第13話
「ねえクク。確か、あんたって記憶喪失なんじゃなかった?」
「? うん、そうだよ」
「だから知り合いも少ないって前に言ってたわよね?」
「そうそう」
「……だったらどうして、こんなにしょっちゅう知り合いに会うわけよ? こいつとか、紫頭とか」
溜め息混じりの声に、ククは瞬いた。杏里が指し示しているのは、向かいのソファに浅く腰掛けるライックだ。しかし杏里は彼についてだけではなく、この前のディオンとの出会いのことも言っているらしい。
確かに凄い偶然ではあるが、ククが図ったことではないし、ましてディオンやライックが意図したものでもないだろう。
ククが「不思議なこともあるんだね」と答えると、正面のライックがにこにこと頷いた。
「それにしても無事で良かったよ。ククちゃん、それにディオン君も。二人ともなんだかんだで一緒に旅してたんだねえ」
「違うっつの。今さっき説明しただろうが。俺もついこの前、こいつとたまたま会ったんだ」
「ああ、ごめんごめん。なんか顔ぶれが増えてるし、ちょっと混乱しちゃってて」
ライックは目尻を下げて頭を掻いた。
ククたち四人がここに至るまでの経緯についてライックには一通り説明したものの、随分長い話になってしまったから困惑するのも無理はなかった。
時間の経過を証明するように、窓の外は濃い夜闇に覆われ、瀟洒な宿のロビーにククたち以外の姿はなかった。
「それで、えーと、君たちは剣を探してるんだっけ? その、なんとか君を止めるために」
「クレスト。わたし、クレストを止めたいの」
「クレスト君かあ……」
ライックは腕を組んだ。
「おれは彼を見たことがないから何とも言えないけど……。彼が各地を襲ってるって話は本当なのかい?」
「確証はないが、恐らくは」
ディオンの言葉にライックは再び頭を掻きながらどこか遠くを見るような顔をして、ふっとククに視線を戻した。明るい緑色の目を細めて、少し窺うような顔になる。
「で、ククちゃんたちはここで船を探してるんだよね? でも、見つからない、と」
「そうなの。ライ君、もし誰か頼めそうな人の心当たりがあれば教えてくれないかな?」
とりあえず船がなければ始まらない。時間も惜しい今、少しでも助けが欲しいのが本音だった。
ライックは、穏やかに一つ頷いた。
「おれもまだここに来て長くはないんだけど、知り合いに気前のいい人がいるんだ。その人に頼めば用意出来るかも……」
「ほんと? お願い出来ないかな?」
「それはいいんだけど……」
ライックは突然、四人の顔を順番に見回した。
「代わりに、おれのお願いも聞いてくれないかな?」
「? お願いって?」
「実は今、人から請け負ってる仕事があって……。近くにあるリバリティの城下で探し物をしなきゃいけないんだけど、一人じゃ時間が掛かりそうだし一緒に手伝ってくれないかな? 多分、手伝ってもらえるなら日帰りで行って帰ってこれると思うんだけど……」
ライックは一同の反応を待つように、そわそわと指を組んだり外したりしている。
(みんな、色々探してるんだなあ)
そんなことを思いつつ、ククが頷こうとすると、
「僕は断る」
ここまで全く会話に参加していなかったアルスが、いきなりそう宣言した。
「誰か連れてくんだったら、杏とこの紫頭が行けばいい」
「ちょっとアルス! どういうことよ!」
「誰が紫頭だ!」
「アッ君は? あと、わたしは?」
重なる三人の声にアルスは心底鬱陶しそうな顔をしながらも、ククの方を見て言った。
「僕は島に渡る準備をする。君はその補佐。力が要る作業だから、ちょうどいい」
「あたしは嫌よ!」
バン、とテーブルを叩いて、杏里が勢いよく立ち上がった。
「こんな意味不明な連中と一緒に行けるわけないじゃない!」
「お前が言うのか、それを」
ディオンが顔をしかめる。同じく槍玉に挙げられたライックは困った顔で杏里とアルスの顔を見比べるばかりだ。
「……杏」
アルスの冷えた声が杏里を呼んだ。「な、何よ?」と少々怯んだ様子の彼女に、アルスはどこまでも感情に乏しい双眸を向ける。
「だったら杏が残って、これを行かせればいい」
これ、と指定されたククは、特にこだわりなく頷いた。
「別に、わたしはそれでもいいけど……」
「だ、駄目よそんなの!」
横合いから伸びてきた杏里の腕が、ククの頭を抱きかかえた。
「駄目に決まってるでしょ! 飢えた狼の前に兎一匹放り込んだらどうなるか分かんないじゃない!」
「誰が飢えた狼だ! あとそいつは兎っつーより狸だろ」
「うっさい! ……ああもう、いいわよ! 分かったわよ!」
何が何だか分からないが、ククの頭上から杏里のやけっぱちな声がした。
「こいつらにククを渡すくらいならあたしが行く! あんたたち、いいこと? あたしに指一本でも触れてみなさい。ボロ雑巾とも呼べないくらいズタズタにしてやるんだから!」
目を白黒させるライックの隣で、ディオンが深い――とても深い溜息を吐いた。
「金出して頼まれても触らねえから安心しろ」
夜が、賑やかに更けていく。
結局それからも(主に杏里による)騒ぎは長時間続いたが、翌早朝、杏里とディオンとライックの三人は、馬車で町を出てリバリティ城下へと向かっていった。
「アッ君、島に渡る準備って?」
三人を見送って、ククはアルスを振り返った。
補佐とは言われたものの、まだその作業内容については何も聞かされていない。勿論どんな仕事も手伝うつもりではいるけれど、一体何をするのだろう?
