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refrain  作者: 水幸
第三章 巡る星は夜明けに重なる
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第10話

 夜も深まり、じきに日付も変わろうかという頃。

 宿舎で仮眠をとったディオンは、リックや数人の男たちと共に町の入り口近くの守衛所に寝ずの番として詰めていた。


 大きな町の大半がそうであるように、この地もまた四方を高い外壁で囲み、巨大な門扉によって魔獣や野党といった外敵からの守りを固めていた。

 そのため夜間における町の出入りは原則制限されているのだが、のっぴきならない事情で夜闇の中を駆け込んでくる旅人というのもたまにいる。

 そうした来訪者を検分し、問題なさそうであれば町へ迎え入れてやるのが、今夜のディオンの仕事だった。


 守衛所は外壁に組み込まれる形で設けられ、出入口は二カ所。片方の扉は町の中、向かい合ったもう片方の扉は町の外に続いている。外からの来訪者があれば、まず外壁の上にいる物見の番兵から連絡が入るので、相手の事情を確認した上で守衛所を通らせて町へ入れるか、そうでなければ追い返すかを判断することになっていた。

 万一不審な人間がやってきた場合は、守衛所を開けずに町の警備本部に伝えて人を呼ぶようにとも言い含められているので、見張りとはいえ比較的穏やかな……と言うよりは、些か弛んだ空気が詰め所には満ちていた。



「なあディオン、こんなとこで働いてたって、お偉いさんの目には止まらねえよなぁ……。はぁあ……すっごいテンション下がるわー俺……」


「さっきからうるせえな」


「そんなこと言うなよなぁ。あーあ……」


 長机に突っ伏してぼやくリックに、ディオンは先ほどから苛々させられっぱなしである。

 守衛所に詰める五人の見張りの内、ギルドから派遣されてきたのはディオンとリックの二人だけだ。他は自警団の町民ばかりだからか、暇を持て余しているらしいリックは度々下らない話題をディオンに振ってくる。


「っつーか、嫌なら引き受けなけりゃよかっただろ」


「いやぁ、つい。目の前で金の話をされるとフラフラしちまうんだよなあ、俺ってば」


「知らねえよ」


「おいおい、冷たいな~。あ、そういやお偉いさんと言えば、ちょっとアレな噂を聞い……」


「守衛所。二人、来訪者のようです」


 リックの声に被さって、壁に埋め込まれた金属管から物見の報告が発せられた。片隅で居眠りをしていた自警団の男がびくりと震えて体を起こし、他の者たちも顔を見合わせている。

 誰も動く様子がないのを見て、一番金属管に近い場所にいたディオンは、仕方なく声を返した。


「様子は?」


 物見はしばしの沈黙を挟んで答えた。


「それが……恐らく、子供のようです」


「子供?」


「ええ、二人とも。こちらから声を掛けているのですが、手振りで通せと伝えてくるばかりで話にならず……。そちらで事情を聞いてもらうか、本部に連絡してもらえませんか?」


 外から大声が聞こえてくるのは、物見が呼びかけているという声だろう。ディオンは男たちを振り返った。


「おい、どうする? 怪しくないか?」


「つってもガキだろ? 本部に連絡するまでもないって」


 肩を竦めて笑ったリックは、さっさと外に出ていってしまう。他の男たちは、なおも判断しかねているようで動かない。

 面倒臭い、とは思ったものの。結局ディオンもリックの後を追うことにした。



 分厚い金属の扉を開くと、顔にぬるい風が吹きつけた。

 町から届く明かりで、周囲はそれほど暗くない。

 二つの小さな影は、外壁から少し離れたところに立っていた。どちらも厚手の外套に身を包み、フードを深く被っているが、衣服から覗く手足の細さは明らかに大人のものではなかった。


(確かに子供、か……)


