第12話
景色を見ていた。暗く曇ってわずかに赤みがかった、時の分からない空。その下に連なる黒々とした山脈のシルエット。動くものは何も無い。ここから見る外界はいつも変わらず、停滞している。まるで、それが与えられた定めのように。
「よっ、お疲れさん」
軽薄な声に振り返り、クレストは目を細めた。
「……用件は」
「冷たいなー。あのお姉様みたいに優しく接してくれよ」
室内の明かりを背負ってバルコニーに現れた一つの影。
こちらに近付き、薄笑いを浮かべて覗き込んでくるのは、瞳も髪も黒い長身の若い男だった。見慣れた姿ではあるが、その身から立ち上る死肉の臭気は何度相対しても到底慣れるものではない。
吐き気で渋面を浮かべるクレストに構わず、男は素早く腕を伸ばすと、傍らの黒い剣を掠め取った。
「貴様……!」
「怒るなよ、これは元々俺のもんだろ。つか、あんま乱暴な使い方すんなよなー。こいつは意外に繊細なんだ」
男は笑って、雑な手付きで剣を肩に担いだ。
「持ち主の俺様直々に手入れしてやるんだから感謝してもらいたいくらいだぜ。ほら、その間はこれでも使っておきな」
そう言って軽く屈んだかと思うと、男は短い黒髪を揺らして背を伸ばし、再び室内へと戻っていった。
クレストは、視線を落とす。
男が床に残したものは無闇に豪奢な短剣だった。彫りの装飾が入った鞘を払えば、銀色の刃にはそれなりの厚みがあったが、武器として実用性があるようには見えなかった。
恐らく祭事にでも用いる、お飾りの剣なのだろう。
クレストは拾い上げた短剣を床に叩きつけた。
「……ふざけるな……!」
怒りで呼吸が乱れ、肩が上下する。持て余すほどの苛立ちが、その原因を明確にしないまま胸を激しく揺さぶっていた。
俺は何に対して憤っているのか。自問し、答えを掴もうとしても指先は空を切るばかり。ただ、自分でも制御不可能な衝動だけが増幅し、クレストを怒らせ、惑わせていく。
「……っ、くそ……!」
頭が痛い。思い出せ、思い出せ、思い出せ。頭蓋の内側で、責め、追い立てるような声が反響する。
薄目を開くと、ぼやける視界の中、投げ捨てた刃が鈍く光を帯びているのが目についた。
何の意味もないことだとは知りつつも、クレストはその刃に向かって、これまで何百、何千も繰り返した問いを今また再び投げかけた。
「俺は、誰だ……?」
答えは返らず、汚れた空もまだ動かない。
***
錆びた線路は緑の草原を切り開いて、どこまでも長く続いている。その上を三両編成の小柄な列車が、さして切実さを感じさせない速度で走行していた。
雲一つない空から落ちる春の陽は、鈍色の車体もその足元の草花も、すべてを平らかに、またどこか眠たげに照らしている。
いびつな菱形状の大陸、アストリア。
その北西には広がるのは旧リバリティ王国領土だ。今から八十年以上前、長きに亘って争い続けていた敵国・アストリアの手によってとうとう滅びを迎えたリバリティも、かつては栄華を極める大国だった。その科学や技術の発展は周囲の小国の追従を許さず、最大の敵であったアストリア王国にとっても、最後まで大きな脅威として捉えられていたようだ。
この魔動式無人列車もまた、そんな亡国リバリティの遺産の一つだと言われている。
「わああ、すごいねえ。どんどん進むし、風が気持ちいいし、緑だし! ね!」
「うるせえな……。っつーか、何なんだその頭の残念な感想は。お前には情緒という概念がないのか?」
窓から身を乗り出すククに、背後から呆れた声が返った。
車内に体を戻せば、通路を挟んだ反対側の席からディオンが冷ややかな表情でこちらを見ていた。
「それ以上脳みそを落とす前にもう少し落ち着けよ」
「だって、すごいものはすごいよ」
