第41話
目の前に迫る剣先を、体を捻って回避する。
鋭利な殺気が肌を焼き、振り下ろされたばかりの相手の剣が風を裂いて翻った。
ククもまた剣を握った腕を振り、目前の刃を弾き返す。
鈍色の甲冑で武装した巌のような男。その体がわずかに揺らぎ、同時に彼の意識の断片が頭の中に飛び込んできた。
(……来る!)
ククが左手に飛んだ瞬間、突進混じりの一閃が空を斬った。打ち据える対象を失った男がたたらを踏む。
しかし、ほっとしている暇はなかった。
「うおおおっ」
「っ!」
右、左。突き。足払い。
低い唸り声と共に殺到する男の猛攻を、ククはひたすら躱し、躱しきれないものは剣を振るって受け流した。
結わいた髪が重い。砂埃を吸った喉が痛み、攻撃を受ける手が痺れる。だが、徐々に相手の呼吸も乱れ始めた。
そろそろ頃合いか。
「……!」
下方からの斬り上げがククの剣を弾き飛ばした。手から離れた武器が激しく回転しながら遠くに落ちる。
男が握る木剣の切っ先は、ククの頭の上で止まっていた。
「惜しかったな、クク」
降参を宣言する前に、頭上から声が降ってきた。
振り仰げば、真上の白いテラスから乗り出すような格好で、緋色の髪と目の男――この国の主が、微苦笑をククに向けていた。
「やっぱりザング相手だと力負けするのかな」
「……みたいですね」
ククは肩で息をしながら頷いた。ついでに頭の後ろの髪留めを解くと、伸びた髪が腰近くまで広がった。結わいている時の引っ張られるような感覚はなくなったが、鬱陶しいことに変わりはない。いい加減切ろうかな、と頭の隅で考える。
頭上の相手はまだ何か言いたげだったが、ククは俯き、視線を外した。
汚れた靴と、乱れた地面が視界に入る。
「期待に添えず申し訳ありません。それでは」
転がった木剣を回収し、城内へ戻ろうと歩いていると、テラスの上から「声」が聞こえた。
――相変わらず頑固だなあ。
それはどうも、と内心で答えつつ、中庭を突っ切って城内と庭園を繋ぐ回廊まで辿り着く。
ここまで来れば、もうテラスからの視線は届かない。
面倒な人間から逃れられたことに安堵しかけた、その時。
「どういった考えかは知らぬが、こういったことはいい加減やめていただきたい」
鋭い声にククは思わず目を閉じた。
振り返ると、兜を外した男が湯気の立つ巨躯に静かな怒りを滲ませながら、こちらをしんと見下ろしていた。
彼は王に選ばれし五人の精鋭、「五勇」の一人だ。もっとも、今は一人欠けているため正確には四人の精鋭の一人ではあるが、何にせよこの国の重要人物である。
「……何のお話か分かりません、ザング様」
「何故わざと負けるのです」
勢いよく放たれた言葉にククは眉を寄せた。
「わたしは……」
「あなたがそのような真似をしている内は、陛下は私とあなたを戦わせることをやめないでしょう」
男は言葉を切って、斬りつけるような双眸でククを睨んだ。
「それは私にとっても非常に迷惑です。……では」
男はククを追い越して城内へと戻っていく。その背を完全に見送って、ククはようやく息を吐き出した。
いつものことながら、うんざりだった。
***
潮騒のアストリア城。そんな異名を持つわりに、城内にいても海の気配は遠かった。
しかし、それも無理はないだろう。大陸の東端に位置する王城は高台に築かれてこそいるものの、海を探して視線を巡らせたとして、視界に入るのは本丸たる城とそれを囲む六の円柱型の巨大な塔、およびそれらよりはいくらか控えめな大きさの、同じく六基の尖塔たちの姿ばかり。聳える城と十二の塔の背後に回った海は、ともすれば人々の意識から薄れがちだった。
それでも穏やかな南風が吹き渡る中、こうしてじっとしていると、緩んだ意識の隅を撫でるようにかすかな潮の香りがした。耳を澄ませば、人々の声や生活音の合間を縫って波の音も聞こえてくる。
だからやっぱり、ここは潮騒の城なのだろう。
「クク様」
甘やかな女の声に、ククは膝を抱えた体勢のまま背後を軽く振り返った。
少しずつ夕暮れを掃き始めた空から、ククの座る藍色の屋根の上に一羽の白い鳩が降り立つ。途端に局所的な濃霧が視界を遮ったが、それも長くは続かず、霧散した白からより一層白い女性の姿が現れた。
「こんなところでぼんやりされてますと、またアルス様に叱られてしまうのでは?」
隣に立ち、こちらを見下ろすミナベルの呆れ顔に、ククは小さく肩を竦めた。
「最近忙しいみたいだし当分帰ってこないんじゃない? それに兄さんのお説教ほど心に響かないものも、なかなかないよね」
「まあ、否定はしませんけれど」
ミナベルは曖昧に微笑んでから、つと眉を上げた。
「そのアルス様とクク様、お二人にお客様がお見えです。一緒に来てくださいませんか?」
「お客さん? 外から?」
ミナベルは白い長髪を揺らして頷いた。
「ええ、そうです」
と言われても、ククには来客の心当たりなどなかった。
兄ならまだしも、自分宛に尋ねてくる人間などいるだろうか。
「兄さんは?」
「……お取り込み中のようでして」
平坦な声音から大体の事情は察せられた。しかし、ククとて面倒なことはなるべく回避したいのが正直なところだ。
「ミナベルが代わりに対応してくれたらいいのに」
勝手な八つ当たりだとは自覚しつつ、つい文句を言うと、相手は意外な返答を寄越した。
「しましたよ」
「え?」
「お客様には先ほど一度お会いしました」
ククに疑問を差し挟む間を与えず、彼女は続けた。
「その上でお願いしたいのです。……どうやらわたくしの手には余ることのようでして」