 だが、何か嫌な予感がした。


「おーい。お前ら、家出少年か?」


 胸騒ぎの正体に思いが及ぶより早く、リックが彼らに歩み寄る。一人が顔を上げ、フードの下から瞳が覗いた。


 金の、まるで獣のような目。


 瞬間、ディオンは剣を抜いて叫んだ。


「止まれ!」


「ヴィヴィリア、始めろ!」


 ディオンの静止に重ねるように声を上げ、金の目の少年が振り返った。その勢いでフードが外れ、隠れていた鳶茶色の髪と不相応に大人びた面差し――クレストの相貌が露わになる。

 しかし、突然の邂逅に驚いている暇はなかった。

 クレストに呼ばれたもう一人が外套を打ち捨て、放たれた矢のような勢いでこちらに突っ込んでくる。進行方向に立っていたリックが弾き飛ばされ、地面に転がった。

 全く勢いの衰えないまま、小柄な影がディオンに肉薄する。


 相手は、オレンジの髪と黒い目隠しの布を靡かせた、年端のいかない少女だった。


「……くっ」


 ディオンが咄嗟に構えた大剣は、少女が両手に持った何かに強く弾かれた。少女はなおも止まらず、痩せた体を翻しながら、再び突っ込んでくる。懐に入られそうになるのを、腰を落としてなんとか正面から受け止めた。

 そこでようやく、ディオンは少女の両手にナイフが握られていることを確認した。夜襲用にか、黒く塗装された刃からは赤い血が滴っている。恐らくリックのものだろう。倒れた彼は、未だ視界の端で動かない。


「くそ……っ」


 ディオンと絶対的な体格差があるにも関わらず、大剣にナイフを打ちつける少女の力は信じがたいほど強かった。それでも力任せにナイフを叩き落とそうとすると、今度は蝶のようにひらりと逃げてまた別の角度から素早く斬りかかってくる。まるで手練れの暗殺者だ。


「クレスト、行って!」


 少女の甲高い声を受け、クレストが守衛所に向かって走り出す。ディオンの横を駆け抜ける一瞬、やはりお前か――そう呟く声がした。


「っ……」


 暗殺者もどきの相手で手一杯のディオンは、横目で守衛所を確かめ、思わず舌打ちした。扉が開いている!

 中からこちらを窺っていた自警団の男が慌てて扉を閉めようとするが、それより早く、クレストが放った礫が男の額に命中した。倒れる男を踏み越えて、クレストの背が守衛所の中に消える。


「邪魔だ……!」


 ディオンが剣を振りぬくと、少女は後方、剣の間合いの外まで飛び退った。

 守衛所から短い悲鳴が上がったかと思えば、ぷつりと消える。この状況で物見は一体何をしているのか。ディオンは外壁を見上げたが、そこに人の姿はなかった。


「見張りの人なら、もういないよ!」


 奇妙に明るい声で少女が宣言する。

 黒い目隠しの下の唇が、大きな弧を描いていた。


 よく見れば、少女は貧相な子供の体躯に不釣り合いな、露出度の高い、と言うよりはほとんど裸に近い恰好をしていた。素肌に直接巻いた腰のベルトには大小無数のナイフが下がっているが、綺麗に並んだそれらは何本かが歯抜けになっているようにも見える。


 足りないナイフの行方と、姿の見えない見張りたち。何が起きたのかを薄々察しつつ、それでもディオンは混乱した。こいつらは町に「忍び込む」のが目的ではなかったのか?


