ピンクのマスク
人は恋心を抱く。これはどんな人にも、いくつになっても芽生えてくるのだろう。そして、誰しもが相手の気持ちを推し量るのに煩悶するのではないだろうか。だから、相手の何気ない一言で天にも昇る喜びを得、相手の些細なひとことで不安の中へ落ち込んでしまう。しかし、どんな場合でも双方の考え方や想いには食い違いがあるのではないのだろうか。その食い違いを最小限にしたとき、もしくはそうしたと勘違いした時に結婚があるのではないのだろうか。
(一)
ある日突然、私は脳卒中を起こした。正確には小脳の出血である。救急車で病院に運ばれて治療。幸いに手術をする事もなくリハビリ病院へ行くことになった。しかし、今年還暦を迎える私にとって大変な出来事だった。
麻痺は無いのだが体のバランスが上手く取れずに歩くことが出来ない。頭の中も上手く回らない。物を考えることが面倒なだけでなく、以前のことを覚えていないことが多い。だから、今の瞬間に対処するだけだった。こんな状態でリハビリ病院へ入院した。
私はA棟の四階に入った。丹沢の山の麓である。病棟の軒先には沢山のツバメが巣をつくり日差しがあるうちは山に向って飛び回り、餌を取って子どもに与えている。ここは栄養のある餌が豊富にあるらしく、どのツバメも我が家の近所で見かけるツバメよりも一回りは大きい。
五月の連休中に此処へ来たので入院患者も自宅に帰っている人が多いらしく、中が閑散としていた。看護士さんや医師の方がそう言っていたのでわかったのである。そもそも私は頭がボーっとした状態だったので、言われなければ分らなかった。今までの殺気立ったような救急病院から見ると此処は全く別世界だった。
リハビリの授業も休みが多い中、主に運動機能をみてくれる「理学療法」と日常生活の動きをみてくれる「作業療法」の授業はやってくれていた。
本来はB棟の二階でやるのだが初めなのでこのA棟の五階の小部屋で作業療法の授業をやってくれた。五六人での授業かと思ったら一対一であった。
「木下保夫さん、こんにちは。今日から担当します金城めぐみです。よろしくお願いします」
小柄で若い、かわいらしい女性の先生だった。大きなマスクをしていた。しかもうすいピンク色のマスクだ。マスクの上にパッチリとした目が出ているだけで、顔がよく分からなかったのだが、笑っている目がとてもかわいらしかった。このマスクは気管支炎のため医者に言われてつけているのだそうだ。
私は、体全体が角を取ったような柔らかい丸みを帯びている先生に、人柄の良さを感じた。
「木下保夫です。こちらこそお願いします」
棚からスポンジのマットを取ると私の車椅子に敷いてくれて車椅子と私の体の調整をしてくれた。
そして、私を車椅子から前にある木の椅子に座らせて、ゆっくりと背中をマッサージしてくれた。上から下へ背骨に沿って優しく手を動かして行く、凝っている背中の筋肉を確認するように動かしていった。今までやってもらったマッサージとは少し違う不思議な感覚だった。
「背中の凝りを取ると目眩は大分よくなるのですよ」
私の背中はパンパンに凝っていた。首筋も腰も今までに無いほど凝っていた。脳出血を起こしてから、横になるときは左を下にするにしか駄目だった。上を向いたり反対を向いたりしようものなら、ぐるぐると周りが回ってしまうのだ。だから、寝返りがうてなくて、寝ていても体が痛くなってしまう。夜中に眼を覚まし、起き上がって体を少しほぐしてからまた横になる。こんな毎日では背中がパンパンになるわけだ。
この授業では毎回背中を十五分ぐらい揉んでくれる。私はそれがとっても楽しみだった。この授業に出るのを毎日心待ちにしていたのだ。
大分慣れてきたので最近はB棟二階の作業療法の実習室での授業になった。今日は輪投げのような器具を使って訓練をしている。
左右に離したところに輪投げの台を置きそこへ輪を、立ち上がった状態で体をねじりながらそっと入れるのだ。右、左と体をひねると、当然頭も右を向いたり左を向いたりする。頭を振ると目眩がするので出来るだけやりたくは無いポーズだった。
金城先生は私の隣に立ってじっと私を見ている。ふらついたら体を抑えようと構えているようだ。私の動ける範囲も見ている。
「今日は随分動けましたね。もう少し台を離して置きましょう。木下さんは何でも出来ますね。その調子で頑張ればどんどんよくなりますよ」
