第2話
迎えた祭りの当日は、曇ってはいるものの雨の事態は避けられた。
気温はここ最近では最も高く、外を歩く人々も薄着で過ごしやすそうにしている。村の中央広場には即席の屋台が二十以上も並び、夕方にもなると特別な賑わいを見せていた。売られているのは、町から仕入れた様々な酒やら、子供の好みそうな焼き菓子。さっき畑でとれたばかりの野菜で作った簡単な食事もあれば、収穫物そのものが売っていたりと様々で、老若男女が集まり客が絶えるということがない。
とは言え、辺境の村の祭りということもあり、行き交う人々の大半はこの地の住人だった。中にはたまたま用事があって滞在している商人や、近隣の町に嫁いだり働きに出ていた元住人が家族と一緒に遊びに来ている姿もあるが、それでも一帯にはなんとなく気安い、身内感のようなものが満ちていた。
そうした祭りの光景のさなか、ククはルーナと二人で賑わう広場の最奥へと向かっていた。
辺りは既に薄暗い。篝火台の合間を走り回る子供に危うくぶつかりそうになり、何とか避けるとまた別の子供に衝突しそうになる。あたふたするククに、ルーナが声を上げて笑った。
「ククって、ちょっと抜けてるわよね」
「そうかなあ。そんなつもりはないんだけど……。それより、ガルベラさん、本当に手伝わなくて大丈夫だったかな?」
今日はガルベラの食堂も広場の入り口近くに屋台を設けて、店から焼いてきたパンと大鍋のシチューを振舞っていた。日中はククとルーナもそちらを手伝っていたのだが、そろそろ祭りの目玉が始まるということで、二人で見に行ってきなとガルベラに送り出されたのだ。
「大丈夫大丈夫」
ルーナは歌うように言って、手を振った。
「お客さんは大体日中に来るから夜はそんなに混まないよ。それに神剣が出る時は、みんなそっちにかかりっきりだから」
「その神剣って、どういうものなの?」
何度も繰り返した問いを再び投げかけると、ルーナは「うーん」と唸った。
「不思議といえば不思議だけど、見て楽しいものかと訊かれたら微妙かも。ちょっとした怖さだったら味わえるかな」
まただ。ガルベラや食堂の客たちも同じようなことを言うばかりで、誰も詳しい話はしてくれない。腑に落ちないククに、ルーナはあやすように微笑んだ。
「見れば分かるわよ。話も後でちゃんとしてあげるから」
話している間に目的の場所に着いたようだ。同じように見物に来た人でごった返す中、すいすいと泳ぐように進んでいくルーナについていくと、突然目の前の景色が開けた。
森を背後に従えるのは、皆で作った木製の広い高舞台だ。中央には見慣れない石造りの台座のようなものが据えられているが、それ以外まだ特に何もない。
舞台から視線を外し、ククは周囲を見回した。
篝火に照らされた人々の中にディオンの姿は見当たらない。
昨夜もこの地を訪れて以来ずっとそうしているように、彼は食堂で夕食を済ませていた。その時も声を掛けたのだが、おざなりな返事が返ってきたばかりで、今日になってからはまだ一度も姿を見ていない。やっぱり祭りには興味がなかったのだろうか。
(そういえば、クレストも見てないな)
そんなことを思っていると、周囲が急にざわめいた。
「ほら、始まったよ」
ルーナに促され、再び広場に目を向ける。
いつの間にか舞台の台座を囲んで、黒い装束に身を包んだ三人の男性が立っていた。祭事用らしき片手剣を捧げ持ちながら、三人は低い声で歌い出す。
途端、空気が奇妙な流れを生んだ。
舞台の上に滲むように広がった青い光が、中央の台座に収束し、吸い込まれるように消えていく。代わりに音も無く現れたのは、輝きの余韻には見合わない、ひどく汚れた剣だった。ひび割れた黒い鞘には細い鎖が巻かれているが、その鎖さえ触れれば崩れそうなほど無残に錆びている。
