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実体験を基にしたイジメに関する小説です。

よろしくおねがいします。


関係各所の皆さまへ。


 X県にて中学校教員をしております笹沢高志と申します。このたびのX県立H中学校の女子生徒の自殺事件に関しまして、ネット上ではむやみやたらと憶測が飛びかい、その勢いはマスメディアにも及んでいるところであります。わたくしの勤める中学校にも、通勤ルートにも、散歩に出かける公園にも、はては自宅にまで、週刊誌やテレビ局の記者が駆けつけるような騒ぎとなりました。たいへん息苦しい生活を送っております。わたくしだけならまだしも、わたくしの妻や子供にまで、その苦痛は伝播しているところです。教育者であるわたくしといたしましても、今回の悲惨な自殺事件につきまして無言を決めこむことはできません。わたくし個人としての見解を、学校を通さずに、ここに公開することにいたしますので、その方はご理解いただきたいと願うばかりです。

 さて、早速、本題に入ることにいたします。

 皆さまも周知の通り、七月二日の午後三時ごろ、X県立H中学校のある女子生徒が濁流の河川にその身を投げました。それから三時間後、午後六時ごろに、その河川の下流から彼女の身体が遺体となって発見されました。水死でした。その後の警察の調査により、女子生徒の自宅から彼女の筆跡による遺書が見つかり、その遺書の中で、わたくしの実名が記載されておりました。そのことがわたくしの許可もなく、先走って報道されることになった次第です。その遺書の内容というのが、六月末、公開授業でH中を訪れていたわたくし、『笹沢』とのネームプレートを下げた教師に対して、『助けて』と記載のある紙切れを手渡したというものであります。遺書の中では、詳しく事情を聞いてほしかった、しかし、その教師は無視して、そのことを学校側に告げ口し、学校側からは叱責されることになった、と続けておりました。その内容だけを見ると、まるでわたくしが女子生徒のSOSを踏みにじったかのように思われるかもしれません。そのことについて訂正させていただきます。

 まずもって、女子生徒から『助けて』との記載のある紙切れを手渡されたことは事実であります。しかし、わたくしが女子生徒を無視したという事実はございません。

すでに公表されている通り、H中は県内の教育指定校に選出されています。一か月に一度の頻度でおこなわれる公開授業では、多い場合は千人以上の中学校教員が県内外から訪れていました。六月末にあった公開授業は、まさにその最大規模のものでした。下は沖縄、上は北海道から、大勢の教員、教育関係者が訪れていました。文部科学省の役人もその足を運ばれています。校庭は車で埋めつくされ、校内はスーツを着た大人たちであふれかえっておりました。

その日、わたくしはいくつかの授業を見学したあと、大勢のいる場所から離れたいという思いに駆られて、一時的にひっそりとした場所に移動することにいたしました。校内を彷徨ったすえ、わたくしは、給食室前の廊下に人影がないことを見つけました。しばらくの間、そこでのんびりと休憩をすることにしたのです。

授業終了のチャイムが鳴ったときでした。廊下に隣接した階段から、一人の女子生徒が降りてきました。H中の生徒はみな小学生のころから挨拶をすることを叩きこまれているので、みな口を揃えて、大きな声で「こんにちは!」と挨拶をしてくれます。この子も挨拶してくるだろうとわたくしが身構えておりますと、案に相違して、その女子生徒は暗く沈んだような顔でわたくしの目の前までやってきて足を止めました。なんだろう、と不審に感じて、わたくしは無言でいました。女子生徒は、怯えるような上目遣いでわたくしと目を合わせたまま、そうして、恐る恐ると言った具合で右手を差しだしてきたのです。わたくしは、それを反射的に受けとり、目を通しました。

 『助けて』。

 たしかに、そう、神経質そうな文字で記載がありました。わたくしは、教師としての習慣としてすぐに「どういうことだ?」と聞こうとしたのですが、女子生徒は、そのときにはすでに階段を駆けあがっているところでした。直接に口で言わずに紙切れでSOSを伝え、それからすぐに駆けだすという一連の流れを見ると、むやみに彼女を追いかけるべきではないと思えました。面と向かって言えないだけの事情があるのではないか、と察したからであります。それが、真実です。

 彼女の遺書には、事情を聞いてほしかった、とありますが、それは彼女の言動とはひどく矛盾しています。そうでないなら、あの場で、彼女はわたくしに呼びとめてもらえることを前提にして駆けだしたのかもしれません。階段を駆けあがっていったのはポーズであって、あのとき、わたくしが「おい、ちょっと」と声をかけていれば、彼女は予定通りにわたくしのもとに戻ってきたのかもしれません。そのことを思うと、どうしようもない後悔を胸に感じます。

しかし、そのとき、わたくしが意外な感に打たれていたことは事実です。ロッカーのカバンはすべて同じ向きで整えられ、教室の机は一ミリもズレることなく並べられ、生徒たちは誰もが背筋を伸ばし、挙手を求められると全員が一斉に手を挙げるという、あのH中での出来事だったのですから。わたくしがH中に抱いていたイメージと、手元にあった『助けて』というメッセージとが不釣り合いに思えて、やや混乱していました。わたくしは、その場でしばしの放心状態になっていたような気がするのです。そんな意外の感に打たれていた中での思考の鈍りによって、その場で、「おい、ちょっと」と彼女を呼びとめるだけの前向きな思考が働かなかったことは自然なことです。ここは慎重に、彼女の事情を考えて、呼びとめないことにしよう、という後ろ向きな思考が起こりやすいくらいには、唐突にして思いがけないシチュエーションだったことを強調しておきます。

 彼女の遺書には、わたくしがあからさまに彼女を馬鹿にしたような態度を取ったことも記載されていますが、当然ではありますが、あれは事実とは異なります。このような言い方はしたくはありませんが、そのような思いこみにいたったのは、思春期に特有の人間不信による妄想のせいではないかと考えます。

 それから、わたくしはその紙切れをH中の教師に提出しようと思ったのですが、その途上で、一教師としてはあるまじき行為があったことを告白します。その紙切れを、紛失してしまったのです。ああ、しまった、と思いました。しばらく茫然として自分の行った場所を探しまわりましたが、ついに見つかりませんでした。たいへん軽率だったと後悔しました。しかし、実物には『助けて』と記載されていただけですから、同じものを用意することは簡単でした。わたくしは、自前のルーズリーフの片隅を破り、シャーペンで『助けて』と実物にあったやや小さめの文字を真似して書きました。それをH中の生徒指導の教師に直接、この手で渡したということです。この行動につきましては、深く反省しております。申し訳ございませんでした。

 生徒指導の教師に偽物の紙切れを手渡す際には、その紙切れがわたくしの手に渡るまでの事情を伝えたうえで、二学年の○○さんのものです、と伝えています。X県では名札の色で学年を区別していたので、名札を見ていたことによって、彼女が何学年の何さんであるか、把握することができていたからです。ついでに、容姿の特徴も伝えました。

 彼女の遺書には、学校側に告げ口をし、と記載されておりますが、わたくしにはそのような意図はございませんでした。なんらかの理由によって担任教師にはSOSを出しにくいから第三者に渡したのだろう、と思っていたわたくしは、その紙切れを直接、生徒指導の教師に渡すことが自然なものだと感じておりました。彼女が学校全体を敵であるかのようにとらえていたことは遺書の内容によって事後的に明らかになりましたが、その当時、たった一度きり彼女と顔を合わせていただけのわたくしには、そこまでの想像を巡らせることはできませんでした。この行動につきましては、わたくしに落ち度はなかったと確信しています。学校側に押しつけたという印象を持たれることは、誠に心外です。あの場では、学校側に報告するよりほかに方法はございませんでした。

 以上をもって、ネット上やマスメディアで拡散した不確かな情報につきまして、直接、わたくしの口から訂正させていただいたことになります。自殺された女子生徒の遺書に記載されていた内容は、記憶違いであり、思いこみであり、その指摘は的を外れたものであるということです。教育関係者としましては、彼女の考えを頭ごなしに否定するようでたいへん心苦しいのですが、それが真実です。

現在、ネット上では特定班というものがあり、地元新聞記載の異動情報からわたくしの身元が割られ、わたくしとわたくしの家族のプライバシーが侵されています。非常に困惑した生活の中にいます。そのことにつきまして、なにとぞ、ご理解いただきたくお願い申しあげます。

 亡くなられた女子生徒へは、ご冥福をお祈り申しあげます。原因究明を願うばかりです。

  

                                 笹沢高志

 

(2)担任教師の記者会見。


 七月二日に飛び込み自殺で亡くなったH中、2年C組の女子生徒の担任をしていました、元教師の、小島久義と申します。よろしくお願いします。

今、ネット上では間違った情報が錯綜し、収拾のつかない事態になっております。そこで、担任だったわたくしの口から、今回の自殺事件につきまして一から説明したく思い、この場に立たせていただく運びとなりました。異例ではありますが、現場の教育者であったわたくしの口からすべての経緯を伝えたい、伝えなければいけない、という覚悟のうえです。

 初めに、このような場を用意してくださった関係者の皆さまに感謝をいたします。本当にありがとうございました。

この場は、わたくしの自己弁護の目的で用意されたものではありません。女子生徒の自殺事件に関して、その真実を伝えるためのものであります。わたくし自身、覚悟を決め、そこに注意を払いながら臨むつもりでやってきました。長時間に及ぶかと思いますが、本日は、どうぞ、よろしくお願い申しあげます。

