エロマンガについて、自己主観に基づいた考察
過去エッセイ再録分です。
タイトルからして、R15ですので、15才未満はプラウザバック推奨です。
まず、言わせてもらうならば、私はエロマンガを読んでいる。
しかも、月に二冊ほどを二年間ほど続いている。
その理由は至極単純である。
物語の欠片――骨組みだろうがキャラクターであろうが関係なく――を集めるためだ。
それ以外の理由は無い。
ゆえに情欲などとは一切関係ない。
実際、それでキャラクターやあらすじなどが使えたのは事実だ。
まだ、明かしてはいないのだがね。
話を戻そう。
私が見ているのは、『エロマンガ』から主要素である『エロ』を抜いたものである。
例えば、『アクションもの』が多い少年ジャンプの主要素は『アクション』である。
では、ジャンプから主要素である『アクション』を抜いたらどうなるのか?
『冒険』ものから『冒険』というジャンルを抜いたら?
『恋愛』ものから『恋愛』を抜いたら?
『ミステリー』から『ミステリー』を抜いたら?
答えは、主要素が抜けたら、別の要素が主要素の代わりとなる。
メインが抜けたら、サブがメインになるしかないのだから。
それは当然だと言える。
本題に戻ろう。
『エロ』に主要素である『エロ』を抜かしたら、サブである『恋愛』がメインになるということになる。
なぜ恋愛かと言えば、『赤ちゃん』の比喩は『愛の結晶』だ。
で『赤ちゃん』を自然のやり方で産み出すためには、当然のごとく『エロ』が必須になる。
そして、『エロ』を行う大前提として互いに愛し合っていることが重要となる。
すなわち、『恋愛』と『エロ』は切り離せないものであり、『赤ちゃん』を生み出すために必要不可欠なものであると言える。
視点を変えると、一般の『恋愛』ものは女性向けに書かれているが、『エロマンガ』の大半は男性向けに書かれている。
また先に述べた『恋愛』と『エロ』の関係性を含めるなら、男性向けの『恋愛』ものは『エロマンガ』であるとも言える。
まぁ、もっともらしい言い訳みたいなものだが、それが『私の主観』に基づいた事実であることは不変たるもの。
理解の有無は問わない。
むしろ、問う気すら起こらない。
私はただ、そういう考えがあるということを述べただけなのだから――。
私が購読しているエロマンガ雑誌は「ペンギンクラブ」と「ポプリクラブ」です。