第31話
賑わう町の片隅で、冬枯れの枝にしがみついていた最後の一葉がとうとう風にさらわれた。しばらく宙を漂っていたそれは、突然吹き抜けた北風に煽られ、あっという間にどこかへ消える。
冬の訪れを迎えて、通りには厚着した人々の姿が目立った。今年は一段と冷え込みそうね。そんな会話の聞こえる雑踏を、ククは足早に進んでいた。
辿り着いたのは、町外れにある臨時診療所だ。古びた木戸を開けば、小さな前庭を進んだ先に、元は誰かの屋敷だったらしい家屋がある。屋内へ一歩踏み込むと、中では今日も白衣を纏った人々が忙しく立ち働いていた。
彼らは、アストリア王都からこのサラノの町に派遣されてきた医師や看護師だ。元々町にいた医者は一時行方不明になっていた後、先日町外れの海岸で死体が見つかったという。その件にライックが関わっているかどうかは、分からない。
廊下を進み、奥の一室に入ると、ベッドの白いシーツの上に鮮やかな桃色の髪が広がっているのが視界に入った。
杏里は眠っていたようだったが、ククが傍らの椅子に腰を掛けると、閉ざされていた瞼がゆっくりと開かれた。
「ごめん、起こしちゃった……?」
「ううん、平気よ」
体を起こし、杏里は苦笑した。
「毎日来なくても大丈夫なのに」
「ううん、来るよ」
ククは首を振った。
ここに運び込まれた時と比べれば、杏里の顔色は大分良くなってはいたが、それでもその右腕には未だ細い管が繋がっている。回復にはまだまだ時間が掛かるだろう。
(それに……)
たとえ治療が終わっても、神経系に傷を負った杏里には、もう蜘蛛の糸も他のいかなる魔法も使えないという。そのことについて彼女がどう受け止めているのかも、ククはまだ、確かめられていなかった。
塞ぎそうになる気持ちを奮い立たせて、ククは努めて明るく笑った。
「杏里ちゃんがいないとわたしが寂しいの。だから毎日来ちゃうんだ」
それもまた事実だ。
見舞いに来ながら何も出来ないことはもどかしいが、それを表面に出せば杏里に余計な気を遣わせるだけだ。何より一番辛いのは杏里本人なのだから、せめて自分はいつも通りの顔で傍にいて、彼女の不安を少しでも拭えるようにしなくては。
「ねえ、クク」
「なあに?」
杏里はしばらく黙っていたが、諦めたような顔で首を振った。
「……何でもないわ。その内、また話すわね」
うん、とククは頷いた。
それはこの場所で何度も繰り返してきたやり取りだった。
だからククもまた、いつも通り付け足した。
いつでもいいよ。ずっと待ってる。
診療所から外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。体に吹きつける風も一層冷たくなっている。
宿までの道を歩きながら、ククは冴え冴えと輝く夜空の星月を仰いだ。
ククたちがリバリティ王城を脱して後、このサラノを再び訪れてから、そろそろひと月が経とうとしている。
正直、あの城での出来事は今も消化しきれていない。
かつて滅びた国の王であったというクレスト。クレストにリバリティの復興を託そうとしていたユイージナ。そして、ユイージナに協力し、クレストを復活させた後、彼らを裏切った……ライック。三人とも、もういない。
たとえ彼らそれぞれと対話を重ねたところで、分かり合えたかどうかは分からない。違う道を、結末を作ることが出来たのかも、もう分からない。後悔しているのかと問われればそれもまた違う気がするが、ただこの状況をどう受け止めたらよいかククは未だに正解を見つけられずにいた。
しかし、夜空を眺めていても答えが得られるわけではない。
小さな溜息を吐き、ククは帰路を急いだ。
宿に帰り着き、夕食にしようと食堂に向かうと、なんとも珍しい、と言うよりもはや驚異的なことに、室内の隅でアルスとディオンが同じテーブルを囲んで席に着いていた。
「二人とも、どうしたの? 何かあった?」
近寄ると、中途半端に手をつけた料理を挟んで、二人はあまり気乗りしない様子でククを見た。
その表情を見て、ククは質問を変えた。
「……何があったの?」
「……それより、お前手首は大丈夫なのか? まだ固定しといた方がいいだろ」
話題の逸らし方が下手だなあとは思ったものの、心配してもらえるのは有難いことだった。ククはディオンに答えた。
