オブジェクト探偵
「春樹、ティーカップは何と言っているんだ?」
年季の入ったハンカチで、額の汗を拭いながら佐々木刑事が尋ねてくる。エアコンが付いているものの、代謝がいいのか大粒の汗を流していた。そんな佐々木刑事を尻目に、私はティーカップに集中する。
『ご主人様......』
今にも泣き出しそうな声が私の耳を刺す。私の力で命を宿した「物」は、使用していた人の愛着具合で感情を持つのである。言語能力も使用者の愛着具合に左右され、愛着が深いと言葉を流暢に話すのである。反対に、愛着が浅いと産まれたての赤子のように言葉を介せず、泣くことしか出来ないのである。今回は前者であり、私はひと安心する。
「あなたの主人の中西さんは毒で殺されてしまったみたいなんだけど、何か知らない?」
『ご主人様が、私に紅茶と角砂糖を入れた後に、オレンジ色の服を着た人が、私に何かを入れたの......』
そう言い残すとティーカップは、口を閉ざしてしまった。私はただの「物」に戻ってしまったティーカップを見つめていた。
「今回は、逃がすなよ。」
佐々木刑事の声で、私は我に返る。「物」の声は私にしか聞こえない。しかし、感情を持った「物」が自分の感情に従って動くことがある。昨今、轢き逃げ事件の証拠車両と会話を試みた時のことである。車は持ち主の性格に影響されてひとりでに走り出し、事故を起こしそうになったのだ。その事でこっぴどくお叱りを受けた佐々木刑事は、私にいい印象をもっていないのである。
「今回は大丈夫そうです。犯人はオレンジ色の服を着ているようです。」
「オレンジ色の服だな。」
そう言うと佐々木刑事は別室で待機している容疑者の白田さん、赤崎さん、黒関さんの元に向かった。
――5分ほど経ち、シャツに汗じみを浮かべた佐々木刑事が戻ってきた。
「オレンジ色の服を着ている人はいなかったぞ。本当にオレンジって言ってたのか? 白田さんは白いTシャツ、赤崎さんは赤いワンピース、黒関さんは黒のポロシャツを着ていたぞ。荷物も調べたが、オレンジ色のシャツなんて見つからなかったぞ。」
「でしたら犯人は白田さんです。」
「なぜだ?」
「ティーカップは紅茶が入れられたあと、オレンジ色の服の人が何かを入れたと言っていました。つまり、ティーカップは赤い紅茶を通して犯人を見ていたわけです。白と赤を混ぜると何色ですか?」
「オレンジだ! なるほど、協力感謝する。」
世紀の大発見でもしたかのような顔を浮かべた佐々木刑事は、足早に容疑者の元に向かった。
――私は、新聞が投函された音で目を覚ます。力の入らない足で、冷たいフローリングを踏みしめながら新聞を取りに向かう。新聞の一面では、昨日の事件のことが取り上げられていた。今まで私の力は、未就学児の面通しくらいの証拠能力しかなかった。しかし、研究者が私の力が本物であると証明した。それによって証拠能力が認められ、事件を解決する度にメディアを騒がせていた。
「ブーブー......」
スマホがバイブで着信を知らせる。画面には佐々木刑事と表示されていた。私はスマホを耳に当てる。
「佐々木だ。事件かもしれない、来てくれ。――」
電話を切ると、冷蔵庫から適当に取った菓子パンを口にくわえ、現場に向かった。
――現場では既に規制線が張られ、それを囲うように野次馬が群がっていた。規制線の中の古びたアパートは、一室を中心に黒焦げになっていた。
「春樹。こっちだ。」
佐々木刑事に手招きされ、規制線の中に踏み入る。
「害者は、焦げてしまっているが20歳男性で、この部屋に住んでる田邊恵さんの彼氏の武田直人と判明。あそこで母親に抱えられながら、わんわん泣いてる彼女の証言と身分証が決め手になった。近くにタバコの吸殻があったため、寝タバコが原因の線で捜査していたが、鑑識がタバコに含まれてる成分とは違う燃焼促進剤を発見した。そこで自殺と殺人の両面で捜査することになり、あんたを呼んだってわけだ。」
佐々木刑事に続いて、現場に入る。入った瞬間に、バーベキューのような匂いが鼻を刺激した。私は反射的に鼻を覆う。
「仏さんに失礼だろ。まあ、直に慣れるだろうよ。早速で悪いが、このタバコの吸殻から情報を聞き出してくれるか?」
「分かりました。」
タバコと言われなければ分からないほど焼けてしまっているタバコに集中する。
『ああ......燃やされて吸われることが使命なのに、吸う側が燃えてしまった......』
今回も言葉を話せるタイプのようだ。
「ねえ、あなたの言う吸う側が、燃えてしまった理由を知ってる?」
『はい。』
「知ってるの?」
『はい。』
「教えてくれる?」
『何をですか?』
言葉を話せるタイプではあるが、少しおつむが弱いようであった。
「......あなたの言う吸う側が、燃えてしまった理由を教えて欲しいの。」
『はい。それは、いつもより私が燃え上がってしまったからです。』
「なぜあなたはいつもより燃え上がってしまったの?」
『それは、私に何かを......』
タバコは最後まで言い切る前に、ただの「物」に戻ってしまった。歯がゆい会話のせいで、重要な部分を聞き出せず、肩を落とす。
「3分経ってしまって、全ては聞き出せませんでした。でも寝タバコが原因じゃないと思います。」
「そうか。たまには人間にも話を聞いてみるか?」
「確かにたまには人と話した方がいいですね。」
「じゃあ、害者の彼女の田邊恵さんを頼む。」
そう言い残すと、佐々木刑事はそそくさとどこかへ行ってしまった。どうやら佐々木刑事は泣いている女性が苦手な為、私に押し付けたようだ。
