砂の王国と革命軍 1
万象のアルカディア
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もしきみがダブルO、オデッセイ・アンド・オラクルに所属したいと思うなら、面接で訊かれる質問はたったふたつだ。
ひとつ、きみは冒険が好きだろうか?
ひとつ、きみは金に執着するか?
どちらもイエスなら、きみは充分、ダブルOの隊員たる資格がある。
――オデッセイ・アンド・オラクル機関誌「世界一の冒険家へ捧ぐ歌」、隊員募集のお知らせより
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秘密組織の機関誌とはいったいなんなのだろう。
野乃崎穂乃華は渡された薄い冊子をテーブルに置き、湯のみをすこし傾けた。
「これでも、ふざけているつもりはないのだ」
秘密組織オデッセイ・アンド・オラクル、通称ダブルOの総司令官、今村協はソファに深々と座り、足を組んでえらそうな態度で穂乃華を見た。
「秘密組織の運営のなかでもっとも重要なのは、新人の確保でね。なにしろ秘密組織なものだから、おおっぴらに募集するわけにはいかない。往々にして大規模な秘密組織というやつは、秘密でもなんでもなく、だれでも存在を知っていたりするのだ。うちは、そうじゃないがね」
「この冊子は、どこで配られているんですか?」
「主に隊員の親族だ。優秀な隊員の血筋には、優秀な人間も多い。きみのようにヘッドハンティングされる隊員は珍しいのだ。その分、きみの働きには人一倍期待している」
「はあ、どうも」
穂乃華はもう一度、ダブルOの機関誌「世界一の冒険家へ捧ぐ歌」を開いた。
そこには写真入りで活動報告が載っていて、最初のページを開いたところにあるのは、縹渺たる砂漠を前に佇むひとりの男の後ろ姿だった。
大きく煽り文で、
『これぞ男のロマン。大冒険は、無限に広がっている』
とある。
いったいなんのコマーシャルなのだ。
野乃崎穂乃華は理解のできないそのセンスに、ダブルOにやってきたことをすこし悔やんだ。
顔を上げると、今村協がにやにやと笑っている。
「それ」
「は?」
「その写真、いい写真だろう」
「はあ、まあ、そうですかね」
「私なのだ」
「はい?」
「写っているの、私なのだ。われながら惚れ惚れするほど男っぽい背中ではないか。いっそ、脱いでもよかったのだがね。撮影隊が、砂漠で上半身裸はおかしいだろうとたわけたことを言い出して、結局その写真になった。やはり、脱いだほうがよかったかもしれんな」
ああ、なるほど、と野乃崎穂乃華はうなずいた。
今村協の言葉に納得したのではない。
そんなことはこの先何十年経っても絶対にあり得ないと断言できる。
そうではないのだ。
こういうセンスの持ち主は、この男ひとりなのだ、と見切ったのである。
撮影隊、つまり部下たちは、一般的な感性を持っているらしい。
野乃崎穂乃華はほっと安堵して、まるで汚らわしい写真でも見るかのように冊子を見下ろし、紙の端をつまんでページをめくった。
次のページにある写真は、すこし惹かれるものがある。
なにしろ、高さ十メートル以上、奥行きや横幅もそれぞれに充分ある倉庫いっぱいに収められた、金銀財宝の写真である。
差し込む光にぎらぎらと濃艶に輝く黄金。
美しくカットされた、こちらの世界では見かけないほど大きな宝石類。
王冠、ティアラ、腕輪、ネックレス、ブローチ、その他宝石の巨大な原石から黄金の塊まで、そんなものが倉庫に堆く詰まれている。
煽り文は、こうだ。
『見よ! これが冒険の成果である。黄金がきみたちを待っている!』
なるほど、なかなか惹かれる紙面ではないか。
穂乃華はさらにページをめくり、不愉快なものを目にして、すぐ冊子を閉じた。
協はちょっと不思議そうな顔をして、手を伸ばし、わざわざ冊子を開き直す。
「まあ、ゆっくり見なさい」
「いえ、もう充分見ましたので」
「いいから、見なさい」
やけに強い眼力で言われて、仕方なく穂乃華は紙面に視線を落とした。
青々とした空が印象的な写真である。
こちらの世界で見るよりもずっと濃い青色で、雲ひとつなく澄み切っている。
地上は砂漠、しかし手前にはオアシスがあって、不愉快なのは、そのオアシスを背に、明らかに海水パンツ一枚になった男がポーズを取っているところだった。
穂乃華は静かに冊子を閉じた。