先生はいつも笑顔で励ましてくれる。いつの間にか先生の笑顔を見るために頑張るようになっていた。
私はいつも早めに教室の前に来て、廊下で車椅子を止めて待っている。
「木下さん、こんにちは。さあ、始めましょう」
金城先生は私の車椅子を押して教室に入る。教室の中には机が五台置いてあり、壁際には一坪近くある大きなベッドが二台ある。このベッドの上に患者さんは寝て手足を動かしたりマッサージをしてもらったりする。他の壁際にはパソコンも置いてある。これもリハビリに使うらしい。残りの壁には棚があり、リハビリに使うのだろうか、使い方の分からない器具が沢山おいてある。
先生は中を見わたして空いている机を見つけるとそこへ車椅子を押していった。
「ゆっくりと立ち上がって、机の前にある椅子にすわってください」
私は、ゆっくりと立ち上がり、椅子の肘掛に、安全なことを確かめるように静かに手を置いて椅子に移った。これも教わったとおりのやり方なのだ。
今までは無意識にやっていたことをひとつひとつ教えてもらう。立ち上がる姿勢についても教えてもらっている。無意識に立つと、自分では真っ直ぐのつもりでも体が傾いているのだ。
他の机では山盛りの大豆をつまんで別の入れ物に移している人がいる。上手くつまめなくて苦労していた。
ベッドでは自分で立ち上がるのも大変な、七十くらいの男性が女性の先生に抱きかかえられるようにして、一緒にベッドに腰掛けて、手を上げたり下げたりしている。
隣の机の人は両手を机に乗せて左手の前に鏡を置き、そこに、動かしている右手を写している。本人からは鏡が邪魔して左手が見えない。鏡には右手が映っているので麻痺している左手が動いているように見える。何をしているのかと思ったら、これを繰り返していると、自分の頭が錯覚を起こして、麻痺している左手を動かしてしまうことがあるようだ。こんな不思議なことが最新のリハビリでは行われていた。
脳卒中は出血や梗塞の傷だけでなく、今まで体で覚えていたことが一緒に何処かへ消えてしまうのだ。
私は真っ直ぐ歩くことが出来ない。また、体の動きは眼に見えるのだが記憶や計算のように眼に見えないものも随分と消えていた。小学校一年生の足し算も引き算も出来ないし、視力がおかしくなって本も読めない。
食べ物の好みも少し変わっていた。以前はコーヒーばかり飲んでいたのだが、今は、あの香ばしい香りをかぐと、むかむかとする。喫茶店の前は息を止めて、足早に通り過ぎるのだ。
椅子に座ると、またあの気持ちの良いマッサージが始まった。うっとりとしながら、私はいつの間にか金城先生のマスクの下の顔をまた想像していた。何度も先生にお会いしていると今では想像と言うより先生の顔は頭の中に出来上がっていた。マスクをしていても輪郭は分かる。だから丸顔で、美人と言うよりも可愛らしい顔立ちなのだろう。
「先生はこの近くの出身なのですか?」
私は先生のことが知りたくなってきた。
「沖縄の出身なのですよ」
意外な気がした。沖縄のひとは眉やまつげが濃くてそれと分かる人ばかりと思っていたのだが先生の眼はそんなふうではなかった。
「ご主人は同じ仕事をしているのですか?ご主人にもこのマッサージしてあげるの」
「私、まだ独身なのです。三十にもなってそろそろだけど、なかなか良い人に会わないのです。彼氏もいないのだけれど。いたとしてもマッサージはしないと思いますよ。仕事でいっぱいで、終わってからもマッサージなんて出来ないわ。私がやって欲しいわ」
私は誰か良い人に早くめぐり合うと良いなと思って聞いていた。でも、そう思う反面、まだ独身、との言葉を聴いて何だか嬉しくなってきた。そして、胸の奥のほうに少し温かい塊があるのを感じていた。
おかしくなって人の名前とか昔のことも、まばらに思い出すだけだ。こんなに頭がおかしくなったのに、恋する心だけはなくならないのか。もうこんな心はとっくに枯れ果てて何処かへ行ってしまったはずなのに、胸の奥に温かい塊が出来てしまうなんて、どうしてしまったのだろう。しかも、自分の娘と同じくらいの年齢の人なんて。
何処かへ行ってしまったのではなく、心の奥の更に奥へ入り込んでいたのかもしれない。それが計算とか、視力とか体のバランスとか、食べ物の好みとか、表面にあったものが、順番に剥がされていったので、下から湧き出してきたのかも知れない。そうだ、そうに、違いない。
部屋に帰ってから一人でベッドに横になっていると、温かい塊が少し大きくなっている感じがした。
