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1.プロローグ


――頑張り方を間違えたんだ。


そう思った時には、すべて手遅れだった。

会社のデスクに突っ伏している彼女は、もうあまり意識がない。

力なく手から投げ出されたスマートフォンの画面には、『別れよう』の文字。

それは、彼氏からの交際の別れを意味していた。

どう見ても、彼女の異常な状態を騒ぎ立てる者はいない。

なぜならば、もう夜中の十二時を過ぎていて、彼女以外は会社に残っていなかったからだ。

彼女は、いわゆる社畜だった。

最初に胸が痛いのは、彼氏に『別れよう』と告げられたからだと思っていたが、どうやら違うらしい。


(ここで、私……死ぬの……?)


死んでも誰が悲しんでくれるだろう?

それが彼女の疑問だった。

何故なら、彼女の家族は冷めきっていて、誰一人として家族のことなど気に留めなかったのだ。

どこでそうなってしまったのかは、彼女にもわからない。

物心着いた時には、そうなっていたからとしか答えようがない。

彼氏だって、本当に彼氏だったのかわからないほどしか会っていなかった。

会っても、スマートフォンをいじるばかりの彼だった。


(だけど……)


仕事を頑張れば、誰かに認められて、自分をちゃんと見てくれるかもしれないと思っていた。

彼氏に気に入られるように頑張れば、自分を愛してもらえると思っていた。


(でも……)


頑張っても何も得られなかった。

だから、意識がプッツリと途切れる前にこう思う。


――来世があったなら、ほのぼのと生きたいなぁー。



◆ ◆ ◆



ハッと目が覚めたアリシアは、水中から出てきた時のように目一杯に息を吸った。

はあはあと呼吸を繰り返し、ぼやける視界から情報を得ようとする。

ベッドの天蓋が見えて、右を見ればバルコニーに続くガラス戸の前にテーブルセットがある。

いつもの自身の部屋にいることを確認して、ほっとしたように息が整っていく。


(妙な夢を見た……)


知らない世界で死んでいく夢を見るなんて、最悪だった。


(いや……。まって。私……あの世界を知ってる……)


忘れてしまったけれど、別の名前がアリシアにはあって、その先ほどまで知らなかった世界で生きていた。

そう。地球の日本の首都で、確かに生きていたのだ。

だけれど、死んでしまった。

過労死だったのだろう。


(頑張り方を間違ってたんだわ……)


そして、今も頑張り方を間違えてベッドの住人になっていることを思い出した。

今思えば、父親に認められようと必死に机に噛り付いて勉強をして、剣術を習って、花嫁修行をしてと大忙しだった。

少し具合が悪いな。と思った時に休めばよかったものを、休めば頑張りが報われなくなると、すべてをこなしていたのだ。

結果、高熱を出して寝込んでいたところだった。


そうなってしまったのも、アリシアがただのアリシアではないからだ。

庶民でもない。

貴族でもない。

ましてや、この国で禁じられている奴隷でもない。

彼女の名は、アリシア・アリア・オリハルト。

そう。

彼女は、この国――オリハルト王国の王女だからだった。


――来世があったなら、ほのぼのと生きたいなぁー。


そう思っていたのに、また前世と同じことをしていたことに気づいた。


「うん。そうね」


無意識に独り言ちて、頷く。


(再出発は何歳でもできるわ! 今回は、ほのぼのと生きていくんだから!)


しかも、自分はまだ十五歳なのだ。

出来るに決まっている。

いや。出来ると決めたのだった。




◆ ◆ ◆




『お元気になられて、何よりです』


便箋に書かれた文字を見て、鏡台の前に座っていたアリシアは、はあっと溜息をついた。

もちろん。うっとりとして……ではなく、安堵でのという意味でだ。

何故なら、たったその一文だけの手紙に高級紙が使われているのが、もったいなく思えるほどにお粗末な一文だったから。


(これは、大人からの差し金で、この子は何とも思っていないのね)


婚約候補である公爵の子息――確か、同い年だったか――からの手紙を見ていて思ったのは、この子は私のこと眼中にないという感想だった。

しかも、数回ほど会ったことがあるが、そっけない態度だった。

つまりは、関心さえないということだ。

夢で見た前世の『別れよう』の文字とそれが重なる。


「良いわ。そっちがその気なら、きっぱりこっちから断ってあげましょう!」


もとより、相手がどうであれ、候補とはいえ『婚約者』にきっぱりとお断りをしようと思っていたところなのだ。

あちらがこちらに感心――恋心や好意――がないことがないとわかり、罪悪感はない。


アリシアのほのぼのには、彼氏、結婚の文字はない。

何故なら、ほのぼのになるには、自分のことで精一杯になることが目に見えているからなわけで。

しかも、結婚すれば降嫁することになる可能性が高い。

しかも、しかもだ。離婚もありえることであり、降嫁すれば妻の義務も背負うことになるわけで……。

ほのぼのとは縁遠いことになってしまうのは、目に見えている。

だから、結婚せずに一生独身を貫き通す所存なのだ。


(それにしても……)


鏡に映った自分の顔をうっとりと見詰める。

腰まで伸びる金色の髪に、紙と同じ色の長い睫毛に縁取られている緑色の大きな目――。


「我ながら、綺麗な顔をしているわ……」

「アリシア?」


急に話し掛けられて、ハッと声のした方へ振り返れば、アリシアの母親――側妃であるその人が居た。

しかも、あきれ顔である。


「お、お母様……!?」


アリシアの声は、裏返った。


(お母様から見れば、私ナルシストじゃない!)


