第48話
アルスが王に呼び出されたのは、ククが自宅謹慎を命じられた翌日だった。
「陛下、ご用ですか」
執務室に入ると、自国と同じ名を負うこの国の支配者は、常の如く眠たげな顔で仕事をしていた。
アストリアはしばらく祝典の話やいくつかの仕事の確認をした後で、あくまでついでのように切り出した。
「で、ククは問題ないかい?」
回りくどさでは他人のことを言えないが、それでもいくらか呆れつつ、アルスは首肯した。
「処分通り、家で大人しくしてますよ。なんなら確認されますか?」
「いや」
臣下の軽口にアストリアは真面目に首を振った後、薄く苦笑した。
「無意味な処分だと思ったんだが。すまないね」
「いえ、ククにも隙があったでしょうから」
「……彼女の立場もなかなか難しいね。今の中途半端な状態ではかえって色々面倒だろうに」
「……僕は彼女の意思を尊重したいと思っています」
「ああ、君を責めているわけではないよ。君を非難する資格は私にないからね。それよりも、だ」
妙に明るい声にアルスは顔を上げた。
声音とは裏腹にアストリアは未だ退屈そうな顔のままだったが、それもまたこの男の常態だった。
「ククのことは置いておくにしても、君もそろそろ身を固めたらどうだい?」
この主はよほど世話好きなのか。それともお節介なのか。
いや、どちらも違う、とアルスは自身の思考を否定する。
この男は単に手持ちの駒を検分し、変わらず自らの手中にあることを確認したいだけなのだろう。
「生憎、まだ遊んでいたい年頃なので」
「魔女のこともあるのかい?」
間髪入れずに問われたが、特段反応するような言葉でもなかった。
似たようなことをこれまで何度他人から言われたり訊かれたりしてきたか。もう数えるのもやめている。
「彼女は僕よりよほどあなたを気にかけていますよ」
「どうかな」
アストリアは頬杖をついてアルスを見上げた。
「既に彼女は私に失望しきっているように見えるけど」
探るような、それでいて何も信じていない緋色の瞳。嘲りと諦めの滲んだ笑み。
アルスの目の前にいるのは、大陸を統一した偉大な祖父と善政で賢君と評された父の後を引き継いでこの国を維持している王だ。
けして統治者として致命的な欠点があるわけではないが、しかしその一方で、現王は決定的な輝きに欠けていた。しかも本人もそれを知り、その輝きの弱さを自ら強調するような振る舞いに及ぶことがある。
今がまさにそうだ。
「失望していたら、きっとこの地から去っているでしょう」
「では君は?」
アルスは小さく肩を竦めた。
「僕は他人に特別期待しませんから。暇な限りはここにいます」
嘘だった。
この国のこの立場に留まっていることには、それなりに理由がある。責任と役目がある。けれど、それが理由のすべてかと問われれば、少し違う気もした。
結局のところ、他に居場所がないからここにいるのかもしれない。そんな思いもかすかにあった。
「そうか」
アストリアは静かに笑った。
安堵の笑みでもなく、嘲笑でもない。予定調和の問答が閉じた端から色を失っていくのを見送るような――それは孤独な笑みだった。
王城から回廊を渡って職場へ戻ると、慣れ親しんだざわめきがアルスを出迎えた。
魔術師塔は他の塔と比べて外部の人間の出入りこそ少ないが、所属する職員の数が多く、いつも活気に満ちていた。常に誰かしらが実験や開発作業を行っているおかげで、ちょっとした爆発音が聞こえてきたり、壁が吹っ飛ぶ事故もしょっちゅうである。
賑わうフロアを抜けて奥の一室に入ると、近くの机で計器とにらめっこをしていた女がアルスに気付いて振り返った。室内には複数の机があるが、彼女の他には誰もいない。皆どこかにこもって実験でもしているか、そうでなければ資料室で分厚い術書でも開いているのだろう。
「アルス様、昨日いただいた転移装置の改良案ですが、明日にも試運転が出来そうかと」
「流石ジーナ、仕事が早いね」
「それから、これも。解析を頼まれていた検査記録です」
ジーナが机の上から数枚の紙を綴じた冊子を取り上げる。
「ありがとう、助かるよ」
「これって、あの施設にいる子供のものですよね? 随分すごい結果ですけど……」
「そう? ああ、装置に新しい術式を使ったから、もしかしたら変な数値が出てるかもね。持って帰って確かめるよ」
「そうですか……」
相手は納得しているようではなかったが、それ以上詮索してくることもなかった。ろくでもない上司に真面目に付き合って、面倒に巻き込まれるのを避けたいのだろう。
