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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

おとうさん

掲載日:2025/11/16

寂しい

父の葬儀が終わり、自分の役目を終わったので自殺します。

自分で生きていくことができないと自分で思っているからです。


父が亡くなり、とても寂しいです。

ただ父に会いたいです。


朝起きて、新聞を渡し、コーヒーをスプーン1杯れて、

お湯を200mlくらい入れて、一緒に渡すと父はありがとうと言ってくれました。


ベッドから車いすに移乗したときもありがとうと言ってくれました。


診察室でかかとのじゅくそうのテープや絆創膏を剥がし、

消毒し、ふやけない様に絆創膏の上下をはさみで切り、

父が用意したじゅくそう用の薬を絆創膏に塗って、

じゅくそうに貼りました。

そのままだと、浸出液等が漏れてベッドを汚すので、

マスクの耳にかける紐をとって、マスクで覆い、軽くサージカルテープで貼って、

固定しました。

後は網を足に通しました。


その処置が終わると、父はありがとうと言ってくれました。

そして、玄関のカギを開け、

父のコップを洗い、水を入れ、父の傍に置くとありがとうと言ってくれました。


昼には、大体11時56分くらいに、父にもう戻ろうかと私は言います。

そして、ポストで郵便物を確認し、鍵を閉め、郵便物を父に渡すとありがとうと言ってくれました。


戻るときは、段差がきつく、車いすを父の寝室まで上げるのに苦労しました。

私はいつもきついな、重いなって言うと、父はありがとうと言ってくれました。


車いすをベッドの傍に置き、父からかばんを外し、父の靴を脱がせました。

そして、抱えるようにして、ベッドに移乗しました。

父は自分で動かない足をベッドに載せようとしますが、机のケトルのコードが引っかかるので、

私はやめてくれって言いました。

でも、父はなんとか私の負担を軽減するためにいつも自分で足をベッドに上げようとしました。


比較的動く左足をベッドに上げます。

ただ、左足のひざ下に右足が入っており、動かない右足は手でなんとか引き上げようとして、

偶に、上手く引き抜け、父が1人で足をベッドに上げる事ができるときもありました。

そうすると、父はできたって、1人でできたって言います。


でも、私はコードが引っかかって、危ないから私が足を上げる手伝いをするまで一人でしないでくれって

言っていました。

すごいね、頑張ったね。

負担を減らしてくれてありがとう、そう父に言えたらよかったのに、言うことができませんでした。


その後、父の水用のコップと、コーヒー用のコップを洗い、水用のコップに水を入れ、

コーヒー用のコップにはスプーン1杯分のインスタントコーヒーと角砂糖1個を入れ、お湯を注ぎ、10回かき混ぜます。

その2つを父の机に置くと、父はありがとうって言ってくれました。


父の昼ご飯は、10月半ばくらいまでは主にトーストでした。

9月終わり位から冷えてきたのでマカロニなどを入れたスープとトーストでローテーションしました。

4枚切りのトーストに、スライスチーズを1枚載せ、冷凍のたまねぎ、ほうれん草、ウィンナーを載せ、

そこにケチャップやマヨネーズかけ、胡椒を少々かけます。

父はパンの耳が固いと口の中が痛くなるので、そこだけ残していたので、パンの耳に水道水を塗り、

トースターにそのパンを載せ、弱で7分焼きます。

元々は強や中だったのですが、パンの耳が口にいたいようで、なるべく痛くならないよう、

柔らかく仕上がるよう弱で時間をかけて焼くようにしてました。


そして、調理したパンを置くと父はありがとうって言ってくれました。

私はいつも無言で立ち去ります。

父にゆっくり食べてねとか、何か気の利いたことが言えればよかったです。


昼は大体12分くらいで父は食べ終わるので、父の寝室に行き、皿を洗います。


10月半ばになり、寒くなって来たので、父の昼ご飯をスープマカロニに完全に切り替えるようにしました。

父にトーストとスープどっちが良いか聞くと、そりゃあ、スープの方がいいけどって言ったので、

ローテーションしてたスープとトーストをスープのみにしました。


スープのときは、マカロニを40g、冷凍のほうれん草、たまねぎ、肉団子、乾燥わかめを入れました。

ベースの味は、コンソメ、味噌の2つを基本として提供しました。


私は熱いから気を付けて食べてねと言って、父の机に置きました。

そして、こぼさないように食べてねって言いました。

ベッドの上では腰が滑るようで、滑らないように足にクッションを置いたりしました。

ただ、おしりのじゅくそうが痛いため、身体を傾けて食べるのですが、

その結果、よく具材をこぼしていました。

こぼすと、落ちた具材を拾ってすて、汚れや水分を布巾で何度も拭き、場合によっては取り換え、

予洗いをし、洗濯し、干す事がとても嫌でした。

