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refrain  作者: 水幸
第八章 別れ
34/75

第34話

 ディオンの故郷は、深く険しい谷の底にあった。

 ずっと――ずっと昔、ディオンはそこで人とは異なる生き物として生まれ、一族を率いる長の息子として育てられてきた。


 ディオンは最後の末裔とも呼ばれていた。その理由は単純で、ディオンが生まれた頃には既に、故郷の空気は大自然が生み出した正体不明の毒霧に犯されつつあり、ディオンを含む一族の全滅が近い将来に約束づけられていたからだ。


 滅びる運命を与えられた一族の末裔としてディオンが父親である長から教えられたのは、己が体を流れる血に誇りと敬意を持つこと。ただそれだけだった。

 生き延びよ、とは誰も彼も言わなかった。

 一族の中には谷底から脱して外の世界へ去っていく者もあったが、大多数の者は逃げることを選ばなかった。この地は遠い先祖が辿り着き、我らが家と決めた場所。自分の命惜しさに血族の思いや歴史を捨て去るなど、到底赦される行いではない。逃げていった者は恥さらしだと皆に呪われ、嘲られた。


 毒の霧は月日を重ねるほどに濃度を増して、一族はどんどん息絶えていったが、残った者には最期まで毅然と死を見据えることが要求され、ディオンもまた、それに疑問を持つことはなかった。


 やがて、いっとう若いディオンと、二番目に若いディオンのいとこ――イダを残して皆死んだ。

 父も母も世話をしてくれた大人たちも、共に遊んだ仲間も、もういない。魂の抜けた無数の亡骸はディオンとイダだけではまともに弔うことも叶わずに、谷底で腐り、朽ちてゆくのを見守ることしか出来なかった。


 そして、ディオン自身の体も死の気配に蝕まれつつあった。

 頭は霧がかったように働かず、喉に刺さる痛みに咳きこめば、地面に真っ赤ないのちが落ちた。

 終わりが、近付いてくる。この世に生まれ、まだ何も為していないけれど、それでも、終わる。

 その事実を残されたイダと共に受け入れ、最期の時を待っていたディオンの前に、しかし「彼女」が現れた。




 彼女は、見たこともない形をした小さな生き物だった。後になってディオンはそれが人間なるものだと学んだが、その時はただ小さくて弱そうで、取るに足らない生き物だとしか思わなかった。


 そんなちっぽけな生き物は、死の谷底で力尽きようとしているディオンたちを見とめて、こう言った。


「あら、随分弱ってる? でもまあ、いいか。起きなさい」


 声の直後、霧を裂いて白い光が一帯を包んだ。

 目が眩み、前後左右の感覚もなくなる中、ディオンは自分の体がぐにゃりと歪むのを感じた。


 これは、一体なんだ?


 しかし恐慌に陥る暇もなく、変化はすぐに完了した。


「ディオン……?」


 困惑を滲ませた声に首を巡らせる。自らの体の動きに妙な違和感があったが、すぐにそれどころではなくなった。


 小さな生き物が二体、ディオンのすぐ前――同じ視線の高さに立っていた。一方は、先ほど現れたばかりのやつだとすぐに分かった。でも、もう一方は――。


「ディオン、だよな……?」


 再び名を呼ばれ、ディオンは理解した。目の前に立っているのが、イダであるということを。


 立ち尽くすディオンとイダよりも更に小柄な闖入者が、二匹の間に割り込んで、ふふん、と得意げに鼻を鳴らした。


「これでよし、と。さて、これからあなたたちはあたしの下僕よ。せいぜい利用させてもらうから」


***


「それがすべての始まり……ロザリアとの出会いだった」


 言葉を切って、ディオンはククの反応を窺った。

 少女の顔は暖炉の炎を受け、柔らかい橙色に染まっている。

 大きな瞳を瞬かせ、ククは問うてきた。


「その、ロザリアさん? は、ディオたちを助けるためにやってきたの?」


「いいや、そういうわけじゃない」


 後で確認したところ、ロザリアがその地にやってきたのは、近くの人里に滞在中、谷底で死にかけている巨大生物の噂を聞いたからだという。

 結果だけ捉えれば確かに彼女はディオンの命を助けたが、それはあくまで結果の話である。

 そして、その結果を救いとはむしろ正反対のものと受け止めた者もいた。

 憤怒と呪詛を塗りつけた男の笑みが蘇り、ディオンは軽く頭を振った。


「とにかく、あいつは……ロザリアは、そうやって俺たちに接触してきた。あいつは俺たちに人間としての生を与えたんだ」


***


 突然人間の身体を与えられ、下僕にする、などというわけの分からないことを告げられて……無論納得出来るはずもない。ディオンとイダは彼女に抗ったが、結局は無理やり引き摺られるようにして故郷を後にすることになった。


 ロザリアは恐ろしく強い女だった。

 元の体に戻せと喚くディオンを華奢な腕で吹き飛ばし、殺してやると飛びかかったイダを魔法の力でねじ伏せて、二人を散々ギタギタにした後で彼女は言った。


「悔しかったら、いつかあたしを超えてみれば?」


 ディオンもイダも彼女を憎んだ。自分たちに与えられた人間としての肉体を嫌った。

 だが、二人ともあの谷底に戻ることは選ばなかった。

 イダは宣言した。俺たちから誇り高き死を奪ったあの女を、いつか必ず殺してやると。ディオンもイダと同じ気持ちだった。最初の内は。



 ディオンたちはロザリアと行動を共にすることになった。今は敵わない彼女をいつか必ず殺すため、という理由が筆頭ではあるが、他にどうする当てもなかったからという事情も否定は出来なかった。


