26.雪うさぎの告白
「ボクは、何年か前からこの近辺の土地でお世話になっている、雪うさぎの化生です。乙雪 コノハと申します。」
うさぎの化生――コノハは、隼斗の隣に座ってそう名乗った。店内ではフードを脱いでおり、頭頂部のうさみみが消えている代わりにショートヘアーが露わになる。どうやら自由に引っ込められるらしい。
緋紗音は、うさぎ状態の真っ白な毛並みをして『ふらっぺ』と可愛らしい名前をつけたのだろうが、ここは本人の名で呼んでやるべきなのだろう。
「コノハ、まず一つ確認したい。一週間くらい前に、俺とミケは人喰いの犯行現場を調査したんだけど、そこで誰かに見られてるような気配がしたんだ。君、ひょっとして俺らを見てた?」
「はいです。ただ、その時はボクもその現場を見に来ただけで……先客がいて、物陰から見ることしか出来ませんでした」
「ふうん。隼斗のカンもあながち外れちゃいなかったってわけねー。やっぱ才能あるよ、化生探しの」
「そりゃどうも。じゃ、そのへんのことも含めて色々教えてほしい」
早速、とばかりに隼斗は問いかけた。なるべく高圧的にならないよう務めたつもりだったが、コノハはどうにもしなしなと萎縮してしまっている。うさぎというより、これでは寒くてすみっこに縮こまるハムスターの様相だ。
それでも勇気を奮い起こしたか、彼女は一つ頷いて口を開いた。
「あなた方が、そしてレキさんが探している『人喰い化生』――そいつをこの土地に引き込んだの、たぶん、ボクなんです」
「えっ!?」
「ありゃりゃ……」
なにか今回の事件と関わりは有るとして、これほど直截なものとは考えていなかった。
隼斗と向かいに座るミケが二の句を差し挟むに先んじて、コノハは続けた。
「ボク、この土地に流れてきてからレキさんに色々お世話になって、簡単なオシゴトを任されることがあったんです。足の速さには自信があったので……恩返しもしたかったし、こないだも、隣町の互助会にお手紙を届けに行ったんですよ」
隣町の互助会――隼斗はこれまで考えもしなかったが、『化生互助会』というやつは複数が存在するということか。思えばそんな組織が日本に一つしかないというのもおかしな話だ。運営形態はそれぞれあろうが、化生が助け合うための似たような組織が全国各地にあると考えて、全く不自然ではない。
「隣町の互助会の代表さん――下半身が蛇体の、蛇女の化生さんなんですけど――その人に、お手紙を。内容は知らないですけど、ボクなんかに任せるくらいだから、まぁ、大したものじゃないんでしょうね」
蛇女。隼斗はその単語から、RPGに出てくる妖艶なモンスター・ラミアを思い浮かべた。
レキと戦ったらどちらが強いのだろう、と考えてしまうのは男子思考が過ぎるだろうか。そこまで考え、隼斗は脱線する脳内を打ち払った。
「その時、ボクはレキさんから『印綬』を貰っていたんです。レキさんの使いであることを示す、レキさんの力が込められた御印……それが、ボクの身分を証明してくれました」
「ほー。印綬なんてよっぽど信頼されてなけりゃ貰えないよ。コノちゃん、キミ相当な使い手だね」
「め、滅相もない! ボクなんて走るしか脳の無い臆病者だし、うさぎなんて鰐だまくらかして食われかかる悪党だし――じゃなくて!」
コノハはボッと音が出そうなほどに真っ赤になり、ろれつが回っていない。それを見てニヤニヤするミケを、隼斗はキッと睨みつけて制した。
「そ、それで。お手紙を配達した後、蛇女さんにお礼を言われて、嬉しくなっちゃって。そのあと『今後また来ることもあるだろうから』って、近道まで教えてもらって。その道を帰る途中に、コートを着た化生と出会ったんです」
「……なに? コート?」
「はい。その化生、ボクが印綬を持ってることに気づいて声をかけてきたらしくて。レキさんの界隈の生まれなんだけど、何十年ぶりかで開発が進んでいて道が分からないから、案内してくれないかって言われまして。その……お連れして、来たんです。あとでお礼しに会いに行くよ、って言い残して、その化生は、いなくなって……」