記憶がなくなる前のことは分からないが、少なくとも今のククにとって列車に乗るというのは初めての体験だった。こんな便利で面白い乗り物、興奮するなという方が無理である。
古い車両は時折不安定に揺れることもあったが、気になる程ではなく、乗り心地は悪くなかった。……が。
「ううう……」
ククは座席に膝立ちになり、後ろのシートを覗き込んだ。
「杏里ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫じゃないわ……死ぬ……」
座席にぐったりと身を沈めた杏里は、乗車していくらも経たない内からずっとこの調子だ。眼帯をした顔は、今や埃の積もった床に負けずとも劣らない白さになっている。
「杏里ちゃん、馬車では酔わないよね?」
「あれは生き物が引っ張ってるからいいのよ……」
「そういう問題なの?」
「ていうか……この列車、何でこんなボロボロなのよ」
「確かにちょっと古いよね」
「激しく古い上に、汚い、よ。もう……」
杏里がそう言うのも無理はなかった。
元々リバリティ国の所有物だった列車は現在ではアストリア王国の管理下に置かれている。とは言え、その整備は最低限しかされていない様子だった。それというのも、戦後は東方――大陸の統治を担う首都アストリアの近郊に人口が集中しているからだろう……と、本で得た知識を元にククは結論付けていた。
掃除すら満足にされていない車内は確かに多少不衛生だが、そもそも動くだけマシというものなのかもしれない。
何より、あまりのんびりしてはいられなかった。
ククはディオンの横顔に目を向けた。
クレストが有する黒い剣。ディオンの剣はその対の存在だという。今はディオンの手から離れている彼の剣をクレストに先んじて手に入れることが、ククたちの当面の目的だった。
ディオンは多くを語らなかったが、剣の場所については心当たりがあるという。
曰く、剣は海の向こう――だそうだ。
やがて列車が止まったのは、無人の小さな駅だった。
「ここが目的地?」
駅とは名ばかりの木造の歩廊は半ば雑草に覆われ、自然の一部に還りかけている。近くに町はなさそうだ。
「いや、ここからは歩きだ……っつーか、歩くしかねえんだよ。ほら」
後から下車したディオンが腕を上げる。彼が指差す先を追うと、草むらの中、鈍色のレールが宙に向かって身を捩るように大きく歪んでいるのが見えた。
「大昔の戦で壊されたんだろうな。これ以上先には進めない。で、ちなみに、あれがリバリティの元首都だ」
寸断された軌条から遠く離れて、彼方に灰色の城壁が聳えている。その更に向こうには無数の尖塔と、ひときわ目立つ群青色の高殿が小さく小さく確認出来た。あれが王城だろうか。
「あそこって、まだ誰か暮らしてるの?」
まだ乗り物酔いを引き摺っているらしい杏里が、膝に手をつきながら、うろんな視線をディオンに向けた。
「城下は一応機能してるが、治安は悪い。まともな人間はまず出入りしないな」
「そんなとこに向かうわけ?」
「いや、違う。向かうのは別の場所だ」
ディオンは淡々と答えている。ディオンと杏里は出会い頭こそギスギスしていたものの、ここ数日で普通に会話する程度には仲良くなったようだ。
しかし、ククがほっとしかけたのも束の間、視界の端に足早に歩いていく少年の姿が映った。
「アッ君、待ってよー!」
アルスは勿論振り返らないし立ち止まらない。
その距離は未ださっぱり縮まらないままだ。
呆れたように顔を見合わせるディオンと杏里の二人と共に、ククはその背中を追って走り出した。
無人駅から二時間程歩いて到着したのは、海岸沿いに広がる穏やかな町、サラノだった。
かつてのリバリティ首都からそう離れてはいないものの、漁業に向かない北の海に臨むその町は、その悪条件がむしろ幸いしてか、先の戦乱の爪痕も薄いようだ。