触れるのも汚らわしい、というように指先で机の端へ退ける。
「それで、そろそろこの組織の詳細を教えてほしいのですが」
「詳しくは、まあ、その冊子にすべて書いてあるから、まだ持ち帰ってじっくり読んでもらうとして」
これはパワハラなのか、セクハラなのか、秘密組織にも労働組合はあるのだろうか。
「わが組織、オデッセイ・アンド・オラクルの絶対的使命はただひとつ、新世界から持ち帰った宝をこちらの世界で売り払い、莫大な富を築くことである」
堂々と協は言った。
開き直ったその姿勢には、穂乃華も感銘を受ける。
「オデッセイ・アンド・オラクル、通称ダブルOの隊員は新世界へ飛び込み、独自に活動し、得た宝を持ち帰ってくるところまでが仕事だ。きみも隊員になったからには、ひとつでも多くの宝を持って帰ってくるように」
「はい、わかってます。でも――」
ダブルOが秘密組織であること、そして新世界から宝を持ち帰ることで莫大な富を築いていることは、穂乃華も事前に聞いている。
しかしわからないのは、この状況である。
穂乃華は部屋のなかを見回した。
さして高級でもないソファと机の応接セット、その奥にはひとつ机があって、壁の天井近くには何人かの顔写真がずらりと並べて飾ってあった。
控えめに言っても、秘密組織の司令室らしい場所ではない。
むしろ、あえて言うのであれば。
「なんで、学校のなかに秘密組織があるんですか?」
あえて言うのであれば、この部屋は、学校の校長室のようだった。
そして実際、ここは都内某所にある私立三折坂高校の校長室なのである。
ダブルOの総司令官、そして私立三折坂高校の校長である今村協はゆっくりと首を振る。
「学校のなかに秘密組織があるのではない。秘密組織のなかに学校があるのだ」
「はあ、なるほど」
「さっきも言ったがね、秘密組織の運営でもっとも重要なのは新人の確保である。そのため、われらダブルOでは独自に学校を作り、そこで隊員を育成し、のちの重要な戦力としているのだ。これは非常に効率的な作戦なのだよ、野乃崎くん。魔法にせよなんにせよ、若いうちに学び、経験を積んだほうが絶対的に成長が早いのだからね」
冒険の術と、魔法と、魔術を学ぶ学校。
それがこの私立三折坂高校であり、秘密組織ダブルOの隊員育成機関でもある。
野乃崎穂乃華は、先日まで別の組織にいたが、新世界でごたごたがあった際にこのダブルOを知り、今日付けで所属することに決まっている。
表向きの身分は、私立三折坂高校の数学担当教員ということになる。
裏向きの身分はダブルOの非限定隊員、すなわち主力の隊員である。
「校内を案内しよう」
協が立ち上がるのを待って、穂乃華も立った。
校長室の扉をがらりと開けると、すぐ外の廊下に生徒が通りかかっていて、協の顔を見ると頭を下げて挨拶をする。
「おはようございます、校長先生」
「うむ、おはよう――どうした、野乃崎くん。なぜそんな顔をする?」
「いえ、別に」
本当にここは秘密組織なのか、それともただ変な校長がいるだけの学校なのか、いまいち判断に困る穂乃華だった。
ともかく、校長室を出て歩いていく。
リノリウムの床は懐かしい感触で、自分が上履きではなくスリッパを履いているのがすこし不思議に感じた。
「生徒数は、全校生徒で六十人だ」
協は歩きながら説明をはじめる。
「一学年に二十人ということになっているが、厳密な年齢で区切られているわけではない。いわば生徒の能力に合わせて階級を作っているのだ。一年生は、まだ基礎を学ぶ段階。二年生は引き続き基礎を学びながら、新世界で実習も行う。三年生は新世界での実習を主にして、経験を積ませる。そして卒業した段階で一人前の隊員となるわけだ。きみも隊員としての業務のほか、生徒の面倒を見たり、生徒といっしょに新世界で活動することもあるだろう。生徒を気にしながら行動することできみの視野も広がるだろうから、きみにとっても決して無駄な活動ではない」
廊下を曲がり、中庭に面した回廊に出る。
中庭はがらんとしていて、植物もなければベンチのたぐいもない。
ただし、中庭の真ん中に意味ありげな鉄の板がある。
協は立ち止まり、じっと鉄の板を見つめた。
「あそこに、新世界への扉がある」
「自前の扉を持っているなんて、さすがですね」
「ふふん、まあな。普段、勝手に生徒が入り込まないように施錠されていて、原則として生徒は教師同伴でなければ新世界へは行けない。新世界は冒険に富んでいるが、その分危険にあふれた世界であるから、生徒たちだけでは荷が重いというわけだ」
