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昨日のあなたへ

作者: 戸塚静香

 慣れない喪服に身を包み、雰囲気に当てられたぎこちない動きで、私は封筒からそれを取り出す。

 ”君がきっとこれを見る頃には俺はこの世には居ないでしょう。”

 西口からの遺書はそんなテンプレートの文言で始まった。

 

 仕事から帰ってきて直ぐに携帯に電話が入った。昨日一緒に飲んだ地元の友人、西口が首を吊ったのだと言う。遺体の近くにあった彼の携帯電話にはロックが掛かっておらず、電話履歴の一番上にあったのが私だったということで連絡をしたらしい。

 通夜はその日のうちに執り行われていた。

 斎場へ到着すると少しだけ肌寒く感じた。雰囲気に当てられたのだろうか。だが、人はそこまで多くはなかった。

 明るいはずだが少し暗い。会場の照明の問題かそんな印象を受けた通夜はいくらかの友人と親族だけでこじんまりと開かれているような様子だった。

 経験が無いせいで無作法になってしまっていないか心配になりながら一例の所作を済ませる。

「今日はありがとうね」

 何度か会ったことのある彼の母親から掛けられた声は雑踏のみを受け付けていた耳には急で、ビクッと過剰な反応を見せてしまう。

「いえ、この度は……」

決まり決まった文言をつらつらと述べようとすると、一つの封筒を差し出された。

「遺体の服の中に遺書があってね、どうも東野君宛みたい」

 顔を顰めないよう注意しながらそれを受け取ると、

「会ったときに、変な様子はなかった?」

 母親は疲弊した様子だ。眠れてもいないのだろう、目にはくまが何層にも重なり表情は硬い。随分と老け込んで見える。

 事件性は無いとのことだった。それに疑問は無い。彼は人から恨みを買うような人物ではないと分かっている。親なら尚更だろう。

 それでも有るかどうかもわからない、所謂”死の真相”を探しているのだろう。それもしょうがない。第三者からすればあまりに唐突だった。きっとそれは現実を受け入れるまでに一度挟むクッションのようなものだから。

 変なことは言えないなと思い立ちきっぱり突き放すことにした。宗教のようなものに傾倒されると気分が悪い。それにもう会うことなどない人間だ。

 さっさと遺書を読むだけ読んで帰ることにしよう。

 だが実際の所全く思い当たるフシが無いわけでもないしその手段を取ったことに私は疑問は無い。けれどそれを彼の母親に伝えるつもりはない。

「知りません」

 端的で冷たいその言葉を贈ることにした。


”私が知る限り、君ほど冷たい人間は知らない”

 邪魔にならないよう端に寄り、立ったまま読み始めた。

 全部で三枚、分量はそう多くない。きれいな字で続く紙面に思わず目を細める。

 直接的に”性格が悪い”と書かないのは私との違いなのだろう。

 彼とは六歳からの付き合いだった。酸いも甘いも経験してきた友達のようではあったが、どこか一線を引いた関わり方をしているということには気がついていた。よく知っているつもりだったが、理解し合えないことも分かっている。だから長い間途切れない関係で要られたのだろう。


”だけど、私のことを深く知っているのは君くらいだ。迷惑だとは思うが私の最後の言葉としての文章を『君に当てた遺書』として書かせてもらう。”

 予兆がなかったわけではないと思う。これはいわば答え合わせのようなものだ。

 首を回して集中する準備をした。

 通夜には続々と人が集まって来ていた。


”覚えているだろうか。話は学生時代に遡ろうと思う”