アルスはしばらく黙っていたが、急にその場から歩き出した。
後を追うと、着いた先は何のことはない、宿のアルスの部屋だった。女同士、相部屋のククと杏里とは違って、アルスは丸々一室を一人で使用していた。二つあるベッドの一方には分厚い本やら着替えやらが乱雑に、と言うよりはどことなく無関心に投げ出されている。
しかし、それらの荷物よりももっと目を引くものが、床の上に散らばっていた。
「これ、なあに?」
飴色の床に広げられているのは、びっしり書き込みをしてある数枚の紙と、両腕で抱えられるくらいの大きさの木箱が二つ。それに加えていくつかの工具と無数の鉱石も転がっていた。
一番目立つ木箱は二つとも天板がなく、質素な外観に反して中には細いコードやら金具やらがぎっしり詰め込まれている。
床に座り込んだアルスは、その箱を膝近くに引き寄せた。
「増幅装置と共鳴補助装置……にする予定の器。これ自体は古い観測機。これから分解して組み立て直す」
「ちょ、ちょっと待って。ゾーフクソウチと……キョーメイ、ホジョ……えっと、なに?」
「詳しく説明して理解できる脳みそが君に入っているのなら、話してもいいけど」
「う、うーん……そう言われると自信無いかな……」
「そう」
会話、終了。アルスは工具を取って箱に向かい、淡々と作業を開始する。パーツを外して、ばらばらにするようだ。
「アッ君、手伝うよ。わたしは何をすればいい?」
よく分からないけれど、これがここに残ったアルスのやるべきことならば、わたしの役目もあるのだろう。
そう思ったのだが。
「それを取って」
「え、うん」
「次はあれ」
「はーい。アッ君、これは?」
黒や銀の鉱石に交じって、一つだけ薄青に光る石があった。ククの持つ蝶の髪飾りとも似た色だ。
「魔力を高濃度で凝固させた結晶。素手で触ると爆発するよ」
「っ!」
ククは伸ばしかけていた手を慌てて引っ込めた。
と、横からアルスが手を伸ばし、青い石を拾い上げる。
「まあ嘘だけど。それより、あの紙を拾っといて」
「えっ、あ、うん」
「これは使わないから捨てる」
「分かった、ゴミ箱に入れておくね」
道具を渡す。捨てる。また渡す。
そんなやりとりがしばらく続いた後。
「あの、アッ君。……力仕事じゃないの?」
これでは全然役に立っている気がしない。
思わず問うと、
「別に……君の存在に意味は無い」
何やらとても悲しいことを言われた。
「大体、これを作るのにも大した時間は必要ないし。あの猫男に付き合いたくなかったけど、一人で残ると煩そうだったから君も適当に巻き込んでおいた」
「……それだけ?」
「それだけ」
「なんだぁ」
ククは肩を落とした。
「アッ君に頼ってもらえたのかなと思って、嬉しかったのに」
「おめでたい人間だね」
作業するアルスは、ククに顔を向けないまま言葉を続けた。
「それより、君がクレストを追いかけたい理由は何?」
「え? それは……」
唐突な質問だったが、そもそもアルスがこんなに長く会話をしてくれるのも珍しい。ククは真面目に考えて、答えた。
「放っておけないから、かな。これは前も言ったかもしれないけど……。もちろん、クレストが何か悪いことをしようとしてるのなら止めなきゃとは思うよ。だけどクレストを見てると、何だか迷ってるっていうか……不安定な感じがするの。最初に追いかけようと思ったのは、クレストが心配だったから。今はそれだけじゃないけど、やっぱり、心配する気持ちが全然無いって言ったら、それは嘘になると思う」
テトラの村で初めて会った時から、クレストはいつも落ち着いていて冷静だった。だけど、その目が時々わずかに揺れていたのをククは知っている。
確たる根拠は無い。本人に確かめたわけでも無いけれど――それでもククは思うのだ。
もしかしたら、クレストもわたしと同じなのではないかと。
自分が誰なのか、分からないのではないか、と。
「不安定な人間が心配なのは、君自身が不安定だからでは?」
まるで見透かされたようだ。
顔を上げれば、アルスは殊更に冷ややかな、いっそ責めるような視線をククに向けていた。
「他人を心配する前に、まずは自分のことをどうにかしようと思わないわけ?」
