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万象のアルカディア  作者: 藤崎悠貴
砂漠の王国と革命軍
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砂の王国と革命軍 2

  2


 からからに乾いた風が頬を撫でている。

 大湊大輔はポケットから煙草を取り出し、一本咥えて、火をつけた。

 昔ながらのセブンスター。

 こだわりと呼べるようなものはとくにないが、銘柄を変えたこともない。


 要は慣れているものが心地よいわけだ、と大輔は立ち上る煙が風に流れるのを見ながら考える。

 ひとはいつだって、未知の環境に順応する過程がもっとも愉快に感じる。

 順応してしまったあとは、惰性で続いていくだけのこと。

 たまには銘柄を変えてみるのも手かもしれないと大輔は考え、それから風上に生徒たちを見た。


 砂漠である。

 見渡すかぎり、永遠に続くような無窮の砂。

 ときおり強く吹く風は細かい砂を舞い上げ、砂地に波のような模様を残す。


 空は青い。

 砂漠の彼方と空の彼方はくっきりと分かれ、お互いに混ざり合うことなくどこまでも平行に続いている。


 昼間の気温は四十度を超えるが、日差しさえ防ぐことができれば、思ったより熱くはない。

 かえって困難なのは日が暮れてからで、気温がぐんと下がった砂漠は、昼間とは別の意味で人体に厳しい。

 砂漠の環境はかくも難しいのである。


 そもそも、見るからに砂漠は生物を拒んでいる。

 砂の大地には草の一本も生えず、ゆるやかな砂丘を作り、たまにトカゲのようなものがこそこそと動いているくらいだった。


 新世界。

 よく呼んだものだ、と大輔は思う。


「おーい、おまえら、ちゃんとできたか?」


 風上に叫ぶと、三人の生徒のうち、ひとりだけがぶんぶんと手を振った。

 もうひとりは揺れる髪の毛を押さえていて、最後のひとりはなぜかけんかでもするように大輔をにらんでいる。


「せんせー、チェックお願い!」

「へいへい、ちょっと待ってろよ」


 まだ煙草は半分ほど残っていた。

 もったいない、と思いながら携帯灰皿に捨てる。

 砂漠なのだから、その場に捨ててもいいだろうと大輔は思うのだが、生徒のひとりがそれを許さない堅物なのだ。


 自然を大切に、という呪いの言葉。

 じゃあ、自然とはどこからどこまでのことを言うのだ、と質問すれば、答えられないくせに。


 歩きにくいやわらかな砂の上を進み、生徒たちに近づく。

 三人は、砂漠には似合わない制服を着ている。

 一応、長袖長ズボンではある。

 紺を基調にしたシャツとズボンで、ネクタイだけが純白だった。

 まるで下手な男装のようだが、全体的に細身で、歴とした女子制服なのだ。


 大輔は三人の生徒の足元に描かれた図形を見る。

 大きな円のなかに、うねうねと複雑な文字とも絵ともつかないものが描かれていた。

 魔術陣である。

 ある規則に従って記述されることで力を発揮する、ひとつの文字のようなものだ。


 三人の生徒たちは本を片手にその魔術陣を描いたらしく、一見まともだが、細かなところが雑になっている。

 はあ、と大輔はため息をつき、生徒たちを見た。


「ここ、描いたのおまえだろ、七五三」

「ち、ちがうよ? あたし、そっちだもん」

「目がクロールしてるぞ。おまえ、適当なんだよ、描き方が。大天才であるぼくを見習って丁寧に描きなさい。それからこのへんは神小路だな?」

「ちがいますけど?」

「おいおい先生にガンを飛ばすな。先生ちょっとびびっちゃうだろ。神小路は、最初のほうは丁寧なんだけど、後半に飽きて雑になるからな。超絶天才であるところのぼくを見習って最後までちゃんと描きなさい。それから岡久保」

「ひゃ、ひゃう!?」

「名前を呼んだだけで飛び上がるほど驚くか? 先生ちょっとショックだ。岡久保は、全体的に弱い。もっと力を入れて、がっと描くんだ。人類はじまって以来の天才であり、なにものにも物怖じしないぼくを見習って、自信を持って描きなさい。というわけで、最初からやり直し」