 やっぱりそれか。頭を二度三度掻いて昔の記憶を引き出した。

 汗が引いていくような感覚とともに無意識に蓋をしていたその記憶を開く。

「……?」

 何か違和感があった。記憶が欠落しているような掴みどころのない浮遊感とでも言うのだろうか。

 とりあえず、私は必死にそれを思い出すことにした。

 彼と会うたびに脳裏にはいつもあと一人の存在があった。

 思い返せば、同じような状況だ。

 きっと彼は彼女の死に十年間向き合い続けてきた。


 遠い昔のように思える茜さす放課後。

 あの日も私たちは居残ってボードゲームなんかをして遊んでいたと思う。

「いいじゃんか、行こうぜ行こうぜ。明後日とか絶対暇だろ」

 西口は根気強くそう言っていた。

「えー、八人だっけ? 無理無理、知らない人多いと息が詰まる」

 人見知りの俺は毎回断っていた。今考えればクラスに馴染めない私を憂いてくれていたのだろう。

「ひぃふぅみぃ……いや十二人かな」

「なおさらやだ」

「最期のピースはお前だけなんだよー」

 なんてことのない会話をしていたときだった。

「東野、いる?」

 教室のドアから半身を出して、南郷はやってきた。

「珍しいね、なにか用?」

「ううん、用ってほどのことでもないんだけど今って二人共暇かな」

 一応私は西口の方へ視線を向けると、彼は腕組みを解いて南郷の方へ向き直る。

「まぁ、めちゃくちゃに暇だ」

「なら、ちょうどよかった」なんて一つ前置きをして、話を始めた。

「考えてほしいことが有るんだ。私って、君たちから見て、どう見えているのかな」

 私たちの最後の会話はそんなテーマを持って始まることになった。


「どうって、外見の雰囲気とかの話?」

「うーん、聞いてみたいのはどっちもなんだけど……じゃ、外見から内面でいってみようか」

 南郷はこちらへと委ねる。

 私が知っている彼女は、そんなことを言う人ではなかったから、すごく困惑をしたのを覚えている。

 いくらかの逡巡の内、口を開いたのは西口だった。

「第一印象は、柔らかな雰囲気を持っていそうという感じだ。声も穏やかで抑揚はすごくついている。時間が立つに連れて言動からはすごく元気な雰囲気を感じた。根明、っていうのが俺が感じている印象に近いな」

 表情はそんなに変わっていなかった。そう言われることが分かっていたのだろう。

「東野は? どうどう?」

 私は、なにか今の彼女には正直でなければならないと感じた。

「大まかには、西口と同じかな。だけど、そうだね。時間が立ってからの印象は西口とは違うかも」

 眉がピクッと動いたのを私は見逃さなかった。

「どうなのかな。」

「優しさとは少し違う印象かな。不気味、とは違う自分の殻に優しさの外面をつけたような、そんな印象。あまり良い印象は無い、かな」

 目をそらして、そんなことを言った。

 和やかな雰囲気の中、こんなことを言ってしまうのが悪い癖だよな、なんて思っていると、フッと小さく笑う声が聞こえた。

「そっかそっか。良かったよ。君はそうでなくちゃいけない。そういう所好きだよ」

 口元に手をやって、上品に笑う彼女。

「ひねくれ過ぎかな」

「見方を変えればそう見えるってだけじゃない? 私もそう見えているかもなって考えることくらい有る。ただ、それを本人の前で言う無礼な奴が居るとは、思わなかったけどね」

