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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
砂漠の王国と革命軍
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砂の王国と革命軍 7

  7


 国と同名の首都ザーフィリスは、フィリス川のほとりにある古く歴史のある都市である。

 住民は五、六千人。

 地球の町から考えれば決して大規模ではないが、王宮がある分栄えている都市でもあり、都市そのものは川をまたぐように両側へ広がっていて、川の西側が下町、東側が王宮という区分になっていた。


 砂漠のなかで、唯一川の周囲にだけ植物が生えている。

 いってみれば生物が住める環境であり、町はまっ白な壁で覆われていたが、その外側にもひとが住むちいさな集落のようなものが点在していた。


 ラクダは産毛のようなやわらかな草を踏みしめ、ザーフィリスに近づく。

 都市を囲う白い壁は陽光を反射し、まるで鏡面のように輝いていた。

 案内役はその壁の近くでラクダを降りる。


「向こうに入り口がある。そこからなかに入れば、自然と町に紛れられるだろう。王宮へは町のなかにある橋を渡る必要があるが、橋は複数の兵士によって警護されている。どうにかして王宮へ潜入し、情報を取ってきてくれ。おれは、このあたりで身を潜める。会議の情報がわかったらおれに伝えてくれ。おれはすぐにキャンプへ戻り、スルールへ伝える」

「わかった。明日の夜までには、ある程度の情報を伝えられると思う。案内ありがとう、助かったよ」


 大輔たちもラクダを降り、そこからは徒歩で町に近づいた。

 遠目でもはっきりわかった白い壁は、近づくといよいよ巨大に迫る。

 高さは五メートルほどもあり、まるで要塞のようだった。


 案内役の言うとおり、壁には高さ二メートル弱、幅一メートルほどのちいさな入り口が設けられている。

 そこには警備もなく、細い路地につながっていた。


「わあ、すごい。ほんと、ぜんぜんちがう世界にきたみたい」

「ぜんぜんちがう世界にきてるんだけどな。町に入ったら勝手にうろうろするなよ。三人で手をつないで、絶対に離れないように。先生、迷子は置いていく主義なので」

「はーい」


 燿、紫、泉の三人はしっかり手をつなぎ、その狭いアーチをくぐった。

 薄暗く、なんとなく恐ろしいような雰囲気がある路地を抜けると、一転して視界が開ける。

 どうやら広場らしかった。

 白い壁の建物に囲まれた正方形の広場で、所狭しと店が並び、ひとでごった返している。

 大抵はトーブを着た男たちで、店先に並んでいるのは色とりどりの食材である。


 野菜の類もあれば、甘い匂いを放つ果実もあり、乾燥させたトカゲや植物を売っている店もあるし、干物になった肉専門の店もある。

 そうした店が広場にひしめき合い、様々な匂いが入り交じって、広場は混沌とした雰囲気に包まれていた。


 大輔たちは人混みのなかをはぐれないように進み、異文化の奔流を肌で感じて、広場を抜けるころにはやけに体力を消費したような気になる。


「せんせー、これからどうするの?」


 紫と泉の手をきゅっと握った燿が、ぐったりしたように言う。


「まずはホテルを探してチェックインしなきゃいけないんじゃないの?」

「この世界にホテルがあるか? まあ、宿はあると思うけど、それは後回しだ。ぼくたちは観光にきたわけじゃないんだから」

「えー、じゃあなにしにきたの」

「仕事だ。ここからが危険な仕事なんだから、ちゃんと気を引き締めろよ。これはスルールに協力するっていうより、ダブルOの隊員としての仕事だと思ったほうがいい。失敗すれば、もちろん命の危険がある。全員覚悟するように」