「えー」

「えー、じゃない。これができないかぎり、実習は終わらんぞ。知ってるか、砂漠にいると肌の水分がぎゅんぎゅん吸い取られて、一気に年を取るんだぜ」

「わっ、や、やばい、早くやり直して帰ろう!」


 生徒たちはわたわたと魔術陣を消し、木の棒を使ってもう一度描きはじめる。

 大輔はすこし遠い場所に移動し、もう一度煙草を咥えた。

 煙草の副流煙というやつは、身体に悪影響しか与えない。

 とくに若い人間には毒以外の何物でもなく、大輔は生徒たちが風下にいないことを確認し、火をつけた。


 ふう、と煙を吐き出す。

 それが水分をほとんど含まない砂漠の風に流れ、ゆるりと消えていく。


 現在、新世界での魔法実習中である。

 魔法を使うには、前もって魔術陣を描いておく必要がある。

 いわば魔法の基礎、大前提が魔術陣であり、それが正確に描けない以上、どれだけ能力があっても魔法を使うことはできないのだ。


「――ま、魔術陣がどれだけうまくできても、魔法が使えなきゃどうしようもないけどな」


 ぽつりと呟く言葉さえ、砂漠の風に流れていった。

 生徒たちは砂の上にがりがりと魔術陣を描いていく。

 そっちをもっと広く、そこを細かく、とか声が飛び交って、十分ほどかかり、ようやく大輔を呼ぶ声になった。


「遅いぞ、おまえら。地上最強の知性であるところのぼくなら、そんな魔術陣一分でできるけどな」

「先生、その台詞のどこかに無駄な自慢を入れるの、やめてくれません? 殺したくなるほど不愉快なんですけど」

「神小路、おまえに視線でひとを殺す能力がなくてよかったよ。もしそんな能力があったら、先生はもう百回くらい死んでるからな」


 魔術陣を見下ろす。

 今度は細かいところまでしっかりと作られていた。

 陣の規模を示す外縁、陣の性質と指向性、発展性を指定する内部の構造にも欠陥はなく、これならうまくいくだろうと、大輔もうなずく。


 それは三人用の魔術陣である。

 三人は陣を踏まないように気をつけながら定位置に立った。


 三人で正三角形を作っている。

 広い円のなかに、三角形ができる形だった。

 大輔は影響を受けないように距離を取る。


「よし、やれ」

「はい――いくよ、みんな」


 三人はそれぞれ手をつなぎ、視線をしっかりと合わせて、目を閉じた。

 それぞれの唇が同じ言葉を紡ぐ。

 三人の声がすこしのずれもなく重なり、一本の声となって、砂漠に朗々と響き渡った。


 言葉そのものに意味はない。

 音に、意味がある。

 内容よりも発声が重要になるのだ。


 魔法とは、発声により発散される魔力の結果である。

 魔術とはそれを支える技法であり、単に発散されるだけの魔力を特定の方向へ収斂させ、望んだ結果を出させるのが魔術の役割である。


 三人の体内にある魔力が空気中にあふれ出し、質のちがう三人分の魔力がぶつかり合って、爆発的なエネルギーを生み出す。

 その瞬間、足元の魔術陣がかっと輝き、太陽よりも白く眩しい光があたりを満たした。


 光は本来のように一方向へ向けて進むばかりではない。

 まるでもやのように、三人を包み込むような形で丸く輝いている。

 それは放出された魔力に光が遮られ、あるいは乱反射して、淡く漂うような光になっているせいだった。


 魔法は順調に進行していた。

 光のドームと化した三人の周囲に、新たな風が生まれる。

 三人の髪がふわりと舞い上がり、肌は青白く輝いた。

 そして、光がまっすぐ頭上へ向かって鋭く放たれる。


 光はぐんぐんと青空へ向かって立ち上り、ある地点までくると、噴水のようにぱっと広がってあたりに降り注いだ。

 光は空気中で水に変換されている。


 砂漠に、大粒の雨が降る。

 晴れ渡った青空の下に水滴が舞い踊り、まるでちいさな光が乱舞しているようにきらきらと輝いた。


 太陽に向かって、虹も生まれる。

 三人は手を離し、頭上を見上げ、降り注ぐ冷たい雨に明るい声を上げた。


「わあ、冷たい。濡れちゃう濡れちゃう!」

「この魔法を使うときは傘を持ってこなきゃだめね」

「うう、冷たい――」