勿論その気持ちはよく分かる。
面倒の渦中にいるアルスは密かに思いつつ、その場を離れた。
いくつかの仕事を片付けて職場たる塔を後にすると、外の景色は既に朱色を帯びていた。夕暮れに沈んだ歩道を歩きながら、アルスは手に持った冊子を開いた。
そこに記されているのは、二日ほど前にアルスの自宅で行った桃の魔力検査の結果だった。
書類に並んだ数字を目にして、アルスは小さく息を吐いた。
桃が身の内に宿す力は、すべての検査において標準以上の数値として表明されていた。
やはり、あの子には相当な力がある。
そして、それはきっと父親譲りのものなのだろう。
少女の父親があの男である以上、彼女が普通の子供でないのも、当たり前と言えば当たり前なのだろう。
だが、その事実をアルスは未だ受け止めかねていた。
「……僕も往生際が悪いな」
アルスは冊子を閉じつつ、独りごちた。
考えなければいけないことは山積みだったが、今はとりあえず彼女の塔へ急ぐことにした。
その彼女の塔で、リスティアーナはひどく不機嫌だった。
元々普段から楽しげに生きているようなタイプではないし、どちらかと言えばツンケンしている方ではある。
しかし今日は常に輪をかけて纏う空気が刺々しかった。
「で、答えを聞かせてくれるかしら」
塔を訪れ、顔を合わせるなり、アルスは空き部屋に引きずり込まれた。
「あの子をいつまでここに置いておくつもり?」
目の前のリスティアーナから投げられた問いに、精々しおらしく見えるように首を振る。
「まだ分からない。君には迷惑をかけてすまないと思ってるよ」
「迷惑はかけてないわよ」
リスティアーナは意外な言葉を口にした。
「ここでは私のルールに従ってもらう。あの子にはそう言ったし、彼女もそれを守っているわ」
……だったら問題はないのでは?
階下のリビングで大人しくしているであろう桃を思いつつ、アルスは軽く首を傾げた。
しかし魔女の不機嫌顔は変わらない。
「従いすぎて腹立たしいのよ。私がそういう性格だって分かってるでしょ」
「はあ」
思わず間抜けな声が漏れたが、なんとなく理解した。
「実際あの子はとってもいい子よ。手がかからないし静かだし、同じ部屋にいても一緒に食事をしていても、まるでいないみたいだわ。――でも、これはこれで鬱陶しいの」
「……もっと迷惑をかけろって?」
「違うわよ。違うけど、大人しすぎて張り合いがないのよ」
アルスはしばらく考えて、思ったことを言った。
「単に君が怖いんじゃない?」
「殺すわよ」
せめて「ぶっ飛ばす」くらいに留めておいてほしい。
しかし、とにもかくにもリスティアーナがこの状況を負担に感じているのは明らかだった。
「リティア、僕が……」
と、アルスの声を遮って、控えめなノックの音が響いた。
どうぞ、と声をかけると桃が顔を覗かせる。
「あの、リティアさん……」
「なあに、桃」
全身に纏っていた苛立ちを驚くほど綺麗に消して、リスティアーナが振り返る。にこやかなわけではないが、先ほどの殺意溢れる声音とは雲泥の差だ。
「ポットのお湯が溢れてるみたいで……」
「大変、この大馬鹿魔法使いに煮え湯を飲ませようと思って忘れてたわ」
「いや、忘れたままでいいよ」
アルスの声を無視して、リスティアーナは部屋を出ていった。
桃と二人で室内に残されたアルスは、これなんだよな、と内心で思った。
確かにリスティアーナは不機嫌だ。だが、それを子供にぶつけるほど冷たくはないし、彼女の性格上、このまま桃を投げ出すこともしないだろう。実際桃との距離感も、多少なり縮まっているようだ。
そういうところを信頼し、かつ利用して彼女に桃を預けたのだが、流石にいつまでも甘え続けるわけにもいかない。
早く杏里を見つけなければ。
心からそう思うが、手配した捜索隊に現状成果らしい成果はなかった。
(こうなると、結局ククが頼みの綱か)
天井を仰ぎ、二秒。
それで一旦気持ちを切り替えて、アルスは傍らの桃に頭を下げた。
「ほっといてごめんね、桃」
「いえ……。お話の邪魔をしてごめんなさい」
なんともいじらしいことだ。
「全然大丈夫だよ。それより、リティアはまだ怖い?」
桃は少しきょとんとしてから首を振った。
「怖くないです。最初は、少し怖かったですけど……」
「なら良かった。……そうだ」
ふと思いついた。
「桃、屋上に行ったことはある?」
「屋上? この塔の上、ですか?」
どうやらないらしい。
アルスは桃の手を取って部屋を出た。