「お前らは、一体……」


「どうして驚いてるの? 見張りの人にも伝えたつもりなんだけどな。扉を開けてほしいって」


 背後から上がった重々しい音に、ディオンは体を強張らせた。

 振り返れば、外壁の大門が内側に開きつつあった。そこからクレストたちが何を迎え入れようとしているのか、答えはすぐに出た。


 四方に開けた広い草原。

 その彼方が不意に騒ぎ出す。

 唸り、遠吠えを上げながら、狼を思わせる魔獣の群れが町を目指して疾駆していた。その数は二十、いや三十以上か。


「それじゃあ、ヴィヴィももう行くねっ」


 少女が開いた門から町の中へと走り去る。

 後を追うのは諦めて、ディオンは大剣を背負い、倒れたままのリックに駆け寄った。


「おい、生きてるか?」


「っ、あ……」


 意識は曖昧なようだが、息はある。脱力した体を肩に担ぎ上げ、ディオンは走った。

 背後に魔獣の気配が迫っているが、振り返る余裕はない。守衛所に辿り着き、扉に手をかけると、飛びかかってくる影が視界を掠めた。


「……っ、……」


 獣の鼻先で扉を閉ざし、ディオンは荒い息を吐きながら室内を見回した。赤黒い飛沫が床や壁に散っている。狭い部屋のそこここで人が倒れていた。呻き声を上げている者もいれば、ぴくりとも動かない者もいる。

 ディオンはその場にリックを横たえた。出血は少ないものの、命に別条がないかの判断は下せなかった。化け物のようなあの少女なら、たった一撃で相手の臓器を的確に潰していても不思議ではない。

 そう、あれは何か、そういう規格外の生き物だった。


「すぐに誰か寄こす」


 意識のない相手にそれだけ言って、ディオンは立ち上がった。




 守衛所の扉から一歩町へ出ると、辺りは既に大騒ぎになっていた。


「た、助けてくれぇ!」


「いやあああ!」


 悲鳴。怒号。走り回る足音。何かが倒れる音。また、悲鳴。

 秩序を失った人々が一帯に溢れかえっていた。

 混乱状態の合間を侵入した魔獣たちが駆け巡り、逃げ遅れた人間に無差別に襲いかかっている。助勢しようにもこんな状態の場所で剣を振るうことは不可能だった。

 外の騒ぎを聞きつけた家々が窓を開けては、混沌の上に新たな悲鳴を重ねていく。外界と町を隔てていた巨大な門は大きく開け放たれたまま、ディオンの前に暗い夜空を晒していた。危惧していた獣の増援は見えないが、どのみち門は一人では閉ざせない。今はこのまま放置するしかないだろう。


 いつしか町の中央から激しい鐘の音が鳴り響いていた。

 非常事態を告げる耳障りな音に顔をしかめながら、ディオンはわずかに俯いた。


 完全なる想定外だったクレストとの邂逅は、恐らく相手にとっても意外な、単なる偶然だったのだろう。だから本来ならば、これ以上関わる必要などない。面倒に巻き込まれる前にこのままそっと町を離れることだって今なら十分可能だった。

 しかし、その選択肢を遠ざけるものを、出来るなら目に入れたくなかったものをディオンは見た。見てしまった。


「クレスト……」


 あの男は、一体何者だ?


***


 胸が騒いで眠れない。


 ククは、腰掛けた出窓から町の明かりを見下ろしていた。

 もうじき日付も変わろうかという時間なのに、見下ろす広場には沢山の人影が見えた。皆、式典前の祭りを楽しんでいるのだろう。窓を閉め切っていても、笑い合う声がかすかに聞こえてくる。

 その明るい空気から距離を置いて、ククはここ数日で何度も繰り返してきた自問を再び手元に取り出した。


 もし、本当にクレストが現れたなら、わたしはどうするんだろう。彼に、何を言えばいい?


 床に目を落とす。豪奢な絨毯の上に横たえられている、鞘に収まった細身の剣。この町に到着してすぐ、ククが自分で調達した武器だった。

 こんな物騒なものが必要になる機会など、永遠に訪れなければいい。そうはっきりと願う反面、拭いきれない不安が過ぎる。


 もしも再びクレストがククの目の前に現れて、あの時と同じように、彼が自分の目的のために誰かが傷付くことを良しとするのなら。あるいは、彼自ら誰かを傷付けようとしたのなら。