 この場では、自殺された女子生徒を、当該生徒と呼ぶことにいたします。

 六月二十七日、H中で大規模な公開授業のおこなわれていたその日に、当該生徒が笹沢教員に対して『助けて』とのメッセージを記した紙切れを手渡しました。それを受け取った笹沢教員は、本人からの説明でもあるように、紛失のために新しく同じ内容のものをルーズリーフの切れ端に書いて、その紙切れをH中の生徒指導の教師の手に直接、手渡しておられます。まずもって、そこの事実関係に不備はありません。H中の生徒指導の教師がその紙切れを確認したことは動かせない事実であります。その日のうちに、わたくしが生徒指導の教師よりその報告を受けたことも事実です。わたくしたちは、その『助けて』というメッセージも、また、それを笹沢教員に手渡したのが当該生徒であるということも把握していました。

 ネット上では、そのことを把握していながら、なぜ当該生徒に対して指導をおこなったのか、という指摘が多く散見されます。指導をおこなうのではなく、彼女の事情を聞くべきではなかったのか。数々の指摘の中には、H中が一方的な恐怖による教育をおこなっているのではないかという都市伝説のようなものもありました。学校の品位を落とさないために、女子生徒のSOSを潰したのではないか、と。そんな憶測が、本当の事実であるかのように囁かれています。それは完全に事実とは異なりますので、ここで皆さまの誤解を解消したいと思います。

 公開授業のおこなわれた六月二十七日の翌日、二十八日の朝に、わたくしが当該生徒に対して指導をおこなったことは事実です。指導の内容としましては、『助けて』という無責任なメッセージを第三者に渡すな、ということについてでした。そこだけを聞くと、その指導は不適切なものに思われるかもしれません。

今しばらく、そういう指導をするにいたった経緯につきまして、わたくしの口から、詳しく説明したいと思います。その経緯が、最終的には、当該生徒の自殺の原因にもつながっていくと、わたくしは強く考えております。今回の記者会見の目的、すなわち、当該生徒の自殺事件の真実を公表すること、その本筋から逸れることはありません。どうぞ、お付き合いください。

最初に。わたくしが当該生徒のことを知ったのは、2年C組の担任になることが決まってからのことでした。それ以前は別の中学校に勤めておりましたので、H中で出会う生徒たちとは全員と初めての出会いでした。ですから、彼らがどんな生徒なのか、それを初めて探ったのは、前任の担任が残していった生徒たち個々人の調査報告書からでありました。当然のように、始業式のおこなわれる前までに、当該生徒の調査報告書にも目を通しています。

その報告書によれば、当該生徒は、よく周りを見ていて、気配りのできる生徒であると、高い評価を受けていました。それまでに大きな問題を起こしたことはなく、友人間でのトラブルも少なくとも前年度では一度もなかったそうです。仲間を気遣う態度がよく見られる、とありました。また、班長としてのリーダーシップもあった、とのことでした。それに目を通した時点では、わたくしは、当該生徒になにか問題があるといった認識は持つことができず、順調に進んでいるなという印象を抱いていました。なにか問題を負っている生徒については、前任から直接に細かい事情を聞くシステムになっておりましたが、その学校のシステムの中でも、当該生徒が問題を負っているというような認識はありませんでした。学校としても、わたくしとしても、当該生徒はきわめて順調であると認識していたのです。

そして、その認識は、始業式後にも変わることはありませんでした。

わたくしは、問題検出の網の目を細かくしておくために、日々、生徒たちに感じたことはどんなに些細なことでも、忘れる前に一つのノートに記録していました。学校の業務ではなく、個人的な工夫です。そのノートが残っているのですが、それを読みかえしても、当該生徒がなにか問題を抱えているという印象を持つことはできませんでした。そのノートを見れば、非常に仲間思いな態度を取る当該生徒の記録が多く確認できます。具体的には、顔色の悪い友達に「どこか調子が悪いの?」と声をかけたり、自習の時間に隣の席の子が悩んでいた問題を一緒に考えたりといった姿が見られました。わたくしの主観で申しあげれば、当該生徒は、とてもおしとやかな生徒でした。彼女がそこにいるだけで、周りの子たちにもその落ち着きが伝わっていくというような印象を抱いていました。そして、なにより、報告書にもありましたように、周りの生徒のことをよく見ていて、よく気づいて、よく行動のできる生徒でした。班での活動でも、うまく参加できていない班員にすぐに気づいて、「○○くんは、どう思う?」などと漏れてしまった子をスムーズに班の活動に引きこむ行動が確認できました。これまたわたくしの主観で申しあげれば、クラスのほとんどの生徒たちが当該生徒に対しては好意的な印象を抱いていたはずです。

人間関係についても、問題は確認できませんでした。当該生徒は、仲のいい二人の友達とお喋りをしていることが多かったです。どちらの生徒も静かで控えめな子たちだったので、当該生徒とは気が合ったのだと思います。また、当該生徒は文芸部の部活をしていましたが、彼女ら二人も同じく文芸部に所属していましたので、そのつながりでとくに親しくしていたのだと思います。三人とも勉強に熱心な生徒だったので、立ち話などをするときは、難しい問題の出しあいをしていたようです。それとはべつに、クラスの中でクイズが流行っていたこともあって、雑学のような問題も出しあって楽しんでいたようでした。その様子に不審を抱いたことは一度もありません。

四月の初めには係決めがあり、そのときに班長も決めました。その際、当該生徒は班長に立候補しています。無事に班長の一人として選出されました。班長の選出方法としましては、立候補した生徒たちが一人ひとりクラス全員の前で演説をおこない、それを参考にして一人三票の多数決を採り、票の多かった生徒から上位六人を選出するというものでした。顔を伏せて決を採る学校もありますが、H中では、全校で一律、顔を上げた状態でそれぞれ手を挙げるという多数決の方法がおこなわれていました。

そのとき立候補した生徒は八人いましたが、得票率では、当該生徒が二番目でした。このことからもわかるように、当該生徒は、クラスの仲間たちから認められ、高い評価を受けていました。顔を上げた状態での多数決ですから、誰が自分に票を入れたか、誰が自分に票を入れなかったか、わかってしまいます。それなのに立候補したのですから、当該生徒は、それだけ心の強いところがあると評価することもできました。目に見える形で多くの生徒から支持されたことは、当該生徒に、自分は必要とされている、という実感を与えたとも言えるでしょう。それらのところを考慮しましても、やはり、当該生徒は順調だったと言えます。

班長になった当該生徒は、班員の声に耳を傾けつつもリーダーシップをとって、班行動を牽引していました。調査報告書にあった印象と寸分も変わりがないな、というのが、わたくしの正直な印象でありました。 

ここまでが、わたくしの、当該生徒に対する印象です。気遣いができて、落ち着いていて、自信を持っていて、リーダーシップもあるという、ポジティブな印象でした。しかし、印象というのは主観的なものであるし、もちろん部分的なものでもあります。教師としてのわたくしの目からは届かない世界は数えきれないほどあるのです。とくに今回の一件ではそのことについて否が応にも実感させられました。ここからは、そのことについてお話しすることになりますが、少し、当該生徒からは話が逸れることになります。本筋を見失うことはありませんので、安心してお付き合いください。

五月末、H中では全校で一斉に、イジメに関するアンケート調査が無記名でおこなわれました。2年C組でも実施されています。その回答用紙を、その日のうちに、校内で決められたルールにしたがって確認する作業をしました。ルールとは、最低でも一クラスの回答用紙に三人の教員で目を通すというものです。そのルールにしたがって、アンケート調査が実施されたその日のうちに、わたくしと同僚二人を合わせて三人で、2年C組全員ぶんの回答用紙を確認しました。そのとき、回答用紙の中から、問題のあるものを発見しています。無記名なので誰が記したものかはわかりませんでしたが、回答用紙の自由記入欄に、ある生徒の実名を記したうえで、『彼女がイジメられている』と告発したものがあったのです。ここでは、便宜上、その女子生徒のことを、生徒Aと呼ばせていただくことにします。

『生徒Aがイジメられている』という告発を見つけたその日のうちに、わたくしは、報告書をまとめて生徒指導の教師に提出しました。その際には、当然のように、口頭でも報告をおこなっています。それがアンケート調査をおこなった際に問題を発見した場合の手続きとして、校内でルールとして決まっていたからです。その時点でわたくしは、生徒Aがイジメられているという事実は把握していませんでした。そのことも伝えました。

生徒指導の教師と二人で相談した結果、生徒Aのことを厳重に注視することを前提にしたうえで、あくまでも慎重に事実関係の整理をおこなうことを確認しました。表立ったイジメは認識していなかったので、イジメがあるとしたら、かなり巧妙なものであり、かつ、陰湿なものである可能性が高いと十分に考えられました。あくまでも慎重な構えをとったのはそのためでした。ずかずかと教師が介入していくと、逆にこじれるようなことにもなりかねません。そのうえ、その時点では、まだ、イジメの事実が確認されたわけではありませんでした。イジメの真偽がわからない時点で、イジメがあると断定することは、さまざまな弊害を起こしかねません。わたくしは、その日を境にして、生徒Aによく目を向けるようになりました。