階段で、何やら緑色の煙が流れてくる階下のキッチンに向かって「上にいるよ」と声をかける。返事はなかったが、そのまま桃と二人、塔の中央を貫く華奢な螺旋階段を上った。
書棚の詰まった四階の書斎を通り過ぎると、頭上にぽっかり開けた出口が近付き、そこを出ると、
「わあ」
突如現れた光景に桃が声を上げる。
青空の下、緑と花々の広がる美しい屋上庭園は今日も箱庭の安寧を保っていた。
上空には外敵を防ぐ不可視の障壁がドーム状に張り巡らされているのだが、魔女の精緻な調整のおかげで一帯には優しい風が吹き渡っていた。
庭の中央に据えられた噴水近くのベンチには、読みかけの本が何冊も置いてあった。古めかしい魔術書もあれば子供向けの読み物もある。リスティアーナの蔵書だ。
アルスは、桃が淡い黄色の絵本を見つめているのに気が付いた。
「興味があるの?」
問う声はアルスのものではなかった。
階下から現れたリスティアーナは、マグカップの載った銀のトレイを持ってこちらに近付いてきた。
受け取ったアルスは、そっと視線を落とす。三つの内、一つだけ妙に濁った緑色の液体が注がれているが、まあ気のせいだろう。
ココアらしきものが入った小さめのカップを桃に渡していると、再びリスティアーナが「その本」と言った。
「興味があるなら読んでもいいわよ」
「ほんとですか?」
「桃は本が好きなのかい」
アルスの問いに、小さな頭が頷いた。
「はい。お母さんが好きだったので、よく読んで……」
途端、こちらを見上げる表情が陰った。
「……あの、やっぱり大丈夫です。ごめんなさい」
(しまった)
完全なる失態だ。
アルスはリスティアーナを見る。
知らないわよ、と言いたげな視線が返ってきたが、それでも彼女も彼女で桃が心配なのか、
「アルス、退屈だわ。今すぐ何か面白い話をして」
「……無茶言うなあ」
雑なフォローに溜め息を吐きつつも、話題が一つだけあった。
「そういえば、陛下がそろそろ身を固めたらどうかって。僕に」
「そんなつまらない話はどうでもいいわ」
「…………」
別に特別な反応を期待していたわけではないが、もう少し会話を広げてくれてもいいのではないだろうか。
リスティアーナはやれやれ、というように首を振った。
「陛下も無謀なことを言うのね。あっちゃんに嫁ぐくらいなら、魔物の生贄になった方がまだ幸せだと思うけど」
「ひどいなあ。僕は……」
下世話な軽口で応じかけたが、桃の存在を思い出して踏み留まった。代わりに「女性には優しい方だと思うけど」などと当たり障りのないことを言ってみる。
リスティアーナの冷ややかな表情は変わらなかった。
「あなたのは表面的に優しいだけじゃない。ねえ、桃?」
水を向けられた桃が、困ったように首を傾げる。
「優しいのは駄目なんですか?」
「優しいことはいいことよ。でも、優しいつもりなのはよくないわ。そういうのは独りよがりって言うの」
よく分からない、という顔の桃に、リスティアーナは真顔で言った。
「もう少し賢くなれば分かるわ」
「……せめて大きくなればって言いなよ」
「大きくなっても賢くない人間はいるわ」
「はいはい、その通りですね」
彼女にはもう何も言わない方がよさそうだ。
「桃、だからあなたは賢く強くなりなさい」
「えっと……はい」
桃の首肯にリスティアーナは満足した様子でこちらを振り返り、ふと眉をひそめた。
「そんなどうでもいい話はさておき、忘れてないでしょうね」
「何を?」
「目録のことよ。昨日渡したでしょ」
「ああ……あれか」
思い出した。
今回の迷惑料だと言われて押しつけられたリストのことだ。そこに書かれていた靴や指輪などの合計額を計算すればなかなかの衝撃を得られそうではあったが、賢明なアルスはまだその行為に及んではいなかった。
「っていうか、あれは喝上げリストの間違いだろ」
「あら、そんな生意気言っていいのかしら」
剣呑な空気に、桃が戸惑いを見せる。
……仕方ない。
「言う通りにしますよ、お姫様」
従順に応じたにも関わらず、リスティアーナは険しい顔をする。その理由は明らかなので、相手が本格的に怒り出す前に言い直した。
「いや、魔女様だったっけ?」
アルスにしてみれば、どちらでも大して違わない。姫のように我が強く、魔女のように扱いにくい。どちらにしたってこの友人にぴったりの渾名である。
けれど、相手はそうとは思っていない。
「ええ、魔女よ」
その名以外で呼んでくれるなと、いつものようにそう言った。