「悪かったよ。」

「いいや、本当にいいの。君はずっと、そのままで居てね」

 柔らかな声音だった。言葉の意を解する前に、彼女は踵を返す。

「私は行くよ。じゃあね」

 様子のおかしい南郷の様子に、私たちは顔を見合わせた。

「追いかけて言い直したほうがいいかな」

「まあ、お前の良さなんじゃねぇの。南郷もそう言ってたし」

 深く考えることはなく、途中でやめていたそのボードゲームを再開した。


 最後の会話の後、彼女は首を吊って居るのが見つかった。

 その事実を告げられたホームルーム。昼休みまでの時間に集中なんかできるはずもなく一限目が終わると西口は一言声を掛けてきた。

 そのまま抜け出して昇降口の階段に腰掛ける。

 二限目のチャイムが鳴った。二人はまだ口を開かない。

「何が南郷を殺したんだろうね」

どちらが言った言葉だったか。いや、私からの言葉だったはずだ。

 元々死ぬつもりだったという可能性はすでに消え去り二人が死に追いやったという考えしか無かった。

「黙って全肯定する言葉を投げればよかったのかな」

「それは無意味な仮定だろ」

 西口はきっぱりと否定した。

「無意味かな」

「俺たちは雰囲気に流されていた。それは南郷自身が作り出したものだ。それに都合よく逆らって、求めている言葉を的確に投げかける、なんて事後的な願望でしか無い」

「じゃあ、どうすればよかったんだと思う?」

「さめざめと泣いて、思い出話をしよう。許されてるのはそれだけなんだよ」

「それこそ無意味でしょ。南郷が何を思って私達の元へ来たのか考えるのは義務だ」

「……それは駄目だ」

「何もしないの? それじゃ私たちはまた誰かを殺すかも知れないよ」

「お前にその責任を全て負わせる訳にはいかない。あの場には俺も居たんだ。決してお前と南郷だけの話じゃねぇ」

 きっとこのとき、考えてはいたのだろう。責任を全て私に押し付けることができてしまうのだと。

 そうすれば全てが簡単に終わる。彼しか知らない死の真相は刑事罰に問うことができるようなものではない。だが、それまでの十数年に及ぶ関係値が無くなるには十分な理由だ。

「そっか」

 けれど彼はそれを拒否したのだ。そして共に背負おうとした。

「せめて俺たちは忘れないようにしよう。これから弔い続けることにしよう。義務というのならそれくらいだ」

 止められなかった私たち二人が悪い、と開き直れる強さは無かった。

 感情的に物事とを判断していた。その上たちが悪いのは自分たちだけで片付けてしまおうとしていた。

 もっと大人を頼ってもいい、なんて大人になってしまった俺からは口が裂けても言えない。けれど他にも選択肢はあったのだろう。

 結局私たちはその日に開かれた通夜にも葬式にも顔を出すことはしなかった。

 理由は……今となっては覚えていない。


”あの日のことを後悔しない日は無かった。きっとお前もそうだろう。”

 あれから、そのことについて話すことはなかった。

 次の日になれば何もかも忘れた顔をして普通を演じていた。三日もすれば演技も違和感が消え十日もすれば演技していたことすら忘れてしまう。

 そう、忘れようとすれば忘れることが出来てしまった。

 こんなタイミングでしか思い出せないのは世間一般からすれば最低だろう。

 思い出している今の俺ですらどこか他人事だ。

”取り返しがつかないことなのに、南郷の気持ちを勝手に推し量って、それを勝手に終わらせてしまうというのは、あの頃の俺たちにはできようもなかったことだった”

 そうなのだろう。

 現に私にはあの時の気持ちなんてもう思い出せもしない。

 けれど、だから私はまだ生きていれる。


”でも君は聡明だから、きっと何もかも諦めてしまったんだろう。”

 その結論にたどり着いたからこそ、自死を選ぶ。

 諦めて目を逸らしていることこそが正しいことだと、賢いことなのだとそういうのか。

 否定は出来ない。でも間違いでないというだけで、決して正解ではない。


”でも、俺は出来なかった。あれからずっと考えてたんだ。時間はかかったけど、その答えがわかった。”

 思わず息を呑んだ。

 顔をあげてみると、いつの間にかあたりは人でごった返していた。そろそろ潮時か。

「これ、持って帰ってもいいですか」

「ええ、それコピーだから」

 人知れず安堵し、遠く見えない遺影に少しだけ目をやる。

 封筒に遺書を入れ直して、足早にその場を立ち去った。

「ただいま」

 誰も居ない部屋に帰還を告げる。耐えきれずに玄関の段差に座ったままその封筒を取り出し、また読み始める。


”君は南郷がもうすぐ死ぬってことを分かっていたんだろ”

 ため息を吐いた。

”だから、あれが最後の会話だと分かっていた。あの時点で手遅れなんだと知っていた”

「西口もなんにも分かっていないんだな」

 返ってくるはずのない投げかけは、嘆息の延長となる。

”でも、本当は言えないことがあった”

 瞼が上がり、目に入る光は多くなったように感じた。

”君は一つ実行してほしいことが有る。彼女の実家に行ってほしいんだ。”

 下には住所が書いてある。

”3枚目は彼女の実家から帰ってから、最期に読んでくれ。”