 その時は、きっと……。


「……?」


 背中を実態のない手で撫でられたような感覚に襲われて、ククはその場に立ち上がった。

 室内を見回しても何ら変化はない。近くのベッドでは杏里がこちらに背を向けて眠っていて、不在続きのアルスが現れる気配もなかった。

 昨日ともその前とも、いつもと変わらない夜の風景なのに、胸騒ぎは収まらない。どころか、いっそ予感とも呼べるようなものに育ちつつあった。


 しばらく躊躇った後、ククは拾い上げた剣を腰のベルトに吊り下げた。杏里を起こすべきかどうか。これも少し迷ったが、何か確信があることではない。

 ククは一人、足音を忍ばせながら部屋を出て、長い廊下の奥へと向かった。



 廊下の突き当たりにある素っ気ない鉄扉の先は、非常用の外階段だった。下りた先はホテルの裏口で、積み上げられた廃材やゴミが夜闇に悪臭を添えている。

 祭りの喧噪がまるで別の世界の出来事のように遠く、けれど確かに届いてくるのが、かえって人気のなさを強調していた。


 ククが階段を下り切ったのと、建物の影から少年が姿を現したのは、ほとんど同じタイミングだった。


「……クレスト」


 ククの呼びかけに、少年は金の瞳をわずかに見開いた。


「ここで何をしている?」


「クレストこそ。……わたし、クレストを探してたんだよ」


「お前には関係ないと言ったはずだが」


 そう言い切るクレストからはどんな感情も窺えなかったが、ククは視線を逸らさなかった。


「そうかもしれないけど、でも……」


 自分の心の中で一番大きな声を上げている気持ちを取り出して、ククは答えた。


「なんだか放っておけない気がするから」


「何だ、それは」


「……分からない。だけど、わたしには、クレストが不安そうに見えたから」


 そうだ、そういうことだったんだ。

 口にして初めて、ククは自身の動機を理解した。

 クレストを前にして感じる違和感。それは人を突き放すような態度や言動とは裏腹に、クレストの目の奥に、恐らく彼自身気付いていない、不安定に揺れる感情の色を垣間見るからだ。


「だから、クレスト……」


「不安? 俺が?」

 ククの言葉を遮り、クレストが嗤った。

「俺に迷いなどない。お前には分からないか?これが不安な男のすることかどうか」


 クレストが腰に下げた剣を抜く。

 黒い鞘から出でた刀身は、鞘よりもなお黒かった。闇色に塗り潰された剣はともすれば夜に溶けそうで、その実、異質な存在感を放っている。

 ククは空を見上げた。

 温い風に乗って、歪な気配が渦巻いている。強烈な悪意と殺意がこちらに向かってくるのを感じた。


「クレスト、どうして……」


 剣を抜き、それでもククは問いかけた。


***


「クークー? って、こんなところにいないわよね」


 カーテンから手を離し、杏里は室内を見渡した。

 夜中にふと目を覚ませば、ククの姿がどこにもなかった。それでも最初はトイレか風呂、そうでなければ隣のキッチンで夜食でも摘まんでいるのだろうと思ったのだが、なかなか戻らない彼女を探してみれば、その姿はどこにも見つからず。


「どこ行ったのかしら……」


 窓から広場を見下ろしてみるが、やはりククらしき人物は発見出来ない。

 不安に駆られた杏里は寝室の隅に積んだ大きな荷物の中から自前の長刀を引っ張り出すと、着替えもそこそこに部屋を後にした。



「ねえ、ちょっといいかしら」


 昇降機でロビーに降り、近くを歩いていた従業員を捕まえる。

 何度か顔を合わせたことがある、少し神経質そうな若い男だ。


「あの、あたしと一緒に泊まってるククって女の子を知らないかしら?」

 少し考えて、杏里は付け加える。

「それか、アルスの居場所でもいいんだけど」


 はあ、と男は不審げな表情を浮かべた。


「クク様のことは存じ上げませんが、アルス様なら……」


「知ってるの?」


「ええ、まあ」


 妙に煮え切らない。まるで杏里自身に答えを言わせようとしているようだ。何、と苛立ちながら先を促すと、男は妙に居心地の悪そうな笑みを浮かべた。


「アルス様なら、今日も六階のツィフ様のところにいらっしゃると思いますが」


「ツィフ? ……ああ、政務官の?」


 横幅の広い、偉そうな男を思い出す。

 彼は杏里たちに――もといアルスにこのホテルの最上階を譲った王都の権力者であり、迫る式典の賓客だ。杏里はこの地を訪れた初日以来顔を見ていないが、アルスが彼のところにいるということは、式典の打ち合わせでもしているのだろうか。