「同感です――半人前がうろちょろして、どうにかなる世界じゃありません」
穂乃華は過去に何度も新世界へ行っている。
そこで重要になってくるのは、能力よりむしろ経験である。
どれだけ能力があってもはじめて新世界に行くような人間は、往々にして役には立たない。
反対に、能力は低いが、新世界流の動き方を知っている人間は、いざというとき役に立つ。
ダブルOの育成機関が経験に重きを置いているのは、穂乃華にも納得できた。
十代の半ばから新世界を行き来して経験を積んだ者は、将来的に必ず新世界で優秀な働きをするだろう。
「あ、校長先生!」
明るい少女の声。
振り返ると、校舎のなかから中庭へ駆け出してくる人影がある。
協はおうと応えて、
「きみはいまから実習か、七五三くん」
「うん、そう! わあ、校長は今日も傷だらけで格好いいなー」
「ふふん、そうであろう、そうであろう」
ご満悦の協を白い目で見ている穂乃華は、一転して憐れむような視線を現れた少女に向けた。
見たところ、なかなか容姿が整った少女で、まだ高い位置で結んだツインテールが似合う年ごろだった。
目は大きく、くりくりとしていて、それが興味深そうに穂乃華を見ている。
「校長先生、このひとは?」
「新任の野乃崎くんだ」
「わあ、新しい先生? よろしくー」
少女は穂乃華の手を掴み、ぶんぶんと上下に振った。
なんとなく、穂乃華の苦手なタイプである。
穂乃華がぎこちない作り笑顔を浮かべていると、少女のあとから、ずらずらと何人かが中庭へ出てきた。
制服を着た女子生徒がふたりに、喪服のようなまっ黒なスーツにまっ黒なネクタイを締めた二十代半ばの男がひとり。
先に出てきた少女も合わせれば、女子生徒三人組に、若い男性教師ひとりという組み合わせらしかった。
若い男は、眼鏡をかけている。
その奥の目が一瞬穂乃華を見て、なぜか、勝ち誇ったようににやりと笑った。
むっと穂乃華が眉をひそめると、男は余計ににやにやとして穂乃華を眺める。
「担当はきみか、大湊くん」
「どうも、これから実習に出てきます」
「うむ、気をつけてな」
「はい。ま、超・大天才のぼくがついてるわけですから、なんの問題もありませんけどね。じゃ、ちょっくら行ってきますよ」
男は中庭の真ん中にある鉄の板に屈み込み、それを引っ張り開けた。
地下へ向かって、コンクリートの階段が伸びている。
三人の少女が先に入って、最後に男が蓋を閉めながら入ったが、最後にまた、穂乃華を見てにたりと笑った。
「……あのいけ好かない男はなんですか?」
率直に言うと、協はうむとうなずいて、
「大湊大輔、わがダブルOの隊員だ」
「死ぬほどいけ好かないんですけど」
「まあ、そう言うな。彼は優秀な隊員だ――もっとも、働きは限定的だがね」
自分のことを「超・大天才」などというやつに、ろくな人間はいない。
穂乃華はそれを確信していたが、協に言い方に引っかかりを感じて、首をかしげる。
「どういうことですか、限定的って」
「まあ、それは追々知ることになるだろう。さて、校長室へ戻ろうか。きみは冊子の続きを熟読しなければならないし」
「う……」
穂乃華は露骨に嫌そうな顔をしたが、協の目には自分が望んだものしか映らないらしく、気にも留めずに歩き出す。
そして校長室で、本人を目の前にしながら海水パンツ一枚の無闇に高画質なグラビアを熟読させられるという苦行に穂乃華が音を上げそうになったとき。
真下から、ずん、と突き上げるような衝撃が校舎全体に走った。
地震か、とあたりを見回すが、揺れ出す様子はない。
衝撃も一度きりだった。
静寂に戻った校長室のなかを見回して、穂乃華と協は顔を見合わせる。
「ああいう衝撃は、よくあることなんですか?」
「いや、はじめてだ。なんだろう」
協は眉をひそめ、唇をほとんど動かさずに呟いた。
「なにか、いやな予感がするが――」
それは数多の経験を積み、幾多の死線をくぐり抜けていた協だからこそ感じる予感だった。
根拠と呼べるようなものはない。
ただ、こういうときは決まってよくないことが起こる、という経験則である。
協は教室の様子を見に行こうと立ち上がった。
そのとき、校長室の扉が開いて、教師のひとりが飛び込んでくる。
「こ、校長、大変です!」
「どうしたのだ。なにがあった?」
「地下で爆発が――新世界への扉が、消滅しました!」