翌日も「作業療法」の授業はあった。昨日は金城先生に随分余計なことを話させてしまった。先生に嫌われてしまったのではないかとちょっと心配だった。いい年をして若い先生に恋心を抱くなんて。私はこんな気持ちは押し込めてしまおう、体の奥底に閉じ込めてしまおう、六十にもなるのだから、そのくらいの心のコントロールは出来るはずだ。しかし、そう思えば思うほど、気持ちが落ち着かなくなりいつもより大分早く教室の前の廊下に行ってしまった。
いつものように廊下で待っていると、金城先生がやってきた。
「こんにちは、木下さん。今日も元気にやりましょうね」
何時に無く先生は元気なようすだった。私に少しは好意を持ってくれているのかもしれない。これなら昨日のことなど、なんとも思っていないのだろう。少しホッとして私はその日の授業に望んだ。今日はあまり質問などしないようにして、授業に専念した。
部屋でベッドに横になっていると先生のことが頭に浮かんで、何だか落ち着かない。先生に対する思いは日に日に強まってくるようだ。
今日もまた大分早く授業に出かけてしまった。
車椅子で廊下の端によって先生が来るのを待っていた。今日はいつもより早いので、先生はまだ教室の中で授業中だろうと教室をのぞいてみたのだがいないようだった。大きなマスクをしている人だから見落とすはずは無かった。先生の顔を見ないと何だか落ち着かない。今日は他の教室に行っているのか、姿が見えない。もう授業の始まる時間がせまっていた。
「木下さん、お待たせしました」
後ろのほうで声がしたので振り返るが、先生はいない。おかしいなときょろきょろしているとまた声がする。
「木下さん、こちらですよ」
先生の声だ。横にきれいな女性が立っていた。よく見ると、この目は確かに金城先生の目だった。声も先生だ。しかし、あのピンクのマスクは顔のどこにもなかった。気管支炎はよくなってマスクを外しても良いことになったそうだ。
初めて会ってからもう二ヶ月近くたつのに、マスクを外した金城先生を見るのは初めてだった。丸顔と思っていたがマスクを外すと、そうでもなかった。可愛い顔というより美人といったほうが良い顔だった。初めからこの顔でも私は恋してしまったのだろう。しかし、私にはこの人が先生とはどうしても思えなかった。
呆然とした私の心の中には違う顔の可愛い金城めぐみさんが私に笑顔を向けていた。
もう、心の中のその人には絶対に会えないのだ。絶対なんてこの世の中にはないと言う人がいるけれど、これだけは絶対なのだ。
胸の奥にあった温かい塊が急速にしぼんでいくのが分かった。
私は心の中にいた恋人の顔がだんだん崩れてなくなっていくのを感じた。
(二)
真新しい、ブレザー型の白衣に紺のジャージのズボンそれにサンダルをはいている。これがユニホームなのだ。なんとも妙な格好。でも、そこにいる作業療法士はみんなこんな格好なのでさほど変な格好には見えないと思っている。
この仕事は頭も使うのだが体力はもっと使う。患者の体をマッサージしたり、一坪近くもあるベッドに患者を寝かせて手足を動かせたりする。
ベッドに乗って全身を使って患者の体を動かしている。患者を支えながらベッドに乗ったりするのにはサンダルは非常に便利な履物だった。
患者の人たちは大体が手足の麻痺で、上手に歩くことが出来ない。その人たちを歩けるようにしたり、手が使えるようにしたりするのが仕事なのだ。だから、患者さんに棚の上に置いてあるリハビリに使う器具を取ってきてもらい、終わると元のところに仕舞ってもらう。これもリハビリの一環としてやっている。患者のできる範囲は見切っているのだが時にはふらついて倒れそうになる人もいる。そのときは、飛びつくように捕まえて、自分より一回りも大きな男性でも決して倒れさせたりはしない。
それが私の仕事。誇りを持ってやっている仕事なのだ。
私、金城めぐみは沖縄で生まれ育った。そこにあった作業療法士の専門学校を卒業して資格取得の国家試験を受けた。
この神奈川県にあるこのリハビリ病院に就職し、三月の末に寮に入ったのだが、国家試験の発表は四月に入ってからである。落ちる人は滅多にいないのだが、荷物を病院の寮に入れてから落ちてしまって、泣く泣く荷物をまた田舎に送る人がたまにはいるらしいと聞いている。誰から聞いたか記憶にないのだがみんなが知っている話なのである。学校の教師が油断させないように流した話かも知れないし、先輩たちかもしれないのだが、同級生たちはみんな心の奥では不安に思っていたのである。