最後に行くにつれてトーンダウンするコノハの言葉。尻すぼみの響きの中、根底に流れる意を掬いさることは難しくなかった。
コートを着た化生が、結界を越えてこちらの土地に侵入してきた――それが事実。
「『印綬』か……厄介なこったね、そりゃ」
ミケは口元についたチョコをぺろっとなめて、忌わしそうにつぶやいた。
「レキちんの力がこめられた印綬と共に結界内に入るってことは、そりゃレキちんの承認を得たのと全く同じだ。それなら、ヤツが――人喰いがこっちに入ってくることも、可能だね」
「……知らなかったとはいえ、これは、ボクの責任です! そのために、皆さんに迷惑を」
ビシッ、と右手で、コノハの言葉をミケが制した。口をへの字に結び、有無を言わさない真剣な面持ちでそれ以上の発言を許さない。
渦巻くネガティブな感情の行き場を失い、あう、とコノハはしどろもどろに目を泳がせることしかできない。そんな目で見られても――と、隼斗はたまらず目を逸らしてしまった。
そんな様子にミケはぷっと吹き出し、いつものおどけた笑顔に戻る。
「あーあー、そういうのはいいから。悪いのはキミじゃない。大欲鬼が生き残ってて侵入を図ってたなんて、普通思わんでしょ。キミは道に迷ってる人に道案内してあげた良い子、それだけだ。あたし達が恨む相手はただ一人、でしょ」
そう、敵はすでに明白だ。ここでコノハをいじめて何になる。レキの人選ミスとも言えはしまい。人を喰い、世を脅かす怪物の正体は分かっている。
ミケの言葉に、隼斗も強く同意した。
「俺達が始末をつける。こんな時のために、俺の『シズメ』があるんだ。ヤツをこの力で拘束して、絶対にレキの目の前に引き渡す……だから、大丈夫だ」
強い言葉を言えるほど、まだ隼斗は決して強くない。それでもなお、きっと何とかしてみせるという彼の中の強い責任感が、こんな言葉を胸奥から絞り出させた。
彼とミケの激励に、コノハは今にも泣き出しそうなほどに感極まった表情を作り、言葉を失う。
大げさだにゃー、と軽く笑うミケ。
しかし、ここにきて事態は再び混迷へと立ち入ることとなった。コノハは大きく生きを吸い込んで気持ちを落ち着かせると、そこに疑問を呈した。
「ただ、ですね。また会いに来るって言ってたのに音沙汰が無いから、おかしいなと思って、街中を探してみたんです。ボクの嗅覚、あんまり自信は無いんですけど。それにしても、ぽつぽつとしか痕跡が見当たらなくて。まるで、意図的に姿を隠してるみたいに」
「化生の気配って、そういう風に消せるもんなのか? ミケ?」
「うーん。ヤツは他人に寄生して、その身体を乗っ取る能力があるからね。そうやって他人から他人に移り変わって隠れながら、気配を絶ちつつこの辺を移動してるんだと思う。今の身体は、コノちゃんが出会った時とは別人だろうね」
他人の身体を得るたびに、気配や臭いのようなものを変えて移動できるとすれば、その特定は難しい。まったく、考えれば考えるほど厄介な存在だった。
「レキちんが守るこの界隈を荒らし回ることが、ヤツの復讐なんだろうね。陰湿なヤツだよ。あたし達みたいなのが出てくることも予想済み、返り討ちにする気満々ってわけだ。ひょっとしたら、レキちん本人が出てくることも期待してるのかも……」
「これ以上、被害を広めるわけにはいかないな。もっと夜警を強化しよう。ミケもこうして復活したことだし!」
「やる気満々だねぇ、隼斗……。うし、それじゃーもっと頑張ろうか」
「ボクも、できることがあればお手伝いします!」
隼斗は己の無力さに打ち勝ち、己にしかできないことを成すために、己のシズメ使いとしての一歩を刻むために。
ミケは化生喰らいとしての矜持のために、レキの腹心としての責務を全うするために、二口女として新たな食を求めるがゆえに。
コノハは飼われた恩を返すために、自らの責任を感じるがために、二人を全力で支えるために。
三人はお互い頷き合い、決意を新たにした。




