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漆玉

作者: 金魚さん

次一郎はその日、学校から帰る途中自分か何かを握りしめていることに気がついた。

「おかしいな、何を握ってたんだっけ。」

何を握ったか覚えていないという事実にほんの少しだけ手のひらに汗をかく。

恐る恐る手を開く。

「あっ!漆玉だ!」

手から転がり出てきたのは漆玉だった。

漆玉は握りつぶすものだ。

しかし、珍しいものなので誰もが握りつぶすのをためらう。

次一郎も小躍りして喜び、握りつぶしてみようかと、迷いだした。

漆玉をもう片方の手に移し、漆玉を握りしめていた手を開いては閉じ、開いては閉じ、どうしようかと考えつつ帰り道の続きを歩き始めた。

「おい!どうしたんだ?」

後ろから来た三助が肩を叩く。

「漆玉を握ってたんだ。」

「すごいじゃないか!早速握りつぶしてみよう。」

「うーん、でももったいないような。」

「そんなことないって。」

三助は手のひらをこすりあわせ始める。

シュッシュジュジュ、シュッシュジュジュとリズミカルに。

そのうち、煙が立ち上り始めるんじゃないかと次一郎はいつも思う。

火打石のような三助の手が、木片をこすり合わせるような音を立てるのは本当に不思議だ。

「やあ。二人してどうしたの?」

前から来た正一が手を挙げる。

「漆玉を握ってたんだ。」

「本当?見せてよ」

「はい。」

次一郎は持ち替えていた漆玉を元の手に戻して正一に差し出す。

いっそうぬぺっとした感じが増している。

正一は手の上で転がしてはメガネをずり上げ、ずり上げては眺めることを繰り返す。

ゆうにそれを二十回は繰り返したころ、訝しげな表情を浮かべた正一はやっと口を開いた。

「これ、本物かなぁ?」

「本物だよ。」

「偽物の気がする。」

「絶対本物だって。」

「いいや、偽物さ!決まってる!」

そう言い切ると、正一は漆玉を後ろを振り向いて投げた。

漆玉はひゅうんと落ちると後ろを歩いていた親子の元へ転がっていく。

「何するんだ!あれは僕が握ってたんだぞ!」

「握ってただけだろう。」

「握ってただけだからこそ、あれは漆玉なんだ!」

「馬鹿馬鹿しい。」

「早く拾ってこいよ。」

「ちぇっ、わかったよ。

正一が親子のほうへ、漆玉を拾いに行こうと振り向いた。

漆玉はまだするすると転がり、親子のほうへ、特に子供のほうへと向かっていた。

漆玉は幼い少女が拾い上げた。

少女は少し力を入れてそれを握る。

漆玉はまるで紙風船か何かのように破れた。

音は何もなかった。

ただ、敗れると同時に少し、ほんの少しだけ日が陰った気がした。

たぶん雲でもかかったのだろう。

漆玉が敗れると同時に、ぶわっっと父親と母親が消えた。

きっと少女の幼い友達も消えたのだろう。

「本物だったんだ…」

正一は力なく、でもほっとしたようにつぶやく。

「惜しいことしたな。」

三助はささやく。

「せっかく手に入ったのに。」

次一郎は力なく叫ぶ。

後ろでは、両親を消した少女が雷のように泣き叫んでいる。

遠くで野犬も合わせたように鳴き始めた。







次一郎の家で、三人はさっき見たことを興奮して話していた。

やはり自分たちでつぶせなかったのは悔しかったが、目の前で漆玉を見たことを思い出すと鼻息が荒くなってしまうのだろう。

「見たか!?すうって消えたんだぜ?」

「ああ!人がふわって消えたんだ!」

「すごかった!ぐにゅって消えたんだ!」

思い思い好き勝手にわめき散らす。

三人とも会話をしていて、受け答えをしているつもりなのだ。

確かに言いたいことは伝わっているが、言葉はさらに支離滅裂になる。

「投げたのは正一か?」

「君の手のひらはツバメの巣があるんだ!」

「三助が手をこすり合わせたせいだ。」

「そのとおり、投げ方がポイントさ。」

「爪楊枝ほどの隙間を開けて換気を十分に行うんだ。」

「消えた!消えた!消えた!」

「美しさがさらに増したんだ!」

「ああ!漆玉をまとったんだ!」


しばらく喚いて、落ち着いてきた後さらに会話は続く。

「それにしても、いったいどうやって漆玉なんか手に入れたんだ?」

「ああそれ!僕もそれが気になる!」

正一と三助は好奇心もあらわにして次一郎に詰め寄る。

次一郎はまた手を開いては閉じてと繰り返している。

空気を切り取ろうとするかのように。

「ああ、いつの間にか手を握っていて、開いたら漆玉が転がりでたんだ。」

次一郎はそういうと、もう片方の手の不快感に気がついた。

いつからか、その手は握りしめられたままだった。

握りしめたままだった反対の手を開くと。

「…漆玉だ。」

正一がほうっとため息交じりに言う。

漆玉は、さっきよりも光沢を増し、より官能的に、より平面的になっている。

次一郎は言葉を発しなかった。

漆玉は沈黙を保ったままだから。

次一郎は無償に飲み込みたくなった。

蛇がごくりと卵を飲むように、これを一息に嚥下出来たらどれほど幸福だろうと。

口に持って行きかけたとき、三助の声が夢想を崩した。








「潰せよ、早く。」








潰す?これを?

信じられない思いで次一郎はその声が語った内容を聞いた。

これを潰させようとする奴に、存在する価値なんかない。

この美しさを理解できないやつには死ぬ価値すらない。

友人だからこそ許せない。

消えろ。

消え去れ。

漆玉に包まれて、本当の美を、究極の美を理解しろ。

次一郎は漆玉を握りつぶした。

もちろん、テレビカメラの前でつぶした芸人の相方がかき消えたように、少女の両親がかき消えたように、三助も、そして正一たちほかの友達も消えるだろうと思っていた。

けれども消えない。

何故?

沈黙が場を支配する。

重苦しい雰囲気の中、正一がやっとのことで口を開いた。

「……僕たち、友達じゃなかったんだね。」

かすれ声でささやき、腰を上げて去っていく。

表情は落胆と失望に満ちている。

「……俺たちの間に友情はなかったのか。」

叩きつけるように呟き、三助も去っていく。

怒りと安堵に満ちていた。


さらさらと指の間からこぼれおちる漆玉のかけら。

次一郎はベッドに突っ伏した。

俺は、あいつらを友人だと思っていた。

なのに、なぜ消えない?

それはあいつらが俺のことを友人だと思っていないどころか、きっと敵だと思っていたからだ。

そうに違いない。

そうとも、そうに違いない。

ベッドに突っ伏したままでいると、姉さんが昼御飯だと呼びにきた。

ああ、姉さんは家族じゃなかったんだ。

きっと俺は世界に一人なんだ。

顔をあげるとあたり一面闇に沈んでいた。

部屋に踏み込んできた姉は美しかった。

漆玉は姉を包んだのだろう。

姉の手を握り、次一郎はさらに深くベッドへと身を沈めた。

獣の見る夢は漆黒と決まっている。

姉が倒れこんでくるのを見たのを最後に、次一郎は理性と意識を手放した。

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