自宅と柳生さんと僕
「今日はここまで。餓鬼注意報も出てるし気をつけて帰るように」
始業式は何事もなく、ホームルームもたった今終わり。
赤い舌をしゅるしゅるさせながら僕らの新しい担任、三輪蛇夫先生は教室をずりずりと出て行った。
「いやー結局同じクラスやったね」
「うん、それに担任の先生もアタリだった」
「三輪の名字を与えられてるなんて、すごい方ですわね」
「三輪先生、結構な名家生まれらしいよ」
「かー! 神社名字は違うねっ」
「かの子さんも土地名字ではないですか」
「若草は大したことあらへんよ。毎年燃えてるし」
「……関係あるんですか?」
大きな白蛇担任の話もそこそこに僕は地蔵バッグを肩にかけた。
「この後どっか行く?」
「弓道部と購買よらないと、清め塩切らしちゃったんだ。かの子は?」
「毎度よろしくあたしは帰ってから父さんの行進見に。今年はなんと、鹿島神が来られるのだ!」
「タケミカズチ様来るの!? じゃあ絶対見に行かないと」
超多忙な武神様が来るなんて、五年に一度くらいじゃなかろうか。
興奮してる僕らをよそに寂しそうな張子さんはぽつりと。
「わたしは今日住職さんが様子見に来るから……」
家から出られません、と続けた。
「神主さんもタケミカズチ様見たいだろうし、きっと向こうで会えるよ」
「ま、とりあえず帰りますかね」
かの子は蹄と術を器用に使ってランドセルを背負う。
張子さんもそれに倣って革のカバンを手に取った。
「じゃー多分またあとでねー」
「またあとで」
二人と別れてのんべりだんらり学内を歩く。
やっぱりかの子は鹿だけあって歩くのが速い。
ふらふら揺れながら日光を浴びながらがちょうどいいのだ。
重要文化財らしいふるーい記念館を横目に購買へ向かう。
清め塩を買っておいしい棒をもさもさ食べながら講堂の脇をとおっていざ弓道場。
誰もいなかった。
「あら……」
ゆっくり来たからもう鍵が開いてると思っていたのにアテが外れてしまった。
と、そこで思い出す。
ウチの弓道部はそこそこゆるくて、餓鬼注意報みたいなのが出るとお休みなのだ。
「うっかりしてたー」
少し悔しい思いをしながら踵を返す。
「どうした乾?」
「柳生さん」
二メートル以上ある弓袋を肩にかけ、腰まである烏の濡れ羽色した癖一つない髪をなびかせた少女がいた。
見かけ倒しというと失礼だけど、そんなところのある張子さんとは対極をいく存在、柳生宗近さん。
「全日本女番長」「史上最強の女子高生」「柳生の至宝」など、彼女を指し示す言葉は多い。
切れ長の目は鋭く、僕より小さいのにそれを感じさせない輝きと、野暮ったいブレザーでも隠しきれない存在感を放っている。
天下五剣にあやかってつけられた名前の通り、優美さと鋭利さを併せ持ったすごい美少女。
でも、宗近は男性の名前だと思います。
勘違いしたおじいさんが先走って役場に駆け込んだとか。勘違いしていたはずなのに、出生届の続柄は長女となっていたらしい。
「鍵がかかっているのか?」
「そう、それに今日は餓鬼注意報出てるからお休みだよ。忘れてた」
「……そういえばそうだったな」
む、と眉を顰めた表情すらサマになる。
文武両道を地でいく彼女は、あの柳生家の末裔なのだ。
弓道部に所属している理由は知らない。
剣術一本の実家に対する反抗期なのかもしれない。
「とりあえず僕は帰るよ。柳生さんは?」
「……家で刀でも振ることにする」
「じゃ、バス停まで一緒だね」
僕が歩き出せば彼女も釣られて足を踏み出した。
特に会話もなくゆっくり道を往く。
元々僕はお喋りなほうじゃないし、彼女もきっとそうじゃない。
だからなのか、会話のない空間でも変な気まずさはなかった。
桜の下を通り抜けて校門を出る。
ふと、守衛室の警察帽をかぶった鹿が目に入った。
同時にかの子の話を思い出す。
柳生さんも興味があるかもしれない、と話を振ってみることにした。
「柳生さん、今日の騎鹿隊見に行く?」
「いや、さして興味がないのでいかない」
「タケミカズチ様来るらしいよ?」
素っ気ない態度だった柳生さんの目の色が変わった。
「ホントか!?」
「うん、かの子の、若草のお父さん情報。騎鹿機動隊の副隊長さんなんだ」