 ちなみに、生徒Aは、当該生徒が班長を務める班の一員でした。

 その告発があった次の日から、わたくしは、穿った目を向けて、よくよく生徒Aとその周りの生徒たちの様子を観察するようになりましたが、わたくしには、少しも、不審なところを確認することはできませんでした。だんだんと、その告発はガセなのではないか、という思いが募ってくるほどでした。告発がある以上は無視することもできないので、生徒Aのことを気にかけつづけましたが、やはり、わたくしには、どうにも、イジメのような雰囲気は一切感じませんでした。生徒Aはバスケット部に所属していました。そのため、わたくしは、バスケット部の顧問の教員にも聞きこみをおこないましたが、なにもつかめませんでした。イジメと口にしただけで、たいへんに驚かれたくらいです。数日間、生徒Aの様子を生徒指導の教師に報告しつづけました。六月に入って数日したころには、イジメは確認できない、という方向に収束しようとしていました。

 先入観で語るのはいけませんが、それにしても、生徒Aは、イジメられる生徒には見えませんでした。

 どんなことであれ一概に述べることはナンセンスではありますが、中学生のイジメは、全体として、それなりの傾向があります。広く知られているように、中学生は小学生のときよりも排他的で内に閉じたグループを形成する傾向があります。その傾向は女子に顕著に見られます。これは互いの類似性に安心感を得ることを重要視するためです。同じタレントが好き、同じファッションが好き、同じ芸人が嫌い、同じ映画が嫌い、といったように、相手と自分とで同じものを好きになり、同じものを嫌いになることで、自分を集団の中に位置づけようとするのです。逆に、そうではない人、つまり、同じものを好きになってくれない人、同じものを嫌いになってくれない人、いわゆる異質な人に対しては、反感や恐怖、不安を感じるようになります。そのために、中学生でイジメのターゲットとされる子の多くは、異質な子です。

この表現では語弊があるかもしれないので、さらに詳しく説明しますが、異質な子とは多い場合、社会的スキルを身に着けていない生徒のことです。なにかしらの事情によって小学生のころから孤立し、友達関係の中で社会的スキルを身に着けてくることができなかった生徒たちの多くは、中学生になってから周りに馴染むことができません。それらの生徒たちの多くは、イジメに遭遇し、そのまま不登校になり、引きこもる、という一般的な流れがあると言われています。友達に合わせてしまって自分が出せなくて苦しい。キャラを演じなければいけなくて、神経がすりへって、もう、嫌だ。そのような理由でストレスが溜まって不登校になる生徒も多くいますので、一方的に語るのは配慮を欠いていますが、あえて言わせてもらえば、友達に合わせることすらできない生徒たちの方が不登校にはなりやすいです。友達に合わせることができなければ、異質と判断され、中学生の中では、しばしば敵になってしまいます。敵は吊るし上げられやすくなります。そのまま、学校への恐怖に囚われ、不登校になります。それが典型例です。

 当然のことながら、典型例ですべてを語ることはできません。あってないようなものでもあります。社会的スキルが欠落している生徒という典型例に、生徒Aはまったくあてはまりませんでした。友達に合わせる能力という観点で言えば、生徒Aは、人並み以上に優秀であるようにわたくしの目には見えました。そのうえ、周りに合わせすぎてしまってストレスを抱えているようにも感じられませんでした。行動を抑制する要因の主なものとして劣等感が挙げられますが、なにかしら劣等感を抱えていると思えるほどの、抑制的な言動は、生徒Aにはほとんど見つけられませんでした。はっきり言えば、生徒Aは、イジメのターゲットとしては典型例を大きく逸脱していました。

 生徒Aに対するわたくしの第一印象としましては、快活で伸び伸びとしている、というものでした。偏見ではありますが、肩を縮めている印象が少しもありません。学校を自室のベッドの上ででもあるかのようにのびやかに生活を送っている感じが、見ているだけでも、すごく爽快な気分になりました。かといって、自分勝手というわけでもありません。当該生徒と同じように、生徒Aは、周りの生徒への気配りがよくできていました。そのうえ、楽しい空気を演出することがとくに得意でした。生徒Aがいることによって、班も明るいムードに包まれていました。ひょっとしたら、クラス全体にも影響が出ていたかもしれません。生徒Aがいなくなったら、2年C組は、いくぶん、暗さが増していたのかもしれないのです。ムードメーカーと呼んでしまうと語弊がありそうですが、あながち、そのような呼称を与えても違和感はあまり覚えないような生徒でした。

 たとえば、給食の時間の一場面を切りとれば、こういうことになります。生徒Aが「これ、なんだろ。牛かな?」というように会話のきっかけをつくり、それに対して、生徒Aと仲のいい子が「それ、魚だから」とツッコミを入れる。その背後で、当該生徒が「なに言ってんの、もう」と笑っている。ちょっと素直じゃない男子生徒が「お前の舌、壊れてんじゃないの?」と鋭く言葉を投げる。生徒Aは、「そんなこと言わないでよ!」とぷんぷんとしたような仕草をしてみせて、班の空気が和む。そのような場面ばかりがわたくしの前に現れて、そんなに快活な生徒Aが本当にイジメに遭っているのか、にわかには信じがたかったのです。

そもそも、生徒Aがイジメに遭遇すれば、一人で反撃しそうなものでした。味方をする生徒も多くいるはずでした。なにかあるとしても喧嘩レベルではないか、というのがわたくしの正直なところでした。

やはりガセ情報かという結論にまとまってきたところで、わたくしは、一度、考える方向性を逆向きにしています。生徒Aがイジメられているのかどうか、ではなく、いったい、誰が、生徒Aがイジメられていると告発したのか、という方向に、です。生徒Aではなく、生徒Aに目を向けている生徒に注意を向けることにしました。その中で、男子生徒、生徒Bが浮かびあがってきました。

これは完全な主観ですし、ここから先の話も主観の頻度が増え、その強度も強くなっていきますが、いずれ当該生徒にも関わってくることでありますので、わたくしの考えたことをありのままにお話ししたいと思います。

班は違いましたが、生徒Bは、生徒Aの様子をちらちらと盗み見ている頻度が必要以上に多かったのです。その様子には好意があるといった印象はなく、まるで生徒Aのことを哀れんでいるようでした。生徒Bが生徒Aをちらちらと暗い目で見るのを観察しているうちに、わたくしの頭には、ある仮説が浮かび、その仮説が次第に強化されていきました。一言で表すならば、それは被害妄想ということになります。

さきほど述べましたように、生徒Aは楽しい雰囲気を演出するのが得意な生徒です。楽しい空気を生みだすために、俗にボケと言われるものを積極的にやることがあります。言うまでもなく、ボケをするからには、ツッコミを求めていることになります。実際、周りの子たちは、ツッコミをすることになります。さきほどの例で言えば、生徒Aの「これ、なんだろ。牛かな?」というのがボケであり、「それ、魚だから」というのがツッコミです。「なに言ってんの、もう」というのも、「お前の舌、壊れてんじゃないの?」というのも、ツッコミであることに変わりはありません。もちろん、これらは、生徒Aを傷つけることを意図して発せられた言葉ではありません。その場の空気を盛りあげるための、ちょっとしたコミュニケーションに過ぎないのです。

その場の空気を読みとれていれば、勘違いすることはありませんが、しかし、中学生の神経質な時期となると、その場の空気を読みとるよりも先に自分の中に完全に閉じてしまうこともあります。「それ、魚だから」というクールなツッコミが、冷笑のように聞こえることもあるかもしれないし、「なに言ってんの、もう」と笑っているのも、バカにしているように見えるかもしれないし、「お前の舌、壊れてんじゃないの?」というのも侮辱の言葉のように感じられるのかもしれません。つまり、わたくしは、生徒Aに対しておこなわれるツッコミの数々を生徒Bがイジメだと誤認して、それを告発したのではないか、という考えにいたったわけです。

嘘みたいに聞こえるかもしれませんが、珍しいことではないと思います。中学生にもなれば口調が荒くなってくるものですから、死ね、調子に乗んな、カス、というような言葉が校内にあふれることになります。男子生徒に顕著です。それらの言葉をひとつのコミュニケーションであると思っている人たちもいれば、もちろん、それらの言葉に怯えて周りとの隔たりを感じる人たちもいます。そのような極端なものならなおさらですが、そうでなくても、とにかく、中学生の時期は、ちょっとしたものを考えこんでしまいやすい時期なのです。相手の意図したところとはまったく違うものを勝手に読みとっていることは、日常茶飯事であると思います。そして、とくに、生徒Bには、その傾向が強そうであるとわたくしには思えました。

『生徒Aがイジメられている』という告発の文字と生徒Bの文字を比べることもしましたが、筆跡は非常に似通っていました。確信した、とまではいかないものの、生徒Bに個人的な問題があるかもしれないことは、そのときに把握することができました。

六月の初旬、わたくしは、生徒Bの被害妄想の傾向について学年会議で報告し、また、アンケート調査での告発についても生徒Bの妄想である可能性が高いだろうという意見を述べました。生徒Bが、クラスの子たちとうまくやっている生徒Aのことをイジメられていると錯覚しているのではないか、と。もちろん、主観の範囲を出ていない指摘でしたから、学年の教師の中には異議を唱える人もありました。ただの妄想として片づけるより先に、生徒Aに聞きこみをした方がいいのではないか、という異議でした。わたくしはそのことを了承したうえで、生徒Bについては週に一度H中を訪れているスクールカウンセラーに相談するべきであることを学年の教師たちとともに確認しました。

