10.食事作法
「何か気づいたこととか、おかしいこととかあった? 隼斗」
「まぁ、ちょっとした違和感程度だけど。その人喰いがどんな化生か知らないけどさ、喰った痕跡が殆ど残ってない。つまり喰ったものを片付ける知性と、社会的な体面を気にするくらいの考えはあるってことじゃないの?」
「ふむふむ、そうかもしれないね」
知恵も何も無い、ただの獣の犯行ならばこうはなるまい。自身の違和感を元に、隼斗はとりあえずそう推察した。
ミケは人差し指を立ててクルクルと回しながら、楽しげに受け答える。
「あるいはこうも考えられるよ。被害者は痕跡がほとんど残らないくらい、思いっきり丸呑みにされたとか」
「う……ま、まぁ生き物によっちゃ食べ方も色々だもんな……」
「そーそー。ひとくちに『食べる』ったって、色々だよ。そーしないと死ぬんじゃないかってくらい礼儀正しく食べる奴がいれば、おもっきし食い散らかす奴もいる。よく噛んで食べる奴がいれば、ただただ丸呑みにする奴もいる。一度目をつけた獲物をどこまでも追いかけ回して食い尽くす奴がいれば、ある特定の部位だけキレーに食べ尽くして、獲物が生きてようが他には一切手を付けない奴もいる」
科学者が論文を述べるような淡々とした口調が、うらぶれた路地裏の会話劇を進行させていく。役者は二人か、あるいは切れ切れの残滓を指して『三人』というべきか。
こんな鬱蒼とした陰日向で人目をはばかって行われた『食事』に比べれば、鼻歌交じりにくるくるとステップを刻める今の状況など、幕間の小喜劇もいい所なのだろう。
「どのみち、これは一方的な犯行だった可能性が高いんじゃないか。路地裏に奇妙な点がほとんど残ってないってことは、喰われた方からの抵抗も無かったってことだと思うんだけど」
「そうだね。ちなみに、他の場所も状況はほとんど一緒だったよ」
「被害者が気づく間もないほどの不意打ちだったか、抵抗できないほど力の差がめちゃくちゃあったとか。あとは、なんか化生の能力で操られて、ここにおびき寄せられたのかも」
さながら、ウツボカズラが甘美な蜜の誘惑で昆虫を誘うがごとく。それはおよそまっとうな人の世界に根ざした生き方をしている者には、とうてい理解の範疇を超えた、生を求むるという透徹した目的のためだけに全てが遂行される世界なのだろう。
そこそこ常識的と言える生き方をしてきた一高校生の隼斗にとっても、そんな世界の事情など門外漢もいいところ。当然ながら食の異能に触れ続けて久しいミケの方が詳しいだろう。しかし彼は彼なりに、持ち前の考えを披露することを躊躇わなかった。
どちらかと言うならばワトスンであろう自分の役どころを全うせんとする様に、いささか茶目っ気が過ぎるホームズも幾ばくかの真面目さを以って応えた。
「オーケー。わたしの考えではね、ここに誘い込んだ線が濃厚だと思う。まずなんたって、ここはレキちんと互助会のお膝元なんだよ。そこで化生の能力を使った大掛かりな仕掛けは感付かれやすい。それだったら、そりゃ犯人も目立たずに目立たずに動きたいだろうけど、だからってわざわざこんな所でちゃっちぃ罠張ってさ、どれだけ人が通ると思う?」
「……たしかに、そんなことしないだろうなぁ。水飲みたいからって、口開けて雨が降ってくるの待ってるようなもんだ」
「うん、ハナカマキリやカサゴとはワケが違うね。だから、ここに罠を張って待ってたんじゃなくて、ここに誘い込んで不意打ちして喰ったんだ。その可能性が高い」
おどけの消えたミケの真剣な眼差しに、少しだけ、威圧めいたものが入り交じっていた。
目を合わせたまま、隼斗は彼女の真摯な心に直接触れたような心地を覚えた。あぁ――彼女も彼女なりに、赦せない気持ちに打ち震えているのだと。
自然と、彼はグッと握り拳を握っていた。
「じゃあ誘い込んだんだとして、一体どうやって? やっぱ催眠術的な何かを使ったとか?」
「いや、たぶん違うね。この手のやり口は珍しくないんだ。こっちの方法を使えば、互助会からも目をくらませられるし、自由に行動できる」
ニヤりとしたミケの含み笑いに、何かアテがあるのだと察せられる。それも、経験に裏打ちされたであろう確信が。
「人間が、人喰いに心を許すわけがない。誘われるわけがない。敵はね、『ハリガネムシ』なんだ」
「へ?」
意外なワードへの呆けた返事から一瞬の間を置き、隼斗は髪の毛ほどの存在感しか持たない、しかしおぞましくグロテスクな生態系を持つ虫の姿を想起した。
カマキリを食らい体内に侵入した上で思考中枢を奪い取り、彼らの体を意のままに操るという、他者の生を利用する冒涜的な生命体。
つながっていく。一つの結論へ帰結していく思考。ともなうように、ハッと全身が総毛立つ。
「まさか」
「寄生、あるいは擬態して紛れ込んでるんだよ――」
それが、人を喰うという目的のために行われているのだとしたら。
「――人間に、ね」
「……ッ!」
隼斗は思わずとっさに後ろを振り向き、そして路地の左右の入り口を、壊れた人形のように何度も何度も繰り返し確認した。全身を覆う悪寒は尚も収まらず、ひゅう、ひゅうと呼気が荒くなる。
敵は人にして人に非ず、人にして人を喰らい、人にして人間社会に素知らぬ顔で紛れ込む。
お前の隣でバカ話をして笑っている友達が、次の瞬間、お前の頭を噛み砕くぞ!
そんなゾッとする妄想さえも、抱かずにはいられなかった。




