第29話
馬車を降りると乾いた土の匂いがした。
目の前に広がるかつての王都、リバリティの城下町は荒廃し、あちこちに瓦礫が散乱している。人の姿は見えない。気配もない。少し前に訪れた時と同じだ。
ディオンの隣を歩いていたククが、不意に背後のライックを振り返った。
「ここ、ライ君たちはこの前来たんだよね? その時もこんな感じだったの?」
「こんな感じって?」
「なんていうか……思ったよりずっと人がいない気がしたから。前もこんなに静かだったのかなって」
ククの言う通り、廃都とは言えこれだけの規模の町だ。それがどんな目的の人間であれ、もう少し人気があってもおかしくはなさそうだし、実際そうだったはずなのだが。
「あ」
突然後ろで声がして、ディオンは体を捻った。
未だ黒い痣だか模様だかに左頬を覆われているアルスが、立ち止まったまま静かな視線を虚空に向けていた。
「……そういえば、少し前に聞いたことがある。リバリティの城下は夜になると幽霊が出るって」
「幽霊? だから人がいないってこと?」
「多分」
「っていうかアルス!」
杏里が悲鳴のような声を上げた。
「あんた、そんなこと聞いてたんなら、どうしてあの時あたしたちを……っていうかあたしを普通に行かせたのよ!」
彼女の言う「あの時」とは、剣を探しに孤島に向かう直前、ライックの頼みでディオンと杏里を含めた三人がこの地を訪れた時の話だろう。
アルスは少し黙ってから、答えた。
「……忘れていたから」
「思わせぶりに普通の言い訳するんじゃないわよ! もう……まあ、全員無事だったからいいけど」
いいのかよ、とは思いつつ。
「とにかくさっさと先に進むぞ」
「目的地はあのお城でいいんだよね?」
ライックが前方に小さく見えるリバリティ王城を指差した。
「まあ、とりあえずな」
そこにクレストがいるという保証は一切ないが、他に思いつく場所もないのだから仕方ない。
しかし目視出来るとは言え、城までの距離はかなりあった。
ディオンがうんざりしていると、ライックが「あのぉ」と声を上げた。
「おれも前に噂で聞いたんだけど……リバリティの城下町にはお城まで繋がってる地下道があるらしいんだ」
「地下道?」
杏里が胡散臭そうに応じた。
「この間行ったところとは別の?」
「うん。元々は城内の人たち用の隠し通路だったみたいなんだけど、リバリティの崩壊後に見つかったらしくて……。確か、城下町の西の方にあるって話なんだけど」
「また随分ざっくりした情報だな……。んなもん探すより、このまま進んだ方が早いんじゃないか?」
「そうとも限らないんじゃないかなあ」
のんびりと言ったククは、どこかを指差している。
見れば、前方の道が瓦礫の山で埋まっていた。右方の建物が崩れた残骸のようだが、山の麓には後から投棄されたのであろう細々としたゴミまで寄り添っている。どかすのも乗り越えるのも、まして無理やり通り抜けることも難しそうだった。
「とりあえずここは迂回するとして、他にもこういう場所はあるんじゃないかな。もしかしたら全部の道が塞がってるかも」
「それなら地下道を見つけた方が早い、ってことか」
結局、何から何まで手当たり次第。確かなことは何もなし。
上等だ、と本日何度目かの自棄でディオンは思った。
「今更だけど、あの城にクレストは本当にいるのかしら?」
改めて西に向かって歩いていると、後ろで杏里の声がした。
「わたしはいると思う、かな」
答えているのはククだ。
振り向かないまま、ディオンは内心どうだろうなと訝しむ。
無駄足になるかもしれない道行きをこんな大人数でぞろぞろ進んでいるのは、阿呆らしいと言えば阿呆らしかった。
「……クレストは一体何を考えてるのかしら」
ディオンの思いなど露知らず、少女たちは喋り続けている。
「っていうか、仮に王様だってのが本当だとして……今までの行動は一体何が目的なのよ?」
「うーん、分からない、けど……」
「けど?」
「もしかしたら、クレストは自分の正体を知らなかったんじゃないかなって」
「どういうことだ?」
ディオンは思わず振り返ってしまった。
ククは少し驚いた顔を浮かべたものの、すぐに真面目な顔に戻って言った。