学年会議のあった翌日には、あくまで慎重にではありますが、生徒Aに対して、「なにか、困っていることはないか?」と軽い調子で言葉をかけています。生徒Aは、「なんにもないですよ。なさすぎて困るくらい」とおどけた調子で答えました。そのときの生徒Aの反応には、少しも不審を抱くことがありませんでした。無理をしているようでもありませんでした。念のため、その日のうちに、わたくしは、生徒Aの所属する班の生徒たち全員に対して個別に「最近、イジメとか見たことないか?」と聞いています。どの生徒も、その言葉にびっくりしたような顔をして、ないです、という反応をしました。生徒Aの所属する班の班長であった当該生徒に対しましては、わたくしも強い信頼を寄せていましたので、五月末におこなわれたアンケート調査で『生徒Aがイジメられている』との告発があったことを告げたうえで、そのような様子はないか、と聞きました。当該生徒は、深く考えこむような顔をして記憶を探ってくれましたが、「わたしには、そのようなものは目に入っていません」と答えています。その日におこなった聞きこみ調査については、すべてを報告書にまとめました。それを生徒指導の教師に手渡しています。その際、わたくしは、今回の件はイジメではなく一人の生徒の勘違いである可能性が高いことも報告し、そちらの対応に積極的にあたることを確認しました。ここまでのわたくしの対応の中では、2年C組にイジメを確認することはできませんでした。

したがいまして、わたくしの注意の目は、生徒Aではなく、生徒Bに向けられるようになりました。

生徒Bは、非常に大人しい生徒です。孤立してしまっているというよりは、孤立を好んでいるというところがありました。自ら誰かに声をかけることはなく、誰かに声をかけられても適当にあしらっているように見えました。誰かと関わることを面倒くさがっていて、自分の興味関心にしたがって行動をしているような印象を抱いていました。前任からの調査報告書にも目を通しましたが、そこには、自閉的な傾向がある、と記載されていました。近年は理解も深まってきましたが、いわゆる発達障害の可能性が考えられる生徒であります。前任者は、生徒Bの保護者に相談したとも記載していましたが、にべもなく拒絶されたということでした。はたから見れば、孤立を好んでいるように見えても、コミュニケーションがとれないことは著しい苦痛であることに変わりはありませんから、なにかしらの介入が必要であるように思えました。

わたくしは、まず、前任の教師に生徒Bのことを詳細に聞くことにいたしました。その中で、生徒Bの特徴が浮かびあがってきました。前任者が、暗い顔をしていた生徒Bに「調子、悪いか?」と聞いたところ、「悪い」とだけ答えたことがあったそうです。かといって「保健室、行くか?」と聞いたところ「行かない」と答え、平然と授業を受けていたということでした。べつに規則があるわけではありませんが、「調子、悪いか?」という質問に対しては「大丈夫です」とか「いえ、ちょっと、お腹の調子が悪いけど、そんなんじゃないんで」みたいな、相手を気遣った反応をするのが社会生活上は好ましいというように感じます。保健室に行くほどの調子の悪さでないのならば、「悪い」と答えるのははなはだ不自然に感じます。前任者も指摘しておられましたが、そういう即物的な反応はコミュニケーションを苦手とする生徒にありがちなものです。相手の投げかけてきた質問に対して、その質問の意図をくみとろうとすることなく、ただ質問の答えを提示しているだけなのです。たとえば、「今、何時かわかる?」と聞かれた場合、多くの人は「えっと、うーん、十時半だね」というように時計の針を見て、その時間を答えると思います。「今、何時かわかる?」という質問から、その相手が今の時間を知りたがっているという意図を読みとっているからです。しかし、それを読みとらない人たちもいます。そういう人たちは、「今、何時かわかる?」と聞いても、「うん、わかる」と答えて終わりです。わかるか、わからないか、その質問に対して、答えを提示しているのです。生徒Bには、そのような傾向があるということがわかりました。

その傾向から考えれば、生徒Aについての誤解をするのも、無理はないように思えました。ボケを連発する生徒Aに対しては、多くの生徒たちが、ツッコミをすることになります。その中には、ちょっと過激な言葉も含まれていました。バカじゃないの、アホや、どっか行けよ、もう、めんどいな、うるさいから、ちょっと黙って、というような言葉たちも、それを楽しい空気の文脈の中で読みとることができればよいのですが、それができないと、たしかに悪口のようにしか聞こえません。その、相手の真意を読みとる能力という観点から考えると、生徒Bの問題は、思春期に特有のものではなく、生徒Bの根深い問題としてとらえる必要がありました。

わたくしは、さらに、学年会議でも確認したようにスクールカウンセラーにも相談しています。やはり一番のアドバイスとしては、生徒Bに心療内科を受診させることを生徒Bの保護者に勧めることでした。それは難しかったです。生徒Bの保護者様は、それをひどく拒絶していましたので。具体的にわたくしにできることを尋ねますと、まずは、被害妄想だ、という指摘をしてはいけないというアドバイスをもらいました。考えてみれば、当然ではあります。そんな指摘をすれば、生徒Bに大きな屈辱感を与えることになる。ですから、最初に、被害妄想という単純な括りを崩すべきだという指摘をいただきました。被害妄想とは、言うまでもなく、自分が害を被っているように感じる妄想のことですが、そのメカニズムには、一概に言えないものがあります。単に認知上の問題もあれば、脳機能上の問題もあり、トラウマに関わる心の問題である場合もあります。生徒Bの場合はどれにあたるのだろうと、わたくしはじっくり考えました。とくに、心の問題か、認知の問題か、というところは非常に大きなところだと感じました。二つを切り離して考えることはできませんが、心の問題であれば、そちらに寄りそうことも必要であるだろうし、認知の問題であれば、認知を修正する必要があるだろうからです。しかし、どちらであれ、近年の認知行動療法でも言われているように、認知や行動の修正が、問題の解決に大きく役立つことは事実としてあります。科学的にも確認が取れていることでした。スクールカウンセラーからは、生徒Bに対して、彼がはまっている穴とは別の穴を提示していくのはどうか、というアドバイスをいただきました。わたくしは、そのアドバイスの通りに、生徒Bに声をかけるようになりました。 

たとえば、生徒Bの近くで高笑いをしている女子生徒たちがいたとします。そのとき、生徒Bは、自分を笑っているのだ、という認知に陥っているかもしれません。そんなときに、わたくしは、生徒Bに声をかけ「彼女たちは、昨晩のテレビ番組のことを話しているみたいだね。Bくんも見たかい?」というようにべつの可能性を提示するようにしてみました。わたくしは、そんなことを何度も繰りかえしています。認知が変わることは、それだけでも、大きな改善でした。表面的には生徒Bの様子は変わらず、「うん」とうなづいたり、「ううん」と首を振ったりするだけでした。それでも、継続的に声をかけ、そこでコミュニケーションを取ることだけでもなにかの役に立つはずだと信じていました。

 その対応が間違ったものであることに、わたくしは、なかなか気づくことができませんでした。このとき、わたくしの目が生徒Bではなく、生徒Aに向くようになっていれば、問題が膨らむ前に解決することもできたかもしれない。そのように思うと、後悔の念に駆られます。その当時、わたくしとしては、生徒Bの問題を見つけ、その問題に真摯に向きあっているところでした。そんな六月半ばにあった次なる告発は、わたくしにとっては不意打ちだったのです。すでに妄想として片づけていた『生徒Aがイジメられている』という告発が、再びおこなわれたのでした。

ここからの話は、当該生徒の自殺について、さらにその核心に入っていくことになります。引きつづき、どうぞ、お付き合いください。

 六月十二日の放課後のことでした。わたくしは、顧問を務めるテニス部の練習の様子をテニスコートの隅から見つめていたのですが、そのとき、わたくしを呼んで、二つの校舎の渡り廊下の陰に招いた女子生徒がいました。かりに、その女子生徒のことを、生徒Cと呼ばせていただくことにします。生徒Cは、当該生徒と生徒Aの所属する班の一員でありました。

 わたくしを呼んだ生徒Cは、周りを気にするような仕草をしてから、誰も盗み聞いている人がいないことを確かめると、「すいません。ちょっと急かもしんないですけど」と前置きをしました。それからすぐに声のトーンを落として告発しました。「生徒Aがイジメられているかもしれない」と。わたくしは、初めにそのことに驚き、数秒、返事をやることができませんでした。次に、五月末におこなわれたイジメに関するアンケート調査の自由記入欄で同様の告発があったことを生徒Cに伝え、その告発をしたのをきみだったのか、と聞きました。生徒Cは、首を振って「それは違いますけど、とにかく、イジメがあるみたいなんです」とやや曖昧な表現で続けるのでした。具体的な話を聞いたところ、ちょっと前に遊園地に遊びに行ったときに、たまたま生徒Aを含んだ同級生の集団を見つけたらしいのです。生徒Cは、彼女たちに声をかけようと思ったらしいのですが、そのとき、生徒Aが強い口調で責め立てられているのを見て、思わず、無視して、その場を去ったということでした。そのときは、喧嘩でもしているんじゃないか、という程度の関心しかなかったようですが、二人の学校での様子をよく観察しているうちに、これはもしや、イジメと呼べるものなのではないか、ということに気づいたということでした。生徒Cが目撃したという、生徒Aを責めたてていた人物というのが、すなわち、当該生徒でありました。

