砂の王国と革命軍 6
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燿たち、地球からきた三人の少女には、三人だけのちいさなテントが与えられていた。
スルールのテントから戻ってきた三人がだれにともなく言ったのは、
「スルール、イケメンじゃない?」
ということだったが、その話題がひと通り落ち着くと、さすがにまじめな顔で向かい合った。
「ねえ、あたしたち、どうなるのかな?」
普段は明るく前向きな燿も膝を抱え、不安げに瞳を揺らした。
紫はちいさく息をついて、冷静なような、投げやりなような口調で言う。
「とりあえず、そう簡単に地球へは帰れないみたいね。先生は大丈夫だって言ってたけど、まあ、あの先生の言うことだしね」
「でも、ここのひとたち、みんないいひとたちでよかった」
泉がぽつりと言った。
「あたしの介抱してくれた女のひともやさしかったし」
「うん、スルールはイケメンだしね」
「それ、なんか関係あるわけ?」
「関係あるよ。イケメンで悪いひとはいないもん」
「わたしは顔がいいやつのほうが信用ならないけどね。なんか、自信満々で鬱陶しいじゃん。その根拠のない自信を思いっきりへし折って笑ってやりたくなるもん」
「うわあ、ゆかりんドS。なんていうかもはやTだよね」
「なに、Tって」
「Sの次。超ドSの頭文字」
「なんでもいいじゃん。超美人でもTだし」
「じゃあTDS」
「あの、そういう話なの?」
控えめに泉が言うと、ふたりはうなずいて、
「燿が変なこと言うから」
「えー、あたし普通のことしか言ってないよ。ゆかりんがTDSだからだよ」
「あの、だから、そういう話はあとにしようよ」
「そうそう、泉、もう大丈夫なの?」
「うん、ごめんね、迷惑かけて」
「別に迷惑じゃないけど、今度からちょっとでもしんどくなったら言ってよね。突然倒れたりしたらびっくりするから」
「うん、そうする――先生にも、謝らなきゃ」
「別にそんなのいいんじゃない? あ、そういえば先生が抱き起こすとき、ちょっと胸触ってたよ」
「ええっ!?」
「嘘だけど」
「ゆかりん、そういうひとを貶める嘘大好きだよね。いま悪い顔してるよー」
「ちょっと、なんかわたしがひどいやつみたいな言い方やめてよ。わたしが貶めたくなるのは、世間一般から見てむかつくやつだけだもん。先生とか、先生とか、先生とか」
「ゆかりんはほんと先生が好きだねー」
「す、好きとかじゃないし! っていうか大っ嫌いだし!」
「あー、はいはい、ツンデレツンデレ」
泉はふうとため息をつき、倒れたのは熱中症ではなく心労ではないかと思ったが、口には出さなかった。
「とにかく、あたしたち、ちゃんと地球に帰れるのかなあ?」
泉の言葉に、燿と紫も黙り込んだ。
「まさか、扉があんなことになるなんてね。偶然雷が落ちるとか、運が悪すぎるよ」
「ほんとに偶然だったのかな?」
と紫が呟く。
「だって、空の色とかおかしかったでしょ。雲もないのに雷ができるはずないもん」
「……どういうこと?」
「だれかが意図的に、あの扉に向かって雷を落としたんじゃないかってこと」
「だれが、なんで」
「そこまではわからないけど」
「それに、どうやって? そんなことできないよ、普通」
「普通は、ね――でも、魔法使いなら、できる」
「魔法使いが扉を壊したってこと? でも、じゃあ、あたしたちと同じ、地球の人間ってことになるよね。こっちのひとは魔法なんて使えないもん」
「ま、全部推測だし、証拠はないけどね。それにだれがなんの目的で扉を壊したかがわかっても、それで地球に帰れるってわけでもないし。いまはとりあえず、生きていくことだけ考えなきゃ。新世界は地球とはちがって生きていくのが大変な場所だもん。先生は頼りにならないから、わたしたちだけでもちゃんとがんばりましょう」
「そういって先生の負担を減らすことを考えるやさしいゆかりんなのでしたー」
「ちがうったら!」
泉はもう一度ため息をつき、いまいち深刻さが足りないふたりを後目に、この先どうなるんだろう、とまじめに考え込んだ。
とにかく、生きていくしかない。
それだけは間違いのないことで、この視線で生きていくには、地球のようにぼんやりと立っているだけではだめなのだ。
生きたいという意志を全身で表現し、実行しなければ、この世界では生きていけない。
燿たちはまだ数えるほどしか実習をしておらず、その実習もまわりになにもない砂漠で魔法を試してみるだけだ。
新世界については、授業で聞き知っているにすぎない。
新世界の住人と会ったのも今日が最初で、地球と同じように暮らしているのだということ自体がカルチャーショックだったが、それを乗り越えてこの世界で生き延び、地球へ帰る手立てを見つけなければならない。
