知らない情報を持っているかもと思ったのだが、
「いや……覚えはないな」
「そうですか……」
「……待てよ。そういえば、今のあんたらとまったく同じことを訊いてきたやつはいたな」
ククは再びミナベルと顔を見合わせた。
「どんな人ですか? いつ、どこでした話です?」
「確か若い兄ちゃんだったよ。髪とか目とか、服まで真っ黒で……なんだか変な、不気味な感じの……。西のサイボールにいた頃だから、一年以上前だったかな……」
男はぶるりと身震いした。
「とにかく、そん時も知らねえって言ったんだ。……その杏里ってのはなんかやばいやつなのかい? いや、いいや。とにかく俺は知らねえよ」
これ以上関わりたくないと言わんばかりに男はいそいそと出ていってしまった。
「……クク様、どう思われます?」
男が言っていた人物には心当たりがある。
「きっと、黒塚って人だよね……」
彼についてはククにも分からないことが多かった。七年前も黒塚とやりとりしていたのは主にディオンである。彼がディオンの同胞かつ彼と同じ不死の存在である、というのは教えてもらっていたが、現在どこ何をしているのかは当然知る由もなかった。
しかし、黒塚が杏里を探しているとして、彼が単独で――自らの意思だけで動いているとは考えづらい。
「手がかりのようで、余計わけが分からなくなったかな……」
「サイボールに向かう、という選択肢はありますか?」
「うーん……」
黒塚がどんな根拠をもってしてその場所で聞き込みを行っていたのかは知らないが、男が問われたのは一年以上前の話だという。
今はわずかでも手がかりが欲しいのは確かだが、残りの日程と現地までの距離を考えると、サイボールに向かっても一日程度の滞在ですぐ王城に戻らなければ謹慎期間が終わってしまう。収穫を得られなければ無駄足になることを考えると、彼の地にこだわることはあまり有益ではないように思えた。
「とりあえずサイボールの調査は兄さんに頼んで、わたしたちはもう少しこの辺りを探してみよう」
「ええ、ではそのように。アルス様には後ほど文をお送りいたします。……そういえば、先ほどお聞きした竜の話も少し気になりますわね」
「あー……うん」
「クク様?」
「あ、ううん。なんでもないの」
ククは首を振った。
竜。
とうの昔に滅んだほとんど伝説のような生き物が今も生きているとは思えない。ミナベルやあの男も、噂話を本気で信じているわけではないだろう。
「竜って美味しいんですかねえ」
「…………ミナベル、お腹減ってるの?」
「いえ、折角王都を離れてることですし、珍味があれば堪能してみたいなと。食欲というよりは好奇心ですわ」
それはそれでどうかと思うが、深追いするのはやめておこう。
翌日からまた二人で捜索を続けたものの、成果はなかなか得られなかった。
時間ばかりが過ぎていく内、クク自身いよいよこの森は杏里とは無関係なのではないだろうかと疑い始めるようになった。自分たちは見当違いの場所を探しているのではないだろうか、と。
時間の浪費を避けたいのに、しかし杏里は見つからない。その手がかりさえもない。
焦燥ばかりが募る五日目。その日も朝早くから森を彷徨っていると、ミナベルが道中で突然足を止めた。
あら、と宙に差し伸べた手に上空から小柄な鷹のような鳥が舞い降りた――かと思えば、それは一瞬で光に包まれ、一枚の紙片へ姿を変えた。
どうやら魔力で造られたものだったようだ。
紙片に素早く目を落としたミナベルは再び「あら」と声を上げると、困惑した顔でククを振り返った。
「どうしたの?」
「アルス様が王都を離れるそうです」
「え? どうして?」
「任務、としか……」
ミナベルがひらりと紙片を掲げる。確かにそこには兄のめちゃくちゃな筆跡で「任務でしばらく王都を離れる」とだけ書かれていた。他には何の言葉もない。
なんというか、兄らしい伝言である。
勿論悪い意味でだ。
「わたしには王都を離れるなって言ったくせに……」
