2.暗いところにて
「あぁ、ついにこの日が! ……と感涙必至のままに申し上げたいのはやまやまなのですが、なにぶん当初の予定よりもお早いご到着でしたので、未だあの御方はお取り込み中の御様子で。ともかく、まずはこちらへ」
耳慣れない言葉にざわったとした心地を覚えつつも、隼斗は父とアガナイと連れ立って、家屋の奥へと進む。
「あの御方ってのが、俺がこれから会わされる人ってのは分かるよ。なに、今は忙しいの?」
「それは……まぁ、何だ、お前も男なら察してやれというところか。いや、『彼女』は人間で言えば紛れも無く女の側なんだろうが……」
「人間で言えば、ねぇ」
歯切れの悪い父親の言いだが、隼斗は何となく察しがついていた。そも、これから会うべき存在に『性別』など瑣末も瑣末なことだろう。
やがて、調度の一つもない閑散とした六畳間の和室にたどり着く。アガナイはその中央にしゃがみ込み、畳を一枚外した。その下にはハシゴが据え付けられており、冷え冷えとした空気が底から漏れ出ていた。
アガナイは地下から漂う雰囲気から何かを察し、薄い笑みをたたえて振り返る。
「どうやら、もう大丈夫の御様子ですな。ささ、私の後にお続きください。あぁ隼斗君、中はとても暗いので落ちないよう気をつけて」
「はい。……落ちたらシャレになんないんだろうな、これ」
三人はハシゴを降りた。土を掘り固めた人工の縦穴は、寸分狂いない精巧な立方形に刳り貫かれているようだ。昔見た映画に出てきた鞭使いの考古学者にでもなったような気分で、進むほどにどこか高揚する。
かと思えば一分もしない内に、足が地面につく。隼斗はハシゴから手を離すと振り向き、思わず目を見張った――あまりにも暗すぎて、隣にいるであろう父とアガナイの姿さえ気配でしか分からない。見上げれば、地上の入り口などまるで針の穴のようだ。
どこかにスキマが開いているのか、断続的に響く蛇のうねるような茫洋とした風の音。それがこの先に、そこそこ広い空間があることを察させる。
「懐中電灯ととかいらないんですか? いや俺、アガナイさんくらいになると発光とかしちゃっても驚かないけどさ」
「あっはっは。ワタクシにそれができたら屋根裏部屋の掃除がどれだけ捗ることか、考えるだけでゾクゾク致しますねぇ。ま、さすがのワタクシもダーウィン先生にケンカ売るような真似はデキませんが、大変まこと恐悦至極ありがたいことに、文明の利器というものを利用する知恵がございましてね」
アガナイがそう言うと、パチン、というスイッチ音。彼が壁に埋め込まれたスイッチをオンにすることで、洞窟内に光が灯った。電灯は等間隔でいくつも壁に据えられており、光が目印となって行く先を示していた。
そして、その奥に。
「なにあれ。牢屋……?」
隼斗はポツリと呟いた。最奥には、格子に遮られた座敷牢と思しき施設が見て取れる。
牢とくれば罪人を入れておくもの。はてさて姿はよく見えないが、どうやら何者かがその中にいることは間違いないようだ。
「それでは隼斗君。どうぞ、御前へ」
「え? あ、あぁ……」
アガナイが恭しく牢を示し、父は何も語らない。ただまっすぐに奥を見つめる視線、暗に何をか言わんやだ。
ごくり。唾を飲み、一歩。さすがに緊張の色を隠せないながらも、隼斗は握り拳をギュッと握りしめ、牢へと近づいていく。
歩みに合わせ、心音を刻む律動が早鐘を打つ。黄泉比良坂を歩くようとでも言えば大げさか。かつて嗜みにと現代語訳の記紀神話を読んだ記憶をまざまざと蘇らせ、何かに立ち向かうような気持ちで隼斗は歩く。
導く光は蛍火のように頼りなく不気味だ。大体いまどき座敷牢なんてナマで見るもんじゃない。相手は罪人? それとなく高尚な立場の者を想像していただけに、これは予想外だった。
やがて隼斗は、格子を隔てたその奥にいる何者かを視認して――
「おうおう。よう参ったな、次代の鳴嶺よ。……ほー、なかなかの面構えよの。嬉しい誤算じゃ」
座敷の中であぐらをかいた少女に、そんな楽しそうな声をかけられた。