剣は台座の上に、まるで最初からそこに存在していたかのように横たわっていた。
「あれが神剣?」
「うん。まあ、見た目はアレだけどね」
ルーナは肩を竦めた後に、急に真面目な顔になった。
「六十年くらい前に森から入り込んだ魔物がこの村で暴れた事件があったらしいの。あの剣はそいつを封印してるんだって」
「だから神剣?」
そう、とルーナは頷いた。
「危ないから普段は人の手の触れられない場所に隔離してるんだけど、年に一回お清めのためにああして現出させるの。歌ってる人たちは、町から呼んだ術師様よ」
「そうなんだ……」
再び剣に目を向けようとしたその時、ざわめきと共に舞台を囲む人垣が割れた。周囲の人々を押し退けて、誰かが舞台に上がっていく。
その人物を確かめたククは、思わず大声を上げた。
「クレスト……!」
少年は周囲の静止の声など聞こえないように、足早に台座へと向かっていく。
「君、待ちなさい! ……うわ!」
その背に追い縋り、腕を掴んだ村長が逆に突き飛ばされ、舞台から転げ落ちた。数多の怒号と悲鳴が交錯し、術師たちが怯えたように後ずさる。
見かねた村人たちが舞台に上がろうとする中、クレストは台座の前で立ち止まり、神剣の柄をその上に絡む鎖ごと握った。
やめろ、と誰かが叫んだ。
火の粉のような光が弾け、千切れた鎖が地面に落ちる。黒く汚れた鞘から刀身が抜かれ――一瞬の沈黙の、後。
「……期待が外れたか」
独白するクレストの手の中で、剣が泥細工のように崩れた。
台座を中心に暴風が巻き起こり、舞台の上や近くに立っている人々を薙ぎ倒す。
「……っ!」
ククもまたよろめき、その場に膝をついた。顔を上げると、土煙の向こう、森の中へと去っていくクレストの後ろ姿が見えたが、それを遮るかのように壇上に巨大な影が出現した。
(これは……)
現れたのは、痩せた人型の魔物だった。背丈は人の三倍近く、だらりと伸びた両手は地面に届くほど長い。爪の一枚一枚が刃物のように鋭く、その表面に篝火の輝きを映していた。
事態が呑み込めず立ち尽くす人々に向けて、魔物が緩慢に腕を振る。術師たちが弾き飛ばされ、舞台の隅に誰かの千切れた片腕が転がった。
「いやあああっ!」
誰かの悲鳴を皮切りに、舞台を囲んでいた群衆が一斉に逃げ出した。
「っ! クク!」
「ルーナさん……!」
人波に呑まれ、ククはルーナと引き離された。流れに抗い、必死で混乱から脱して、慌てて後ろを振り返る。
舞台を下りた魔物の前に、逃げ遅れたルーナが呆然と座り込んでいた。
「……! ルーナさん!」
逃げて。そう叫んだ声は、周囲の怒号に搔き消された。
魔物の振り払った腕が、ルーナの体を小石のように吹き飛ばす。木に叩きつけられたルーナはそのまま動かなくなった。
進路を確保した魔物が血走った眼で辺りを見回し、再び歩みを再開する。近くにはルーナと同じように、竦み、あるいは転倒し、動けない人々が何人も残されていた。
(……なんとかしなきゃ)
ククは周囲を見回して、術師が持っていた剣が地面に転がっているのを発見した。駆け寄り、鞘から刃を解き放つ。いかにも祭事用で頼りない作りだが、文句を言ってはいられない。
華奢な柄を握りしめ、ククは徘徊する魔物に向かって走った。
腹の底に力を込めて、地面を蹴る。
上空から敵を捉え、一閃。だが、刃が相手の体にめり込む前に、伸びてきた腕が刀身を弾いた。
硬い。そう感じた直後、ククは勢いよく吹き飛ばされ、地面に転がった。
「……っ」
痛む体を起こすと、逃げ惑う人々に逆行して、若者を中心とした数人の村人が魔物に立ち向かっていた。
遠目から見る魔物は長い間封じられていた影響なのか、体が少しふらついているが、強靭な腕の振り抜きは脅威だった。勇敢な村人たちも、次々に弾き飛ばされていく。このまま放っておいたら、犠牲者はどんどん増えるだろう。