 わたくしは、驚きよりも、奇妙さを感じました。

 そもそも、当該生徒が生徒Aたちのグループと一緒に遊園地に遊びに行ったということだけで意外でした。担任としてクラス内の人間関係は大方把握しているつもりでいたからです。教室でも、同じ班である当該生徒と生徒Aは不仲であるといった印象は受けませんでしたが、かといって、仲良しという印象もありませんでした。それだけで奇妙でしたが、さらに、生徒Aに対して当該生徒が責めたてるというのは、どうにも解せないつくりもののような話に感じました。わたくしは、本当なのか、と生徒Cに対して再三確認を求めましたが、彼女は、目を逸らすこともなく、本当だ、と主張を続けました。生徒Cが嘘を吐いているのでないことは、十分に確認できました。

 奇妙に感じながらも、わたくしは、そのときの具体的な状況をさらに聞きました。生徒Cが遊園地に行ったとき、生徒Aは、当該生徒から「ふざけないで、いいかげんにして」と声を荒らげられていたそうです。その当該生徒の態度には、普段のおしとやかな雰囲気とは別人のような攻撃性があり、凄みがあったので、生徒Aは怖気づいてしまって、肩を縮めていたそうです。「ごめん、わたしが悪かった」というような弱弱しい言葉も、聞こえたような気がすると言いました。その場では、二人の間にほかの生徒たちが入って、「やめようよ」、「落ち着いて」、「いったん、冷静になろうよ」と仲裁をしていて、だからこそ、その様子が喧嘩であるかのように見えたということでした。

「それだけなら、たしかに喧嘩なのかもしれませんけど、なんか、最近、二人の様子がおかしくて」と、生徒Cは眉根を寄せるのでした。具体的になにがおかしいのかを説明することはひどく難しそうでした。わたくしは、具体的にイジメの場面を見たのか、とも聞きましたが、生徒Cは首を振りました。どうやらそういうわけでもないようでした。なんとも難しい問題に思えて、わたくしは早速頭が痛くなっていたのですが、ひとつだけ、生徒Cから、手がかりになりそうなエピソードを聞くことができました。

ある日の給食の時間の出来事だったそうです。いつものように生徒Aが中心となって和気あいあいと楽しい空気が流れていました。話題は、睡眠時間から、勉強時間、効率的な勉強方法、おススメの参考書などに移り変わっていって、ついに脱線し、勉強をする必要はあるのか、という話題に辿りついたそうなのです。生徒Aがなんの気なしに「勉強ができたって、役に立たない人はいるよ」と軽口を叩いてしまったときのことでした。「それ、わたしのことを言ってるの?」と当該生徒が鋭い声を上げたらしいのです。急激に険悪な空気が流れました。すぐにその場の空気を察したのか、当該生徒は、「なんて、被害妄想になっちゃったりして」と笑いを誘ったそうなのですが、そのときの「それ、わたしのことを言ってるの?」という言葉の鋭さ、その研ぎ澄まされ方が尋常ではなかったので、ただの冗談には思えなかったと生徒Cは言うのです。それだけでイジメであると認めることはできませんでしたが、それが事実なのだとしたら、当該生徒の腹の中に、なにかしら黒くて醜いものが溜まっていると考えることも、無理ではありませんでした。少なくとも、イジメの前兆のようなものは十分に感じることができました。

 わたくしは、その日のうちに生徒指導の教師と学年主任の教師に生徒Cの告発について報告し、それぞれに事実関係の確認を優先することを伝えました。すでに妄想として片づけていた問題が急に息を吹きかえしたのです。

 その翌日、わたくしは、生徒Aが仲良くしているいつものメンバーに対して、個別に事情聴取をおこないました。当該生徒と仲良くなったきっかけ、その顛末、そして、少し前に遊園地であった喧嘩のようなものについてその事情を聞くのと同時に、生徒Aが当該生徒にイジメられていることはないか、とずばり聞いたのでした。そのときに得られた事実関係、また、生徒たちによる主観的な印象につきまして、これより順番に説明したいと思います。

 当該生徒と生徒Aの出会いは、四月の初めでした。四月の初めに班決めがあり、同じ班になったことをきっかけにして、二人は親しくなっていったと言います。それまでは互いにあまり話したことはなかったそうなのですが、二人で好きな小説の貸し借りをするうちに、少しずつ打ち解けていったらしいです。その流れで、放課後に一緒に遊ぶようにもなりました。ときどき、当該生徒も、生徒Aの友達の輪に加わるようになり、そこで、当該生徒にも渾名がついたと言います。ただ、学校では、多くの時間、当該生徒はいつも決まった二人の文芸部の女子生徒と関わっていたので、わたくしの目には、引っかからなかったということでしょう。

 初めのうちは、なにも問題はなく、スムーズに友達関係が進んでいたようなのです。ただ、五月の半ばあたりから、当該生徒がどこか突きはなしたような態度になっていって、仲良くなるまでの過程を逆戻りするかのように、少しずつ険悪になっていったと言います。そのことについて多く上がった意見は、当該生徒の生徒Aに対する嫉妬ではないか、というものでした。

 生徒Aはたいへんに華やかな生徒でした。元教師として口にするのは憚られますが、生徒Aは、つまり、皆さんもある程度は想像しておられますように、容姿の整った生徒でもありました。モテる生徒だったということです。よっぽど鈍感でもない限り、本人も、多くの男子から好意を寄せられていることに気がついていたことでしょう。それくらいに魅力的な一面がありました。当該生徒がそれよりも劣っていたというようなことをわたくしの独断で言えるはずもなければ、言いたくもありませんが、当該生徒本人は、切実な感情として、自分は生徒Aよりも劣っていると感じていたのかもしれません。それゆえに生徒Aに嫉妬し、平常心を保つことが難しくなっていったのではないか。事情聴取の中で、そのような意見が多く耳に入ってきました。

 遊園地に遊びに行ったときのトラブルは、お金の貸し借りに関するものだったそうです。生徒Aが貸していたお金を返してほしいと要求すると、そんなものは知らない、と当該生徒が憤慨したというのです。そして、「ふざけないで、いいかげんにして」と声を荒らげたということでした。しかし、根底にあったのはお金のトラブルではないな、という印象はその場にいた皆が感じていたようです。当該生徒は、生徒Aへの嫉妬を溜めこんでいて、いまにもあふれでそうなほどの負の感情を抱えていて、生徒Aになにか攻撃ができる隙を見つけると、そこで攻撃をせずにはいられなくなるのです。常に、臨戦態勢であって、生徒Aの揚げ足を取ろうと躍起になっている。そんな気がする、という意見が多く確認できました。

とはいうものの、これはイジメではない、と皆が口を揃えました。当該生徒の個人的な問題であって、これをイジメとしてとらえることには抵抗がある、という感覚を皆が持っているようでした。

わたくしは、同日に、生徒Bに対しても核心に入った質問をしています。五月末のアンケート調査でイジメがあると告発したのはきみか、と問うと、生徒Bは、「うん」と答えてくれました。「どうして、イジメだと思った?」と聞くと、「なんとなく、わかる」という答えだけが返ってきました。わたくしは、そこで初めて、とんでもない思い違いをしていたことに気がついたのです。初めから、生徒Bは被害妄想に苦しんでいたわけではありませんでした。わたくしなどよりもずっと鋭く、現実に近いものを見通すことができていたのです。

やはり、報告はその日のうちにという不文律があります。そのときも、わたくしは、その日のうちに生徒指導の教師に当該生徒の自制を失った行動について報告し、次回の学年会議で話題にすることを確認しました。はっきりとイジメだと言えるような事態には陥っていないために、性急に対処するのではなく、あくまでも慎重に対処することを優先した結果、そのような判断にいたったのであります。この時点で生徒Aへの直接の聞きこみをおこなわなかったことも、問題がセンシティブなために、一定の配慮を考えたうえでのことでした。

学年会議は、H中では週に一度、金曜日におこなわれることになっています。それぞれのクラスが抱える問題を学年の教師全員で把握することが目的でした。もちろん、把握したうえで、それぞれの意見を出しあって対応を考えていくことも目的のひとつでありました。わたくしは直近の学年会議にて、当該生徒の自制を失った行動について報告しました。そこに嫉妬があるのではないかとの意見がクラスの中にあることも付言しました。学年会議での話しあいの中では、かなり慎重な意見が多く出ました。というのは、やはり、当該生徒が表立ったイジメには及んでいないことが重視されたからです。現時点で当該生徒に対して指導という形で介入をおこなうと、火に油を注ぐことにもなりかねず、そのままイジメに発展することも危惧しなければいけませんでした。

まずもって、生徒Aの精神面に細心の注意を払わなければいけないこと、そのうえで、当該生徒の精神面にも寄りそわなければいけないことが問題として取りあげられました。前者については、わたくしが厳重に注視することが最善策でした。後者については、スクールカウンセラーに簡単なカウンセリングをおこなってもらうことがいいのではないかとの意見がありました。わたくしは、その意見に賛同し、当該生徒に対してカウンセリングを勧めることを学年の全教員と確認しました。