 大輔はちゃっかり水滴も落ちてこない外側に待っていたから、まったく濡れることもなく、砂漠に降るつかの間の雨を眺めていた。

 それは、なんともいえず美しい光景だった。

 魔法が生み出す奇跡の光景である。

 魔法でなければ実現し得ない、はっとするほど鮮烈な光景。


 悔しい気持ちがないわけではない。

 ただ、純粋に美しいと思う気持ちもあった。


 雨が止む。

 あたりに満ちていた魔力が拡散し、風に流され、太陽に焼かれ、空気中から失われる。

 三人は魔術陣の外へ出て、大輔のもとへ戻ってきた。


「先生、どうだった? うまくいったよね?」

「んー、まあまあだな。点をつけるなら百点満点中七十五点ってとこだ」

「えー、百点じゃないの?」

「あれを一分以内に、失敗なしにできるようになったら百点だったけどな」

「むう、そんなことできるひと、どこにもいないよ」

「なかにはいるさ。絶対不可能じゃない。ま、よくやったよ。実習は合格ってことにしとこう」

「やったー!」


 生徒にうまく学習させるコツは、餌を多く用意することである。

 大輔は生徒たちに対する餌やりを済ませ、さて、学校へ帰ろうか、と踵を返す。


 なにもないような砂漠のなかに、ぽつりと、まるで合成写真のように、木製の扉が立っている。

 裏と表の区別はなく、どちらにも等しく真鍮のノブがついていて、後ろに回って入ることもできるし、正面から入ることもできるという一見なんの用途もなさそうな扉だが、それこそ、この世界ともうひとつ別の世界、つまり地球をつなぐ扉なのだった。


 その扉をくぐれば、地球に、学校に帰ることができる。

 この過酷な砂漠から出ることができるのだが、四人が扉の前までやってきたとき、いちばん後ろを歩いていた岡久保泉があっと声を上げた。


 泉がなにかに驚いて声を上げること自体は、なんら珍しいことではない。

 むしろ落ち着き払っているほうが希少なくらいだったから、大輔もどうせトカゲでも足元をうろついていたんだろうと思いながら振り返り、唖然とした。


「あ、あれ、なんだ?」


 空である。

 空を見上げている。

 雲ひとつない青空のはずだったのに、いつの間にか東の空が、禍々しい紫色に染まっていた。


 夕暮れというわけでもない。

 この世界の時間でも、日暮れまではまだ四、五時間はある。

 それに、いくら夕暮れでも、鬱血したような紫色の空にはならないはずだった。


 紫色の空は、見上げている先から、恐ろしい速度で広がっていた。

 青空が侵食され、紫色に染め替えられて、それが空気中を伝播するように、波のように伝わっていく。


 あっという間に空は紫一色に染まっていた。

 大輔は、服から露出した肌、頬や手の甲に、ぴりぴりとした静電気のようなものを感じた。

 空気が震え、張り詰めている。


「――先生」

「大丈夫だ。もうすこし様子を――」


 そう言った瞬間、大輔は首筋に強い電気の刺激を感じた。


「伏せろ!」


 大輔の声に反応し、生徒たちは砂の上に身体を倒す。

 それを見届けてから大輔も身を伏せようとしたが、間に合わなかった。


 雷である。

 紫色の空がかっと光ったと思うと、ジグザグに折れ曲がった雷がまっすぐ大輔めがけて降り注いだ。

 声を上げるひまもなく大輔は吹き飛ばされ、あたりに空を力任せに引き裂いたような轟音が響く。


「先生!」


 大輔は爆風に煽られ、木の葉のように吹き飛んで砂漠の上をごろごろ転がり、途中でなんとか体制を立て直す。

 見れば、なにかが黒い煙を上げていた。

 一瞬大輔の脳裏に最悪の状況が浮かび、生徒の名前を呼ぶ。


「七五三、神小路、岡久保!」

「先生――あたしたちは大丈夫!」


 砂の上から聞こえてきた声にほっと息をつく。


「そ、そうか、よかった――」


 では、いったいなにが燃えているのか。

 大輔は転げ落ちた砂の丘を上り、煙の発生源を見た。


 生徒たちも伏せた身体を起こしている。

 黒い煙を上げ、巨大な炎の塔のように燃え上がっているのは、地球へ戻るための扉だった。


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