ただ、一連の処置をすると父はありがとうと言ってくれました。

しかし、父にいつもこぼすなって言ってるでしょとつい言ってしまいました。


午後6時12分ごろにヘルパーさんが父のオムツ替え等をして、出ていくので、そこから夜ご飯を作ります。

どんぶり系、揚げ物・ハーンバーグ系、ラーメンと3日ローテーションでメニューを組んでいました。


2025年5月頃のときは、父は食欲がなく、昼も夜もゼリーしか口にできませんでした。

食欲が出てきそうだなと思って、食事を作ると、半分くらい食べて残す日々が続きました。


ただ、5月の終わりには残さず食べるようになり、安心しました。

老人はカロリーが取ることが大変と聞いたので、できるだけ食事は高カロリーになるように意識をし、

高血圧なので塩分が多すぎないようにしてました。

具体的には卵を使う、油を多めに使う、揚げ物等をメニューに組み込むといった感じです。

ただ、味が薄いのか父は醤油を垂らして食べる時もありました。


色々試した結果、どんぶり系、揚げ物・ハーンバーグ系、ラーメンの3日ローテーションに落ち着きました。

ラーメンは塩分が多いですが、父が昔よく食べていたので組み込みました。

昼はいつもこぼすのに、夜はほとんどこぼしてなかったと思います。

いつも残さず、スープまで綺麗に飲んでいました。


配膳したときはありがとう、片付けのときはごっそさんといつも言っていました。

私はいつも無言で配膳をし、片づけていました。

何か気のきいたことを言ってあげるべきだったと思います。


夜に急に呼ばれ、足の位置を整えてくれなどがありました。

急にアラームがなるので、何かと思っていつも鳴ったときは不安になり、

心配でした。

そうして、父の足の位置を調整したりしてあげると、

父はありがとうと言いました。

ただ、私は勘弁してくれ、って言ってしまいました。


洗濯、掃除のときはいつもめんどうだな、仕方ないなと思ってました。

ゴミ出しが億劫で、父のおもつ等の廃棄があるため、2~3日でゴミ袋がいっぱいになりました。

週に2回出すのは面倒なので、まとめて出すのですが、吸水したおむつや便が重く、

重い重いと愚痴を言いながらしていました。


2025年11月12日の夜ご飯をいつものように配膳をし、父はありがとうと言い、

片づける時に皿を持っていくとごっそさんと言いました。

そして、食後はいつものようにベッドで横たわりました。

その日は、違和感がありました。

24時過ぎに寝ようと思って、父の様子を見ると、いつもは電気が消えてるのですが

点いていました。


ただ、呼吸で身体が動いたりしてるので、違和感があったものの声をかけず、寝ました。


11月13日の朝は私が起きれず、朝の新聞を持って行かず、コーヒーを入れたりしませんでした。

ヘルパーさんが8時40分くらいに来て、9時20分くらいまで珍しく長くいました。

いつもは9時前、過ぎくらいで出ていくのにおかしいなと思い、父の様子を見に行きました。


すると、父は手に袋を持ち、よだれを垂らして、辛そうでした。

私はすぐに大丈夫?どうしたい?って聞き、何をしたらいいかわからないので、

一先ず、濡れタオルで父の口周りを拭きました。

そして、首元を拭きました。

大抵、こういうときは父はありがとうというのですが、うなづくだけでした。

そして、ベッドに戻ると言ったので、ベッドまですぐに車いすを移動させ、

車いすからベッドに移乗しました。

父はベッドで苦しそうにしてました。

脈を取ってくれと父が言うので脈を取るのですが、イマイチよくわからなかったです。

ただ、脈を取る感じ、父の脈がないように私は感じました。

何をしたらいいか分からず、少し放っておいてくれみたいな感じの雰囲気だったので、

5~10分くらい部屋に戻って様子を見るかと思って部屋に戻りました。

1~2分後、父が名前を呼ぶので急いでいきました。

救急車と父が言うのですぐに救急車を呼びました。

救急車を呼ぶのは初めてでしたが、向こうの質問が簡潔だったため、私自身混乱してたものの、

すぐに呼べました。

20分くらいかかると思いましたが、電話して5分くらいで来ました。

3人の救急隊の方が寝室まで上がりました。

担架を入れるのが家の構造的に難しいようで、父を車いすに移し、外に出て、

担架に移し、救急車に載せました。


私は、一緒に乗りますと言いましたが、若い救急隊員が車いす使ってるんですよね?

車いすと靴をもって、車で後で来てくださいと言われました。

一緒に救急車に乗りたかったのですが、専門家が言うには従うべきだと思い、従いました。


すぐに、父の保険証等をカバンに入れ、病院に向かいました。

受付に伝えると、一先ず保険証とマイナンバーカードを出し、手続きをするよう言われました。

手続き後、指定の席で座って待っていました。

何も情報がなく、よくわからない、父が大丈夫であることをただ祈りました。

救急隊の人が出てきましたが、こちらに気づかずそのまま出て行きました。


そして、数分待つと、呼ばれたので救急室?