「……わたし、村を出たばかりの頃に一度クレストと会って、訊いたことがあるの。あなたは何者なのかって。そうしたら、クレストはそれを知るために行動してるって答えた。それで、ずっと思ってたんだ。もしかしたらクレストも、わたしと同じように自分の記憶が無いんじゃないかって……。だけど本人にそうはっきり答えてもらったわけじゃないから確信が持てなくて……みんなには言ってなくって、ごめんなさい」
「別に謝らなくてもいいけど……」
杏里は困惑した表情で首を振った。
「でも、もしククの想像が当たってるなら、あいつは自分自身の正体が分からないまま行動してたってことになるわよね。……それって誰か別の人間に利用されてたってこと?」
「その可能性はあると思う……けど」
分からない、と言うようにククもまた首を振った。
「あいつを追ってどうするつもりだ?」
改めてディオンは尋ねた。
「それも分からない」
言葉とは裏腹に、ククの表情に迷いの色は薄かった。
「クレストが戦うつもりなら戦わなければいけないかもしれない。もし何か事情があるのならそれを聞きたい。何をすればいいのか、何が出来るのかは分からないけど……このまま放っておくのは、わたしが気持ち悪いから」
「……身勝手だな」
「うん。身勝手なの」
自覚がある分余計にたちが悪い気もしたが、ディオンがそれを指摘する前に、遠くから何かが崩れ落ちるような音がした。
「何だろう……?」
ククが訝しげな顔で首をめぐらせる。視界は周囲に乱立する廃屋たちによって閉ざされているが、音は進路とは別、元来た東の方から聞こえたようだった。
この季節には似つかわしくない、奇妙に生温い風が吹き抜けて肌が粟立つ。何かいる。ディオンがそう確信した直後、曇天を裂くような鳴き声が響き渡った。
「な、なにっ? 襲撃? やっぱり罠……!?」
「落ち着きなさいよ! と、とりあえず開けた場所に……」
ライックと杏里の狼狽える声を背に、ディオンは担いでいた大剣を背から下ろして、鞘を解いた。
呼ばれている、と思った。
「逆方向みたいだし、このまま無視して行っちゃおうか?」
「そしたら『奴』は背後から襲いかかってくるだろうな」
ディオンはククの提案を退けた。
「俺が行く。向こうも俺を待ってるはずだ」
「ディオ……?」
単にディオンたち全員を狙うのであれば不意打ちすればいいだけの話だ。それをせず、あえて遠くから存在を誇示してみせたのは、心当たりのある人間を呼び寄せるために他ならない。
いかにもあの男のやりそうなことだった。
「お前らは気にせず先に行け。面倒を片付けたら後を追う」
「……ディオ、大丈夫?」
ククが不安そうな顔で問いかけてくる。彼女もディオンを待つ者を察しているようだった。
「問題ない」
「でも……」
「いいからさっさと行け。じゃあな」
ここでぐだぐだと話を続けるつもりはない。表情を曇らせたままのククを放置しディオンはそのまま歩き出そうとしたが、急にその横をアルスが通っていった。何故か、元来た道を戻ろうとしている。
「おい待て。お前はどこ行くんだよ?」
「散歩」
「は?」
「後で追いつく」
先ほどのディオンと同じようなことを言うや否や、アルスは一切振り返らず、廃屋の角を曲がって姿を消した。
残された一行は顔を見合わせた。
「あいつは他人に十分な説明をすると死ぬ病なのか?」
「……かもしれないわね。どうする、クク? 追いかける?」
「うーん……」
ククはしばらく頭を抱えていたが、やがて何か諦めたように小さく首を振った。
「……まあ、お兄ちゃんなら大丈夫かなあ」
何を根拠にそう判断するのかは分からないが、身内のククがそう言うのならそれでいいのだろう。後は外野があれこれ言うことでもない……などと考えていると、ククの空色の双眸が再びディオンの元へと帰ってきた。
「あ、えーと……それじゃあ、ディオにも任せていい?」
「……ああ」
ついでのように頼まれたことや、自分に対する信用の薄さとアルスに向けられている信頼との格差など、色々と思うところがないわけではないが、とにかくディオンは頷いた。
「怪我はしないでね」
「それは分からん」
