私が贈呈詩を書く理由
3ヶ月ぶりに更新です。
私は知り合いのユーザーさんに、その人が書いた作品をモチーフにした詩を贈ったりしているのは、知っている人がいると思う。
だいたいの人は喜んでくれるから、贈って良かったと思うのが恥ずかしくも嬉しく感じる。
返答作を書いてくれたり、活動報告で報告してくれたりするから、微笑ましくなるな。
で、今回は何故贈呈詩を書くかについてだ。
一言で言い切るなら、書きたいと思ったから書く。
その一言になってしまうが、無意識内でのことだが意識して述べていこう。
まずは、書きたいという衝動を奮い起こさせる作品たちだろうか。
それが、贈呈詩を書くのにモチーフとして必要にもなるからな。
というか、興味のきっかけが無きゃ、書きたくとも書けないしな。
他には、どのように繋げていくかも重要だ。
序破急や起承転結でもある。
モチーフとなるキーワードを膨らませていくのか。
それとも、単なる作中の記号として捉えるのか。
その取捨選択もしなければならない。
構成のモチーフ(例えばサンホラの歌詞とかな)があれば、それに倣えるだろう。
「先人の知恵」や「芸術は模倣である」という言葉も残されているしな。
そうして、土台を充実させていけば、組み合わせのパターンも発見して増やしていけるものだ。
さらには、発見した組み合わせが自分だけのオリジナリティになる可能性もある。
なろうで書いていくための武器とでも言えばいいのかもしれない。
誰でも書ける作品よりも、自分にしか書けない作品を書きたいのではないか?
武器を知るということは、それに至るために必要なものとも言える。
扉があっても、開くための鍵が必要なようにな。
贈呈作を書くということは、小説を書く助けにもなるんじゃないかね。
基礎を言うなら、小説を書くということは元になるネタが必要だ。
ネタを得るということは、探し見いだすための感性のアンテナを広げなければならない。
感性のアンテナを広げるためには興味が必要不可欠である。
ここまで言えば分かるな?
贈呈作のモチーフに興味を示すことで、感性のアンテナを捉え、ネタに昇華させ、贈呈作の執筆が行えるということが。
まぁ、私の無意識内での事を意識して書いたから、賛同は得難いだろうがね。
さて、ここまでで贈呈作の持論みたいなものを述べたが、贈呈作を書いている状況で私が思ったことを言おう。
しかし、まずは外堀からだ。
いきなり中心部を述べたとしても分かりはし難いだろうしな。
「進撃の巨人」という作品があるな?
アニメ化して劇場化もされた人気作だ。
で、そのアニメのOPを歌っている歌手名がLinked Horizonでありサンホラの主宰者であるレヴォさんが作詞作曲かつ歌っている。
リンクトホライゾンは直訳すれば繋がる地平線だ。
他の作品と繋がる地平線という意味で設立されたんだったと思う。
私は良く知らないが、色々な他者の作品とコラボしているんじゃないかね?
そんな感じだが、外堀は埋まったと思う。
さぁ中心部を語ろうか。
私が贈呈詩を書いていることが、意図したわけじゃないのに、リンクトホライゾンに倣っているんじゃないかと思うことだ。
「進撃の巨人」のOPを作詞作曲や歌っていることしか、私はリンクトホライゾンを知らないというのにだ。
人によってはどうでもいい話かもしれない。
私が他人との繋がりを、強めようと求めているがゆえに、そう思ったのかもしれない。
だが、これは単に思ったことだ。
サウンドホライゾンをベースにして書いてきたのだから、リンクトホライゾンもベースに書いてゆくのも一興かもな。
愚痴みたいな思ったことだが、ここまで読んだくれた方はありがとう。
というわけで、贈呈詩に関する今回のエッセイは終わりだ。
贈呈詩から贈呈作になっているのは仕様です。
詩だけに縛るんじゃなくて、それ以外にも適用できるという意味で贈呈作になりました。