(それならそれで、そう教えてくれてもいいじゃない)


 連絡無精を極める少年に杏里が呆れかけた時。

 場違いに耳障りな鐘の音が響き渡った。


***


 夜を引き裂くように、激しい鐘の音が響き渡っていた。先ほどまでの祭りの喧騒とは全く種類の異なる騒乱が、四方から聞こえてくる。

 そこには人々の悲鳴も混じっていた。


「クレスト…………」


 ククは、クレストの瞳を正面から捉えた。何をしたの。そう短く問うと、相手はあしらうように鼻を鳴らした。


「すぐに分かる。それよりも、そこを通してもらおうか」


 有無を言わせぬ声音だったが、ククは首を振り、告げた。


「探しものなら、ここにはないよ」


「何……?」


「クレスト!」


 訝しげに眉をひそめたクレストの背後から、場違いに明るい声が飛び込んできた。

 不吉に瞬いた光に、ククは咄嗟に飛び退いた。

 途端、一拍前まで立っていた位置に、無数のナイフが流星のように降り注ぐ。

 地面に突き刺さった殺意たちから視線を剥がし、ククはとうとう剣を構えた。


「誰!?」


 路地裏の闇に呼びかける。

 姿を見せたのは、唇に笑みを浮かべた少女だった。痩せた体つきを隠さない道化師のような衣装で、両の瞳を黒い眼帯で覆っている。背はクレストよりも少しだけ高いが、歳は彼と、そしてククともそう変わらないくらいだろう。


「待て、ヴィヴィリア」


 今にもククに向かって走り出しそうな少女を、クレストが軽く腕を上げて制した。その体勢のまま、低い声がククに問う。


「先ほどの言葉はどういう意味だ」


「そのままの意味だよ」

 ククは答えた。

「クレストがこの町で何か重大なことがあるんじゃないかとか、何か大切なものが隠されてるんじゃないかって思ってるなら、それはただの勘違いだから」


「俺をおびき寄せるため、お前が仕組んだということか?」


「……そうだよ」

 ククは頷き、クレストに一歩、歩み寄った。

「とにかく、クレストが探してるようなものはここにはないよ。だから……」


「なーんだ、ここには剣は無いの?」

 ヴィヴィリアと呼ばれた少女が、再び無邪気な声を上げた。

「だけど、それならもう一つのお役目を果たすだけだよね!」


「役目?」


 混乱するククの顔が面白いのか、ヴィヴィリアはますます愉快そうに笑った。


「そう! クレストとヴィヴィはね、アストリアの偉い人たちを殺すんだよ! 生きてたらいつか絶対邪魔になる存在だから、今のうちに始末しちゃうの。そうだよねっ、クレスト!」


