誰そ彼時の逢魔(オウマ)さんが工事の挨拶に来ます
ここ最近立て続けに「工事をしますので、ご挨拶に伺いました」って方が訪れましたので、ネタに使わさせて頂きました。
部屋の窓から夕日が差し込んできた。
ベッドに寝転がってタブレットで漫画を読んでいたのに、机上のパソコン画面に反射した夕日が絶妙なポジションで顔に当たる。顔の向きを変えても、タブレットで日差しを遮っても鬱陶しい。
日差しが気になって読めないので、ベッドから起き上がってカーテンを閉めた。
そろそろ母が帰ってくる頃だ。そういえば今朝、母から何か頼まれ事をしていたような。
ドアホンの呼び出し音が鳴った。
母ならドアホンを鳴らす訳が無いので、宅配かもしれない。小走りにリビングまで行き、ドアホンモニターをのぞく。
そこにはスーツ姿の見慣れない男の人が立っていた。
「はい」
「工事をしますので、ご挨拶に伺いました」
この近辺で何か工事とかやるっけ?
通学路だったらやだなあ。騒音が出るのだったらいつまで我慢しないといけないのかな。タオルとかもらえるのかな、などと思って玄関へ向かい、ドアを開けた。
夕日が玄関の内側に差し込んでくる。
ところが、玄関の周りにはドアホンモニターに映った男の人は見当たらない。
ちょっとの時間さえ待つ事が出来ない超短気な人で、もう隣近所へ挨拶に行ったのだろうか。だが、周囲を見渡しても男の人がいる様子はなかった。
玄関を閉め、自室に戻った。
無駄な労力を使ってしまったと、脱力してベッドにダイブする。
たわんだマットレスの反動で、ベッドに置いてあったスマホが飛び跳ねた。
スマホを拾って画面に目を移すと、母から『もうすぐ帰る』とメッセージが入っていた。さて、もう少し漫画の続きを読もう。
タブレットのロックを解除した時、再びドアホンの呼び出し音が鳴った。
もーまったく。漫画を読ませない何かの力が働いているの?
さっきの男の人が戻って来たのだと思って急いで玄関へ向かい、ドアを開けた。
またいない?
玄関ドアを閉めたら、またドアホンの呼び出し音が鳴った。
うっそ、さっきいなかったじゃん。いたずらだったのなら文句を言ってやる。
勢いよく玄関ドアを開けた。
いないじゃん!もう何なの!
まだドアホンの呼び出し音はしつこいくらいに鳴っている。壊れたんだきっと。
呼び出し音を止めようとしてリビングのドアホンモニターのところに行った。
するとそこには、工事の挨拶と言った男の人の姿が映っていた。
ええ?っと思いながらも通話ボタンを押した。
「はい……」
男の人はまくし立てるように喋りだす。
「あの先程からドアを開け閉めされている様ですが、どうしてこちらを無視されるのでしょう。ま、とにかく、玄関を開けられたままという事は入って来いって事ですね。お邪魔します!」
え、なんかヤバい人?
しまった。玄関ドアを開けたままだ。男の人が入ってくる。
慌ててリビングから玄関ホールの方を覗いてみた。
だが、男の人らしき人影は見当たらない。
その時、外から聞き慣れた車の音がした。
タイミング良く、母が帰ってきたのだ。
「ただいまー。玄関開けっ放しよぉ。閉めないと虫が入ってくるでしょ」
玄関ドアの閉まる音と共に、両手に買い物袋を持った母がリビングに入ってきた。玄関ホールの方をうかがいながら母にたずねた。
「お母さん!男の人がいなかった?」
「男の人?どんな人?」
「スーツを着た男の人。工事の挨拶に来たって。家の中に入るって言ってたの」
「見ていないわよぉ。玄関付近には誰もいなかったし、家の中だってほら、いないじゃない」
夢か幻覚だったのか?
