15.悠奈(1)
杜を揺らしさざめかすそよ風も、突然かつ予想外な人物の登場を告げてはくれなかった。
悪びれてるように見えて実のところ照れているだけの妹の姿に、もはや隼斗はため息をつくことしかできない。ツッコミどころ満載の状況に善処すべく、オーケーオーケー落ち着け俺となんとか言い聞かせる。
「……いつからだ?」
「えっと、ラーメン屋の辺りから」
「めっちゃ最初の方からじゃねーか! 気配消しすぎだろ! ってかどうやってここ来たんだよ! バス乗ってなかったろお前!」
やはり耐えられなかった。しかし一気にまくし立てたところで、まさしく悠奈の態度は柳に風だ。
「タクシー拾ったからね。一度言ってみたかった台詞なの、『前の車を追ってくれ』って」
「もっと有意義なことに金使えよお前は……」
一気に体の力が抜け、隼斗はがっくりとうなだれた。こういう妹だとは分かっていたが、先程までの緊張からの落差はしばらくそれ以上の言葉を失わせるに十分だった。
兄のしおれた様子に尚のこと気を許したか、彼女は口許に手を当ててくすくすと笑う。
「何言ってるの。兄さんを心配する以上の有意義なことは中々無いわ。私のライフワークにしたいくらい」
いたずらっぽく桃色の唇が軽やかに紡ぐその言葉は、まるで木から林檎が落ちるような自然さで。これ以上無いというほどに至極当然を地で行くものとして放たれた。
「父さんを伴っての雷獣様との重要な密会、謎の年上女性とラーメン屋デート、からの奇妙な路地裏行脚……身内として、心配するなという方が無理というものよ」
「あのな、そんな浮ついたもんじゃねぇっての。いいか、『心配』を英訳しても『ストーキング』には絶対ならねぇからな?」
「それくらい知ってるわ。だからって何の関係も無いこともね。今日は一日かけて兄さんを監視するつもりだったのに……」
腕組みをし、むすっとした表情でぶーたれる悠奈。しかしその目は真剣だ。
どうやら『視線』の正体は彼女だったらしい、と隼斗は得心した。もっとも、今に始まったことではない――悠奈の、この兄に対する異様なまでの心配性。はっきり言ってしまえば、平常運転だ。
しかし、平常でないことがただ一つだけあった。
「……来い。とりあえず戻るぞ」
「うん」
隼斗は悠奈の手を握り、先行して境内の方へと向かっていく。先程は無我夢中で突っ込んできてしまったが、改めて進んでみるとここは道ですらないことを改めて思い知らされる。
道すがら、隼斗は後ろの悠奈へ強い語調で言い放った。
「悠奈。お前、『雷獣眼』を使っただろ」
繋いだ手を通じて、彼女のびくっとした気色が伝わってくる。
「それは、その」
「お前は他人の心配する前に自分のことをもっと考えろ! 頼むからさ……俺だってお前が心配なんだよ、兄として」
「……」
息を呑む気配。あえて振り返らず、隼斗は無意識の内に繋ぐ手と歩調にまで力を込めていた。
すると足を取られたのか、後ろから「きゃっ」と小さな悲鳴。そこでようやくハッとして、隼斗は慌てて力を抜いた。
「わ、悪い……」
「いいの。私こそごめん。……それでね、私、見たんだよ。うさぎが――」
うさぎ、ふらっぺ、化生。あまりにも唐突な悠奈出現のせいで頭の隅に置いてしまっていたが、そういえば結局ヤツはどこへ逃げたのだろうか。
そして悠奈が、決定的な事実を口にする。
「うさぎが、兄さんに向かって小石を投げつけようとする未来を」
「はぁっ?」
まさかとは思っていた事態に、隼斗は素っ頓狂な声を上げてしまう。
うさぎが――ふらっぺが、石を投げてきた? 何か、ふらっぺはアヤシゲな生物実験でも受けて人間並みの知性を有したうさぎだとでも言うつもりか。そうでないとして、それでも悠奈の言っていることが真実ならば。
「……マジかよ」
化生。そんなワードが頭をよぎった時、いよいよ森と境内の境目に到着する。なぜ妹の悠奈ちゃんが、という緋沙音の視線と、一体誰やねんそいつ、というミケの不穏な視線、その二条にさらされて、隼斗はひとまず苦笑するしかなかった。そんな兄に手を引かれて現れる、当の悠奈は涼し気な微笑みと共にペコリと頭を下げるのだった。
悠奈は俺を心配してついてきてしまったらしいという経緯を説明し、初対面である彼女とミケは自己紹介しあい、言葉を交わす。
「あらら。お兄ちゃん思いの良き妹さんですこと」
「えぇ。目の黒い内は常に兄の身を案じるのが血を分けた妹の責務ですから」
シラフでそういうこと言っちゃうのこの人的なミケの複雑な苦笑いに、すまし顔の悠奈は気付かない。
途中、隼斗はひそひそと悠奈に耳打ちした。
「こいつは化生の【二口女】だ。そのつもりでな」
「へぇ。言われないと分からないね」
その後、ふらっぺはどうせすぐに戻ってくるであろうことを緋沙音と確認し、早とちりしちまったな、と隼斗は自分の慌てた行動を自嘲してその場を濁した。しかし実際のところ、戻ってこなかったらどうしよう。もっとも、緋沙音といつも一緒にいる時は普通のうさぎなのだから、問題無いのではとも思うのだが――これはふらっぺが見つからない以上、今考えても、どうしようもない事態だ。
用事も済んだことだし、と言い置き、悠奈を連れて三人で今日のところは帰る旨を告げる。
「また学校でね~。あ、聞き込みはしておくよ! 参拝者の悩みに応えるのも良き巫女の勤めってね!」
「だからいいってのに、律儀な奴だな。まぁいいや、じゃあまた学校でな」
「ばいばーい、緋沙音ちゃん。今度は一緒に遊ぼうねー」
「兄がお世話になりました。失礼します」
三者三葉の言葉を告げ、隼斗ら三人は春橋神社を後にした。