6.後ろの口は正直だ
やがて室温が平常まで下がって人も減り、店内はようやくいつもの落ち着きを取り戻した。
「まぁまぁ、つもる話がてんこ盛りだし。まずはお互い座って話しましょ」
といったところで、隼斗は件の爆食い少女にテーブル席へと促される。立ち上がった彼女の体型はあれだけ食ったというのに不自然にボコっと膨らんだ様子もなく、膝上丈のキュロットスカートに黒いニーソックス姿が眩しく映る。
スラっとした背丈はちょうど170センチの隼斗に迫る程度と高めで、やはりさっきの光景が信じられないくらいほどにスマートだ。
「というわけで、こんにちは! あたしは瀬乃原ミケ。レキちんに言われてね、キミの助っ人を任されました」
まるで飼い猫のような名前を名乗る少女。あのレキをアダ名で呼ぶ辺り、どうやらあの幼女とも浅からぬ関係らしい。
「どうも、俺は鳴嶺隼斗。一応シズメが使える……えーっと、とりあえず今はただの高校生か」
「隼斗ってあれだよねーサツマハヤト。薩摩って言ったら薩摩揚げにー、薩摩芋にー、薩摩地鶏! ウナギがこれまた脂乗っててねー、っていうか西の食べ物って大体美味しいから困っちゃうな」
アレだけ食ってまだ食べ物の話をするか。隼斗はそう思いつつも、腹が減っている自分に気がつく。あの光景は見ただけで胸焼けしていたが、やはり人間、生きてりゃ減るものは減るらしい。
メニューを適当に見つつ、店員を呼ぶ。
「すいません、魚介醤油とんこつラーメン一つお願いします」
「あ、あたしも同じの一つ!」
「まだ食うのッ!?」
ギョッとして思わず地下闘技場の闘士のような良い叫びを上げてしまう隼斗。まぁ無理もないだろう、常識的に考えたら。
店員とて今にも「は?」って言いたげな顔だ。言わなかっただけ、よく接客根性できてると褒めるべきだろう。
「え? だってアレはさ、あたしが少し早めに店に入った途端てんちょーが『待ってたぞ! 今日こそ君の胃袋をギャフンと言わす最強の一品を出す!』って言うから」
「常連かよ! 大食い大会荒らしでもしてんの? それで生計立てて腹も膨れて一石二鳥ってか」
「だいたい正解かなー。店長、あたしのためにいつも気合入れて特別ラーメン作ってくれるの。そりゃもー、ついつい食べちゃうよねー」
「なにそのダイエット中だけどスイーツ別腹に入れちゃったアタシ☆みたいな!」
あれが入るのが別腹なら本腹はそれこそ宇宙だろう。店長もよく懲りないものだ。
隼斗の名状し難き何かを見るような視線も意に介さず、ミケは脳天気な笑顔。食いたいときに食い、勝手気ままに野良を行く猫そのものだ。
「念のため聞くけどさ、あんた、化生なんだよな?」
「そりゃーもちろん。証拠見せなきゃね、しょーこ。今さ、シズメ効いてるんだよね?」
「あぁ、うん。やっぱ不思議な能力的なの、あったりするんだ? いいよなぁ、そういうの。問題ないならここで見せてくれよ」
「能力……まー、ちょっと違うかな。体質というか何というか。んじゃ、遠慮なく」
ミケはニヤッといたずらっぽく笑うと、おもむろに後ろへ振り向いた。
「ん?」
ちょっぴり、ところどころピンピンとくせっ毛の跳ねたミケの後頭部が見える。
(何の変哲も無い。ただの――)
こうとうぶのようだ、と隼斗が思ったその時。
ミケの後頭部がガバァッと上下に裂け、キバの生えそろった巨大な肉食獣じみた大アゴが咆哮を上げた。
「うおおおぁぁぁぁぁっ!?」
すさまじい絶叫を上げて隼斗は椅子から転げ落ち、尻もちをついたまま器用に後ずさった。店にいた客も店員も、全ての視線が彼に集中する。
「あ、ご、ごめんなさーい。だいじょぶです、なんでもないですから、どーかお気にせず!」