わたくしは、その翌日の土曜日、六月十五日に、放課後の時間を利用して、当該生徒を相談室に呼びだすことにしました。突然に呼びだしたのですから、当該生徒も、こちらの要件に薄々勘づいている様子でした。わたくしは、狭い相談室の中で、じっと彼女の目を見つめました。当該生徒は、目を合わせてはくれず、かといってふてくされたような様子もなく、気まずそうにテーブルの一点を見つめていました。不要な雑談はすべて省略しました。「きみの苦しみを否定することはしない。苦しんでいるのなら、それを素直に話してくれないか」と切りだしました。彼女は、眉をひそめて苦痛を覚えたような顔をすると、なにか言いたそうに口を開きました。わたくしは彼女の目をじっと見つめつづけましたが、開かれた口は、まももや、力なく閉じてしまったのでした。その様子を認めて、「僕には話せないこともあるだろうと思う。どうかな、週に一度、水曜日にカウンセリングがあるんだけども」と提案をしました。最初は拒絶を見せましたが、気難しくとらえずに、自分のことを話すだけの機会だと思ってくれればいい、カウンセリングでの内容は本人の許可を取らなければ学校にも報告はされない、と説得をすると、当該生徒は、そのことを受けいれました。最後、カウンセリングのことは両親にも伝えていいか、と問うたとき、当該生徒がそこだけには素早く首を振り、「やめてください」と重く冷たい響きで言いはなったことはとても印象に残っています。わたくしは、それまでの一連の流れを、当該生徒の保護者様には報告をしませんでした。

こうして、次の水曜日に当該生徒がカウンセリングを受けることが決まりました。わたくしの心情としましては、ひとます、というものがありました。これですべてが解決されたわけではありませんでしたが、正直、メドが立ったような気がしていたのです。そのときでも、まだ、クラスの中でもひときわ落ち着いているように見えた当該生徒がどうして怒りに走った行動に出るのか、腑に落ちないところはありましたが、いくら担任であれ、入ってはいけない領域というものはあります。ひとりの教師でしかないわたくしには、できないこともありました。カウンセリングによって少しでも気が楽になってくれればいい、と心から願っていました。

予定されていた通り、次の水曜日、正確には六月十九日ですが、その日に、当該生徒へのカウンセリングが予定時間の三十分を大幅に過ぎて一時間ほどおこなわれました。カウンセリングの取り決め上、そのときの内容は、一切、わたくしの耳には入っておりません。ただ、そのあとにスクールカウンセラーの先生とお話をして、当該生徒は精神状態があまり芳しくない、継続的にカウンセリングをしてもいいか、と提案をいただきました。そのことを当該生徒に伝え、了承を得ました。こうして当該生徒へのカウンセリングが継続的におこなわれることに決まりました。

クラスの中での当該生徒の様子は、わたくしの目から見れば、学期の初めから変わっていないように見えました。周りの生徒には相変わらずに気配りをしているし、班の子たちとも仲良くしているように見えました。ただ、少し、独りきりでいることが多くなったようには感じていましたが、孤立しているといった雰囲気はありませんでした。カウンセリングが決まったことで、当該生徒への注意が薄れていたことはなきにしもあらず、としか言いようがありません。そのときには、わたくしの手元には、まったくべつの問題として他の生徒の登校拒否の難題がありました。これといってピンとくるような問題を抱えているわけでもなさそうでしたが、もう、絶対に学校には行かない、という態度でいて、部屋から一歩も出てこないのです。

これまた、いろいろな生徒がいるとしか説明ができないのかもしれません。苦しみを感じたときにすぐに行動を起こしてしまう生徒もいれば、どんなに苦しみを感じてもじっと耐えつづけるような生徒もいるのでしょう。どちらがいいか悪いか、という話ではありません。ですが、今回の自殺事件のことを思うと、死ぬくらいなら逃げてもらいたかった、というのが正直なところです。エリートとなって活躍するような道は、そもそも、幻想でしょう。ほとんどすべての人たちは、一歩、一歩、地味な道を進んでいるのです。輝かしくはないかもしれないし、ドン引きするくらいに醜い道なのかもしれません。でも、道です。学校へ行かなくなっても、地味な道は続いています。いつでも、その道を歩こうと思えたときに、歩きだせばいいのです。それまでは、休んでいればいいのです。また歩きだせば、同じように歩いている人たちの姿が、同じようにどろどろになりながら、ピカピカになることを目指して、弱音を吐きながら、強がりを見せながら、人間臭く歩んでいる人たちの姿が、見えてくるはずなのですから……。

……なんて、すみません、脱線しました。抽象的なイメージで簡単にまとめてしまえるほど単純なものではないことは、重々承知しております。あまりにも短慮な発言を、ここで訂正し、お詫び申しあげます。誠に申し訳ありませんでした。心苦しく思われる方がいるかもしれませんので、この部分は、カットしていただきたくお願い申しあげます。

さて、本筋に戻りますが、わたくしの目から見れば、当該生徒に変わりはありませんでした。さきほども述べましたように、しかし、わたくしの主観は、すべてを見透かしているわけではありません。わたくしの目の届かないところで、当該生徒の心は崩壊へと近づいていたのだと思います。

次の月曜日、六月二十四日のことでした。その日の放課後、隣接するH小学校から、当該生徒への糾弾の一報が届きました。H小学校の男子児童が、当該生徒から暴力を振るわれ、膝をすりむいて怪我をしたというものでした。わたくしは、テニス部の監督としての仕事を他の教員に頼みこんで、すぐにH小学校に駆けつけました。あやふやではありましたが、ひとまず事実関係を確認し、担任として謝罪をいたしました。そのあとで、当該生徒の自宅に電話を入れました。出られました当該生徒の保護者様に対して、その日にあったことを伝えました。たいへんびっくりしたような応対をされていましたが、内心、わたくしも、びっくりしきっていました。

その日にありました暴力事件につきましては、怪我をした男子児童の舌足らずなところのせいで、事実関係がよくわからないところがありました。わたくしは、ここ最近の当該生徒に関する一連の流れを保護者様に報告したうえで、当該生徒に変わってもらうようにお願いしました。

すぐに、当該生徒が出ました。電話口の当該生徒は、わたくしがなにか言うより先に、「すいません」と謝りました。ひどく沈みこんだ声でありながら、自分の非を認めているようなものではありませんでした。そこには強い反発力がこもっていて、お前が悪いのだ、と指摘すると、何倍にもなって返ってくるような力強さを感じました。わたくしは、敏感になっている当該生徒を傷つけないように細心の注意を払いながら事実関係を確認しようとしましたが、彼女は、すいません、すいません、と繰りかえすだけでした。そして、最後に「謝れません」と結んで電話を切られてしまいました。

わたくしには、なにが起こっているのか、わからなくなりました。もともと不可解に感じていましたが、この件を加えて、さらに不可解さが増していったのです。そのときわかっていたことと言えば、当該生徒と怪我をした男子児童が、自宅が近所にある関係で、小さいころから仲良くしていたということだけでした。わたくしは、この一件を生徒指導の教師に報告しました。その日の夜に、学年主任の教師と生徒指導の教師とわたくしの三人で当該生徒の奇行について話しあいました。他者に危害を加えたとなると、さすがに庇っているだけではいられなかったからです。この問題が膨らめば、生徒Aへのイジメにもつながるかもしれないという危惧が三人ともに共通してありました。そこでの話しあいでは、翌日に当該生徒に対して指導をすることに決まりました。

しかし、問題は、指導をするよりも先に起こりました。その翌日の火曜日、昼休みに、生徒Aが過呼吸の発作を起こして保健室につれてこられたのです。一報を受けてからすぐに駆けつけ、生徒Aに対して「なにかあったのか」とわたくしは聞きました。生徒Aは、「なんにもないですよ」とはにかみました。そのときの表情には、あまりにも無理がありすぎました。わたくしは、そこに来ていた生徒たちを追いだして一緒に保健室を出て、生徒Aと懇意にしていた彼女ら生徒たちに、なにがあったのか、と聞きました。それによれば、こういうことでした。昼休みに無人の教室に戻ってくると、生徒Aの机だけが横転した状態であったらしいのです。それを目にした生徒Aは「嫌だ、嫌だ、嫌だ」とつぶやきながらその場にくずおれて、過呼吸の発作に見舞われました。そのまま、友達たちに抱えられて、保健室に連れてこられたということでした。生徒Aの机を横転させたのは誰か、それは確認できませんでした。その際は、保健室で休憩していた生徒Aに対して、「頼むから、イジメられているなら教えてほしい。きみのためだけじゃない。当該生徒のためにも、本当のことを話してほしい」と懇願しましたが、生徒Aは、「ホントに、なにもないんですよ」と笑いました。たいへん心苦しかったのですが、その悲壮さを前にして、それ以上に踏みこむことはできませんでした。

その日の放課後に、わたくしは、学年主任の教師とともに、相談室にて当該生徒と向きあっています。そこで、わたくしたち二人は、当該生徒に対して、「なにかあるなら、それを話せばいい」、「カウンセリングも、明日、ある」、「どんな理由があろうと、誰かに手を出すことは許さない」、「誰かにせいにするのは、卑怯だ」などとの言葉を用いて、指導をおこないました。前日の、男子児童への暴行の件についてです。わたくしの目には、当該生徒は、ふてくされたような態度をしていると映りました。そう映ったことも指摘し、自分の問題から目を逸らすな、と強い口調で指導をおこなっています。その日にあった机の横転事件については、証拠もなかったため、あえて触れないようにしました。当該生徒の事情にも耳を貸そうとしましたが、彼女はなにも語ろうとはしませんでした。最初から最後まで、変わらずにふてくされたような態度のままでした。