いや違う。あまり考えたくは無いが犯罪目的か何かで、大人の姿を見て逃げたのかもしれない。
「あ、そうそう、さっきスーパーでご近所さんに聞いた話なのだけどね。ほらそこの斉藤さん宅、このところずっとご不在なんですって。失踪したのかって噂。最近ご近所でいなくなるお宅が多いのよねぇ。田中さんや佐藤さん達も、いつからか見かけなくなったのよねぇ」
母は、買い込んだ食料品を冷蔵庫に詰め込みながら、恒例のご近所噂話を伝えてくれる。大抵はどうでもよい話なので、いつも「ふーん」と適当に流している。
「ちょっと!お魚を冷凍庫から出して解凍しておいてって頼んだでしょ!」
母は冷凍庫から取り出した棒身のカツオのたたきを、ゴンッとキッチンカウンターに置いた。頼まれ事はこれだったか。今、思い出した。
「ごめん、忘れてた」
母からのお小言を頂く前に自室へ向かおう。
「部屋に戻って勉強の続きをするね」
リビングを出ようとしたところで、ぞわっとした。
不意に知らない人とゼロ距離になるような、パーソナルスペースを侵されたような、得体の知れない何かとすれ違ったような。気味が悪いので、母のもとに駆け寄った。
「あら珍しい。お夕飯の準備を手伝ってくれるの?ちょうどいいわ。これを流水で解凍してくれる?」
母はステンレス製のボウルをシンクの中に置いて、ここにカツオのたたきを入れろと指を指した。
「ねぇ、やっぱ誰かいるみたい。さっきそこですれ違ったような感じがした」
「誰かって誰よ?」
母は『この子は何を言っているの?』という顔でこちらを見ている。
「さっきの男の人とか?」
「だから男の人は見かけていないし、ほらいないじゃない。それとも透明人間か何かなの?」
母は手に持った大根を振り回し、リビングの方を示している。
透明人間……だと?
まさかそんな。でも、ドアホンにだけは映るとしたら?
男の人は『ドアの開け閉めしてるくせに無視されている』と言った。『お邪魔します』とも。じゃあ、やっぱり部屋の中に入って来てる?
いるんだ。
もしもの事を考えて、左手でボウルをシンクから取り出し、カチコチの冷凍カツオのたたきを右手に持った。盾と棍棒の代わりだ。カツオのたたきを前方へ突き出しながら、見えないものを探るように、恐る恐るリビングの方へ向かって行った。右手が冷たい。
「ちょっと沙絵、何してんの。なんだかまるでダンジョンに入る勇者みたいね。」
「茶化さないでよ。こっちは真剣にやってるんだから」
母は異世界冒険ものの小説が好きなので、ちょくちょく会話にぶっこんでくる。
今はそれどころじゃないのに。
「可笑しい。これ動画を撮ってお父さんに見せよう。『勇者沙絵の冒険が今始まる』ってところかしら」
すり足のようにリビングへ向かう。
すると背後の母から、「ひっ」と息を呑むような声が聞こえた。
「沙絵、沙絵、すぐこっちに来て」
母はスマホで動画を撮っているようだが、少し屈んで対面のキッチンカウンターに身を隠している。急いで駆け寄ると画面を見せてくれた。
「ほらここ。沙絵が言ってた男の人、幽霊なの?」
スマホの画面には、リビングソファーの前に立つ男の人が映っていた。
ドアホンで話をしたあの男の人だ。
スマホ画面から目を離してリビングソファーを見る。男の人はいない。
スマホ画面に目を戻す。男の人は映っている。
カメラには映る透明人間?
「やっと気付いてくれましたね」
スマホのスピーカーから男の人の声がする。ぞわっとした。
母はまた「ひっ」と言って、スマホのカメラアプリを終了させた。
「ふぅ、怖かったわぁ。何だったのかしら」
「ちょっとお母さん!カメラ終わらせないで。まだいるんだから!」
母からスマホを奪い取って、カメラアプリを起動した。
やはりカメラ越しでしか男の人を認識できないようだ。
「賢いお嬢さんですね。私も今まで何故無視されているのか、やっと理由がわかりましたよ。あなた方は私が見えないのですね。先程は失礼な態度をとって申し訳ありませんでした。改めて工事の説明をさせて頂きます」
リビングソファーに座った男の人はオウマと名乗った。この地域の工事担当と言うが、どうも訪問販売の営業らしい。世間と隔離された静寂な暮らしができる高機能の玄関ドアを勧めてきたのだ。今だけキャンペーンでお得だとか、ご近所さんも取り替えたとか、調子の良い話ばかりしてくる。工事のご挨拶って、取替工事の事だったんだ。
「あのー、こういったお話は主人の方が……」
母は訪問販売員が苦手なのだ。しかも今回はカメラ越しでしか見えない得体の知れない相手だ。
「では申し訳ありませんが、少し待たせて頂きます」
オウマさん、帰る気無いんだ。
母の目線がカメラだけでなく、時々壁の時計とキッチンに向いている事に気がついた。父の帰宅時間を気にしている?夕飯の支度が出来ないのが気になっている?