 しかし、そのロザリアも特に目的を持たずに旅をしているようだった。人の多い場所に滞在することは少なく、彼女の旅の大半は、山や森をうろうろと歩き回るようなものだった。

 谷底の世界しか知らないディオンには、そんな自然のままの光景でさえ、何もかもが新鮮だった。


 一方、たまに体験する人里での人間の生活とやらもそれなりに興味深かったが、ディオンとイダに与えられた鮮やかな紫色の髪は他の人間たちの目にはひどく珍しく映るようで、誰も彼もからじろじろ見られるのは好ましくなかった。そのあまりの鬱陶しさに耐えかねて彼女に抗議したことも何度かあったが、結果は「だって、それが鱗の色だったじゃない」の一蹴だった。


 やがて自分の体に慣れ、他の人間たちを見ていく内に、ディオンはあることに気が付いた。


 ロザリアは恐ろしく強かったが、ディオンはそれを、人の体を使いこなせばこのくらいの力量は持ち得るものなのだろう、と漠然と考えていた。今の俺たちはこの体に不慣れなだけ。何も彼女という人間が特別な存在ではないのだと。

 それはまったくの誤解だった。

 ディオンがどれだけ他の人間を見ても、彼女ほどの力を持った存在はいなかった。どんな魔獣や柄の悪い連中が現れても、彼女には誰も、何も勝てなかった。

 ロザリアは、意味不明な存在だった。




 ある夜、ディオンとイダはまたしても彼女に叩きのめされた。


 これでもう何度目か。数えるのはとっくに諦めていた。ついでにイダの姿が見えなくなっていたが、これもいつものことだった。彼女に負けた後のイダは、いつもどこかへ消えてしまい、忘れた頃にならないと帰らない。


 ディオンは冷えた大地にボロ布のように寝そべったまま、息切れ一つせず野営の準備を始めているロザリアの、小さな背中を仰いでいた。

 その時、これまで抱いていた思いがふと零れ出た。


「あんたは特別なんだな」


「え? 何、いきなり」


 ロザリアはびっくりしたように振り返ってから、何故か少し悲しそうに微笑んだ。


「っつーか今頃知ったの? あたし、実は女神様なんだから」


「嘘だろ」


 ディオンは笑ったが、ロザリアは逆に微笑みを消した。まさか、とディオンが体を強ばらせると、明るい笑い声が弾けた。


「……騙したな」


「だってそんな簡単に信じると思わないもの。ああでも、全部嘘ってわけでもないわよ」


 もういい、とディオンは横を向いた。これ以上下らない冗談に付き合って一方的に笑われるのは不愉快だった。


「ごめんってば、ディオ」


 ロザリアはわざわざディオンの視線の先に回り込み、


「ほら、これ見て」


 言うなり自らのスカートをずり下げた。


 いくら元人外のディオンと言えど、今ではすっかりヒトの暮らしや振る舞いというものに慣れているし、羞恥心くらいは普通にある。つまり、動転した。


「お前、何やって……」


 だが、困惑を告げきる前に、ディオンは「それ」を発見した。ロザリアの白く引っ込んだ腹の、ちょうどへその下。そこに蝶の形をした濃紺の紋様がくっきりと浮かび上がっていた。


「それ、入れ墨か……?」


 ならば、町中を歩く人間の腕などに刻まれているのを見たことがある。だが、ロザリアは首を振った。


「これは女神の証。っつか、実験動物の印ね。あたし、改造されてるの。頭の中とか体とか」


「は?」


 ロザリアは微笑んでいたが、その笑みはちっとも楽しそうなものではなかった。スカートを戻して、ディオンに向き直る。


「昔、ある研究所である計画が立ち上がったの。かつてこの世界を築いたっていう女神の贋作を作ろうとする、とっても馬鹿げた、下らない計画よ。んで、あたしはその実験のたった一人の生き残りにして、まあまあの成功作ってわけ。ね、特別なのは当たり前でしょ?」


 ロザリアが何を言っているのかディオンには全く理解が出来なかったが、月光に照らされた彼女の頬は青白く、それが妙に不安を誘った。


 夜風が二人の間を吹き抜けていった。

 その最後の気配が去るのを待って、彼女は再び口を開いた。


「あたしはね、あたしを殺せる人間を探しているの」


***


 水を飲もうと話を中断したディオンは、ククが腕を抱えて小さくなっていることに気が付いた。


「寒いのか?」


「あ、ううん。平気」


 ゆるゆると首を振ったククは、少し戸惑った表情でディオンを見上げた。


「その、ロザリアさんが言ってた計画って、ライ君が言ってたやつだよね? リバリティの施設でやってたっていう……」


「そうだが、違う」

 ディオンは答えた。

「恐らくリバリティの施設は模倣版だ。ロザリアを被検体にした施設はとうの昔になくなってるし、当時の技術者も全員死んだ。それでも計画の名前と資料だけがどこかに残ってて、リバリティの関係者の手に渡ったんだろう」


 その結果、大昔に行われた実験が再び繰り返され、ライックという存在が生まれることになった――という予想に、恐らく間違いはないだろう。言わば、ライックは第二のロザリアといったところだろうか。


(だけど、あいつも結局は神になれなかった)


 ロザリアと同じように。


 ディオンは窓の外に目を向けた。雪は、まだ降り続いている。

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