もっともだ、とは思う。けれど。
ククは俯いた。
「わたしは、わたしのことはあんまり心配じゃないんだ。記憶が戻らなくても困らないかなぁって」
「何故」
「そんなにはっきりした理由があるわけじゃないよ。でも、忘れてた方が幸せなこともあるかもしれないし、思い出したって良い未来が待ってるとは限らないっていうか……思い出せないくらいの記憶なら、最初から要らなかったものなのかなって、そう思うんだ」
「……そう」
自分自身に対しての危機感はないくせに、クレストを勝手に心配するのは押しつけがましいことなのかもしれない。だが、それがククの偽らざる気持ちだった。
ククはアルスからの言葉を待ったが、彼の関心は既に失われたものらしく、整った横顔は再び手作業へと集中していた。
だから、今度はククから尋ねた。
「ねえ、アッ君はどうしてクレストを追いかけてるの?」
返答は素早く、そして、短かった。
「別に」
「別に、って……理由はないの?」
「理由はある。それが僕の役目だから。そこに意思はない」
どうでもいい、と結んだアルスは、もうククを視界に入れようとはしなかった。
***
ひどい場所。それが杏里の感想だった。
四方を囲むのは、打ち捨てられた廃墟と忘れ去られた数多の残骸だ。そこここに薄闇を忍ばせた通りには時折思い出したように痩せた鼠が徘徊しているぐらいで、居住者の姿は無論無い。
上空を仰げば、薄曇りの空を背景に瑠璃色の外壁を持つリバリティ王城と城を囲む無数の尖塔が、今にも崩れ落ちそうな状態で辛うじてその命を永らえている姿が視界に入る。
巨大な建造物からして往事はさぞ栄華を誇ったのだろうと思われるが、その内に在るべき国家の終焉を迎えた今となっては、その荘厳さはかえって痛ましく、見る者に気鬱を与えるものになっていた。
亡国リバリティ。今やその名を大陸そのものに冠したアストリア王国に対して、統治者の座を巡り、戦い続けた最後の一国。
彼の国の名は、統一戦争から八十年以上経った現代でも人々の意識の中に根強く残っているようだ。
それもそのはずで、これだけ大きな城を持つ国だ。何かが少しだけ掛け違っていれば、今でもアストリアとリバリティが戦争を続けていたり、あるいはリバリティが大陸を統治していた可能性もあったのかもしれない。
(…………ま、意味の無い想像ね)
「二人とも、こっちこっちー」
前方から場違いに柔らかな声が上がった。
大きく傾いた建物の前で、温厚そうな男が両手を振っている。緑髪のぼさぼさ頭からは猫のような黒い耳が、背中からは同じ色の長い尻尾がそれぞれ顔を覗かせていて、男が手を振る動作に合わせてぴよぴよと軽く揺れていた。
「足下、気をつけてねー」
旧リバリティの城下町でもこの辺りは戦時の損壊が特に激しかったようで、現在も全く修繕されないまま、路上には大小の瓦礫が散らばっている。それらを避けつつ、杏里は後ろを歩くディオンと共に、緑の獣人――ライックの元へと歩み寄った。
いくらか距離を残して立ち止まると、ライックは「こっちだよ」と建物の中へ入っていく。躊躇いはあったが、迷っていてもどうしようもない。杏里もその後に続いた。
狭い屋内は元住居だろうか。外と大して変化のない瓦礫の山だったが、奥で床の一部が崩れ落ち、地階に続く石造りの階段が覗いていた。一般家庭の地下室……にしては、妙に物々しい。
「ま、待って! これ、下りるの……?」
ごく当たり前のように階段を下りていこうとするライックに、杏里は思わず声を上げた。直後、自分の声の弱々しさにはっとしたが、もう遅い。
「そうだけど……。その、気が進まない?」
ライックの気遣わしげな声に、頬が熱くなるのを感じた。
冗談じゃない。なめられてたまるもんですか。
「何でもないわよ。いいからさっさと行きなさい!」
「あ、う、うん……! 暗いから気をつけてね」
戸惑いつつも地下へ進んでいくライックの背中を見ながら、杏里は溜息を呑み込んだ。
石段を下っていくのは嫌な記憶を辿るようで恐ろしく気乗りがしなかったが、それもまた、仕方ないと言うしかない。
(……早く帰りたいわ)