に入ると若い医師から父の状態について説明を受けました。

どうやら血液検査はしたようで、そこから分かるのは肺に二酸化炭素が溜まって、

それが悪さをしてるようでした。

このとき、強めの酸素マスクをつける、人工呼吸器を挿管するの2つの方法があると説明されました。

ただ、人工呼吸器を挿管すると、恐らくもう外すことはできないだろうと言われました。

数時間以内に処置しないと心臓が危ないと言われました。

自分では決めれないと思い、母に聞きますと言うと、そうですよねと医師は言ってくれました。


すぐに母に電話をしました。

何度も電話をしましたが、出ませんでした。

LINEでメッセージを残し、ケアマネージャーさんに事情を伝えました。

ご家族の方が決めるしかないと言われ、母に電話をしてもらえることになりました。

運よく、ケアマネージャーさんの電話に母が出ることができ、母は事情を知り、病院にすぐに向かうようでした。

救急室から出て、5分くらいでこのやりとりがあったのですが、看護師が外に出て、心臓が危ないですって言いました。


すぐに、先ほどの救急室に向かうと、医師から心臓が止まりましたと言われました。

父に心臓マッサージを医師の方々がしてるようでした。

助からない確率が非常に高いと言われました。

私は父に生きて欲しいと本当に、本当に強く思ったので、人工呼吸器をつけて、やれるだけのことをしてあげて下さい、

どうぞお願いしますと、頭を本当に深く下げました。

お願いします、お願いしますと。

医師から退室するよう言われ、部屋の前の椅子に座りました。


ただ祈りました。

不安で、不安で母にLINEで心臓止まった、助からない確率が高いらしいと伝えました。

後は、ただ涙を流しながら、父が助かることをただ祈りました。

4分くらい経ってから、部屋に呼ばれました。

心臓マッサージをずっと続けてます、心臓を動かす薬を3回?(回数は覚えてないです)、入れても心臓は動かないです。

これ以上心臓マッサージをすると、胸の骨が折れるので、楽にしてあげて下さいと医師に言われました。

私は涙を流す事しかできませんでした。

身体が凄く震えてました。

医師が、見ますか?と言い、父のいるところに案内されました。

医師の方が心臓マッサージをしてました。

心臓マッサージで心臓が動いてます、止めると、少しずつ心拍数が下がりますと医師に説明されました。


私は父の手を握りました。

何をしたらいいか分からず、ただ手を握り、泣きながら父を見てました。


すると、父の心臓が動きました。

医師の方が、あ、心臓が動いてるみたいですと言い、すぐに退室するよう言われました。

外に出て、椅子に座って少しすると、母が来ました。


父は心臓が動いたので、すぐにCT等さっきまでできなかった検査を医師の方々がしてるようでした。

母と私は部屋に入り、父の状態を改めて、医師から説明されました。


父の心臓は動いたものの、恐らく、今日中にはなくなる可能性が高いと医師は言っていました。

検査が終わり、一先ず、父は4階の病室に運ばれました。


部屋に入ると、父は人工呼吸器に繋がれていましたが、呼吸をしていました。

苦しそうではあったものの、測れないと言っていた血圧が表示され、心拍も心臓マッサージなしで100~170くらいを推移してました。