指導のあとには、わたくしの車で、怪我をした男子児童のいる自宅へ当該生徒をつれていきました。そこで、謝罪をさせようとしました。そのときには、当該生徒の保護者様にも連絡をして、駆けつけてもらって、同伴してもらっています。いざ謝罪しようという段になったとき、それまでふてくされて無言を決めこんでいた当該生徒は、急に感情を剥きだしにして、「いいかげんにして!」と叫び声を上げました。そのまま駆けていってしまいました。その日は、その足で当該生徒が自宅に帰ってしまったために、謝罪をすることはできませんでした。結局、そのままになって、謝罪をすることはできなくなってしまったのですが……。

その日の夜は、保護者様を学校に呼んで、学年主任の教師と、保護者様である当該生徒の母親の二者で話しあいをおこなっています。今現在の当該生徒の様子についてなにか思いあたりはないか、それを聞くためでしたが、大きな収穫は得られませんでした。自宅での様子はとくに変わりはなく、今月に入ってからもずっと穏やかな感じだったという印象を語っておられたそうです。だから、さきほどのふてくされたような態度や、急に叫び声を上げるところには、母親もたいへん驚かれていて、なにがなにやらわからないといった感触だったようです。「うちの子は、みんな、穏やかで、欲もないし、静かでいることを処世術にしているはずなんですけど」と何度か繰りかえされたようでした。

その間、わたくしは、生徒Aの自宅にお邪魔しておりました。まずは生徒Aの保護者様二人に当日の机の横転事件のことを報告し、深く謝罪したうえで、そのリビングで、生徒Aと二人きりにさせてもらいました。生徒Aと向きあって、力強い目を向け、「なにがあったか、教えてほしい」と迫りました。生徒Aは、申し訳なさそうに首を振り、「本当に、わかんないんです」と答えました。「ただ、当該生徒は、苦しんでいると思います。どうか、責めないであげてください。わたしなんかより、苦しんでると思いますから」と付言しました。生徒Aの優しさは十分に伝わってきましたが、わたくしとしては、なんともつかみどころがなく、ひどく無秩序で、混沌として、なにもかもが闇の中に紛れていくような、居心地の悪さを感じていました。こんなことは教師としては絶対に口にしてはならないことなのですが、あえて言わせてもらえば、正直、お手上げ、としか言いようがありませんでした。

わたくしとしても、学校としても、当該生徒に指導をするかどうかという問題はきわめて慎重になって考えていたことでした。そのうえで、もう指導をするしかないと踏みこもうとした矢先、机の横転の事件があるのでした。真実はわかりませんでした。ひょっとしたら、誰かがぶつかって倒したのをそのままにしただけかもしれません。当該生徒が故意にやったものと断定するのは先入観に過ぎないのかもしれません。どうあれ、当該生徒の不可解な様子について、うまく説明するための道具をわたくしたちは持ちあわせていませんでした。生徒Aへの攻撃ならば、嫉妬として説明ができたとしても、どうして年下の男子児童に暴力を振るわなければいけないのでしょう。当該生徒の中でなにが起こっているのか、あまりにも不確かでした。得体のしれないものに挑んでいくことは、雲をつかもうとすることのように徒労感があふれました。気概が削られていって、わたくし自身、かなり精神的に追いつめられていきました。言い訳をするわけではありませんが、わたくしは、当該生徒専門の教師ではありませんでした。その間も、授業をして、クラスの運営をして、部活の顧問をしていました。今わたくしが話しているのは当該生徒を中心とした内容だけですが、わたくしには、ほかにも取り組まなければいけないものがたくさんありました。その中のひとつのものとして、当該生徒の問題があったのです。できる限りのことはやってきた、と言ってしまいたいところですが、そんな言い方は、もう、できません。もう、できなくなってしまったのです……。

……すみません、感情的になりました。謹んで、お詫び申しあげます。

生徒Aの自宅のリビングで、わたくしは、さらに聞きました。「当該生徒との関係が歪みはじめたのには、なにか、きっかけはあったのか?」と問うと、「ホントに、わかりません」という返答でした。それではなにも解決しない、とやや高圧的に出ますと、生徒Aは渋々といった様子で告白しました。「なにが気に食わないかはわかんないけど、ときどき、悪口を言ってくるときがあって」と。イジメられていると思うか、と問うと、ついに、「思いたくないですけど。はい」と生徒Aは不承々々に言いました。そのときに、初めて、当該生徒による生徒Aへのイジメを認知しました。その内容としては、言葉の暴力です。給食の時間に、生徒Aがボケをすると、当該生徒は、「死ねよ」、「カスじゃん」、「ただの馬鹿だよ、そんなん」というような言葉をツッコミであるかのように装って口にするということでした。その場の空気ではうまくツッコミに紛れてしまいますが、生徒Aは、深く傷ついていると認めました。関係が歪んで不仲になった相手からの、そのようなツッコミには、悪意を読みとっても無理はありません。実際に、悪意もあったのでしょう。わたくしは、生徒Aに感謝し、その日のうちにイジメの事実を生徒指導の教師に報告しました。二人で話しあった結果、給食の時間に、当該生徒の班に、わたくしも加わって食事をすることに決めたのでした。

ですから、それ以降については、当該生徒は、給食の時間に悪口を言わなくなったのでしたが……。

 ここから先は、口にはしたくないところです。ネット上ではすでに拡散し、収拾のつかない事態になっていますが、わたくしには、それが許せません。今回の事件でどれだけの人が胸を痛め、心に傷を負い、その中で生きているという厳然たる事実に、どうして気づくことができないのでしょうか。ここで、わたくしが発言をすることによって、おそらく、ネット上での例の動画の拡散は加速することになります。そのことを検討したうえで、これより先の事実につきましては、一部、意図を持って伏せさせていただくことにいたします。ご理解が得られることを期待しています。

 その翌日、水曜日の出来事につきましては、その意図のもとに今回の記者会見では公表しないことにします。その日は当該生徒のカウンセリングが予定されていましたが、その出来事によって、当該生徒への指導を含んだそちらへの対応を優先する運びとなり、カウンセリングはキャンセルすることになりました。したがいまして、当該生徒がカウンセリングを受けたのは、六月十九日の一度きりです。

 六月二十七日、木曜日、公開授業の日です。すでにお話しした通り、その日に、当該生徒は他校の教師である笹沢教員に対して、『助けて』との紙切れを手渡しています。その紙切れの内容がH中の生徒指導の教師に伝えられ、わたくしの耳にも届きました。そのことについて、当該生徒に対して、無責任なことをするな、と指導をおこないましたのは、したがいまして、当該生徒がイジメの被害者ではなく、加害者だったからです。省略しました六月二十六日の出来事にも関わってきますが、その日にあった出来事によって、わたくしたち学校としての対応は決定づけられました。それまでは当該生徒を庇うような方向性もあったことは周知の通りだと思いますが、その日には完全に、庇うことはできなくなっていました。当該生徒が、紛れもなくイジメの加害者であったことが明らかになったからです。

 当該生徒は、そのあと、クラス内で衝突を繰りかえすようになり、完全に孤立するようになりました。

七月二日には、生徒Aと衝突を起こし、生徒Aは学校を脱走しています。授業を中断して、クラスの生徒たちで生徒Aを捜し、なんとか生徒Aを保護することはできました。その日には、わたくしは、当該生徒を呼びだし、強い指導……いえ、恫喝するような勢いで強く怒鳴りつけました。感情的だったことは否定できません。どんな言葉を浴びせたのかも詳細には憶えていないくらいです。込みあげてくるままに言葉を吐きだし、当該生徒を罵倒しました。その中で、お前はクズだ、という言葉を浴びせた憶えもあります。教師として、絶対にあってはならないやり方だったことに間違いはありません。

当該生徒は、なにも反撃しないままに、涙を流しながら相談室を飛びだしました。その背中を追わなかったのは、彼女への生理的嫌悪感と言ってしまえばそれまでです。わたくしの目には、もはや、当該生徒が人間のようには見えていませんでした。それほどまでにわたくしは平常心を失い、我を失っていました。頭を冷やしても、もう遅いことを、幾度となく実感しています。あのときのわたくしの言動は、完全に、正気の沙汰ではありませんでした。相談室を飛びだしていった当該生徒は、そのまま、近くの川にその身を投げてしまいました。

大事な部分を省略したために全体像がわかりにくくなったかもしれませんが、当該生徒が自殺しましたのは、わたくしのいきすぎた感情的な罵倒にあったことは明らかだろうと思います。教師には、イジメの被害者を味方することと同時に、イジメの加害者にも味方をする義務があります。友達をイジメてしまう子にはなにか大きな問題がある、そのような認識は、教育者であれば誰もが持っていなければいけないものです。自分勝手な正義を振りかざし、感情的になって、ひとりの子供を糾弾し、罵倒し、貶し、追いつめる権利はわたくしにはありません。当該生徒の自殺について、その責任は完全にわたくしにあると、確信しています。ネット上では、生徒Aを糾弾する動きがありますが、わたくしは、それを許すことができません。生徒Aは、イジメの被害者でした。それも、とても勇敢な被害者でした。当該生徒を自殺に追いこんだ悪魔ででもあるかのように、生徒Aを吊るし上げる権利がいったい誰にあるのでしょうか。

代わりに、皆さまには、わたくしを吊るし上げる権利を今、差しあげているわけであります。正義のヒーローを気取るつもりはありません。ただ、もう、これ以上、罪のない子供の心を傷つけないでください。これが、教師であったわたくしのせめてもの、教師としての償いです。

とはいえ、事実関係に間違いはありません。当該生徒を追いこんだのは、ほかならぬ、このわたくしであります。学校としての対応に問題はありませんでした。わたくしの個人的なやり方に、すべての問題があったことは疑いようがありません。本当に、本当に、申し訳ありませんでした。


(3)スクールカウンセラーへの突撃インタビュー


 〇ちょっと、すみません。週刊誌の者です。先日自殺されました当該生徒の、カウンセリングを担当されていたスクールカウンセラーで間違いないでしょうか?