能天気な少女の顔を思い出しつつ、杏里はライックを追って地下の闇に踏み込んだ。
地下への階段は思ったよりは短く、段差が終わると簡素な通路に続いていた。こちらもそれほど長さはない。行き止まりにはドアノブが壊れ、半開きになったままの扉が一つ。そこから更に奥へと進むと、今度は先ほどよりも少し広く、少し綺麗で、しかし何より大いに異様な長い通路が現れた。
白く塗られた壁の左右には、似たような鉄扉が不規則に並んでいる。横には恐らくプレートか何かが掛かっていたであろう跡だけが残っているが、その内容を察するのは難しかった。
前もって道を調べているのか、扉の他に分かれ道も多く、やたらと入り組んだ地下空間をライックは特に迷いもなく進んでいく。彼が掲げている携帯ランプは空気中の魔力を取りこんで使用するタイプのもののようだが、土地柄なのか光量はいまいち頼りなく、通路の端々には依然墨のような闇がわだかまっていた。
「随分広いな。……何なんだ、ここは」
杏里の後ろでディオンが呟く。声音には警戒心が滲んでいた。
確かに、単なる廃屋の地下室にしては広すぎる。いや、そもそもあの廃屋がこんな場所に続いていること自体がおかしいのではないか。とにかくひたすら通路ばかり進んでいるが、鉄扉の向こうには一体何があるのだろう。
「……ここは、リバリティの研究所跡地だよ」
振り返ったライックが、杏里とディオンの疑問に答えた。
「依頼主から聞いただけで、おれもあんまり詳しくないんだけど……この国、リバリティが滅ぶ前はここで色んな研究がされてたみたいだね。……その、あまり褒められたことじゃないようなものも含めて」
「褒められたことじゃないようなもの?」
思わず復唱した杏里に、ライックは困ったように眉を下げた。
「ともかく、あんまり気持ちのいい場所じゃないからさ……。さっさと目的のものを見つけて帰ろうか」
言って、ランプを進行方向に軽く振る。淡い光がぱっと散って、道の先に待つ、これまでと雰囲気の異なる黒い両開きの扉が照らされた。
「この先に珍しい素材があるみたいなんだ。ここの資源はとっくに回収され尽くしたと思われてたけど、それだけはまだ残ってるんじゃないかって、最近噂になってるらしくて」
ライックが黒い扉を開く。
中は天井の高い、広く無機質な部屋だった。
元々物がなかったのか持ち去られたのか、三方を白壁で囲んだ室内は閑散としているが、明らかに異質なものもあった。奥の壁全体が巨大な黒い扉となっていて、その左右に何か四角い、銀色の箱型の装置が埋まっているのだ。装置には青白い光が灯り、その輝きに応じるように、時折扉の表面に蜘蛛の巣のような光線が走る。広々としているわりに部屋の空気は妙に重く、べたついているように感じられた。
装置に近付いたライックの手元でランプが輝きを強めるのを見て、杏里は確信した。
「これ、魔力で動いてるのね」
室内に満ちる空気でそれと分かる程に高濃度の魔力を一体どこで供給しているのかは不明だが、膨大なエネルギーのすべてはこの装置、ひいてはこの扉のためのものだろう。
「で、これは開けられるのか?」
ディオンが問う。
扉は中央でぴったりと閉じており、指を入れる隙間もなさそうだ。そもそも開閉に魔力が働いているのなら、無闇に触れる行動自体、危険を伴うかもしれない。
かと言って装置の方を前にしても、蓋が開くでもなければ、スイッチのようなものも見つからない。触れても、指先に銀板の滑らかな質感が返るだけ。灯る光にも変化はなかった。
「うーん……これはどうかなあ」
「ちょっと、あんたがここまで案内してきたんじゃない」
「だけど、この扉については聞いてなくて……」
「どうしてそんな大事なことを聞いてないのよ!」
「ご、ごめん……!」
おろおろと謝られて杏里は肩を落とした。こんな妙な場所、さっさと用事を済ませて一刻も早く出て行きたいのに。
「あのクソガキを連れてくるべきだったな」
ぼそりと呟いたディオンに、ライックが首を傾げた。
「クソガキ? あー、ええと、アルス君……?」
「そ。本当、あの子なら多分どうにか出来るわよね、これ」
今更言っても仕方ないが、言わずにはいられない。