羞恥で、顔が赤くなっていく。

そんなつもりはなかったのだ。

いや。そんなつもりは、あったかもしれない。


地球に生きていた頃の平凡顔の自分と比較して、現世では整った顔立ちに心躍らない方がおかしいではないか。

そもそも父親も整った顔だし、しかも母親似なのだから、顔が整っているのはおかしくない。


「なんてね。そうよ。アナタは私に似て整った顔をしてるんだから、綺麗に決まってるわ!」


あはは! と軽快に笑って、母親はアリシアの肩を抱いた。

鏡越しに温かな眼差しを向けられて、アリシアは嬉しくなる。


「お母様!」


嬉しさのまま、アリシアは母親に抱き着いた。


今世で恵まれていることが、アリシアにはある。

母親は、アリシアを愛情をもって接してくれていることだ。


母親――側妃であるアリア妃は、平民出であるのにも関わらず、王室で臆することなく堂々と逞しく生きている。

かと言って、媚びるということはしない。

そんな母親をアリシアは、憧れているし、自慢の母親だと胸を張って言うことができるのだ。

前世の母親は、娘に関心がなかっただけに、ひとしお嬉しい。


「それにしても」とアリア妃は、アリシアから少し離れて真剣な顔をする。

それに倣って、アリシアも似た表情をした。


「きっぱり断るってなんのことかしら?」


その質問に、うっと息を詰まらせた。


(お母様。私をいつから見ていたの? じゃなくて!)


反対されるかもしれないと思いながらも、俯いて弱々しく答える。


「婚約候補のエヴァンに、婚約はしないと言おうと思っていて……」

「……」


黙ってしまった母親に、恐る恐る窺うように見上げた。

するとそこには、微笑む顔があった。


「アナタがそうしたいのなら、そうすれば良いわ」


あっさりとした答えに、ぽかんとした顔で問う。


「理由は聞かないのですか?」

「理由なんて聞かなくても、大丈夫よ」


また、さもありなん。というような返事に、猛反対されるかもしれないと思っていたアリシアは、逆に不安が増していく。

スカートをぎゅっと握り、目の前の母親に問いかける。


「エヴァンは有力貴族の子息です。断れば、その利益が得られないかもしれないのですよ?」

「利益? アナタは、そんなこと考えていたの?」

「……はい」

「何故?」

「王に……お父様に認められたくて……」

「ああ。アナタ。それは、望みのない考えをしたわね」


苦笑したアリア妃は、「だから今回、倒れたのね」と自分の娘の頭を撫でる。

そして、言い聞かせるように、


「諦めなさい」


と言った。


「それに、王女だからと気負うこともしなくて良いわ」

「え?」

「だって、私は平民の出だし。アナタはその娘……。後ろ盾はないけど、この王室では皆、私達のことなど気にも留めないわ。だから、反対に気楽に生きるのよ」

「!?」


アリシアはアリア妃の言葉に、目の前の霧が晴れて行くように、視界が広まっていくのを感じた。


そうだ。

自分は王女で、上には兄が二人。下には弟が二人いる。

王位継承権は、生まれてきた順なので三位だが、上の二人に何かなければ王位など継ぐこともない。

しかも、母親は平民出で、いつも継承権で争っている王妃達からは、居ないものと近しい扱いをされている。

ならば、何を気負うことがあるだろう?

誰も、自分に期待や恨み嫉みなど抱かれていないのに。


アリア妃はアリシアの頬を撫でながら、申し訳なさそうにする。


「ごめんなさいね。伝えているつもりだったのに、アナタには伝わってなかったのね」


その言葉に、アリシアは首を横に何度も振る。


「いえ。いえ、お母様。私の目が曇っていたのです」


冷酷王とも称される父王に認められようとした自分が、欲張りだったのだ。

今世は、母親に恵まれていたのに、母親の愛を無化にしてしまっていたのは自分だった。


自然と涙が、ポロリポロリと落ちていく。

肩の荷がおりたのか、母の愛を無視してしまっていた自分が悔しかったのかわからない。

何かわからないが、勝手に涙が出てくるのだ。

泣き止もうと必死に、涙を拭く。


アリア妃は、そんなアリシアを抱きしめる。


「泣きなさい。泣きたい時は、いっぱい泣くのよ」


優しい母親の声が頭から降り注いで、そこでアリシアの我慢は取り払われる。

うわーん。と声をあげて、物心ついてからはじめて、アリシアは自分のために大声で泣いた。


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