「何、を……言ってるの? あなたたちは何を……」


「ああもう、うるっさいなあ! ねえクレスト、こんな子放っておいて早く行こ! ほらっ!」


 そう言うや否や、両手にナイフを構えたヴィヴィリアがククへと一直線に突っ込んできた。

 剣を振る暇もない。相手の一撃をククは横っ飛びに回避する――が、ヴィヴィリアも素早く追従してきた。

 振られる細い腕。鼻先に迫るナイフにククが息を詰めた、その時。


 ヴィヴィリアの腕が、止まった。


「いたっ、何これぇ……!」


 振り上げた腕をそのままに、ヴィヴィリアが忌々しそうに唇を歪める。少女の手首に絡みつき、その動きを封じているのは、細く透き通った糸だった。

 空中で煌く糸筋の先を追い、ククは先ほど自分が下りてきた、ホテルの非常階段を仰いだ。


「クク、無事ね? ったく、心配したわよ」


「杏里ちゃん、アッ君!」


 三階と四階の間の踊り場に、杏里とアルスが立っていた。

 ヴィヴィリアの腕に絡む糸は、杏里が軽く掲げた掌に繋がっている。一体どういう理屈のものなのかは分からないが、今はそれよりも先に確認すべきことがある。

 ククは素早く問いかけた。


「杏里ちゃん、表の状況は?」


「町中魔獣がウロウロしてる。大混乱よ。……ッ!」


 クレストが踏み込み、虚空に向けて剣を振った。

 一閃で断ち切られた杏里の糸は、地面に落ちる前に霞のように消えていく。

 拘束から解放されたヴィヴィリアが再び向かってくる前に、ククはクレストに向き直った。


「どういうつもりなの、クレスト」


 叫ぶような警鐘は未だ続き、悲鳴や怒号の重なりは時を追うごとに増していく。町中で何が起きているのか。考えたくはなかったが、向き合わないわけにはいかなかった。


「……あなたが魔獣を連れてきたの?」


「ああ」

 クレストは何でもないことのように頷き、唇の端で笑った。

「それがどうした?」


「っ、どうして……!」


 ククは叫んだ。

 テトラの村では、クレストが勝手に神剣を抜いた事で封じられていた魔物が解き放たれた。彼がその後何の対応もせずに立ち去ったことは許せないが、それでも結果として魔物が現れてしまっただけで、クレスト自身に害意はなかったかもしれない――そう考えることも出来なくはなかった。


 けれど、今回のこれは違う。


 ただ何かを探しているだけならば、こんな方法を、誰かが傷付くようなやり方を選ぶ必要などないはずだ。

 偉い人たちを殺す。クレストと並ぶヴィヴィリアは、そんな言葉も口にした。だけど、まるで理由が分からない。


「こんな……略奪者みたいなこと、どうして……」


「違うッ!」


 びり、と空気を震わせるほどの大音声でクレストが叫び、ククは思わずその場に竦んだ。


「俺はそんなものではない! 俺は……、ッ……」


 言葉を切って、クレストが俯く。頭が痛むのか、剣を握らない方の手でこめかみを強く押さえている。苦し気に歪んだ唇の合間から殺しきれない呻きが聞こえた。

 ヴィヴィリアが慌ててクレストに駆け寄った。


「クレスト、大丈夫? しっかりして!」


 答えは返らない。ヴィヴィリアはクレストに向けていた顔を勢いよくククへと振り向けた。


「クレストを苦しめる奴は許さないっ!」


 両の手にナイフを構えた小柄な影が、再びこちらへ突っ込んでくる。ククも今度こそ迎え撃つ態勢と覚悟を固めたが、直後、ヴィヴィリアが怯んだように腕を引き、大きく飛び退いた。

 中空に、青く輝く文字列が展開。不可視の力が瞬間的に収束し、ククとヴィヴィリアの狭間に、巨大な氷の柱が突き立った。


 ククは、背後の階段を振り返る。

 顔を引きつらせた杏里の隣で、片腕を軽く掲げたアルスがいつもの淡々とした表情でククたちを見下ろしていた。彼の周囲には薄青に輝く魔力の風が、渦を巻くように吹いている。


「もしかして、あなたがアストリアの偉い人?」


 ククと同じく階段を見上げたヴィヴィリアが、不思議そうに問いかける。両目を眼帯で覆っていても、アルスがいる位置を正確に捉えているようだ。


「……だったら?」


 問いに問いで返したアルスに対して、ヴィヴィリアの返答は明快だった。


「殺しちゃうっ。それがヴィヴィたちのお仕事だもん!」


「僕を殺す前に、あんたが死ぬと思うけど」


「そんなことない! ヴィヴィは強いんだから!」


 ヴィヴィリアはむきになって地団駄を踏む。子供じみた挙動はともすれば緊張感に欠けて見えるが、一方で今にも制御を失い、恐ろしい力で暴走を始めるのではないかと思わせる危うさもあった。