医師の方が、心臓が異常な挙動をしているようなことを言っていました。

恐らく、今日中には厳しいだろうと言っていました。


その後、母と私は看護師から入院の手続き等の説明を受けました。

そして、一旦家に取りに帰るよう言われました。

母が、戻る前に1度父の顔を見れないですかと看護師に言いました。

私も見たかったので母がそう言ってくれたのはありがたかったです。


ただ、看護師の方が排出物等の処理をしてるので、5分ほど待ってくださいと言いました。

そして、父の顔を見ました。

先ほどと同じように、苦しそうに呼吸をしていました。

私は今日はきっと大丈夫と思いました。

きっと大丈夫、きっと大丈夫と。


そして、家に母と車で戻りました。

病院を出て、2分くらいで病院から電話がありました。

すぐに、近くのコンビニに行き、停車し、電話に出ると、心臓が危ないですと言われました。


母とすぐに病院に戻りました。

病室に行くと、父の心臓は止まっていました。

涙がたくさんでました。

ただ悲しくて、ただ苦しくて。

奇跡が起きないんだなって思いました。


さっき心臓が動いたときのように、父の手を強く握りました。

一瞬、心拍のモニターが触れましたが、0を示すままでした。


手を握り、頬を触り、頭を撫でました。

ただただ、父の死が受け入れられませんでした。

手は少し冷たかったものの、顔はまだ暖かく、死んだとは思うことはできませんでした。


ただ、泣き、ただ悲しくて、寂しくて、ずっと父の手を握り立っていました。

母は父に頑張ったねって言っていました。


医師がよろしいですかと言いました。

そして、医師が父の死亡確認をしました。

11月13日午後1時9分

父は亡くなったことが確認されました。


私は涙が止まりませんでした。

父に会いたい、離れたくない。

後悔しかなかったです。


つい最近、父が食事でこぼすたびに私は愚痴を言っていました。

父はありがとうと言ってくれました。


会いたい、会いたい。


今朝、車いすからベッドに移した時にいつものように尿の臭いがしました。

移乗するときに父の身体を抱え、左手は父の背中側のズボンを掴んでしていました。

そうすると、マスクをしていても、尿の臭いや便の混じった臭いがします。

いつも嫌だなと思いました。


食事を作るのは面倒だといつも思っていました。

こぼすたびに、拭いて、変えて、洗って、干して、辛かったです。


もうそれらができないんだなって、父がいないという現実が受け入れられませんでした。

寂しくて、寂しくて、すごく寂しいです。


お父さんに会いたいです。

抱きしめたいです。

いつも愚痴を言っていたけど、優しい言葉を伝えたいです。

こぼしたときに、大丈夫?気にしなくていいよ。そう伝えたかったです。


お父さんに会いたいです。

もっといっぱい感謝の言葉を伝えたいです。

父は私が何かをするたびにいつもありがとうと言っていました。

いっぱいありがとうって私は父に言われました。


寂しいです。

寂しい

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