16.悠奈(2)
「……あのうさぎっちが石を投げてきた、かー。うーん、化生くささは無かったと思うけどな。ま、意識してたわけじゃないから確かなことは言えないけどね。あーあ」
石段を下りながら、三人は先刻の状況について思いを巡らせていた。ミケはフードのねこみみを弄びながら、どうにももやもやした腑に落ちない気持ちを持て余している様子だ。多かれ少なかれ、それは隣を歩く隼斗と悠奈も変わらない。
隼斗は右からそんなぼやきを聞きながら、今度は左に首を振る。
「でも悠奈は森に潜んでる時にふらっぺを見たって言うんだろ?」
「見たわ。兄さんより先に森の中に走ってきた。そして後ろ足で立って、右手で石を拾って、こう振りかぶって……」
「待った待った、チョーっと待った」
歩きつつ控えめなモーションを交えて説明しようとする悠奈を、ミケが制した。
「そこんところくわしくよ。悠奈ちゃん、石が投げられる前に分かったって言ってたけど、なんで? 未来予知でもできるの?」
その言葉に、悠奈は少しだけ目をそらした。
あれ地雷踏んだ? とまずそうな顔をするミケに対し、答えたのは隼斗だ。
「……だいたい想像してる通りだよ。悠奈は、数秒先の未来の景色を見る能力――『雷獣眼』を持ってる」
「雷獣? ……あ! そういえばレキちんも特別な目を持ってるとか言ってた!」
ミケはポンと手を叩いて、驚きの声を上げた。
そこでどういうわけか気まずそうな面持ちになる隼斗に対し、悠奈が表情一つ変えずに言葉を継いだ。
「空気中の目に見えないほど微細な氷の粒子を一ヶ所に集め雷雲と成し、そこに『視覚』を発生させる。言わば視認できる範囲に自在にカメラを設置して、そこからの光景を俯瞰できる。雷雲を自在に操る雷獣固有の能力だそうね」
「ん? それってただの遠隔視じゃあ……?」
石段を一定のペースで下りるように、なおも淡々と文章を朗読するような調子で悠奈は続ける。
「――私の能力は、どういうわけか進化した。人間と混じったからなのか、わからないけど。私は数秒先の未来に存在する粒子の塊に『視覚』を生じさせ、その地点の未来の光景を見通す未来視ができるの。つまり数秒先、見たい地点に全く雷雲の粒子が存在しなければこの力は使えない」
「なるほどね、雷のスペシャリストの雷獣にしか使えない能力だわ。んで、なんでレキちんの能力が悠奈ちゃんに?」
「それは……」
奥歯にモノが詰まったような複雑な表情で、隼斗は言葉に困った。そうこうしている内に、そろそろ一番下に着く頃合いとなる。
どこかよそよそしいというか明らかに何か言いにくそうな様子を、さすがに楽観脳なミケも察したようだ。
「いいよ兄さん、この際だし全部説明しても」
「お、おい」
「……私がまだお母さんのお腹の中にいた頃、雷獣様に拝謁したことがあるらしいの。その時、雷獣様の……妖気、とでも言うの? そういうものにアテられたらしくて。生まれてきた私は、小さい頃からずっと……幻覚や走馬燈のように未来が見える体質だった」
幻覚。走馬燈。奇妙な言い回しだが、はっきりと彼女は口にした。
「制御できなかったの。小さい頃は能力がたまに暴発して、急に視界がおかしくなることもあった。今でこそ、なんとか自由に能力のオンオフができるけれど。……大変だったわ」
悠奈がそう言い切り、やがて沈黙の幕が下りる。
想像に難くはあるまい。普通に道を歩いていて、急に視界がどこか別の場所、それも未来の光景を映し出す。ぐわんと移り変わる景色、転ぶだけで済めば御の字だ。それが階段を降りている最中だったら? 横断歩道を歩いている最中だったら?
ようやく石段を降りきっても、バス停にたどり着いても、何となく誰も言葉を発せない妙な空気があった。
バスが来るまで、あと五分ほどかかるらしい。時刻は十六時を回ろうかといったところで、しかし三人を取り巻くのは雪月の夜にも似た静寂。
そうして、二分ほどが経ち。
「だから、さ」
帳を破る一声は隼斗のものだった。
「小さい頃は俺が、いつもコイツの傍にいてやったんだよ。俺には『シズメ』があるからな。少なくとも俺が傍にいる時は、雷獣眼の暴走は抑えられた。今でも体調に影響するらしいから、なるべく使うなって言ってるんだ」
「兄さんは大げさなのよ。今だって、大丈夫なのに」
化生の力を抑える力――鳴嶺に代々伝わるその力の継承者が兄の方だったのは、何の因果だろうか。
「うーむ、そりゃいいことだ。お兄ちゃんってのは妹を守るために先に生まれてくるらしいよ。悠奈ちゃん、それはさぞお兄ちゃんっ子で仲良かったんだろうねぇ」
「え、そ、それはまぁ……」
悠奈は急にもじもじして、あわあわと目を泳がせた。ついに隼斗と目が合い、お互いそれとなく目を逸らしてしまう。
助け舟を出すように、どこかむず痒いような表情をした隼斗が再び口を開く。
「恥ずかしい言い方すんなよ。小さい頃の話だっつの」
「いい兄妹愛じゃない。何を恥ずかしがることがあるの」
本気で不思議がるように、ミケは柔和な笑みをたたえた表情で返す。
そこでふと、ミケに兄弟姉妹はいるのだろうかと思い至る。考えてみれば、ミケの身内事情については聞いたことがなかった。化生も家族を持ち、人間のように生きるものなのだろうか? 顧みると、そのような簡単なことさえ隼斗は知らなかった。
もっとも、それはいま気にするべきことではない。本題を忘れないよう、隼斗は頭の中で考え直した。
「とにかく。この事件の調査は俺とミケが任されたことなんだ。さすがにこれには悠奈を噛ませるわけにはいかないからな、お前はまっすぐ家に帰って、念のため夜は外に出るなよ」
「もう子供じゃないんだから。分別くらいあるわ」
「いいか、大事になってからじゃ遅いんだ。お願いだから分かってくれ。俺だって心配になるんだよ」
「……分かったって。大丈夫よ、兄さんがそこまで言うなら」
への字口にぷうっと膨れた表情は、本気で分かってるのか問いたくて仕方のないものだろう。だが、隼斗はそれ以上追及しなかった。
やがて向こうから目的のバスがやって来て、目の前に停まった。あとは三人で一旦、街の中心部に帰るだけだ。
「……ふふっ」
悠奈を先に行かせ、隼斗が続く。その後ろのミケは、どこか面白そうにくすくすと笑っていた。
「なんだよ、なに笑ってんのさ」
「いや、隼斗も心配性だなって」
「はぁ?」
「もう、兄妹だなーって思ってさ!」
「……なんのこっちゃ?」
「こっちの話! ほら、乗った乗った!」
「お、おい押すな押すなっ」
やがて三人を呑み込んだバスが走り出す。
隼斗はここで休憩がてら一度ミケと別れ、夜に再び合流する手はずとなっていた。その間、彼女はレキに会っておくつもりらしい。
夜――不穏さと怪奇を孕んだ闇の時間。
晴天予報の今宵など、人を喰うには打ってつけのディナータイムだろう。