 二枚目の最後には、そう書いてあった。

 明日は休み。取れる選択は一つしか無かった。


 表札に南郷とあるのを確認してチャイムを鳴らす。

「どちら様?」

 手土産を持ってはいるが、喪服のまま訪れるとやはり怪しかっただろうか。

 南郷の母親らしき人は怪訝な顔をしてこちらを見つめていた。

「葵さんの友人で……東野といいます。」

「ああ、西口くんが言ってたのは君か。上がって」

 何の反発もなく、家に入れてもらえることになった。


 和室に案内してもらうと、仏壇の鐘を鳴らし、手を合わせて目を瞑る。

 中央に飾られた写真は小さい頃の南郷の写真だった。

 写真自体は色褪せているが縁は綺麗で、毎年替えているらしいことがわかった。

 鐘の音が止むとリビングに通される。所々に南郷の写真が飾ってあるのが見えると少し心に来るものがある。きっと未だに乗り越えられては居ないのだろう。

 座布団に座ると熱いお茶が出された。

 礼を述べて冷ましながら頂く。

「西口くんは一緒じゃなかったの?」

「先日、亡くなりました」

 一瞬目を開いたかと思えば、病床に伏したかのような可哀想な目をする。

「……そう。やっぱり私も駄目ね。あの子の事から十四年も立ってるのに一つも成長できてない」

 声はか細く、ギリギリ聞き取れる程度のものだった。

「毎年、顔を合わせて話をして息子みたいな気持ちで居たのにね。やっぱりわからないものね」

「あいつは、昔話をしに来ていたんですか? 毎年?」

 殊勝なやつ、というか義理堅い奴だ。

 向き合うことなんかできず十数年も遠ざけてきた俺とは比べ物にならない。

「ええ、墓参りに併せてね。それと……」

 南郷の親は一度口ごもり「もう、いいわよね」と一言自分に対する言い訳のような独り言をして、

「いいえ、君には、いや西口くん以外には言ってなかったんだけど、一つだけ手紙が残されてたの」

 そう言った。


”東野は、何を考えているの?”

 2つ目の遺書はそんな言葉から始まった。

”あなたは理解して。いつまでかかってもいいから、私の代わりにあなたくらいは”

 遺書と言ってもいいのかわからないくらいには短いたった二文の手紙。

「あの年からだからもう、十四年くらいか。毎年来ていたよ。残されていたのは彼への遺書だけだった。西口くんは筆跡から何かが分かるかも知れないって、俺はそれを分かる義務があるんだって。そう言ってね」

 震えた文字のその手紙は、ところどころ紙はクシャクシャになってしまっていた。

 書いた本人は相応な極限状態にあったことが見て取れる。

「中身は読まれましたか?」

「……いえ。どうせ私が読んでもわからないだろうし、それにあの子が嫌がるからね。本文は読んでいない。でもざっくりとは聞いているよ」

 手紙を畳んで、封筒の中に入れ直す。

「じゃあ、西口は私の話をしてましたか」

 西口は手紙の内容だけじゃわからない三人の関係を話しているだろう。彼の性格ならきっとそうする。

「変なやつだ、と言ってたわね」

 苦笑した。まぁ間違っては無いのかも知れない。

「それで、仲が良かったとも。だから私は、そうね」

 口ごもる。思い浮かんで居ることがあるけれど、本人の手前言うことが憚られるというような感じだ。

 その不信感に私は何も言うことが出来ない。それはそうだろう。葬式にすら来ず、弔問にすら来ない。

 薄情という言葉で片付けていいものでは無いのだろう。

「でも、彼は”きっと俺の次はあいつが来ます。信じてください”ってずっとそう言っていたよ。私も最初は疑念ばっかりだった。けれど彼が親友と言う人は信用しないわけには行かないからね」

 その声は怒気を感じさせず、怨声などとは程遠い声音だった。


 私もいつか来ようとは思っていた。でも、感情の整理なんて言い訳を付けてきた。

 ついにその時が来てしまった。言葉は語尾が震え、自然と目からは涙のようなものが流れる。

「生前、葵さんは私の中でずっと大切な存在でした」

 この涙の正体は、おそらくやるせなさと罪悪感の集合体だ。

「感情の、整理は未だについていなくて」

 込み上げてくる嗚咽をせき止めながら、止めどなくあふれる言葉をつらつらと述べる。

「訪れるのが遅くなってしまって、申し訳有りません」

 言い切ると、南郷の母親は優しい声で言う。

「いいのよ。もう昔の話なんだから」

「ありがとう、ございます」

 背中を二度三度さすってもらい、涙が落ち着くまでの数分はそのままで居た。

 取り返しの付かない嘘をついてしまった。バクバクと鳴る心臓を涙で偽装し、ただ時間がすぎるのを待つことにした。


 止まった涙、すする鼻。感情の昂りが落ち着くと一言二言礼を述べ、家から出て車に戻る。

 車のドアを締めて、音のない空間で一人自分の言葉を思い返してみる。

「……」

 バッグの中に入れていた封筒を今一度開ける。

”君ならそうできると思った。きっと君は南郷の親に思っても居ないこと、優しい嘘をついた。”

