プロローグ
「以上が学校生活の説明です。なにか質問はありますか?紘崎静香さん。......まあすぐには出てきませんよね。とりあえず、教室に行ってみましょうか」
「はい」
高校入学から一か月。不幸なことに、交通事故で入院していた私は、今日初めて一年間をともにする仲間と出会う。新しい制服に新しい鞄、浮足立つ気持ちで通学路を歩いていると赤信号で停止しなかった車が突っ込んできた。派手な事故だった。病院で目が覚めてから知ったことだが、あの事故の被害者が私以外にも一人いるらしい。詳しくは知らないが訃報は聞かないため生きてはいるのだろう。
担任である柚月先生に促されるままついていった。私は初対面の人と臆せず話せるタイプではない。緊張にため息をついて、震えている手で職員室の扉をしめる。少し歩いたところで誰も廊下にいないことに気づいた。先生は振り返って私の様子をみると、目の前の扉に指をかけつつ
「今は朝読書の時間で、みんな教室にいるんです。普段はうるさいんですが、とても静かでしょう?」
と、いたずらっぽく笑って見せる。整った顔立ちをしているからかそのしぐさがなんだかかわいく思えて緊張していたのがウソのように落ち着いた。先生がかけた指を右にスライドさせて扉を開くと、本に向いていた目線が一気にこちらを向く。
「ゆづ先生だ!休みじゃなかったの?全然来ないからみんな体調不良かなって予想してた」
「ゆづせんせぇ~!今日はちゃんと本持ってきたんだよ!」
「せんせ!遅刻とか珍しいね。というか後ろの子はだれ?この時期に転校生?」
「落ち着いて。静かなのは一瞬でしたね......。隣のクラスの青山先生に睨まれますから、席について大きな声をださないようにしてください」
先生が教室に入った途端、騒ぎ始めた生徒を苦笑いでたしなめつつ黒板に名前を書く。みんなが席に着く間も視線は私に注がれたままだ。
「よくできました。しばらくそのまま静かにしていてくださいね。今から事情があって入学が遅れてしまった子を皆さんに紹介します。紘崎さんどうぞ」
まるで珍獣みたいに凝視されている。この中で自己紹介なんて地獄だ。何を言えばいいんだろう。まず名前でしょ?好きなものとか言ったほうがいいのかな。ここで誕生日言っちゃうと祝ってほしいと思われちゃう?図々しいよね。どうしよう。
思考がまとまらない。促されても一向に口を開かない私を不思議に思って先生まで凝視する。ますます口があかない。のどが絞まっていくのを感じる。じわじわと涙がにじむことに焦っていると窓際に座っていた男の子がスッと立ち上がって私を指さした。
「おでこの傷、どうしたの?」
「え、あ、っと、これは、事故、で.......」
「痛くない?」
「痛くないです」
「ならよかった」
その少年はにっこり笑って腕をおろすと静かに座った。驚いて涙も引っ込んでいる。自己紹介も忘れて呆けていると次は目の前に座っている女の子が声を上げた。
「名前、ひろさきしずかちゃん?紘崎って漢字かわいいね!どこ出身なの?」
「ありがとうございます。出身は京都のほうで、親の都合で東京に引っ越してきたんです」
いつの間にか質問形式の自己紹介がはじまってしまった。自分で考えて話すより断然話しやすいがだんだんみんなの声が大きくなり最終的には隣のクラスの青山先生が乗り込んでくる事態に。柚月先生が必死に先生をなだめるが、みんなが笑っているので怒りはなかなか収まらない。なんだか暖かい雰囲気に思わず笑ってしまった。
「本当にすみません、青山先生。新しい仲間にみんな興奮してしまったみたいで!ほら、皆さんも笑ってないで反省して!」
「「「青山先生ごめんなさい」」」
「息ぴったりに言ったからってそう簡単には許せんぞ!!もう中学生じゃない、高校生なんだ。義務教育は終わってる。大人に近づいているという意識を」
ばたん。柚月先生が青山先生をじわじわと廊下へ追いやって扉を閉めた。額の汗をぬぐうしぐさをしながらやり切った感をだし、ふぅと一息つく。
「それじゃあ、質問はここまでにしてホームルームを始めましょう。紘崎さんの席は鈴森くんの隣に。鈴森くんとはさっき立ち上がった子です」
「紘崎さーん!俺、鈴森イヅル!よろしくね~」
鈴森くんと紹介された男の子はぶんぶんと大きく手を振ってこちらを見ている。少しやんちゃそうな顔立ちに日に焼けた明るいくせ毛。活発な印象の男の子。私は自己紹介で助けてくれたお礼を言うために席にむかい、座る。
「さっきはありがとうございます。助かりました」
「なんのこと?俺はただ気になったから聞いただけだよ。気にしないで」
一見空気のよめなさそうな子だけど、しっかり気をつかえる子だ。これがギャップ。かなりモテるだろうなと恋愛初心者ながら感じた。もしかして鈴森くんのファンがたくさんいてその子たちに調子に乗るなとか言われちゃうかな。少女漫画の世界だったらきっとこの出会いに運命を感じて好きになってるんだろうけど、現実はそう甘くないからわきまえてますよ。安心してください。ファンの皆さん。
「今日の連絡はこれでおしまいです。じゃあ一限目頑張ってくださいね」
「ゆづ先生もう行っちゃうのー?あと五分もあるよ」
「ぎりぎりに行こうよ。まだ話したりなーい」
「一限目授業があるのでさすがにもう行かないと。ごめんなさいまた放課後にお話ししましょう」
「「えーー」」
柚月先生は本当に人気者だな。
一限目は数学か。教科書を鞄から取り出そうとして思い出す。朝、柚月先生から教科書は予備教室においてあるから時間があるときに取りに行ってくれと言われたことを。一か月遅れて入学したにしてはクラスのみんなが優しくてうまく学校生活を送れそうだと思ったのに、さっそく躓きかけている。もう授業開始まで三分しかないどうしよう。
涙目でうろたえているとほかの男の子と楽しそうに話していた鈴森くんが近づいてきた。
「紘崎さん?どうしたの?」
「あ、きょ、教科書を予備教室まで取りに行く時間がなくて、数学、教科書が.....」
「俺の一緒に見ようよ。遠慮しないで」
「......ありがとう」
その後、数学の先生に、私が教科書をもっていないかもしれないと柚月先生が伝えてくれたことが発覚し、さっそく躓いたと思った学校生活に落ち込んでいた私は安堵した。
(絶対に失敗するわけにはいかないもの。お父さんとの約束だから)
二限目、三限目と順調に進み、昼休みに教科書もゲットできて無事に一日目が終了した。