「う、が、がんばる」

「うむ、がんばれ。それじゃあ、まずは敵地視察だ。王宮を見に行くぞ」


 四人はあまり人通りのない路地を選び、ゆっくりと進む。

 途中ですれ違う町の住民からは、すこし怪訝な顔で眺められる。

 路地を進んでいくと、川に出た。

 太く立派な川で、川べりはゆるやかに傾斜し、深さもそれなりにあるようだった。

 幅は十メートルほど。

 川の向こうには、王宮が見えている。


「さすがにでっかいね、王宮は」


 白亜の宮殿、という言葉が似合うような、すべて白い石材で作られた王宮である。

 中央にどんと巨大な建物があり、その左右を固めるようにそれぞれちいさな塔がある構造で、そのすべてがまばゆく輝く白、白銀だった。


 ひとも建物も込み入った町からは完全に隔離され、王宮のほうはいかにも品より静まり返り、だれの気配もない。

 大輔は王宮よりも川の様子を眺めていたが、比較的流れは穏やかで、泳いで渡ることも不可能ではなさそうだった。

 その代わり、川には大きな橋がかかっていて、その橋の上には小銃を持った兵士が三人、一列に並んで警護している。

 川を泳いで渡るにしても、警備に見つからずに潜入するのはなかなか難しいようだった。


「ふむふむ、なるほど――まあ、普通に考えれば充分な警備だな。しかしこの大天才大湊大輔を止めるにはあまりに稚拙で脆弱よ」


 にたりと笑い、大輔は踵を返した。


「先生、どこ行くんですか?」

「宿を探そう。そこを拠点にする。宿を見つけたら、さっそく王宮のなかに飛び込むぞ」

「なにかいい方法が見つかったんですか?」

「逆にいえば、方法が見つかりすぎて困るくらいだ。いやあ、天才はつらいねえ」

「うわあ、ほんとに殴りたい」

「な、殴っちゃだめだよ、紫ちゃん。一応先生なんだから」

「一応っていうか普通に先生だけどね」


 大輔は後ろでぼそぼそと会話する生徒たちの声は無視して、ずんずんと歩いていく。

 頭のなかでは無数の方法が立ち上がり、検討され、選別されている。

 そのときにやにやと勝ち誇ったように笑うのは、大輔のくせだった。


 やがてたったひとつの回答が見つかり、大輔はうんとうなずく。

 この時点で成功へ向けた道標は、完全に見えているのである。



  *



 ザーフィリスの王宮は、ここ数日各国からの客を迎えて華やかに飾られている。

 回廊にはわざわざ取り寄せた珍しい花が飾られ、王宮内はいつもに増して念入りに清掃されている。


 文字どおり塵ひとつない御影石の廊下を、どこか虚ろな足取りで歩く影がある。

 濡れた闇をそのまま閉じ込めたような長い黒髪は背中のあたりまであり、絹のドレスの裾が廊下をするすると動く。

 漆黒のドレスは、まるで喪服のように感情を押し殺し、肌の露出も最小限にとどめているが、着ている本人の美しさまでは隠しようがない。


 それは少女から脱皮しようかという年ごろの女だった。

 ほんのりと暗い肌はきめ細かく、眉はすっと真横に伸びて、漆黒の瞳が潤んで揺れる。


 ザーフィリスの王、ナビールの娘にして王女のファラフである。

 ファラフは飾り立てられた廊下をひとりで歩いていたが、美しい装飾の数々を、あるいは美しく建築された王宮そのものを見て、静かに息をつく。


 ファラフは装飾というものを好まなかった。

 生まれながらにして華やかな住まいを得ている少女らしくもなく、贅沢を嫌い、労働を愛しているようなところがあった。


 王宮のあちこちから、川の向こうにある町の様子が見てとれる。

 そこで暮らすひとたちは金細工が施された小物など持っていないし、ただじっと立っているだけで女中たちが集まって着替えをさせてくれるわけでもない。

 自分のことは、すべて自分の手で行わなければならない。

 ときにはひとのために動くことさえあり、ファラフはそれを、どんな宝石や装飾品よりも愛しているのだ。


 たしかに、王宮の暮らしには不自由がない。

 食べ物は常に選び抜かれた食材と料理人によって作られ、部屋は望んだとおりに飾り立てることができる。

 王宮にいるかぎり、身の危険というものもない。

 なにも考えず、ぼんやりしているだけで生きていける世界だ。


 一方で町の暮らしは、それほど簡単ではない。

 明日食べるためには今日働かなければならないし、物置のような狭い部屋で暮らさなければならないときもある。

 身の危険もあるだろうし、周囲に上品な生活を期待することもできない。

 生きるために、生きたいという意志を持たなければならない世界なのだ。


 空虚な装飾で飾り立てられた王宮と、生きるために存在している町と、どちらが美しいだろう。