私もとっても不安だった。
沖縄を出るときは落ちることなどある訳は無いと心の中は晴れ晴れとしていたのだが、寮に入ってから急に不安が湧き出してきた。
仕事は合格の発表があるまで無い。寮の先輩や病院に挨拶をしてしまうと、さほどやることが無い。運送屋さんが運んでくれた荷物を片付けようと思うのだが。もしもの時を考えるとこのままのほうが良いような気がして、必要なものだけ取り出していた。
「金城さん、お昼ご飯でも食べに行きながら近所を探検に行ってみない」
隣の部屋に入った同期の原田幸恵さんだ。私の部屋のドアから顔を出して言ってきた。
「行こうか」
気乗りがしなかったが断る理由も無いので行くことにした。近所を歩いて、いろいろ見てから此処を出ることになったら、もっと辛くなるような気がした。それでも、天気の良い日はまだ良いのだが雨が降っていると落ち込んだ。
私は海を見ているのが好きだった。沖縄の明るい青い海を想いだす。海が無性に見たくなった。海を見たら心が少しは晴れるような気がした。でも、此処は海から遠いところだった。
沖縄に帰りたくなって涙が出てきてしまった。
あんなに落ち込んでいたのに人間は不思議なものだ。合格の発表を聞いた途端に元気になってしまった。
誰も落ちることなく一人前の作業療法士を目指して元気に出発した。
そんな出発からもう七年。無我夢中で全てを仕事に懸けてきた。この仕事は毎日のように新しい治療法、リハビリの療法が出てくる。時には今までの常識が全く逆になってしまうこともあるのだ。毎日が勉強である。私も走り続けて気がついたら二十代を通り過ぎていた。
五月の連休と同時に入院してきた木下保夫さんを担当することになった。担当している他の患者さんは皆外泊で自宅へ帰ったので、この連休は休みが取れると思ったのに、木下さんのおかげで出勤になってしまった。
本来ならB棟の教室へ来てもらうのだけど、まだ、来たばかりで慣れないので、私がA棟に出向くことにした。
木下さんは車椅子に座っているがどこも麻痺は無いようだ。小脳が出血したので目眩がひどくて歩けないようだ。体のバランスを保つ三半規管は小脳が司っているので、しかたがないだろう。
「木下保夫さん、こんにちは。今日から担当します金城めぐみです。よろしくお願いします」
「木下保夫です。こちらこそお願いします」
木下さんは、話すことも普通に出来るし手足は動くので、リハビリはそんなに大変でなさそうだ。
「背中の凝りを取ると目眩は大分よくなるのですよ」
そう言って私は木下さんの背中をいつものようにゆっくりと揉んだ。私はあまり強くは揉まない。強くすると揉み戻しがきて、後でかえって凝ったようになってしまうからだ。
上のほうから背骨に沿ってゆっくりと揉んで行くと、首から背中へ伸びている僧帽筋が鉄板のようにパンパンになっている。この人は、頭を少しでも動かすと目眩がするので、熟睡できないのだろう、当分はマッサージをかかせない。
この病院はリハビリの病院なので耳鼻科や皮膚科などは近くの大学病院から一週間に一度ぐらい先生が見えるのだ。先日からのどの調子が少しおかしくて、耳鼻科の先生がこの病院で検診する日だったので見てもらったら、気管支炎といわれた。マスクをしなさいと言われたのでしているが、鬱陶しいものだ。それに私も女性、この不恰好なユニホームにマスクでは益々いけない。せめてピンクのマスクにしてみた。少しは可愛く見えるだろう。
木下さんも慣れてきたので作業療法の教室で授業をすることした。時間になったので廊下から教室に車椅子を押してあげて机の前に連れてきた。
「ゆっくりと立ち上がって、机の前にある椅子にすわってください」
そう言って、教えたとおりに出来るか、看ていると、立ち上がろうとしたが車椅子のブレーキをかけていない。私は車椅子を押さえて、ブレーキをかけてもらった。大体は出来るのだが、肝心なことを忘れてしまう。椅子に移ることばかりに気持ちがいってしまうのだろう。
背中は相変わらずパンパンだった。
いつものように背中をマッサージしていると、木下さんはニコニコしながら話しかけてきた。
「ご主人は同じ仕事をしているのですか?ご主人にもこのマッサージしてあげるの」
私はまだひとりなのに、ご主人なんて。やっぱり年は隠せないのかしら。