約束出来るのは精々死なないことくらいだが、あえてそれを言葉にする必要もないだろう。
ディオンは一行と別れ、同胞の元へと歩き出した。
元来た道をしばらく戻り、ディオンが朽ちた大通りに足を踏み入れると、案の定、廃墟の影から魔獣の姿が現れた。
羽をばたつかせ、こちらに飛んでくる姿は蝙蝠に類似しているが、大きさは本物の数倍はある。この間サラノの町を襲った奴らと同じだ。
半ば予想通りの光景ではあったが、際限なく現れる魔獣の姿にディオンは小さく舌打ちした。
嫌がらせにしては数が多い気もするが、いずれにせよここは突破するしかない。
剣を構えて、ディオンは前方の魔獣の群れに突っ込んだ。向かってくる蝙蝠をしゃにむに斬り伏せながら、ただ走る。鬱陶しく絡みついてくるばかりの魔獣は個々であれば全く驚異ではなかったが、いかんせん数が多すぎた。
(仕方ねえな……)
相手が物量で攻めてくるなら、力の出し惜しみをしている場合ではない。ディオンが剣を握る両手に力を込めると、刀身から赤い光が四方に踊った。光に触れた魔獣たちが次々と、弾けるように消失する。
やがて力の放出が終息すると、周囲にはもう、敵の姿はほとんど残されていなかった。
ほっとした瞬間――しかし不意に視界が暗くなった。
見上げたディオンは硬直する。
廃墟の屋根を支えに、巨大な影がディオンを覗き込んでいた。無数の触手に覆われた下半身に対して、どこか爬虫類を思わせる上半身。その背から突き出た、歪んだ翼。頭らしきものはあるが中央に円形の口が穿たれているだけで、目鼻や表情はない。
だから、それが「女」だと気付ける者は、ディオン以外にはいないだろう。
女は全身で悲鳴のような声を発しながら、ディオンの胴よりも太い右腕を勢いよく薙ぎ払った。
崩れた家屋の残骸が吹き飛び、弾けた石塊が一直線に飛んでくる。跳び退り、礫の直撃を回避したディオンの元へ、今度は女の両腕が、上体ごと倒れるように振り下ろされた。
「……!」
掲げた剣に、大岩に等しき拳が直撃する。
ディオンは大剣と全身の力を頼りに迫る拳を押し止めていた。
頭上でガチガチと歯が鳴る音がする。異形の頭に瞳はないが、こちらを睨視する視線ははっきりと感じられた。
「くっ……」
重圧に、足下の石畳がばきりと割れる。女が悲鳴にも似た叫びを上げると同時に、ディオンの胸にも暗闇が溢れた。
「黒塚ぁああぁっ!」
ディオンの咆哮に反応し、腕を引いた女が全身を激しく震わせながら、自らもまた絶叫を重ねる。耳障りな悲鳴の中、女の黒い頭頂を突き破り、男の上半身が現れた。
「どうだ、本物よりちょっと小さいが、よく出来てるだろ?」
叫び続ける異形の頭に頬杖をついて、黒塚は心底愉快そうな笑みを浮かべていた。
「降参したんじゃねえのか」
「したとも。あの時はな」
黒塚は悪びれない。分かってはいたが、うんざりした。
「お前はクレストを使って何をするつもりだ」
「別に何も」
あくまでも明るい声が応じる。
「そもそも俺はクレスト少年の主でも家来でもない。ま、あえて言うなら親切なお兄さんってとこかな」
「それなら……」
何故ここにいる。そう続けようとしたディオンに向かって、黒塚が笑みを――嘲笑を深くした。
「分かってるだろ? 俺はお前に会いに来たんだよ。惨めで可哀想なお前に、俺たちが在るべき正しい世界を思い出させてやるために!」
黒塚が両手の指を自らの腰元、異形の頭との繋ぎ目へと突き立てる。苦痛を与えられた女は一層悲鳴を上げて頭を掻き毟るが、その手は黒塚に届かず、彼を止めることは叶わない。
悶絶する巨体の上で激しく左右に振られながら、黒塚はますます楽しそうに笑い声を上げていた。不気味な輝きを帯びる男の瞳には確固たる目的も明確な意思もない。あるのは、ただひたすらの悪意だった。
「ほうら、止めてほしけりゃこの男を殺せ!」
黒塚に命じられ、異形の腕が闇雲に踊る。視認不可能な力が渦を巻き、ディオンの周囲で小石や瓦礫が次々と浮き上がった。
もはや説得の余地はない。
いつもと同じだ。
ディオンは女の元へと駆け出した。
飛んできた礫の一つが頭の横を掠める。鋭い痛みと共に生温いものがこめかみを伝うが、足は止めない。ただ走る。
