ぎりぎりせーふ
今日も今日とて、僕の居場所は変わらない。自室のベッドの上だ。
いつもと変わらない風景。そして、部屋にいるのは僕ともう一人、アナだ。
アナは今、部屋の掃除をしている。相変わらずため息が多い。
さて、このタイミングだろう。
「アナ!」
「はいはい、なんですか坊ちゃん。アナはここに…」
「ほん!よんで!」
出来るだけ幼児っぽく。
ただ、話しかけていることがわかるように。
「え……坊ちゃん。今……」
「ほん!」
アナは反応に困っている。
まあ、僕が名前以外の呼びかけをしたことはなかった。
本当に言われたことを反復することだけだった。
だからこれはちゃんとアナに話しかけてるんだ、本が読みたいんだ、という始めての僕の主張だ。
「そうですか。坊ちゃんは本が読みたいんですね?」
「ほん!よみたい!」
意味が通るように。
ただ、まだ難しい返答はできないという感じの返答。
戸惑いながらもアナは僕を膝の上に乗せて、本を読んでくれた。
言葉が分かるようになってからの日課なのだが、アナに本を読んでもらいながらも、文字を目で追いながら文字の勉強をしている。
アナが読んでくれる本のレパートリーは数冊しかないので、もう大体の文字は読めるようにはなった。
まあ、それを披露することになるのはまだまだ先になるだろう。
結局、アナは僕がぐずるまでずっと本を読んでくれた。
アナの裾を引っ張る。
「アナ、ありがと。」
「!!」
またもや驚いた顔のアナ。
………流石にやりすぎたか?
でも、これぐらいやっても同年代の中では全然話せていないと思う。
それに多少無理矢理でも、今は無能として処分されかねない状況なのだからしょうがない。
そもそも、子供の話し始める過程なんてものを僕は知らないのだから、無理矢理でもこんなやり方しか出来ない。
「それではすこし休んでいてくださいね。
私は領主様とお話をしてきます。」
「うん。」
定位置とかしているベビーベッドに運ばれながら、僕に声をかけるアナの声は震えているように聞こえた。
アナが部屋を出て小一時間後、アナは両親を連れてきた。
理由は僕がアナに話しかけたからだろう。
久しく会っていなかったお父様とお母様は訝しがっているようにも見える。
それもそうだろう。
いままで、アナも両親もあれやこれやと散々手を尽くしてきてきているのを僕は知っている。
ちょうど、アホの子作戦を発動した直後だったので、完全に無視していた。
それから段々と両親の熱が収まるのを待って、いつ話だそうかと思っていたら、今の状況に陥っていたのだ、
「エル。今日は何をしていたんだ?」
「ほん!よんだ!」
「!!!!」
お父様が話しかけてきたので普通に返す。
案の定、二人共驚きの表情だ。
ちなみ、エルというのは僕の名前だ。
正式名称は僕自身も分からない。
何回か耳にしたことはあるけど、長ったらしくて覚えてられないし、そもそも聞く機会が少ない。
「そう、なんの本を読んだのかしら?」
今度はお母様だ。
「ほん!!」
本の内容まで話すのは流石にやりすぎだろう。
とりあえず、本を呼んだということだけ話しておけば十分だ。
その後も質問攻めをされたが、全部単語だけで返しておいた。
一通りの問いかけが済んだら、忘れていたかのようにお母様の目に涙が浮かんでいた
「エル……」
「なに、おかあさま。」
返事を返したら、お母様は泣き崩れた。
言葉一つでノックアウトだぜ、などとくだらないことを考えていると、涙を浮かべたお父様からも名前を呼ばれた。
同じように返事をするとお父様も静かに泣き出した。
お母様とお父様が抱き合って泣いていると、後ろの方に泣きはらしたアナも見える。
今、僕の部屋にいるのはこの三人だけ。
領主であるお父様が大騒ぎしているのにも関わらず。
それだけで僕の置かれている立場は噂話で聞いたものとそう変わらないのだということが分かってしまった。
僕に関わりたくないのだろう。
部屋の外からは使用人達が集まっているのか、物音が聞こえるが、両親の泣いている声が邪魔をして、何を話しているのかまでは聞こえない。
それでもどうせ、寿命が延びた云々の話だということはわかった。
さあ、これで当面の危機は去ったと思う。
ただ、僕は普通の同年代の子供がどれだけ話せるのか知らない。
僕以外に子供はいないし、前世なんて死ぬ直前も覚えていないのに、三歳の頃なんて覚えているわけがない。
今日は今までほとんど話せなかったから、少しは成長した、ということだけ分かれば両親も満足していた。
だけど、どれくらいのペースで話せるようになっていけばいいのかが未知数だ。