 そんな奇妙に張り詰めた空気は、しかし長くは続かなかった。


「……ヴィヴィ、下がれ」


「クレスト!大丈夫なの?」


 まだ頭が痛むのか、クレストは身を屈めたまま険しい表情でヴィヴィリアを仰いだ。


「あれの指示だ。退くぞ」


 そう言って、手にした闇色の剣を、天に捧げるよう振りかざす。路地の闇がぞろりと蠢いたかと思えば、二つの影――狼に類似した魔獣が、導かれるようにして躍り出た。


「クレスト!」


 逃げる気だ。悟って、ククは駆け出す。

 視線が合ったのは、ほんの一瞬。

 クレストは何も語ることなく獣の背中に飛び乗った。


「クレスト、待って! ……っ」


 少年の背が、路地裏の奥へと遠ざかる。そちらに向かって伸ばそうとしたククの腕を、銀の刃先がわずかに掠めた。


「っ!」


 放たれたナイフは地面の石塊に当たって、硬い音を立てながら転がった。仁王立ちしたヴィヴィリアが、不愉快そうに唇を尖らせ、ククへと指を突きつける。


「ヴィヴィ、あなたのこと嫌いっ! 次は絶対殺すから!」


 そう叫んだヴィヴィリアは、高く、自身こそが獣のように跳躍する。後を追うように跳んだ魔獣が、その体を空中で受け止めると、彼女の姿もまた夜の闇へと溶けていった。


 はたして、路地裏にはククと杏里、アルスの三人だけが残された。


「クク、大丈夫?」


 階段を下りてくる杏里の気遣わしげな声に、ククは即答出来なかった。思考の糸は様々な感情を伴って絡まり合い、あちこちで断線してもいる。

 でも、今はそれにかかずらっている場合ではない。

 軽く頭を振り、ククは顔を上げた。


「……大丈夫。とにかく魔獣をどうにかしなきゃ」


 それが、今すべき唯一のことだ。

 ククは走りかけたが、思い直して立ち止まり、振り返った。


「さっきは助けてくれてありがとう。杏里ちゃん、アッ君」


 言って、今度こそ駆け出した。




 向かった先はホテルの正面広場だった。


 路地を抜けると、広場は混戦状態になっていた。

 駆け回る魔獣に応戦しているのは町の自警団か傭兵か。方々で罵声や剣戟の音が響いている。

 周囲には既に十頭以上の魔獣が力尽き、地面に転がっていたが、その倍以上の人間が蹲り、あるいは倒れ伏していた。


 ククの目の前でまた一人、皮鎧に身を包んだ男が崩れ落ちるように膝をついた。手で押さえている脇腹は防具ごと切り裂かれたらしい。流れ落ちる鮮血が男の下肢と地面を濡らしている。


 返り血を浴びた獣が男に躍りかかったのと、ククが両者の間に飛び込んだのはほぼ同時。


 剣を振ったククの手に重い衝撃が伝わり、飛び散った生温い血液が顔を濡らす。喉を裂かれた魔獣が倒れ込んでくるのを身を捻って躱していると、横合いから別の殺気を感じた。

 滑らないよう足に力をこめて、ククは体を反転させる。

 突き出した剣は飛びかかってきた魔獣の片目を貫いたが、直後、錯乱した相手

が闇雲に振るった前足がククの上半身を直撃した。


「うっ、ッ!」


 なす術もなく吹き飛ばされたククは、受け身もろくに取れないまま地面に激しく叩きつけられた。

 肺が潰れるように痛む。涙と返り血で滲む視界で、片目を潰された魔獣が、がむしゃらに駆けてくるのが見えた。


(……大丈夫)