まだ付き合いは浅いが、その短い日々の中でもアルスの魔法の力が他人とはまるで桁違いのものであることは杏里にも十分理解出来ていた。
それに、杏里が桜花の蜘蛛の影響で糸を武器に使えるようになったのも、里を出た少し後にアルスがそう教えてくれたからだ。彼の指摘が無ければ、杏里は自身に与えられたその力に気付かぬまま旅をしていたに違いない。
そういう意味では杏里はアルスに感謝をしている――けれど。
「もしかしてだけど、アルス君って、やっぱり五勇の……?」
ライックの声に、杏里は物思いを中断させた。
「そうよ。やっぱり有名なのね」
五勇とはつまり、この大陸の支配者、アストリア王の懐刀のようなものなのだから、当たり前と言えば当たり前だろうか。
「あー、うん、まあ……色々噂は聞くから」
微妙な顔のライックに杏里はどきりとした。
先ほど頭を過ぎった光景が、今度ははっきりと像を結んだ。
クレストがゲート26を襲撃したあの夜、とにかくアルスと合流しなければと向かった王都の政務官の部屋で、見てしまったもの。聞いてしまったもの。
「噂?」
事情を知らないディオンが、扉の右側で装置を検分しながらライックを横目で見やる。
咄嗟に、杏里は手を叩いた。
「そんなことより、さっさとここを開けるわよ」
「つっても、どうやったら開くんだよ」
「あたしに聞かないでよ」
「くそ、苛々するな……」
ディオンはしばらく不機嫌そうに唸っていたが、ふと表情を明るくさせた。
「よし、壊すか」
「悪くない案ね」
こうなればやけくそである。
「え、ちょっと!」
「いくぞ!」
慌てるライックの声を無視して、ディオンが背負っていた巨大な剣を鞘から取り出した。分厚い刃を振りかぶり、そのまま装置に振り下ろす。
重々しい衝撃と轟音が部屋を揺らした後――
ビビッ。
機械が奇妙な悲鳴を上げ、割れた基盤からしゅうしゅうと白煙が激しく吹き上がった。遅れて、扉の内側から何か重いものが外れるような、ガコンという音がした。
「あーっ!」
ライックが破壊された装置に駆け寄る間に、杏里も腕を掲げ、指先に意識を集中させた。
眼帯で覆った右目の奥が熱を持ち、桜花の里で前にした、あの巨大な蜘蛛の姿が脳裏をちらついた。
もうこの世に存在しない蜘蛛と、自分に残されたこの力。今もどこかで繋がっているというその感覚は、不思議と不快なものではなくて、むしろどこか温かい懐かしさを伴っていた。
身体を巡る力を逃がさないよう慎重に指を内に折ると、輝く白糸の束が手の中に納まる。
これが、今のあたしの武器だ。
杏里は形成した鞭を振るって、残る左側の装置に叩きつけた。
ビーッ。
再びの断末魔。ディオンほど深い傷は残せなかったが、装甲の表面に放射状の亀裂が走り、宿っていた光が沈黙した。
「さて、とりあえず壊したわね」
「ああっ! うわああ……君たちは何て恐ろしいことを……」
ライックは二つの装置の狭間でおろおろしていたが、やがてがっくりとしゃがみ込んだ。
「こ、この仕打ち……おれの考えてたお手伝いじゃない……」
「うるさいわね。あんまりごちゃごちゃ言ってると、あんたも引っ叩くわよ」
これで、と手の中に残る鞭を示すと、ライックは震え上がり、閉じたままの扉に背中をべったりと張りつかせた。
「や、やめてよ! おれ、そういう趣味は……うわあああっ」
突然、巨大な扉が音もなく左右に開き始め、寄りかかっていたライックがそのまま後ろ向きにひっくり返った。
「……うそでしょ」
その様を正面から見守りながら、杏里は自分の顔がどんどん引き攣っていくのを感じていた。隣で同じく立ち竦むディオンも、きっと似たような表情を浮かべているのだろう。
「わっ、開いた……? やったあ!」
ただ一人喜色を浮かべたライックも、その喜びようは振り返るまでの間だけだった。
「え」
扉の先で待ち構えていた魔物の姿に杏里は頭を抱えたくなる。
これが何かの縁だとしても、もはや嬉しくもなんともない。今もどこかで繋がっている? 冗談じゃない!
「やっぱり、二人と一緒に残りたかったぁ!」
巨大な蜘蛛の化け物を前に、杏里は心から嘆き、叫んだ。