ディオンを叩き潰さんと、上空から異形の上半身が倒れ込んできた。巨大な影が、一足早くディオンに覆い被さってくる。
女の夜に浸したような黒い皮膚が目の前に迫った瞬間、ディオンは掲げた剣を全力で振り下ろした。
刀身は女に届かない。
だが、剣が生んだ風の刃が、女の胸を切り裂いた。
「――ッッ! ――!」
女の胸元に大きく開いた傷口から黒く濁った血潮が噴き出し、ディオンの全身を染めていく。
声にならない悲鳴を上げる異形の体は見る見る内に形を崩し、その叫びも、命も、呆気ないほど容易く終焉を迎えた。
(……それも当たり前、か)
今倒したこれは、かつてディオンが対峙したものではない。黒塚がディオンを苛むためだけに用意した、ただの模造品だ。
その力がかつての彼女に及ぶはずもなかった。
「……満足したかい、勇者様」
黒塚はぶちまけられた女の残骸の上に座り込んでいた。異形を生み出し、維持していた魔力を一気に失った反動だろう、苦しげな呼吸で顔を歪めながら、それでもなおディオンに向けられた声には喜悦の色が滲んでいた。
「俺は全然満足出来ない。永遠に満たされることもない」
「黒塚……」
「何もかも全部お前のせいだが、憎んでるわけじゃないぜ? むしろ誰よりお前に同情してるくらいだ。……だから、その日が来たら教えてやるよ」
「一体、何を……」
「まだだ。まだしばらく時間はかかる。まあ、俺らにとっては一瞬のような時間かもしれないが」
黒塚は胸を反らし、天を仰いだ。
「だからその日が来るまで、俺は何度でもお前に思い出させてやるよ。俺たちの喜劇を。凍てついた雨の夜明けを。永遠の、はじまりを」
「……っ!」
冷たい憎悪の手が心臓に触れるのを感じた瞬間、体が、腕が自然に動いていた。
ディオンの振るった剣が、黒塚の首を撥ね飛ばす。
頭を失った体はゆっくりと傾いた後、散らばる異形の残骸と共に黒色の血溜まりに倒れ伏した。のみならず、黒塚の体と残骸はまるで底無し沼に投げ込まれたかのように、そのままずぶずぶと沈み込んでゆく。
やがてすべてが呑まれると血溜まりそのものも蒸発し、跡形もなく消え失せた。ディオンの体を濡らしていた返り血でさえ、初めから存在などしていなかったかの如く、何も、何一つ残らなかった。
これで終わりか。
決着を確信しかけたディオンの背後で、しかし甲高い鳴き声と羽音が炸裂した。
「!」
振り返る目の前に、蝙蝠でも毒蛾でもない、出来損ないの竜のような魔獣が迫っていた。
(くそ……っ)
防ぎきれない。そう察しつつも剣を振り上げた直後、異形とディオンの間に、両者どちらのものとも異なる力が形を為した。
「ギィッ……!」
鮮烈な青い光で構成された扇形の防御壁にぶつかって、魔獣が炎上し、地に落ちる。獣が弱々しい鳴き声を最期に灰燼に帰すと、防御壁もまた四散した。
ディオンは、こちらへ近付いてくる少年に視線を向けた。
「……何のつもりだ」
口を開きかけたアルスに先回りして釘を刺す。
「言っとくが、お前の『別に』が『別になんでもない』じゃないことぐらい分かってるからな」
「……助けられての第一声にしては随分だね」
「うるせえな、んなこと頼んでねえだろうが。それより徘徊は終了したのかよ」
まあ、とアルスは頷いた。
「用事は済んだし、あんたがボコボコにされてベソかいてる姿を見ておくのも悪くないかと思って」
「されてねえっつの! っつーか、本当に何してたんだ?」
「…………安全対策をいくつか」
「そうか、詳しく説明する気がないのはよく分かった」
無論納得したわけではないが、ここでこうしているのも時間の無駄だ。ディオンは剣を担いで言った。
「手が空いたんなら、さっさとあいつらに追いつくぞ」
「……それも面倒そうだけどね」
「は?」
そんなことを言っている場合ではないだろう。そう呆れかけたものの、振り返ったディオンはすぐに納得した。
戻る道を塞ぐように、再び蝙蝠たちがうようよしていた。
「何でだ、黒塚はもう……」
言いさして、ディオンは首を振った。この際、あらゆる疑問は置いておくことにする。
「とりあえず、ここを突破するぞ!」
返事はなかったが、了承したものだと勝手に判断し、ディオンは飛び交う黒い群れに向かって走り出した。