 ――はい? ああ、そうですけど。なんですか、やめていただけますか? ここ、近所ですから。近所の方に不審がられるじゃないですか。

 〇自殺された生徒よりも、ご自分のご近所づきあいが大切だということでよろしいでしょうか?

 ――は? なにをおっしゃってるんですか。そんなわけがないでしょう。とにかく、アポイントも取らずに、勝手に他人のプライベートに入りこんできて、急に糾弾口調になるって、あまりにも礼をわきまえていないとは思えませんか? 先の事件についての取材なら、正規の方法でわたしにアポイントを入れておいてくださいませんか? わたしとしても記憶を整理したりする必要はあります。こんな急に来られて、適当なことを口走ってしまってもいけないでしょう。

 〇礼をわきまえるというのはどういうことでしょうか。カウンセリングを担当していた生徒が自殺されたんですよ? その原因を一番詳しく知っているのはあなたじゃないですか。説明する義務があるんじゃないですか?

 ――なにをおっしゃいますか。いいかげんにしてください。芸能人ならまだしも、どうして、ただの民間人の女の子の心の中を、身勝手に、わたしなんかが説明するような義務があると言うのです。べつに、週刊誌に取りあげられるようなことじゃありません。ひとりの女の子の心を、それも、もうこの世にはいない女の子の心を好き放題に暴いて、楽しんで、それで、誰に得があるんです? もちろん、まだこの世にいる子たちはたくさんいるんです。今回の事件で、みんな、胸を痛めています。その傷を抉るような節度をわきまえていない行動は慎んでもらえませんか?

 〇カウンセラー然とした言い方ですね。しかし、そんなあなたのカウンセリングでは、当該生徒を助けられなかったわけじゃないですか? 違いませんよね? あなたに責任はないと言うんですか?

 ――そんなことは言ってないでしょう。ああ、もう。……わかりました。急なことだったんで、わたしもちょっと熱くなってしまいましたが、気分を入れ替えて、あっちの公園のベンチで話させてください。落ち着いてから、ちゃんとインタビューに応じますから。それで、いいですか? 一度、荷物を自宅に置いてから、また来ますので。

 〇取材へのご協力、ありがとうございます。ベンチにやってきましたので、では、早速、インタビューに移らせていただきます。すべて録音していますが、よろしいですよね、もちろん。はい。では、最初に、先日、当該生徒の担任教師だった小島元教諭が異例の顔出し記者会見をおこないましたが、あの会見については、どのように思われましたか? 

 ――あの会見を見たところでは、わたしには、小島先生が報告魔だったことくらいしか伝わってきませんでしたね。すべて逐一学校側に報告していればなにも問題はないと思いこんでいるように感じられました。自分に降りかかった火の粉を、他の人に分け与えているような印象でしょうか。

 〇印象としては、悪かったと?

 ――そうですね、悪すぎました。うまい言い方をしているのかもしれませんけど、よく考えてみてください。小島先生がやっていたことは、クラスにイジメの噂が起こるたびに学校側にそのことを報告し、ちょろちょろと簡単な聞きこみをおこなって、あとは優しく見守っていたという素晴らしく効率的なやり方なんです。それでいて、当該生徒がついに暴力に走ったという段階になって、ようやく重い腰を動かして、彼女への指導に入った。問題が起きなければ静かにしていよう、問題が起きたら指導をすればいい、というような短絡的な行動原理で動いているだけです。言い訳がましいのも、ひどく癪に障ったことはたしかですね。けれども、一番の問題は、やっぱり、彼が、のうのうと嘘を吐いていたことでしょうか。

 〇嘘ですか。あの記者会見には、虚偽の事実があったと?

 ――はい。

 〇それは、どこの部分でしょうか?

 ――当該生徒が生徒Aに嫉妬していた、というくだりです。よくもまあ、あんな紳士然とした態度で、のうのうと、こんなトボケ方ができるものだと、感心してしまったくらいです。嫉妬というのは、一切、確認できませんでした。生徒Aの友達たちは、当該生徒には嫉妬があると考えていたのでしょうし、そのことを小島先生が聞きこみで耳にしたのも事実でしょう。ただ……これは、当該生徒の保護者様と検討したうえで、すぐに公表することに決めているのですが、当該生徒には、生徒Aへの嫉妬はありませんでした。当該生徒が苦しんでいたのは、そのような悩みからではありませんでした。そして、わたしは、当該生徒から耳にした本当の悩みについて、当該生徒の許可を得たうえで学校側に報告しています。つまり、小島先生が記者会見でおっしゃっていた、カウンセリングの内容は耳にしなかったというところも嘘ですし、当該生徒の苦しみの原因がよくわからないというようなところも嘘です。わたしには、生徒Aを庇うために、わざと事実を伏せているとしか思えません。そうでなければ、保身でしょう。学校も、小島先生も、当該生徒の苦しみを無視していたんです。

 〇ほう。嫉妬ではなく、ほかの苦しみがあったと。そして、そのことを学校側は把握していたというのに、全員でシカトをしていたと。そんなことになれば、他校の教師に助けを求めたくなっても不思議はありませんね。カウンセリングで当該生徒が語ったという、本当の悩みについて、お話していただけますか?

 ――カウンセリングの内容は、誰にも知らせてはいけないことになっています。ただ、今回は、保護者様の了解を得たうえで、近頃、当該生徒の遺書の全文をネット上で公開することになっています。その内容を見れば、なにが真実か、一目瞭然です。カウンセリングでの内容も、その遺書の内容と被っていますから、そちらで確認をしてください。

 〇おお。遺書の全文を? なぜ、ですか?

 ――当該生徒の名誉のためです。

 〇もう少し、詳しく聞かせていただけますか?

 ――いいですか。どのような印象を持たれているか知りませんが、当該生徒は、成績優秀で、クラスでは上から数えて二番か三番かでした。そのうえ、班長として活躍していましたし、周りからも認められていました。そんな当該生徒が、どうして、生徒Aに嫉妬しなければいけないのでしょうか。嫉妬というのは、自分と誰かを比べて、自分の方が劣っていると感じたときに、相手を引きずりおろして自分と同じ場所に落とそうとする心の働きだと思います。劣っていると感じなければ、嫉妬をすることはないでしょう。当該生徒は、生徒Aより劣っているという感覚を持てたんでしょうか?

 〇それは、わかったのですが、当該生徒の名誉というのは、どういうことですか?

 ――誰もが自分のことを正しいと思いこんでいるでしょう。自分は最低なやつだと思いながら最低な行動をする人はほんのわずかです。最低な行動をしている人の多くは、自分では、その行動は最低ではないという認識でいるのです。

 〇なにをおっしゃりたいのか、つかめないのですが。当該生徒のイジメは、本人の中では正義だったとでも言うのですか?

――正義か、悪か、の話というより、被害者か、加害者か、の話です。相手が悪いのだと思いながら、自分が被害者であることを主張しながら生きているのが、ふつうの人間です。その点では、どちらにも違いはありません。それなのに、たまたま被害者だった方が救われて、たまたま加害者だった方が避難される。それって、どうです? そもそも、はたから見たときの被害者が本当に被害者なのか、はたから見たときの加害者が本当に加害者なのか、そこまで考えている人がいますか? 想像してみてください。自分は正しいことをしていると思いこみながら日々の辛い生活を続けていたら、不意に、お前は悪魔だと指摘してくるやつが現れるのです。それも、ごまんと。あまりにも、ひどいとは思いませんか。内省とか、反省の時間とかを少しも与えずに、急に頭ごなしに否定されるのです。その否定はひょっとしたら正しいのかもしれません。ちゃんと加害者なのかもしれないです。ですけど、本人は、それまでずっと、被害者のつもりでいたんです。一方的に吊るし上げられて悪魔になってしまった子は、自分が加害者だったんだ、悪かった、という実感が訪れるときには、もう、すでに悪魔として完成しているのです。そこに更生の余地はありません。わたしがこうやって言っているのは、今、あなたがやっているその正義のような活動も、完全に正しいわけではないということです。あなたは正しいことだと思っているでしょうが、明日、朝起きたら、お前はクズだ、消えろ、死ね、と炎上しているかもしれませんよ。そのときに、あなたは、自分がいかに正しくなかったか、いかに加害者であったか、認めることができますか? その点、当該生徒は強い生徒でした。自分がいかに正しくないか、自分が加害者になっていないか、常に疑いながら生きていたのに、その仕打ちがあれでは、……あんまりですよ。


 (続く)


読んでいただき、ありがとうございました。


続きは、カクヨムにあります。→https://kakuyomu.jp/works/1177354054893800228


小説家になろうにもありますので、タイトルで検索すると出てくると思います。本当はひとつにまとめるべきですが、使い勝手がわからず、分けることになりました。手間をかけて申し訳ありません。カクヨムなら、一つの作品でまとまっています。

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