「そうか、それなら絶対行かないと」
流石刀剣やら軍やらを司る神様、クールなあの子もイチコロだ。
タケミカズチ様は他の神様とは違い、普段から海上保安庁に海軍に国土交通省、皇居や鹿島神宮と春日大社に高天原と忙しなく働かれている。
春日大社と天界に通じる高天原がある奈良県民でも直接見ることは滅多にない。
「でも往復するには時間もないし荷物が……」
柳生さんは困った顔で弓袋に目をやる。
確かにかさばるし、コインロッカーに仕舞えるはずもない。
柳生さんの家はそのまんま柳生にあるらしい。
奈良市から柳生はバスで一時間近くかかるくらいには遠いうえ、一時間に一本とかそんなレベルだ。
一度家に帰っていては間に合わないに違いない。
そこで僕は親切心から彼女を家に誘うことにした。
なんたって僕の家は近いし、たまには同級生を家に招くのもいいだろう。
「なんなら僕の家に置いてく? 三条通も近いよ」
「……いいのか?」
「いいよ」
「じゃあ、頼む」
すごく思い悩んだ末、彼女はコクンと頷いた。
普段はカッコいいという形容詞が似合う少女のそんな仕草は、例えようもなく可愛らしい。
「柳生さんっていつもは凛としてるのに、たまにすんごく可愛いよね」
「なッ!?」
思ったことをぽろっとこぼすと、柳生さんは俯いて黙ってしまった。
そのまま二人して信号を渡ってアーケードを抜ける。
朝方の餓鬼はお昼にはもう祓われていた。
てくてくと古い街並みをしばらく行けば、改装して窓とかにほんのちょっぴり西洋テイストを取り入れた一軒家が飛び込んでくる。
表札は『乾』、これが僕の家だ。
鍵を差し込んで、物理的にも術的にも手ごたえがないことに気づく。
――兄さん非番だったっけ。
そんなことを考えながらカラカラと引き戸を開いた。
「ただいまー。さ、入って」
「ぉ、お邪魔します」
張子さんみたくおどおどしながら柳生さんは我が家にあがる。
でもきっちりローファーを揃えるあたりが違う。
弓が天井に突っかからないよう注意しながら、足音をたてずに彼女は階段をのぼる。
剣士というよりは忍者みたいだった。
「ここが僕の部屋、ちょっと汚いけどね」
「そんなことない」
彼女は弓を壁にたてかけて、本棚やベッドに視線を走らせた。
きょろきょろと部屋を観察されるのはなんとも気恥ずかしい。
隅っこの埃とか目がつきませんように、と祈りながら制服を脱ぐ。
椅子の背にひっかけてあったジーンズに足を通して、ぬいぐるみっぽい謎生物の描かれた黒いパーカーを羽織れば着替えは完了。
柳生さんはというと、興味深そうに漫画の背表紙を眺めている。
「お昼オムライスでいい?」
「え?」
「時間、もう正午だよ」
僕が指さしたシンプルな壁掛け時計は、長針と短針が重なり合って少したったところだ。
「お昼まで世話になるわけには」
「いいよ。どうせ兄さんの分も作らなきゃいけないし」
「……では、お願いする」
「りょーかい。二十分くらいテレビ見るなり漫画読むなり気楽にしてて」
遠慮が美徳という日本人精神をこれでもかというくらい体現した彼女のためにも美味しいオムライスを作ってやろうじゃないか、フフフ。
なんて内心ほくそ笑みながら、果たして友人を部屋に放置するのはどうなんだろうとも思う。
一階のリビングに足を踏み入れると、新聞紙をアイマスク代わりにして兄さんが横たわっていた。
非番の日はいつもこうだ。
無視して冷蔵庫と床下倉庫から食材をどさどさ出して机の上に並べる。
さぁ、レッツ・クッキング。
「くぅっ、やるではないか。しかし第二第三の料理人がいつか……」
「何やってんだ?」
タマネギ相手に魔王様ごっこをやっていたら兄さんがのっそり起き上がってきた。
軽く死にたい。
何事もなかったかのようにごまかそう。
「見りゃわかるでしょ。オムライス作ってんの」
「ほー、てか多くないか?」
「友達来てるから。兄さんの分を先に作るからそれ持って部屋に引っ込んどいて」
「へいへい」
ぼりぼりと黒い短髪をかきながら兄さんはソファーに戻り、新聞を広げた。
「あと、最近そんな魔王はいないらしいぞ」
「……っ」
ぼそっと言われるほうが大きなダメージを受けるみたいだった。