とはいえ、憤っても仕方ないのは承知している。
兄が王都から離れるような任務であれば、陛下からの勅命で間違いないだろう。であれば兄に拒否権などない。
「……あのぉ、前々から気になっていることがあるのですが」
「なあに?」
「クク様はアルス様が……お兄様がお嫌いですか?」
沈黙、あるいは適当な言葉でやり過ごせる相手であれば、そうしただろう。
だが、ミナベルの真っ直ぐな瞳にそんなごまかしなど通じまい。
「嫌いじゃないよ。でも……よく分からない、とも思うかな」
それが正直な感情だった。
「分からない、ですか?」
「うん。お兄ちゃん自身のこと、未だによく分からないや」
わたしのためを思ってくれているのは分かっている。優しい人であることも。
けれど、兄はその心の内をけしてククに話すことはない。だから分からない。分からないところが多すぎて、戸惑う気持ちが拭えない。
「あら、わたくしはてっきりクク様なら何でも……アルス様の心もお見通しかと思いましたけど……」
「え?」
思いも寄らなかった指摘に一瞬思考が止まった。
だが、確かにそうだ。
(この力があれば、兄さんの心を読むことも出来るはず……)
だが、ククはアルスの心が分からない。その心を探ろうとしたこともない。
それは何故?
(……読めないから)
そう、読めないから、読んだことがない。
では何故読めないか。その理由を探して、思い出した。
「アッ君は、わたしに心を透かされないようにしてるから……」
「あら、そうなんですの?」
うん、と頷きかけたその時。
風に乗ってどこからか甲高い鳴き声が聞こえてきた。
「クク様」
「うん、分かってる」
ククは意識を研ぎ澄ませた。
やや離れた場所に何か大型の生物がいるような反応があるが、細部はうまく捉えられない。しかしそのことに対する疑念より、もっと気になることがあった。
(まさか……)
そんなわけはない……と、思う。だが、確かにそれは今し方鳴き声を発した生き物よりもよほどはっきりと、ククの意識の中で存在感を示していた。
「ミナベル、行こう」
ククは駆け出した。
巨大な生き物ともう一つの気配。二つは同じ方向にあり距離も近い。
倒れた古木を飛び越え、鬱蒼と茂る木の葉を掻き分け、とにかく気配の方へ走り続けると、いきなり開けた場所に出た。
人口的に開拓された場所ではない。この一帯だけ木々がなぎ倒され、下生えも荒れている。千切れた雑草があちらこちらに散らばっていた。
「これは……」
竜、という言葉が頭を過った直後、目の前の茂みがガサリと揺れた。
そこから現れた姿に、ククは「やっぱり」と言葉を漏らす。
「……は?」
風に揺れる、宝石のように鮮やかな紫色の髪。真っ直ぐな赤い瞳。少々険しく見える顔。
ククの前に現れたのはディオンだった。
「ディオ、また会えたね」
かつて不老不死であると語った通り、七年ぶりのディオンの姿に大きな変化はない。まるで時を超えたと錯覚しそうになる。
そのディオンが、緋色の目を眇めつつ言った。
「誰だ?」
「え」
愕然とするククを見て、その表情がすぐに緩んだ。
「嘘だ。ククだろ? お前の感覚からすると久しぶりって言っとくべきか?」
「すごく久しぶりだよ。七年経つんだから」
「ずっと寝てたから実感ねえな。お前も大して変わってねえし」
「そうかな」
あまり嬉しくない言葉のはずなのに、ディオンのからりとした言い方のせいか、特に暗い気分にはならなかった。お互い様、というのもあるかもしれない。
背後でがさがさと音がして、「あらあ」とミナベルの声がした。
「これは一体どういうことですの?」
もっともだ。
「そうだよ。ディオ、どうしてここに?」
「いや、お前たちこそ、なんでこんなところにいるんだよ。王都に住んでるんじゃなかったのか?」
「わたしたちは……」
言い終える前に強い気配を感じた。先ほども感知したあの巨大な生き物だとはすぐに分かった。だが、その場所は――。
(……ここ?)