がんばろう、と泉は拳を握る。
せめて、ほかのふたりと、大輔の足手まといにはならないようにがんばらなければ。
「ま、いざとなったら、わたしがぱぱっと魔法で乗り越えてみせるけどね」
三人のなかでいちばん魔法が得意な紫が胸を張る。
燿はこっそり、泉の耳元で、
「なんか、ああいうところはゆかりんと先生って似てるよね」
思わず泉がうなずくと、紫はむっと眉をひそめて、
「そこ、聞こえてるわよ。あんな自称天才ばかといっしょにしないでくれる? わたしはね、自分で天才っていうようなやつは大っ嫌いなのよ」
「でも先生、すごかったよね。こっちの地域の言葉もぺらぺらだったし」
泉が素直に言う。
紫はうっと言葉に詰まって、
「ま、まあ、それはたしかにね」
「なんだかんだ言って、交渉もうまいしね。泉の症状が軽いうちにここまでこられたのも先生のおかげだし。あたしたちだけじゃ、あのひとたちと出会ってても難しかったよね」
「ま、まあ、なんとかなったと思うけどね、わたしたちだけでも」
「……ゆかりん、やっぱり先生のこと好きでしょ?」
「好きじゃない!」
紫は拗ねたように寝転がり、布団代わりの布をかぶった。
燿も笑いながらそれに倣って、泉もテントの隅で丸くなる。
地球上ではない、そもそも同じ宇宙ですらないこの世界にも、夜があって朝がくる。
泉はそのごく当たり前の事実を改めて不思議に思いながら、静かに目を閉じた。
*
朝。
砂漠の空は当然のように晴れている。
この世界には、太陽がふたつある。
大きく近い太陽がひとつと、それよりも遅い周期で巡ってくるちいさな太陽がひとつ。
今日はそのふたつが青空に輝き、気温は五十度近くまで上昇していた。
「これだけ湿気がなくても、さすがにこの気温だと爽やかな感じは一切しないな」
大輔はテントから這い出して眩しい日差しに目を細めた。
すぐ近くにある小高い丘によじ登るとあたりが一望できるが、ゆるやかに波打ちながら延々と続く砂漠は、壮観でありながらじっと眺めるには変化がすくなすぎる。
しかしその光景に、自分たちはまだ新世界にいるのだ、と痛感させられた。
じりじりと肌を焼かれるのがわかる日差しの強さ。
水分をすべて吸い取られてしまいそうな乾いた風。
細かな砂の流れに、風音しか聞こえない静寂。
それらはすべて、新世界の特徴的な環境である。
新世界の大部分は不毛な土地だ。
海はあるが、地表の六割近くは草木も生えない砂漠になっている。
町はかろうじて川沿い、海沿いにだけ存在し、人口も地球とは比べるべくもない。
ここは決して人間が暮らしやすい世界ではないのだ。
「そんな世界から帰れなくなったんだよなあ」
思い出すのは紫色の空と雷。
どちらも自然現象とは思えない。
だれかが世界を渡る扉を焼き払ったのである。
そしてそのだれかとは、魔法使いにちがいない。
魔法使い、すなわちもともとは地球に暮らしていた者が世界を渡る扉を焼き払う理由など、考えるまでもなかった。
「――でも、まさか、さすがにそこまでの偶然はない、よな?」
だれかに窺うように呟く大輔の背中に、男の声がぶつかってきた。
振り返れば、丘の下でスルールが呼んでいる。
大輔がすべるように丘を降りると、スルールは大輔に砂漠で過ごすための衣装を手渡した。
「今日は暑くなりそうだ。しっかり準備しておかなければ、きみも倒れるぞ」
「昨日は単日だったけど、今日は双日だしね。ありがたく借りるよ。町へは、今日出るのか?」
「そうしてくれるとありがたい。会議はそう長い日程で行われているものではない。会議中に飛び込むには、ここから大急ぎですべての物事を進めなければ」
「わかった。ところで、会議に突入できる可能性はどれくらいあるんだ? 向こうも警戒はしているだろうし、数はおそらく向こうのほうがいいんだろう。そうなれば、よほどうまくやらないかぎり、押し返されてしまう」
「大丈夫だ、武器はすでに揃っている。最新の銃を人数分以上調達してあるから、速攻で終わらせれば勝機はある」
「ふむ――よく武器調達できたね」
「そういうルートがあるんだ」
スルールはくるりと踵を返し、キャンプに戻る。
大輔もそのあとに従った。
「革命軍、というものを知っているか?」
「ああ、噂では。いま世界中のいろんな国で活動している連中だろう」
「そう、われわれはその革命軍の協力を取り付けている。人員までは割けないが、武器くらいはいくらでも手に入る」
「革命軍が背後にいるのか」
「きみはすこし、おれに失望しただろうな」
スルールはいたずらっぽく笑った。
「革命軍との協力は、現実的な判断だった。われわれの独力では武器調達も不可能だったし、ましてや会議の襲撃などできるはずもない」