 剣はまだ握っている。すぐに立ち上がることは出来なかったが、起こした上半身を腕で支え、ククは息を詰めた。

 怒りと痛みで正気を失い、ただただ獲物を叩き潰さんと、魔物が地面を蹴り、空へと躍る。そのがら空きになった喉元へ、ククは渾身の力で高く刃を突き上げた。


 断末魔は短かった。

 ククの手から離れた剣を喉に深く刺したまま獣が落下する。横倒しになり、激しく痙攣する体から刃を引き抜くと、ごぷりと濁った血潮が溢れた。唯一残った瞳にも、もう光は宿らない。


 でも、まだだ。


(全部、片付けなくちゃ)


 ふらつきながら立ち上がったククは、強い焦燥感に突き動かされるまま、残敵を探して辺りを見回した。

 だが、その目に真っ先に止まったのは魔獣の姿ではなく、薄闇の中でも鮮やかな紫色の髪だった。

 今まさに巨大な両手剣で獣を斬り捨てたその男もまた、遅れてククの存在に気が付いた。


 遠くも近くもない距離で、二人は向き合った。


「……ディオ、何でここにいるの?」


 ククが問えば、相手はわずかに眉根を寄せた。


「それはこっちの台詞だ。っつーか、見た目がちょっとした殺人鬼だぞ、お前。いや、んなことより……」


 言葉を切ったディオンは、苦々しげな表情を浮かべた。


「お前、あのガキ……クレストを見たか?」


「……! ディオも会ったの?」


 会った、とディオンは呻くように答えた。


「どこに行ったか知らないか? 奴に聞きたいことが……」


 ディオンの声に重なって、獣の唸り声がした。

 広場にはまだ五、六頭の魔獣が残っている。それぞれ武装した人々が取り囲んでいるが、彼らに任せて放っておくわけにはいかなかった。


「ごめん、ディオ。話は後で。今は……」


 魔獣を倒さなきゃ――そう言い切る前に、頬に冷えた息吹が触れた。魔法が来る。そう悟った瞬間、広場に青い光が錯綜し、石畳を割って地表から無数の氷の刃が突き出した。

 刃は残っていた魔獣のことごとくを貫いて、まるで墓標か天への供物のように、中空に死体を晒して沈黙した。

 決死の戦闘に突然終止符を打たれ、負傷した人々は混乱した顔を見合わせている。


「よく分からんが……終わったのか……?」


「うん、多分……」


 不審そうな表情を浮かべるディオンに、ククは小さく頷いた。魔法を放ったのは、きっとアルスだ。姿は見当たらないが、どこかから援護してくれたに違いない。


「だけど、まだどこかに魔獣が残ってるかも」


 ククはディオンから視線を外し、息絶えた獣たちを見回した。


「いや、多分これで全部だ」

 ディオンが首を横に振る。

「どいつもこいつも真っ直ぐにここを目指してたみたいだからな」


「そうなの……?」


 一体、何故?

 少し考えて、ククは背後のホテルを見上げた。多くの窓が開け放たれているが、その向こうに人の姿は見えなかった。


 アストリアの偉い人「たち」を殺す。ヴィヴィリアはそんな言葉を口にした。偉い人というのはこのホテルに滞在しているツィフという政務官。そしてアルスのことだろう。魔獣は、二人が滞在しているこの場所を狙って集まったということか。


 建物正面の扉は破られていないようだったが、その手前には魔獣の屍と共に十人以上の人々が倒れていた。そこには武装した人間に交じって、ツィフの護衛らしき黒服や見覚えのある従業員の姿もあった。

 皆、ここを守って、守らざるを得なくて、斃れた。

 この地を襲ったのは、魔獣とクレストたちかもしれない。


 だけど、この地に彼らを呼んだのは?


「……っ」


 わたしは、取り返しがつかないことをしてしまった。


 押し寄せてきた後悔と恐怖に、ククは唇を噛んだ。

 強く握りしめた剣で本当に斬らなければならなかったもの。

 それが何なのかは、それでもまだ、分からなかった。

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