途端、足元で何かが破裂するような音がして、息が詰まった。
一瞬遅れて、ククは自分の爪先が地面から浮いていることに気が付いた。
視界が暗い。上空から何か硬いものが背中を覆って、いや、掴んでいる。捕まれた体がそのまま地面から離れていく。
一体何が起きている?
「クク!」
伸びてきた手が腕を掴んだ。そのまま引っ張られ、地面に体が近付く。
ディオンがもう片方の手に握った剣を、ククの背後に叩き込んだ。空気を切り裂く絶叫がまともに耳に飛び込んでくる。体がいきなり解放されてそのまま地面に投げ出されそうになったが、ディオンが素早く腕から手を離し、背中を支えてくれたおかげでなんとか体勢を立て直せた。
ククはようやく背後を振り仰ぐ。
「竜……じゃ、ない?」
一番近しいのは「鳥」だろうか。
文献で語られる竜の姿とはほど遠いが、かといって普通の鳥にしては巨大すぎるし、そもそも頭は狼に、翼は蝙蝠に酷似しているところからして到底普通とは言い難い。
相手はディオンの一撃を浴びた足から鮮血を滴らせ、苦痛と憎悪で目を剥いている。小舟のような嘴がガチガチと鳴り、両の翼がはためく度に風圧で周囲の土塊が飛び散った。
穏便に済ませるのは無理そうだ。そう察したククが剣を構えるより早く、横合いから殺気が飛び込んできた。思わず飛び退くと、割って入った白い影が手にした大振りの鎌を一閃し、一拍遅れて怪鳥の首が吹き飛んだ。
重く鈍い音を立て、獣の体が地面に倒れる。
巻き上がる埃に構わず、ミナベルが嬉々とした表情で振り返った。
「クク様やりましたわ! これでしばらく唐揚げが食べ放題ですわよ!」
「やっぱりお腹減ってたんだね……」
「……ったく、あれのどこをどう見たら竜と間違えるんだか」
たき火を挟んで向かい側、熱を通した肉を手掴みで食べているディオンは、どうにも機嫌が悪そうだった。
「味も悪いところがまた腹立たしい。その辺の鳥の方がよっぽどうまいな」
「本物の竜はもっと美味しいんですかねえ」
「俺が知るかよ」
「そうなんですか? ディオン様は長生きだそうですから、てっきりご存じかと……」
「うるせえな。黙って食え。つーか残りの肉も責任取れよ」
「はあい」
叱られたミナベルが、魔獣から切り出した大量の肉にどこかから取り出した竹串を通し始める。本当にまだまだ食べるつもりらしい。
既に腹が膨れているククは、改めてディオンに視線を向けた。
「ディオはこの辺で竜を探してたの?」
「別に探してたわけじゃない」
ディオンは苦々しげな顔をしつつ、なおも手にした肉を食べている。美味しくないというわりにはいい食べっぷりだ。
「通りがかった村でそういう話は聞いたが、いるわけねえと思ったしな。……ただ、歩いてたら急にでかい生き物が飛んでるのが見えたから、一応追いかけたんだよ」
その結果ククと鉢合わせしたということか。
「でもまさか地面の中に隠れてるなんてね」
二人は揃って傍らに視線を落とした。
そこには地を穿つ大きな穴が空いていた。深さは大人の背丈の二倍程度だが、壁面には横穴が続いている。先ほどの獣は、そこから飛び出してきたらしい。まったく鳥らしくないが、魔獣だと思えば多少理解不能な習性があってもおかしくはなかった。
「突然変異なのかな。この地域は平和だと思ったんだけど……」
「分からんが、似たようなのが何匹もいればもっと大騒ぎになってるだろ」
「あ、確かにそうだね」
「馬鹿げた竜の噂もこれでおしまいだな」
ディオンは妙に遠い目をしていたが、
「それよりお前、危なかったな」