「私、まだ独身なのです。三十にもなってそろそろだけど、なかなか良い人に会わないのです。彼氏もいないのだけれど。いたとしてもマッサージはしないと思いますよ。仕事でいっぱいで、終わってからもマッサージなんて出来ないわ。私がやって欲しいわ」
余計なことまで言ってしまった。彼氏がいないなんていわなければ良かった。木下さんのお喋りがうつったのかもしれない。私が独身だと言ったら嬉しそうな顔をしていたわ。私に気でもあるのかしら。でも、大分年の違う小父さんだからね。
今日の仕事がようやく終わった。朝からほとんど休みが取れなかった。授業の間に十分ほど休みがあるのだけれど、患者さんのいる部屋に行くと移動する時間で休みが無くなってしまう。そうでなくても時間どおりに終わらなかったり、次の準備に追われたりでトイレに行く時間も無かったりするのだ。控え室の自分の机に座って一息ついていたら、今年転勤してきた大黒君が声を掛けてきた。
「金城さん、今日、ご飯でも一緒にどう。話したいことがあるのだけれど」
「いいけど」
大黒徹君、今年の四月からこの病院で働いている。今までは横浜にある総合病院で働いていたらしい。もっとしっかりとリハビリをやりたかったらしく、この病院へ移ってきたらしい。今までは一回の授業が二十分だった。しかも、治療の合間にやらなければいけないので、そんなに時間がとれないこともあった。患者さんもリハビリは治療の付け足しのように思っている人も多かったらしい。しかし、この病院は違う。この病院は一度に二単位ずつで、四十分ある。リハビリがメインの病院なのだ。患者さんも、リハビリで自分の体を直そうとしている。
年齢も私よりは少し上のようだ。
近くにあるファミリーレストランで待ち合わせ、食事をした。
何の話があるか気になった。たぶん、この病院へ来たばかりで、治療の仕方や中での習慣などに気になる事でもあるのだろうと思っていた。
食事が片付いてコーヒーを飲んでいるときに、今度一緒に鎌倉へ行こうという。私と一緒に鎌倉を散歩したら楽しそうだから一緒に行きたいのだと、私に好意があることをほのめかすのだ。
私はこんな事を言われたのは初めてで、どうして良いのか分からなかったのだが、結局、今度の日曜日に一緒に行くことにした。
鎌倉には海がある。沖縄とは違うだろうけれども、海に行きたかった。この七年間、本土の海へは言ったことは無かった。家へ帰った時、沖縄の海にしか行かなかった。これが一緒に行く決め手だった。
何だかその後は体がフワフワするようで、気持ちが定まらなかった。どんな話をしたのか覚えていなかった。
家に帰って、一人になると余計にフワフワが納まらなかった。ベッドに横になったとき、胸の奥のほうに、温かい塊があるのを感じた。
翌日は、私は何だか力がみなぎっているような気がした。どんな仕事にも頑張れる気がしていた。
廊下へ出るともう、木下さんは来ていた。まだ、五分ぐらい早いけれど、声を掛けた。
「こんにちは、木下さん。今日も元気にやりましょうね」
木下さんは少し戸惑ったような顔をしていたが私の勢いに押されて一生懸命リハビリに励んでいた。私も仕事が楽しくてしかたが無かった。
今日は耳鼻科の先生の来られる日なので診察を受けると、もう、良くなったのでマスクを外しても良いとの事だった。
これで日曜日にはマスクをしなくてもいいのだ。嬉しくなった。
私の周りはどんどん良いほうへ動いている。
今日はマスクを取って仕事だ。マスクがないと。さっぱりして体の動きも良くなったような気がした。
次の授業で今日は終わりだった。廊下へ出ると、木下さんは相変わらず早くからきていたらしい。
「木下さん、お待たせしました」
後ろのほうで声を掛けた。こちらを振り向いたのだが私に気がつかない。どうしたのかなと、直そばまで行って、また声を掛けた。
「木下さん、こちらですよ」
ようやく木下さんは分かったようだ。元気なようでも頭の中で出血したのだから、ときどき注意力が散漫になるのかもしれない。まあ良いだろう。今日は念入りにマッサージをしてあげよう。
大黒君も壁際のベッドで、患者さんを抱えて患者さんの手足を動かしている。こちらをチラッと見て、眼で合図を送ってきた。
わかっているよ。明日だよね。
一日終わって部屋でベッドに横になると、今日一日頑張った疲労感が体を覆う。体の隅々まで満足感でいっぱいになった。
静かに息をすると、私の胸の奥の温かい塊が大分大きくなってきたのを感じた。