町並みはこじんまりしているが華やかで、港に向かう大通りには年季の入った、けれど色鮮やかな家屋が並んでいる。まるで絵の具箱をひっくり返したように鮮やかな景観だ。
「なんだか不思議なところだね」
ククが呟くと、同じく周囲を見回していた杏里が振り返った。背負った大きな荷物が、がちゃがちゃと音を立てている。
「ここって有名な画家とか彫刻家とか、とにかく芸術家の家系が多い町なんですって」
「そうなの?」
「旅行本に書いてあったのよ」
よく宿で本を読んでいる彼女は得意げにそう言ってから、身を屈めてククの耳元に唇を近付けた。
「リバリティの城下で暮らすのは俗物っぽくって癪だけど、都会から離れるのはもっと嫌……って感じの人間が集まって出来た町、とも書いてあったわ」
「そういうものかなあ」
「まあ、その歴史も敵の侵攻から逃れた理由の一つだろうな」
しっかり二人の会話が聞こえていたらしいディオンが、どうでもよさそうに付け加えた。確かにこれが芸術家ではなく武器職人や魔法使いたちが集まる町だったら、今の事情も変わっていたかもしれない。
坂道や階段の多い路地は主に白い石畳で舗装されていて、ところどころによく手入れされた美しい花壇が設けられていた。
杏里の言う芸術家たちの住居だろうか、大きな屋敷がいくつも並ぶ住宅街を抜けると、突然ぱっと視界が開けた。
「……海!」
正面には階段状の波止場が続き、その向こうに灰色の海が広がっていた。
様々な情報から想像していた青い海とは若干異なってはいるものの、ククにとってはこれもまた初めて目にする光景だ。
銀色の海面は大小の波を作って波止場に打ち寄せては引き返していく。空は晴れているが、水平線は霧がかって遠くまで見通す事は出来なかった。
「ねえ、ディオ」
ククはディオンを見上げた。
町に着く直前、彼が言っていたことを思い出す。
「この海の先にある無人島に、ディオの剣があるんだよね?」
「そのはずだ」
とは言うものの、島影の一つとして、ここからでは見つからない。これからこの海を渡って島へ行くのだと言われても、実感するのは難しかった。それに問題もある。
「……わたしたち、船、持ってないよね」
根本的な、大問題だ。
「どこかに頼む必要があるな。……っつっても」
波止場を見渡したディオンが表情を曇らせた。
「借りれるのか? これは」
港にはいくつかの古そうな小型船が停泊しているものの、周囲に人気は無く、他の船が海に出ている様子もなかった。
「でも、そうしないと海には……」
そんな話をしている間に、緩やかな石段を淡々と下りていく人物がいた。
アルスだ。
「アッ君、もしかして何か心当たりがあるの?」
無視を覚悟で呼びかけると、意外にも彼は立ち止まった。
音もなく振り返り、アルスは涼しい顔で答える。
「皆無」
そして再び背を向けると、海原の手前に佇む小屋に向かい、歩いていく。
残された三人は顔を見合わせた。
「……とにかく、わたしたちも行こっか」
そう言ってはみたものの。
波止場には数軒の小さな番屋が建っていたが、訪ねども訪ねどもひたすらに無人で、現在使われているのすら定かではない有様だった。
半ば諦めかけた四軒目。戸を開くと、初めて人の姿が見つかった。しかしククが酒瓶を抱えた男に海に出たいと伝えると、相手は鼻で笑ってみせた。
「なんでまた。魚釣りなら無駄だぞ」
「釣りじゃなくて、北の方にある無人島に行きたいの」
「島ぁ? ああ、アレか」
だったら余計無駄だ、と男は笑った。
「運が良けりゃ、遠目に見えるくらいまでは近付けるだろうがよ。諦めた方が無難だな」
「上陸できないのか?」
「ああ、もう今は無理だ」
「今は、ってことは、昔は行けたの?」