ミケはぺこぺこと方方に頭を下げ、てへへやっちった、とばかりの引きつった苦笑いで場を取り繕った。すでにその後頭部に、怪物じみた大アゴの姿は無い。
しかし今見た光景が幻覚でないことを、隼斗のバックンバックン律動する心臓がこれでもかと証明していた。
「い、い、い、今の何だよっ……!?」
「あははは。もービビっちゃってー。頼りない男の子はモテないんだぞー」
幻滅したかのような言いとは裏腹に、けたけたと大満足そうに腹を抱えて笑うミケ。
コワゴワと隼斗が椅子に座り直したところで、彼女は少しだけ真剣味を帯びた表情を作った。
「あたしの化生の種族としての真名はね、『二口女』って言うんだ」
「ふたくち……」
「いま見た通り、あたしは後ろにも『口』があるんだよね」
その言葉に、隼斗も合点がいった。
改めて、ミケは再び後ろを向いてゆっくりと『もう一つの口』を開いて見せる。
「うわ……」
それは、捕食という行為のみを絶えず求め続け、捕食という行為のためにのみ進化を続け、捕食という行為以外すべての機能を捨て去った、彼女の二口女たる所以『後頭口』だった。
存外ならび良く生え揃った歯は、一本一本が全て猛獣の如く研ぎ澄まされたキバだ。ぴちゃと唾液がしたたる様も獣のそれを思わせ、その大アゴのサイズときたら、ミケがその気なら隼斗など物ともせずあっという間に呑み込んでしまうだろう。
更におぞましいことに、その後ろ口からは四本ものベロが伸びている。数メートルはあるだろう、長さも太さも規格外という他にない。それら四本とも別の生物であるかのように、獲物を探すように、空中でウネウネとしている。
「ホラー映画出ようぜ、CGもワイヤーアクションも一切なしで行けるだろこれ。学○の怪談シリーズ復活待ったなし!」
「銀幕デビューかー。楽しそうだけど、レキちんが化生の身で目立つのやめろって言うからなー」
本当にホラー映画な光景も、店内の隼斗以外の人間達には全く意識できていない。隼斗がシズメの力でミケを『普通の人間に見せかけ』なければ、それこそ店は阿鼻叫喚の地獄絵図だったろう。
ミケは隼斗の方へ向き直ってぶつくさ言いつつ、後ろの二本の舌でテーブルに据えられた箸箱を開け、一膳の箸を取った。
「うお、器用なんだなぁ」
「便利だよー。朝ね、だるくて布団から起きたくなくてもキッチンのれーぞーこ開けて飲み物取れるの」
「マジで! うぁー。横着すんなって言いてぇけど、朝が辛い俺にはその便利さクッソうらやましいわ……」
「えへへ、いいでしょいいでしょー」
とにかく、ミケはよく笑う子だった。寝不足で不機嫌になりがちな顔を自分でも気にする隼斗としては、見ていて気持ちが良かった。
「その口、モノ食べるんだよな?」
「食べるよー。むしろ、あたしにしてみれば後ろが本領だよね。前の口から食べるなんて全然本気じゃないもん。さっきのラーメンの三倍は持ってこいってんだい」
「……食べたもの、どこに行くんだ?」
「あ、それね。実は知らないんだー」
「知らねぇのかよ! いやいや、脳みそとかどうなってんのそれ」
「いやー、知らなくても不都合無いしね。隼斗、車がどうやって動いてるのか一から十までぜーんぶ説明できる?」
「そりゃ、全部は無理だけどよ」
「でしょ? でも便利なのは事実だよね。いーのいーの、食ってウマけりゃなんだって。それがミケさんの、というか二口女の生き方なのだ」
「俺は今まで生きてきてこんな他人のレントゲン撮りたくなったの初めてだわ……」
それでいいのかぁ? と隼斗がなんだかしっくりこなくて唸ったところで、注文した二杯のラーメンが届けられた。
ものすごく何か言いたげな店員が去ると、隼斗らは箸を手に取り、楽しいお食事を始めるのだった。