叔父様の件もあるから、何も考えずにどんどん話していったら、いつも間にか話しすぎていることがあるかもしれない。
比較対象が欲しい………
さて、言葉を話して始めてから僕の状況はすこしずつ変わっていった。
まず、使用人が増えた。
外ではまだ井戸端会議は繰り広げられているが、本当にどうでもいいようなことばかりになった。
誰と誰が恋仲だとか、使用人の誰某がこんな失敗をしただとか。
そんな会話の中でもポロっと僕に関する話が出ることもある。
それによるとお父様が使用人に僕の世話専属の者をさらに置くようにしたとのこと。
今まではうまいこと言って逃げるのも黙認されていた。僕が処分寸前の状況でお父様がそれを大々的に咎めることができなかったからだ。
そのせいでアナ一人にまで減っていった使用人だったのだが、僕がとりあえず処分を逃れたのでちゃんと面倒みないといけないぞ!と直接のお言葉を下せるようになったというわけなのだ。
新しく来た使用人の名前はダキ。
僕が生まれてすぐぐらいはアナと同じく僕の使用人だった人だ。
どうにか言い訳をしてほかの仕事に移ったけど、運悪くまたもお声が掛かったらしい。
初対面ではないけど、再び僕の世話をするようになり、挨拶をした時の態度は嫌々。それもそうだろう。
ついこの間まで処分寸前までいった子供だ。
次に何があるかわかったものじゃない。
そして、使用人なんてのはそんな奴が何か問題を起こせば、まとめて処分を受ける立場なのだ。
まあ、仕事については文句はない。
僕がもっと話すようにわかりやすい言葉に気を使っているし、アナに対しても友好的。
自分の命が掛かっているのだから当たり前だとは思う。
ただ、小声ではあるが、次はどうやってこの立場から抜け出してやろう、なんて言葉を口にするのはどうかとは思う。
まだ、本格的な会話についてはしていないが不用意過ぎないか?
それ以外については文句がないのでとりあえず気付いていないことにしてはいる。
使用人の増員の他には要注意人物である叔父様の訪問があった。
子供好きなのだろう。
僕が会話?をした次の日にはものすごい勢いで僕の部屋の中に入ってきた。
両親よりも頻繁に僕のところに来ている叔父様だ。
言葉を話したと知って両親たち以外で真っ先に僕のところに来たのは叔父だけだ。
本当に簡単な会話しか出来ていないが、両親以上に喜んでいたようにも見えた。
こんな人がなぜ危険人物なのだろう?
そんな感想しか出ないような人。
僕にとっては子供好きのおじさん。
というか、ここまで噂になっているのになんで、領主の子供である僕に会いに来ることが出来るんだろう?
しかも、頻繁に。
やっぱり、あの噂は本当にただの噂話でしかないんだろうか。
それにしては詳細な情報が出回っている。
分からないことがまた増えてしまった。
そして、ベビーベッドからの卒業。
この世界か国か家庭かはわからないが、ここでは言葉を話すようになるまで幼児を本を読み聞かせるなんかのことがあるとき以外ベビーベッドの外から出さないという決まりがあるのだ。
言葉を話せるようになった僕はやっとベビーベッドを卒業できた。
そして、食事の場所の変更だ。
朝食、昼食、夕食の時に今までは自室でアナと一緒に食事をしていたのが食堂での食事になった。
つまりは食事を両親と一緒にしてもいいよ、ということ。
あまり変わった感じはしないが、僕的には一人でアナに付き添われながらする食事よりも両親と一緒に食事をする事のほうが自然に感じた。
そこで一日の会話をしたり、テーブルマナーについてのしつけを受けたりする。
これが結構厳しい。
前世はテーブルマナーが必要な食事をすることがほとんどしたことがないような生まれだったからだ。
何もしていないよりはましだったとは思うけど。
それでも言葉で出遅れている分厳しくされている気がする。
あと、どうでもいいことだが、部屋の模様替えがあった。
ベビーベッドから卒業したからには新しいベッドが部屋に入る。
ホテルのスイートルームにあるものあたりを想像してもらえればいい。
今まで赤ん坊使用だった部屋にそんな立派なベッドが来ると流石に浮く。
そんなわけで模様替えだ。
僕の趣味趣向は関係なく、いかにも貴族っぽい部屋になった。
うまく説明するのは難しいが元々あった絵画やカーテン、花瓶などの家具をそう取っ替えしてるので雰囲気がまるっきり変わってしまっている。
この部屋に慣れるのには少し時間が掛かった。
まあ、変わったことはそんなとこだ。
これからの方針も『アホの子作戦』は命に関わらない程度に続けていこうとは思うものの、原因である叔父様がどうにも気にかかる。
どうにか原因解明をしながら、のんびり成長していくことにしよう。