ククは立ち上がり、目の前に落ちた剣を拾い上げた。再び魔物に向かいかけると、しかし後ろから誰かに腕を掴まれた。
「やめとけ。正面からぶつかっても徒労に終わる」
「ディオ! 来てたんだね……!」
「心底来るんじゃなかったと思ってるがな」
面倒そうに答えるディオンは、いつも肌身離さず持っている大きな剣を鞘から放ち、肩に担いでいた。その冷静な眼差しに、思わずククは問いかけた。
「ディオはどうしたらあれを倒せると思う?」
答えはすぐに返ってきた。
「俺が腕を落とす。お前は首か、届かなければ背中を狙え。致命傷にはならんだろうが、動きが鈍ればそれでいい」
ディオンの声には迷いがない。だからククも迷わず頷いた。
「分かった」
「行くぞ!」
ディオンが走り出すと、敵の接近を察知した魔物が咆哮し、長い腕を振り回した。
壊れた舞台の木片が飛散する中、ディオンは相手の攻撃を巨大な剣で受け止める。そのまま吹き飛ばされることもなく、返す刀で宣言通り、魔物の片腕を断ち切った。
金属が裂けるような声で魔物が叫ぶ。
残る片腕の一薙ぎを身を屈めてやり過ごし、ディオンはもう一度剣を振った。その一太刀で、魔物に残った唯一の腕もまた体から切り離され、宙を舞った。
魔物が憤怒と苦痛で更に激しい悲鳴を上げる。その後ろ姿に向かって、ククは半壊した舞台の上から跳躍した。
狙うは――首だ。今度こそ防がせない。
柄を握る掌に力を込めて、一撃。
ククは魔物の首を刎ね飛ばした。
間髪入れずに吹き上がった鮮血に対して、頭を失った体は一拍置いて横倒しに倒れた。ククはその傍らに膝をつき、被った朱色を髪先から滴らせつつ、顔を上げた。
まず視界に入ったのは、同じく全身を返り血で染めたディオンが少々意外そうな表情でこちらを見ている姿だった。更に周囲を見回せば、目に映る光景はひどい有様だった。あちこちで沢山の人が座り込み、あるいは倒れている。
離れた場所に、蹲るルーナとその肩を抱えるガルベラの姿もあった。村人たちの何人かが、二人のところへ駆けていく。
立ち上がったククもそちらに近付きかけて、足を止めた。
迷っている時間はない。
ルーナや村人たちに背を向け、森へ向かって駆け出そうとした途端、しかし先ほどと同じように腕を掴まれた。
「どこへ行くつもりだ」
ディオンの冷ややかな視線と声を受け止めて、ククは答えた。
「クレストを追いかけなくちゃ」
「あいつがしたことを見てただろ」
吐き捨てるような声でディオンは言った。
「恐らくまともな考えの人間じゃない。面倒なことに巻き込まれるぞ」
「でも……」
「大体、追うには時間が経ちすぎてる。お前一人でどうやって奴を探すつもりだ」
「……分からない」
「だったら悪いことは言わない。諦めろ」
クレストが何を考えてあんなことをしたのかも。クク自身が彼を追いかけて、どうするつもりなのかも。確かにディオンの言う通り何も分からない。けれど。
ククはもう一度周囲に目を向けた。
村は今や恐怖と混乱に支配されていた。負傷している人々の中にはまだ小さな子どもの姿もある。ククも、そしてクレストも知っているはずの人々が苦しみ、傷付いている。
クレストは神剣を抜いて、ただ立ち去った。現れた魔物に構わず、この景色を見ることもなく。
どんな事情があったのかは分からない。でも、あんな行動をとらざるを得なかった理由があるなら、彼にはそれを説明する義務があるのではないだろうか。
「……やっぱり追いかけなきゃ」
呟くと、ディオンはククの腕から手を離し、溜息を吐いた。
「分かった」
そう言って、自ら森に向かって歩いていく。
「ディオ?」
「……どうせここにいても別の面倒が待ってるだけだ」
既に思い切り面倒そうな顔でディオンは言った。
「足跡を追いかける。行くぞ」