 ファラフは町の営みこそ、真に美しいものに思えて仕方なかった。


 とくに近ごろ、近隣の国から王や代表者が集まりはじめてから、とくにそう思うことが多くなった。

 集まってくる王たちは、みなこの宮殿の美しさを褒め称える。

 そして自分たちの国にどれだけ美しいものがあるかという自慢も忘れない。

 彼らの言う美しいものとは、世にも珍しい宝石や奇岩であったり、著名なだれかが描いた絵画であったり、まるで生活とは無関係なものばかりだ。

 いい年をした大人たちが、そんな夢うつつの話ばかりしているのである。


 ファラフはそこにある種の絶望を覚え、いまは回廊に飾られた植物さえ物悲しく見える。


「こんなふうに飾られるより、地面に根ざして咲いているほうが幸せでしょうに――」


 ファラフは薄紅色の花びらにため息を吹きかけ、廊下を進んでいく。

 やがて前方から、数人の男たちがぞろぞろと歩いてくるのに出くわした。

 客としてきている王たちかとファラフは道を開けたが、近づいてみると、父であるナビール王と数人の大臣たちだった。


「ファラフ、ひとりでどうした? 女中たちはどこにいるんだ?」

「女中たちは休ませています、お父さま」


 ファラフはゆっくりと腰を沈め、頭を下げる。

 黒髪がやわらかに揺れ、背中を流れる。


「いまは客も多いし、あまりひとりでは出歩くなよ」

「はい――お父さま、今夜も宴会は行われるのでしょうか?」


 ナビール王は、娘の口調から不平を感じ取ってわずかに顔をしかめた。


「仕方あるまい。客人がいる以上、もてなすのが礼儀だ」


 ファラフから見た父ナビールは、決して悪い人物ではなかった。

 性格そのものは穏やかで、いままで一度も怒っているところを見たことがない。

 一方で、どこか臆病なところがあり、自分の意見を強く言い出せないような場面を何度か見たことがあった。


 今回も、まさにそうだった。

 ナビールも、ファラフ同様、あまり贅沢を好まない。

 ファラフの母、つまり后はよその国から嫁いできた貴族であり、むしろ贅沢な暮らしを究めんとする性格だったが、ナビールは王族に生まれ、はじめからこの贅沢な空間で暮らすことで、ファラフと同じように一種の贅沢中毒のようなものを抱えていたのだ。


 しかし国際会議の場として王宮が選ばれ、各国から客がきたことで、ナビールは否応なく歓待を強いられている。

 したくもない贅沢を強制され、したくもない宴会を毎夜開き、それを嫌とも言えないナビールなのである。


 ナビールは王だが、国を動かしているのは、その下にいる無数の大臣たちだった。

 ファラフは、常に父のそばにぴたりと寄り添っている顔色の悪い大臣たちが苦手だった。

 ナビールも同じ感情を持っているのだろうが、大臣なしでは国は成り立たず、大臣たちの進言を退けるだけの意見も持ち合わせていなかった。


 一度、ファラフは父に自分の気持ちを、つまり贅沢はやめ、質素に慎ましく暮らしたいということ、そして大臣たちの言いなりになるのはやめてほしいということを伝えたが、ナビールの答えは単純で期待はずれのものだった。


「これは現実なんだよ、ファラフ。空想ではない、たしかな現実なんだ」

「わかっています、お父さま。だからわたしは――」

「現実というのは、自分の思い通りにはならないものだ。おまえにはまだわからないかもしれないな、ファラフ――そしておまえは、相変わらず子どものようにわがままなんだよ」


 父はそれ以上なにも言わなかった。

 ファラフはその答えに失望し、同時に父にも失望を覚えたが、それでも父親に対する愛情は変わらなかった。


「部屋に戻りなさい、ファラフ」


 ナビールは穏やかに言って、ファラフの腕を軽く叩いて促した。


「もし部屋にいるのが退屈なら、お母さんの様子を見てきてくれ。いまごろ、今晩の衣装を選んでいるところだろう。おまえがなにか意見を言ってやれば喜ぶ」

「――はい、お父さま」


 ファラフは頭を下げ、通り過ぎていく一団を見送った。

 それから言われたとおり母の部屋へ向かうべきか悩んだが、結局母の衣装部屋の、あの芬々とした匂いを思い出すと、どうしても足は母の衣装部屋から遠ざかっていった。


 回廊を抜け、日が差し込む中庭に出る。

 空はまだ青く、ふたつの太陽が高く昇っている。

 今日は双日である。

 半夜だから、宴会はいつも以上に遅くまで続くことになるだろう。

 ファラフはため息をつき、心の色を表したような黒いドレスの裳裾を引きながら、自室に戻っていった。


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