「うん、もう大丈夫だって。わたし、回復は早い方なんだ」
一応診療所に行く度に診てもらうようにはしていたが、医師にも無茶をしなければもう普通にしていていいと言われていた。痛みもすっかりなくなっている。
「で、二人とも。何があったの?」
再び問うと、二人は暫し難しい表情で顔を見合わせていたが、やがて諦めたのか、アルスが小さく溜息を吐いて口を開いた。
「リバリティにいる調査隊から報告が入った。城の跡地で人間の死体らしきものが見つかったって」
「詳細は?」
「損傷が激しくて現状身元は不明。人数も恐らく一人としか」
「……そう」
アルスの説明で察しはついた。アストリア精鋭の調査部隊が入っているとは言え、あれだけ激しく崩壊した場所では、それだけのものを見つけるのでさえ大変だったことだろう。
「どうする?」
アルスに問われ、ククは瞬いた。「どうするって?」と問い返せば、少年は軽く目を伏せる。
「……もし身元が分かって、それがライックだったとしたら。彼女に伝えるか、伝えないか」
「……杏里ちゃんに、言う必要はないと思う」
たとえ見つかった死体がライックのものでもそうでなくとも、杏里に伝えるべきとは思えなかった。今でさえ、杏里はライックのことについて全く話題に出そうとしない。その彼女を更に苦しめたり、傷付けたりしたくはなかった。
「少なくとも今はその時じゃないよ」
「分かった。ただ、跡地の調査は継続させるから」
「うん。何か分かったら、また教えて」
会話に終わりが見えかけた、その時。
「キカンメイレイ」
ククのすぐ背後から、抑揚のない声が上がった。
「? わっ」
振り返った途端、鼻先を小さな生き物が掠めた。
影は素早く滑翔し、テーブルの上に着地する。その正体は、鮮やかな朱色の小鳥だった。
「キカンメイレイ、キカンメイレイ」
小さなくちばしを懸命に動かし、幾度も同じ言葉を繰り返す鳥に、ディオンが鼻と眉根に皺を寄せた。
「なんなんだ、この鳥は。どっから入り込んだんだ?」
確実に正体を知っている筈なのに一切口を開く気配のないアルスに代わって、ククが答えることにした。
「この子はアストリア王のペットだよ。とってもよく飛ぶし、こうやって喋れるの。すごい鳥だよ」
「果てしなく頭の悪い説明だな。脳みそが液体なのかお前は」
ディオンの眉間の皺が一層深くなった。
「……まあいい。……つまり、こいつはお前らに王様の伝言を持ってきたってことか?」
「そうだと思う。帰還命令……帰ってこいって言ってるね」
ククは溜息を呑み込んだ。
いつかはこんな日が来ることは分かっていた。分かっていたけれど、憂鬱な気持ちは抑えきれなかった。
「キカンメイレイ、キカンメイレイ」
喧しく鳴き続ける鳥に、アルスがとうとう視線を向けた。
「分かった。帰る」
「イツ」
「いつかは」
短く言って手を払う。慌てて飛び上がった鳥はテーブルの上を恨みがましく旋回していたが、アルスに冷たく睥睨されると開かれた扉から食堂の外へと消え去った。
再び静けさを取り戻した食堂には、しかし先ほどとは異なる空気が漂っていた。
(帰還命令、か……)
闖入者に告げられたことによって、薄々感じていたものが、目を逸らしていたことが、輪郭を浮かび上がらせつつあった。
それは――旅の終わりだ。
「ま、そろそろ潮時だろうな」
ディオンは特に感慨もなさそうに、椅子の背に体重を預けてククとアルスを見た。
「一応目的も達したことだし、ここらで解散するか」
「……そんなに急に決めなきゃ駄目かな?」
食い下がるククに、ディオンの表情が曇る。
「急も何もこれ以上俺らが一緒に行動する理由がないだろ。つーか、今のアレ。お前らは帰らなきゃいけないんだろ?」
「でも、杏里ちゃんもまだ……」
「あいつの回復を待って、それからどうする? また仲良く旅するってわけでもねえだろ? 少なくとも俺にお前たちと一緒にいる理由はもうない。あいつが心配だって言うなら、お前らだけで勝手に傍にいればいい。俺はもう、付き合いきれん」
椅子を引く荒い音と共に、ディオンが立ち上がる。
「ディオ……?」
苛立ちを隠さない赤い相貌でククを見下ろし、あらゆる問いを封じるように彼は言った。
「散歩だ」
宿を出ていったディオンは、そのまま帰ってこなかった。