「これは個人的な見解だけど、そういう組織に手を借りると後々厄介になる」
「それも承知の上だ。あとのことは、ひとまず置いておく。いまはなんとしても動くときなんだ。きみはわれわれを一枚岩だと思っているかもしれないが、本当はそうじゃない――われわれのなかにも、いろいろな意見がある。武力ではなく、対話で解決すべきだという意見。武力を行使するにしても、もっと時期を考えるべきだという意見。そんな妥協のできない意見をいちいちまとめあげている時間はない。いまやらなければ、永遠に立ち上がれないままになる」
大輔はちいさくため息をつき、言った。
「きみの立場に同情するよ、スルール」
スルールは声を上げて笑う。
「おれは自分の立場に感謝してる。戦士たちを率いるのは誇り高い仕事だ」
ふたりはキャンプに戻り、軽い朝食を終えると、すぐに町へ向かう準備をはじめた。
三、四時間の砂漠の旅である。
馬ではなくラクダを使い、荷物はなるべく減らして、案内役ひとりと大輔たち異世界人四人がそれぞれ一頭ずつのラクダに乗って、キャンプを出た。
ラクダはしっかりと調教されていて、なにも手綱を動かさなくてもちゃんと前を歩くラクダを追って歩くようになっている。
案内役が先頭になり、あとはのんびりと座っているだけの旅ではあるが、自然発火しそうな炎天下と硬いラクダの背中は決して居心地がいい環境ではない。
一時間もするうちに腰やら尻やらが痛くなって、もう一時間もすればゆったりした上下動に乗り物酔いのような感覚になりながら、休みなく砂漠を進んだ。
いくつものコブのような丘を超える。
砂漠に、一筋の足音が延々と残っていく。
しかしそれは風が吹いてしまえばわからなくなるから、進む方向は案内役の一存で決められていた。
「せんせー、まだ着かないの?」
後ろのラクダから、燿がだらけた声を上げる。
案内役のすぐ後ろにいる大輔は布をかぶった生徒たちをちらと振り返り、
「もう一時間くらいで着くはずだ」
「お尻痛いー」
「じゃ、ジョッキースタイルで乗るといい。先生を見ろ、実に見事な姿勢だろう。天才っていうのはなんでもできるんだ。こうしておけば腰も尻も痛くないぞ。疲れるけどな」
「疲れたくなーい」
「じゃあ痛いのを我慢するしかない。もうすぐ着くよ、それまで我慢だ」
「うう、あたし、我慢って言葉、いちばん嫌い」
「だめ人間か、おまえは」
「でも、先生」
と紫が声を上げる。
「ほんとに、あのイケメンに協力するんですか?」
「スルールのことか? まあ、たしかにぼくに匹敵するくらいのイケメンではあるな」
「……え?」
「え?」
「スルールに協力するんですか?」
「いま流しただろ。なんだこいつめんどくさいこと言い出したなみたいな感じで流しただろ。顔を見ればわかるぞ。まあ、この状況を考えれば、ひとまず協力するしかないだろう。ぼくたちだけじゃ町にはたどり着けないし、助けてもらった恩もある」
「でも、あのひとたちって、簡単に言ったら犯罪者ですよね? 先生も言ってましたけど――」
昨日、スルールの話を通訳しながら、大輔は彼の話を鵜呑みにするなと生徒たちに告げていた。
スルールの言葉が嘘だというのではない。
それが真実だったとしても、一方から見た真実でしかなく、また別の側面から見た真実も存在する。
それも知らないうちから物事の見方を固定してしまうな、と言っていたのだ。
「でも、スルールはいいやつだと思うけどな、あたしは」
燿は言って、
「だってさ、ひどい話だったもん。王さまのためにがんばって働いたのに、王さまから命を狙われるなんて。そんなひどい王さまは、王さまじゃなくなったほうがいいよ」
「ほんと、燿は単純っていうか、素直よね」
紫はため息をつく。
「たしかにスルールから見た世界はそうだけど、王さまから見た世界は、またちがうかもしれないでしょ。ま、たしかにひどい話だとは思うけど」
「でしょ? やっぱり、スルールに協力してあげようよ」
「協力したら、わたしたちもその仲間だと思われて捕まるかもしれないのよ。そしたら死刑かも」
「う……死刑はヤだけど。でもでも、捕まらなきゃいいってことでしょ?」
「出た、楽観的な考え方。そりゃ捕まらなきゃいいけど、捕まったら終わりよ」
「大丈夫大丈夫、あたしたち魔法使いだもん。そうじゃない普通の人間には負けないよ。ね、先生?」
「ん、まあ、そうだな――相手が普通の人間なら、いいんだけど」
大輔の呟きは、からからの風に流されていった。
それからラクダに揺られること一時間ほど。
案内役が声を上げ、ラクダを丘の上へ登らせた。
そこから見下ろせば、
「わあ、すごい!」
砂漠の彼方に、ぽつりと町の影が見えはじめていた。