私とコーヒー
エッセイ雑記では久しぶりの投稿ですね。
私はコーヒーを飲む
といっても、ミルクや砂糖を加えたものではない
ミルクや砂糖を一切排除したブラックコーヒーのみを飲む
ミルクや砂糖を加えたものも、一応は飲めるぞ?
「飲めない」のではない
あえて「飲まない」だけだ
なぜ、ブラックコーヒーしか飲まないのか?
一言で答えるなら、[習慣]による「継続は力なり」の諺の体現になるな
調べれば分かることだが、「楽聖」と称されたベートーベンは[自分でコーヒー豆60粒を数えたもの]を飲むという[習慣]があった
他の天才にも、「砂糖で満たしたカップにブラックコーヒーを注ぐ」「一日50杯のコーヒーを飲む」というのがある
コーヒーに限らず、「薬剤摂取」や「ベーコンエッグしか食べない」などもあったな
飲食物から離れるなら、
「毎日二時間きっちり散歩する」
「早朝ラジオ体操を行う」
などなどがある
興味を持ったなら、自分でググるなどすりゃあいい
ああ、ちなみに心理学者の論文に「習慣的にすることで、精神的負担を減らし、フリーになった領域は、興味や関心を持つ分野で使用される」(断片抜粋)とあるから、論証はされているぞ?
以上が、私がブラックコーヒーを飲む理由だ
ついでに言っておこう
コーヒー派や紅茶派などというのは、「一種のくだらない」派閥でしかない
単なる自己優越感的な主張に他ならず、協調した者を自分たちの派閥に引きずり込むようなものだ
そうやって、「自分たちが正しい」「あいつらは悪だ」と罵り合うなら、そんなもん一言で断言できるわ
「[愚酒の酩酊]と変わらん」とな
この点で問題なのは、「自己主張の押し付け合い」だろう
そうやって、「相手を悪」に仕立て上げるからこそ、問題は否が応でも起きおる
問題回避のために、「互いの主張を肯定」すりゃあいいだけのことだ
ぶっちゃけりゃあ、「認め合い」だな
そうすれば、「派閥の無意味さ」を実感するだろうよ
それでも、自己のプライドのために「派閥を望む」なら、プライドという「愚酒に溺れた者」らのみでやってりゃあいいだけのこった
この点に対する私の見方か?
コーヒーも紅茶も両方飲むわい
両方とも飲むから、「派閥」のバカバカしさを言えるわな
コーヒーの[集中力向上]と、紅茶の[心の安らぎ]の両面の良いとこ取りになるが、それがなんだと言うのか?
[長所の認め合い]と[効果理解]の活用を行っとうておるだけじゃい
つーわけで、この話は終わりじゃ
ちなみに、前半にあった断片抜粋した論文は[GIGAZINE]というニュースサイトの「天才たちのようにクリエイティブな才能を発揮するための6つのヒント」という論文から引用したものです。




