砂の王国と革命軍 3
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もともと、石造りの強固な地下室は、問題の爆発でも損傷は見られなかった。
しかし肝心の扉は、黒焦げになって炭と化し、ばらばらと砕けて床に散らばっている。
まるでそれは、人間の焼け焦げた骨のようだった。
実際、地下室にはまだ焦げた匂いが強く残っている。
教師の連絡で地下室に駆けつけた協と穂乃華は失われた新世界への扉を見て、声もなかった。
「――いま、新世界にはだれが出ている?」
協が聞く。
教師は慌てて記憶を巡らせ、
「先日まで研修で出ていた三年生は全員戻っています。教師も、記憶にあるかぎりはだれも新世界へは行っていません。ということは――ああ、よかった、だれも新世界へは行っていませんよ」
「いや、よくはない」
厳しい口調と顔色を変えず、協はため息をついた。
「一組、二年生が実習に出ているのだ」
「二年が――じゃあ、付き添いの先生も」
「大湊くんがいっしょにいるはずだ。四人はまだ戻ってきていないな?」
「調べてみます」
教師は地下室を飛び出した。
穂乃華はまだ内部の人間とも部外者とも言いきれない立場だったが、なんとなくその場を去る機会も逸して、協の後ろにぼんやりと立っていた。
やがて教師が戻ってきて、二年生三人と大湊大輔が帰還していないことを告げる。
「すぐにほかの扉を管理する組織に連絡を。別の扉からの帰還を最優先に考え、ひとまず向こうに取り残されている大湊くんと連絡を取らなければ」
「はい、すぐに」
「――厳しい状況ですね」
穂乃華がぽつりと呟くと、協は重々しくうなずいた。
「こんなことは、前代未聞だ。まさか扉が焼け落ちるとは――いったいなにがあったのか」
「この扉は新世界側の扉と同期していますから、向こう側でなにかあったのかもしれません」
「うむ。こちらの扉に異常がないのだから、そうとしか考えられんな」
協は踵を返し、地上への階段を上がる。
中庭へ出たところで駆けてきた教師と鉢合わせて、教師は慌てて報告をはじめた。
「いま、ほかの扉の管理者に連絡したんですが、どうやらほかの扉でも同じ状況になっているらしいんです」
「なに?」
傷でひきつったような眉がぎゅっと上がる。
「ほかの扉も焼け落ちたというのか」
「詳しい状況はわかりませんが、すこし聞いたところではほとんど同じ状況かと――いま、総出で手当たり次第に連絡していますが、無事に残っている扉があるかどうか」
「――もし扉がひとつもなかったとしたら?」
「そのときは、新世界とこの世界は、完全に断絶したということになります」
言わずもがなの結論に、協は深く、ゆっくりと息をついた。
「引き続き、連絡を頼む。どこかひとつでも扉が無事に残っていれば、新世界への連絡もできる」
「はい」
教師はもう一度駆け出して、協は静かに校長室へ向かって歩き出した。
穂乃華もそのあとについていく。
「しかし、大湊くんか――よりによって、彼が実習に参加しているとは」
独り言のように協が呟いたのを、穂乃華は逃さずに聞いていた。
「彼なら、なにか問題があるんですか?」
「いや、問題というほどではない。ただ、彼はすこし、特殊な事情でダブルOの隊員になったのでな」
「特殊な事情?」
「彼が自分を天才と称しているのは、きみも見たとおりだ。それが本心からのことか、それとも彼一流のポーズなのかはわからないが、たしかに彼は、ある分野では稀代の天才なのだ」
「ある分野?」
「魔術だよ。彼は魔術師としては第一級だが、一方で欠陥と呼んでもいいようなところもある」
魔法を使うものを魔法使い、魔術を使うものを魔術師と呼ぶが、最近、魔術師という言葉はそれほど頻繁に使われるものではない。
魔術はたしかに、魔法の大前提として使われる。
魔術なくして魔法はない。
逆にいえば、魔法使いなら魔術ができて当然であり、魔術を専門に行うもの、つまり魔術師はほとんど出番がないのだ。
「彼は、ここ何百年か進化のなかった魔術の世界を広げられる可能性のある天才魔術師だが――魔法は、まったくだめなのだ」
「魔法がだめ? まったく魔法が使えないんですか」
「そう、彼は魔法使いとしての能力は皆無なのだ」
魔法がまったく使えない魔術師。
まだまだ半人前の、三人の生徒。
その四人で異世界に取り残されたというのだ。
穂乃華は静かにため息をついた。
新世界で彼らが生き残れる可能性は、ごくわずかだろうと思ったのである。
*
三人の生徒とひとりの教師は、黒焦げになって砂の上に倒れ込んだ扉を見下ろしていた。