 どこか文章を読んでいるだけなのに声が聞こえてくるような気がした。きっとおかしくなってしまっているのだろう。私は車の中に一人それに返答をする。

「そうだ。嘘をついた」

”でも、私が知っている君はそんなことはしない。君は正直すぎたんだ。俺は、出会ってから二十数年変えることのできなかった君の心根を変えることができて嬉しく思う。”

 紙面に目を滑らせる。

”あの時の後悔は俺が死んで、キミに遺言を残すという形でないと終われないんだ。彼女みたいに。”

「なるほどな。だからこんなものを残したのか」

 彼にとって人生はあの時代で。あの時代を終わらせることが人生そのものだったのかも知れない。


”きっと君は優しいから。嘘をつくことはできなかったのだろう。だが、これからは嘘をついて生きてほしい。誰かを欺くためでなく、誰かを守るための嘘を。それが君自身であってもいいんだ。”

 思わず笑みがこぼれた。

「そっか確かに、お前に嘘をついたことなんて無かったな」

 ただ私がそうしたいと思っただけのことだった。他意はない。多分私の中では一番純粋な厚意だ。


”俺がもし死ぬことがあったのなら、君にはこれからそうして生きてほしい。”

 彼はそう仮定する。

”そうすれば君はきっと、”

 その時点で、目を伏せた。そして三つを纏めて畳み、封筒の中に入れ直す。

 最後の一文は意味のない文章だ。もはや読む気にもなれなかった。気恥ずかしさのようなものかもしれない。

 思わずこう呟いた。

「お前らしいよ」


 二時間ほど車を走らせようやく到着した。

 彼女の最期の泣いた顔が目に浮かぶ。

 徐々に失われていく熱がその手に残っている。

「冷え込んできたかな」

 両手を擦り合わせてみる。摩擦で熱は生まれたが、この冷たさは少し毛色が違う気がした。

 車から降りると外の空気を確かめるついでに空を眺める。

「気のせいか」

 もう三月も終わる。徐々に日は長くなり、過ごしやすい空気に変わっていく。

 捜査を撹乱させるため直前に書かせたあの手紙は彼女の親にまだ持っていてもらおう。あの感じなら誰に見せることもなく、私に捜査の手が届くことはないだろう。

 ふと、あることに気がつく。


「あぁ、これ昨日の電話の前に書いていた物か」

 それが抱いていた違和感の正体か。そうだ、昨日私たちはそれについて話をしている。

 携帯の履歴に残る、午前0時20分の会話。

 食事に行って、別れた後電話で私の口から話をした。

 なんだったらその場で西口の中で全ての謎は終わっているはずなのだ。

 私が南郷の死の真相を正直に話したのだから。


 自宅のドアを開け、再び誰か居るわけではないのに自身の帰還を告げる。

 考えてみればそうか、遺書には死因に関することが何もなかった。

 つまりこれはずっと前から書いていたのか。

 彼の中ではその問題はとうの昔に終わっていて、彼がいつ死んでも私に伝えられるように。

「でも、死んでしまうなんてな」

 着ていた喪服をハンガーに掛け、なんとはなしに眺めた。


 私は封筒からその紙切れを取り出すとベランダに持っていく。

 やっぱり彼も俺も変わっていない。数年前と同じように自分だけで抱え込む。

「それが彼の良さ、なんて言えないな」

 咥えたタバコのついでにそれにも火をつける。くゆる紫煙越しに緩やかに黒く欠けていく紙切れ。時間にして三十秒足らずがいつもより長く感じた。

 ようやく終わった。あの時の自分とようやく決別できたような気がする。

「でも、人ってのはそう簡単に変わらないよ」

 鎮火するまで見届けると私は灰を落とし、二人の冥福を祈っておざなりに手を合わせることにした。



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