問うククにちらっと視線を向けてから、男は瓶から直接酒をを呷った。虚ろな目を床に向け、日に焼けた顔に嘲笑とも苦笑ともつかない表情を浮かべる。
「……いつかの戦争で、あのあたりの海底に妙な兵器を沈めたんだと。んで、その影響で年々海流が歪んでるってわけだ。そりゃあ元々大して漁は栄えちゃいないが、それでも爺さんの代の頃は一応魚は取れたんだ。でも、それも今ではすっかりだよ。……あの島に何しに行きたいんだが知らねえが、恨むならリバリティの王様を恨んでくれ……って、もう死んでるけどな」
「やっぱり駄目だったわね」
杏里の残念そうな声が、日暮れの港に響く。
その後も周囲を回ってはみたものの、結果は見事に収穫無しで、船の調達は出来なかった。
空は刻々と暗くなっていく。
ククは三人の顔を見回した。
「とりあえず、今日は宿に行かない?」
「……だな。これ以上ここにいてもしょうがない」
町中へ向かって歩き出す。大通りに戻ると、港の閑散っぷりが嘘のように人で賑わっていた。
「だけど、これからどうするのよ」
宿を探しながら、杏里が唇を尖らせる。
ククは遅れてついてくるアルスを振り返った。
「ねえ、アッ君。近くに他の港町ってないのかな?」
「無い」
アルスは即答した。
「昔まともな港があった町はここより荒れてて使い物にならない」
「それも戦争の影響ってことだよね」
あまり実感はなかったが、八十余年前にあったという戦は、今もこの周囲の地方に多大な影響を残しているらしい。
「っていうか、島に行けないって……大体あんたはどうやって剣を置いてきたのよ」
それはククも気になっていた。
「たまたま行けたんだよ、その時は」
「それってこの港から?」
「多分。随分前だからよく思い出せん」
「何それ。なーんか怪しいのよね、あんた」
杏里ほどはっきりとした不信感を抱いているわけではないが、ククもディオンの話には多少引っかかるところがあった。ただ、彼が悪意で嘘を吐いているとも思えない。きっと何か詳しく言いたくない事情があるのだろう。
「俺は怪しんでもらっても構わないぞ」
ディオンが揶揄するように声を上げた。
「元々お前らと一緒に来たかったわけじゃない。怪しいと思うなら、ここで別れたらいいだろ」
「そこまで言ってないでしょ! 大体あんたは……」
「ねえ、二人とも。それよりお腹減らない?」
ククは、杏里とディオンの間に割り込んだ。
「ここって何が美味しいんだろうね」
「あんたねえ……」
杏里は呆れた表情を浮かべながらも、ククと歩幅を合わせて考え始める。その後ろには我関せずのアルスと憮然としたディオンが続いた。
宵の口の町はまだまだ賑やかな喧騒を抱え、露店の並ぶ通りには多くの人々が行き交っていた。
「そういえば、ここには珍しい果物があるみたいよ。えっと、なんて言ったかしら。確か……」
明るく話していた声が不意に途切れて、ククは杏里の顔を覗き込んだ。
「杏里ちゃん、どうしたの?」
「あ、ううん。……獣人、初めて見たからちょっと驚いたの」
彼女の視線の先を辿っていくと、人混みの中、周囲の人より少し高い位置にある緑髪の頭と、そこから飛び出す黒い三角の耳が見えた。
(あの人、どこかで……)
人波が動いて、男の顔がはっきり見えた。
「あ」
思わず立ち止まったククの背に、軽く何かがぶつかった。体勢を崩したディオンが、よろめきながらククの肩を掴む。
「お前、急に止まるなよ」
頭上から文句が降ってきたが、それどころではなかった。
「ライ君!」
叫んだ声は、相手に届いたらしい。
立ち止まり、振り返った男が軽く目を見開く。
「ククちゃん! それに、ディオン君……!」
黒い耳と同じ色の長い尻尾を揺らしながら、男――ライックはこちらに駆け寄ってきた。