「お母さん、お父さんが帰るまで私がオウマさんの話を聞いてるよ」
「あらそう?助かるわ。じゃあ失礼して」
母はそそくさとキッチンへ行ってしまった。
水栓から水が流れる音がする。カツオのたたきの流水解凍を始めたようだ。
母のスマホを手にして、カメラ越しにオウマさんと会話する事にした。何しろ疑問がいっぱいなのだ。何故オウマさんは姿が見えないのか。何故カメラ越しなら見えるのか。知っておきたい。
その時、外からまた聞き慣れた車の音がした。今度は父の車だ。
絶妙なタイミングで帰ってきたのだ。
「ただいま~。日が沈む前に帰って来れたよ~」
父は小躍りしながらリビングに入ってきた。この人は大体いつもおちゃらけている。
機嫌の良い父に、カメラ越しでしか見えないお客さんが高機能玄関ドアの販売に来ている事を伝えた。父は『またまたぁ~』と、おどけた感じでスマホを覗き込んだ。
画面に映るオウマさんを見る。それから、画面から目を離してリビングソファーを見る。
「おお、ARなのか。この人は別の場所にいて、ARアプリを通じてここにいるように見せてるんだな」
父の知ったかぶりが発揮される。よくは分からないがたぶん違うと思う。ドアホンモニターにも映ったのだから。
「ご主人、奥様やお嬢様にはご説明させて頂きましたが……」
カメラ越しにオウマさんの営業トークが始まった。
「オンライン商談みたいなもんだな」
父はこの超常現象をオンライン商談としてあっさり受け入れた。
オウマさんは、目に見えなくて得体の知れない怪異的な人なのに、営業トークが絶妙だ。父と話を聞いていたら、最初に感じていた恐怖心が薄れるばかりか、親しみさえ持ってしまう。不思議なほどに信頼感もある。父も同じ印象を持ったようで、ふんふんと熱心にオウマさんの話を聞いている。
母はキッチンで絶賛調理中だ。ジュウジュウと何かを炒めている。
「こちらのご近所を回らせて頂いて、お陰様で多くのご契約を頂きました。あちらの通りに面したお宅の田中様、佐藤様、それから斎藤様」
うちの近所には、オウマさんから買った玄関ドアが結構あるってことだ。
オウマさんの営業力は相当なものだと感心する。
「今日ご契約頂きますと、私のノルマ達成の報奨金が出るのです。それをこっそり融通します。キャンペーンを併用するとですね、本日お持ちした玄関ドアならなんと実質タダです!」
「タダはいいなぁ!よっし、お願いしようかな」
父は乗り気だ。タダって言われれば心が揺らぐのは仕方ない。
「なぁお母さん、いいだろ?」
母は聞こえていなかったようだ。父がキッチンに説得に行った。
オッケーが出たらしく、父はホクホクした顔で帰ってきた。
「玄関ドア、契約します」
父がオウマさんに伝えると、リビングテーブルにすうっと契約書が現れた。
超常現象なので驚くところだが、見えない人と散々お話した後なので感覚が麻痺している。
「それではこちらの契約書にご記入ください。玄関ドアは10分もかからずに交換できますから」
オウマさんが『パンパン』と手を叩く。すると玄関が開いた音がして、がやがやと声がした。
早速交換するのかと思って、父にスマホを預けて玄関の様子を見に行った。
元の玄関ドアはもう取れかかっている。新しい玄関ドアが何の支えもなく立っている。ああ、そうか。オウマさんだけでなく、工事する人たちも見えないんだ。生き物のように玄関ドア同士が交代している様子を眺めていた。感心するばかりで、少々の超常現象では驚かなくなった。慣れって怖い。
リビングに戻って、父と母に玄関ドアが新しくなった事を伝えた。『どれどれ』と二人が玄関に向かう。父がさっそく新しくなった玄関ドアを開けた。外はもう日が落ちていて、いつもより真っ暗になっていた。
普段なら向かいの家の窓から光が漏れていたり、庭のライトが光っていたりする。道路の街灯もあるはずなのだが、我が家の玄関の照明が届かない場所は真っ暗なのだ。異変に気がついた父が外に飛び出し、周囲を見渡した。
「これはどうなってるんだ。うちの周りがまるで見えないじゃないか」
父の様子を見て、母もかなり困惑している。私もだ。
その時、人の気配が横をすり抜けた。オウマさんが玄関から外に出たのだ、たぶん。