不意におかしそうな表情でククを見た。
「完全に餌だと思われてただろ、あれは」
「うーん、そうかも……」
鋭利な爪でがっちりと掴まれていた体はまだ痛かったが、あれが少しでも肉に食い込んでいたらと思えばもっと恐ろしい。それにディオンが腕を掴んでくれなかったら、そのまま連れ去られていたかもしれない。
だが、その助けてくれた本人は、今にも笑い出しそうな顔をしていた。
「ディオ?」
「いや、お前があの鳥に攫われるところを想像したらあまりに間抜けでな……」
「クク様は全体的に茶色っぽいですから、狸か何かに間違われたのかもしれませんね」
「ミナベル!?」
「っ、はは」
ディオンがとうとう声を上げて笑い出す。
なんだか納得いかないような気はしたが、久しぶりに再会した彼の、久しぶり……というよりは、これまでもあまり見たことがないくらいの楽しそうな様子を前にしていると、なんだか色々どうでもよくなってきた。「ひどいなあ」と言いつつククも笑う。
ふわりと心が軽くなる感覚は何年ぶりだろう。
だが、その穏やかさに長く留まっていることは出来なかった。
「それより、お前たちだけか? 他の連中はどうした」
「えっと……」
ククは言葉に詰まった。
「色々あって……全部説明すると時間がかかりそうなんだけど……。あのね、ディオ。杏里ちゃんを見なかった? それか、誰かから話を聞いたりしていない?」
「杏里? ……ああ、あいつか。まったく見てないが、お前と連絡を取ってるんじゃないのか?」
「それが……」
ククはディオンに事情を説明した。
出来る限り手短に話すつもりだったが、結局すべて話し終わる頃には結構な時間が経過してしまっていた。
終始黙って話を聞いていたディオンは、ククの言葉が終わっても、なかなか口を開こうとはしなかった。
風が吹く度、木々がざわめく。
正確な時刻は分からないが、きっともう正午は回っているだろう。
(兄さんは、もう王都を離れたのかな)
そんな疑問を抱いた、すぐ後で、
「……で、お前は杏里を探してるんだな?」
念を押す声は低く、静かだった。
向かい合うディオンは、ククに真っ直ぐな視線を投げかけている。
その目には言葉にしたものとは別の問いかけも含まれていた。
――俺の力が必要か、と。
だからククは頷き、言った。
「……ディオも手伝ってくれないかな?」
「……そういやお前、心が読めるとか言ってたな」
ディオンは鼻の頭に皺を寄せた。
「別に今のははっきり読んだわけじゃないけど……」
「まあいい」
ディオンはあっさり首を振って立ち上がった。
ややあって、ククを不機嫌に見下ろすと、
「腹も膨れたし、そろそろ行くぞ。時間あんまりねえんだろ?」
「……うん、行こう!」
ククは勢いよく立ち上がった。
「ミナベルもそろそろ十分だよね?」
「ええ、バッチリですわ」
微笑むミナベルが背負う巨大な風呂敷包みには言及しないことにして、ククはディオンを仰いだ。
「えっと、それじゃあ、よろしくね。ディオ」
てっきり「よろしくするか」などと言われるかと思いきや、ディオンは「へいへい」と気怠げに応じただけで、そのままさっさと歩いていく。
(……なんか、不思議な感じだな)
未だディオンと再会したという事実自体をうまく呑み込めていないせいで内なる疑問は尽きなかったが、今はそれらは置いておくことにした。
落ち着いて話をするのは、今の三人ではなく、杏里を加えてからでも遅くない。
ククも再び歩き出す。
杏里の行方が分かったのは、それから二日後だった。