「……これ、どうする?」
「ど、どうするって言われても……」
たしかに、生徒に聞いても仕方ない問題ではある。
大湊大輔は、試しにくすんだ真鍮のドアノブを握ってみた。
熱はもう放出されているが、ノブをひねると、そのまま周囲の板ごとごっそりと取れた。
もちろん、扉の向こうには砂があるだけである。
扉は完全に失われていた。
それを認めないわけにはいかなかった。
大輔は、改めて生徒の顔を見る。
三人のなかでいちばん性格が明るく活発な七五三燿。
三人のなかでいちばん優秀だが、いちばん気が強い神小路紫。
三人のなかでいちばん臆病で慎重な岡久保泉。
この三人の生徒といっしょに、大輔は砂漠の世界に取り残されたのである。
「……うわあ、絶望しか湧いてこねえ」
「それはこっちの台詞ですけど」
神小路紫は鋭い目つきで大輔を見る。
大輔は負けじと紫の目を見たが、視線の強さに雲泥の差があり、すごすごと引き下がった。
「ま、まあ、大丈夫だ。運悪くこの扉に雷が落ちたけど、まさかほかの扉まで消滅したわけじゃない。ほかの扉からちゃんともとの世界に戻れるから心配するな」
「ほかの扉って、どこにあるんですか?」
「それはまあ、いろいろだ。授業で習っただろ。世界的に見て、新世界への扉は百前後あると考えられている。百個もあるってことは、まあ、そこらへんにいっぱいあると言っても過言ではない」
「いや、過言でしょ、それ。世界中に百個しかないんですよ。世界中に百人しかいないとして、偶然すれ違う確率ってどれくらいですか?」
「どれだけ低確率でもすれ違うときはすれ違うし、どれだけ高確率でもすれ違わないときはすれ違わない。確率なんて無駄だ」
「う、も、もうもとの世界には帰れないってことですか?」
うるうると揺れる岡久保泉の瞳に、大輔はうっと言葉に詰まった。
「い、いや、そういうわけじゃなくてだな、余裕で帰れるし、おまえたちにはなんの危険もないことはぼくの天才具合が保証するけど、つまりまあ、このままここでぼんやりしてても無駄だってこと」
「じゃあ、どこへ移動するんですか?」
「扉を探して、どこかへ移動する。とりあえず、町に行くしかないだろうな。このまま砂漠で夜を越すわけにはいかない。ちょっとした旅行だと思えばいい。普通、実習だと砂漠にしか行かないからな、町に行けるおまえたちはラッキーだぞ」
「扉に雷が落ちて帰れなくなってもラッキーですか?」
「う……先生、おまえの冷静さはちょっと嫌いだな、神小路」
しかし厄介なことになったものだ。
大輔は生徒たちに背を向け、唇を噛んだ。
空はもう、紫色ではなくなっている。
もとの澄んだ青色になり、先ほどまでの光景がうそのように、砂漠はまた静寂を取り戻している。
雷が落ちたのはアンラッキーだったのか。
そうではない、と大輔は確信していた。
こんな砂漠に、雲もないのに雷が生まれ、それが偶然にも扉に命中するはずがない。
天文学的というよりむしろ原子論的数字の偶然を信じるより、百パーセントの必然を疑うほうが早い。
だれかが、世界を渡る扉を焼き払ったのだ。
いったいだれが、なんの理由で?
それはまだわからない。
ただ、嫌になるほど厄介な出来事に巻き込まれた、あるいは巻き込まれつつあることだけは、紛れもない事実である。
大輔はポケットから煙草を取り出した。
それを咥え、火をつける。
「とにかく、だ」
咥えた煙草をひょこひょこと上下に揺らしながら、大輔は眼鏡をくいと上げた。
「おれたちはここから、扉を探す旅に出なければならない。ちょっと早いけど、ま、卒業したらどの道こういう危険な冒険をすることになるんだ。予行演習だと思えばいい。ちなみにこの旅の成功はきみたちにかかっているので、先生の言うことをよく聞き、勝手な行動を慎み、あと先生のことをしっかり尊敬するように」
「このドア、なんとかして修復できないかなあ?」
「ただのドアならなんとかなるかもしれないけど、ドアの形だけ修復しても意味ないでしょ、たぶん」
「……ね、ねえ、先生がなんか言ってるよ、聞いてあげなきゃかわいそうだよ」
「えらいなあ、岡久保は。ほんと、救われるよ。絶望に咲く一輪の希望だね、まったく。よし、おまえら、歩くぞ。日暮れまでに町を見つけなきゃならん」
「えー、歩きたくなーい」
「じゃ、走れ。体力が続くならな。ぶつぶつ文句を言うひまがあったら足を動かせ」
「ぶーぶー」
文句はあるようだったが、歩き出さなければどうにもならないことは生徒たちも理解していた。
三人とひとりは、燃え尽きた扉を背にし、砂漠を歩きはじめる。
行くあてのない旅のはじまりだった。