スマホを……。父が持っているんだった。
「お父さん、スマホ!オウマさんがそっちへ行ったよ」
「お、おう、そうか」
父はスマホを構えて、我が家の玄関に向いた。見えないオウマさんの姿を捉えたようだ。オウマさんは父に向かって何か喋っているようだが、スマホのスピーカー音が小さくて聞き取れない。
「な……なんだってー!」
父が叫んだ。
「ちょっとお父さん、オウマさんは何て言ったのぉ?」
すかさず母が問いただす。一人で驚かれてもこっちには何がなんだか分からないのだ。
母に呼ばれた父が玄関口まで戻ってきた。
「オウマさんの話では、外は幽世という世界らしい。俺らが普段生活していた世界が現し世で、この玄関ドアは現し世から隔離して幽世へつなげる機能があるんだ」
「へぇ~すごぉ~い…… って、なるかっ!すぐ返品しなさい!」
母のツッコミはもっともだ。明日からの生活はどうなるんだ。
父はオウマさんと交渉している。
その間に自分のスマホを自室から持ってきた。もっと早く持ってくればよかった。
玄関まで戻ってきたら母が頭を抱えていた。
「元の玄関ドアをね、一本だたらって妖怪が金属製のドアだからって持っていったそうなの。その妖怪に渡ったら最後、あっという間に鉄の塊になるんですって」
「一本だたら、しごでき!」
感心するところじゃなかった。
「もう元の玄関ドアは無くなったのよぉ。だから家を建てる時に木製ドアにしようってお父さんに言ったのにぃ……かわいいデザインのドアが選べたのにぃ」
仮に木製ドアだったとしても、違う妖怪にタダの木くずにされたかもしれない。
うなだれる母を気にすることなく、父が私に寄ってきた。
「沙絵、オウマさんから凄い話聞いたぞ。俺たちはな、霊感完全にゼロだから幽世の住人の姿などが全く見えないそうなんだ。スマホで見える理由はオウマさんにも分からないらしいけど」
それはつまり、幽世から現し世へ戻ることが出来なければ、スマホ無しでは生きられないって事?スマホが壊れたら詰むじゃん。いや、そもそも幽世の住人と交流するのかって話だ。相手は妖怪だよね。
「でもお父さん、あそこに人が見えるよ?」
スマホを介していない視界の隅で、人の歩く姿が見えた。こちらに向かって来てるようだ。
突然母が駆け寄っていく。
「あらぁ、失踪したって噂の斉藤さん、こんばんわ。元気だった?」
声のかけ方が失礼過ぎやしないだろうか。
「こんばんわ。高井さんもオウマさんから玄関ドアを買われたのね。良かったわ、お仲間が増えて。オウマさんもこんばんわ」
斉藤さんご夫婦はスマホ無しでオウマさんが認識出来ているようだ。
霊感か?霊感の差なのか?何それずるい。
母は斉藤さんの奥さんと喋っている。
奥さんによると、現し世に戻れなくて最初は困ったようだが、慣れたら平気なのだそうだ。むしろ生活にお金がかからないので働かなくていいらしい。親切な妖怪が必要なものは全部持ってきてくれるそうだ。
「あらそうなの?天国みたいね」
わかる。天国に聞こえる。
母は斉藤さんの奥さんの話をふんふんと熱心に聞いている。
旦那さんも父に話しかけてきた。
「百鬼夜行はもうご覧になられましたか。凄いですよねぇ」
「いえいえ、先程玄関ドアを取替えたばかりで、まだ何も」
「そうですか。じゃあ田中さんと佐藤さんを誘って飲みに行きますか。酒呑童子って人が美味しいお酒を出すお店をやってるのですよ。ついでにこちらの世界の話をしてさしあげます」
父は旦那さんに手を引っ張られ、暗闇に消えて行った。
え、帰って来るよね?
取り残された私は仕方なくオウマさんと話をすることにした。
オウマさんは、スマホのカメラ越しだが優しい笑みを浮かべて言った。
「今回は私で良かったですが、怪しい訪問販売には注意してくださいね」
最後までお読み頂きありがとうございました。評価、ご感想を頂けましたら幸いです。
黄昏時と誰そ彼時と、逢魔が時とは同じ意味で、妖怪の時間である夜との境目の事だそうです。「逢魔が時」という言葉から、本作品のオウマさんが生まれました。
訪問販売員の方もノルマがきつくて大変かと思いますが、玄関を開けて貰うテクニックとは言え、ちょっとどうかなと思うことはあります。