「恵さんこんにちは、お話聞かせて貰っても大丈......」
「この子は落ち込んでるんです。また後にして貰えますか?」
香水の匂いを纏った恵さんのお母さんに、怒りの籠った口調で遮られる。
「あなたは、恵さんのお母さんの......」
「田邊智恵子です。何回同じ質問に答えれば済むんですか!」
敵意むき出しで、今にも噛みつかれそうな雰囲気があった。私はたじろいでしまい、口を閉ざす。
「お母さん大丈夫だから。」
そんな沈黙を破ったのは、目を真っ赤に腫らした恵さんだった。
「母がすいません。母も、私もまだ状況を受け入れられていなくて......何が聞きたいんですか?」
「直人さんを恨んでいる人や普段と違ったことに心当たりはありませんか?」
「やっぱり直人は殺されたんですか!?」
「やっぱりと言いますと?」
「直人は禁煙してたんです。だから寝タバコが原因なんて考えられないんです。」
「恵には言わなかったけど、直人くんはタバコを吸ってたわ。前に駅前の喫煙所にいるのを見たの。」
「禁煙するって約束したのに......」
恵さんはまた泣き出してしまった。話を聞ける状態ではなくなってしまったので、私はその場を後にする。
「おう、なんか情報は得られたか?」
タイミングを見計らったかのように、佐々木刑事が話しかけてきた。
「めぼしい収穫はありません。得られた情報と言えば、彼女に隠れてタバコを吸っていたことくらいですかね。」
「やっぱり、自殺なのかもな。あとはこっちでやっておくから帰っ......」
「やっぱり、直人がタバコ吸ってたとは思えない! 直人は殺されたの、クソジジイに!」
声のするほうを振り返ると、目をパンパンに腫らした恵さんが私たちを睨みつけていた。
「クソジジイと言いますと?」
佐々木刑事が刑事の目を向ける。
「うちの父親のこと。最近あいつ、直人のこと殴ったの。しかもあいつ、直人と別れろとか言うんだよ。」
「なんで、殴ったのか分かるかな?」
「教えてくれなかったから分からないけど......どうせあいつがなにかイチャモンつけて殴ったに決まってる!」
「今、お父さんがどこにいるか分かるかな?」
「知らない。警察に捕まらないようにフィリピンに逃げたんじゃない?」
「恵、やめなさい! 会社にいます。住所は――」
恵さんはまた大粒の涙で泣き出してしまった。
――私達は、恵さんのお父さんの宏樹さんの会社を訪れていた。
「どうも。金本の上司の高田です。」
「金本さんは?」
「今日は出社してないですね。普段、無断欠勤なんてしないやつなんですけどね。」
「金本さんはどういった方ですか?」
「真面目を具現化したかのような人ですね。」
「悪い所はなかったですか?」
「真面目がすぎるところですかね。」
「どういうことでしょうか?」
「なんて言うんですかね、臨機応変さがないっていうか、なんていうか......」
「......なるほど、参考になりました。ご協力ありがとうございました。」
「すいません! 最後に私から。宏樹さんのデスクに案内して貰えますか?」
「こちらです。」
デスクまで案内してもらい、そこで高田さんと別れる。
「デスクなんて見てどうする? あの娘の戯言だよ。彼氏のことを信じたくて父親を悪人に仕立て上げたんだよ。」
「真面目な宏樹さんが今日だけ無断欠勤してるって言うんですか?」
「サボりたい時だってあるだろ。」
面倒くさそうに話す佐々木刑事をよそ目に、使い古されたペンを手に取る。
「明日ペンに話を聞いてみます。それでもめぼしい情報がなければ、自殺ということで構わないです。」
「分かった、一日だけだぞ。」
佐々木刑事が頭を掻きむしりながら了承し、私達は帰路についた。
――今日は新聞の投函よりも早く目覚める。人が1人死んだというのに、いつもと同じ肌寒い朝を迎えていた。そんな無情な世界に嘆きつつ、私はペンに集中する。
『寒っ!ここどこだよ。』
かなり流暢な口調で、ペンが言葉を発する。流暢な口調から、長年使われてきたペンなのだろう思う。
「ここは私の家。あなたの主人は死んでしまったのだけど、何か知ってる?」
『知らない。』
「じゃあ、なんで娘の彼氏を殴ったか知ってる?」
『知ってる。』
「じゃあ教えてくれる?」
『何を?』
要領を得ない反応であった。宏樹さんの融通の効かない性格が反映されているのだろう。現場にあったタバコも同じ反応であった。つまりあのタバコは宏樹さんのものなのではないか。そんな推測を片隅に質問を続ける。
「なんで娘の彼氏を殴ったか教えてくれる?」
『それは、彼氏が浮気をしてたから!』
口調に熱が籠っていた。宏樹さんは、相当腹を立てていたことが伺える。
「誰と浮気をしていたの?」
『それは――。』
「ブーブー......」
スマホのバイブに遮られ、名前を聞き逃してしまう。悔しさから、少し強めに応答ボタンをタッチする。
「佐々木だ。ペンから何か聞けたか?」
「ええ。どうやら、あのタバコの吸殻は宏樹さんのものであったみたいです。あと直人さんを殴った理由は、直人さんが浮気をしていたからみたいです。佐々木刑事が電話してこなければ浮気相手の名前も聞けたんですけどね。」
私は嫌味っぽい口調で、不満をぶつける。
「......やはりそうか。」
重く沈んだ佐々木刑事の反応が、胸に不安な気持ちを渦巻かせる。
「実は、田邊恵さんが父親に殺されたんだ。」
「えっ......」
「とにかく来てくれ。」
――私は急いで朝支度を済ませると、すぐに殺害現場に向かった。現場は、一時的に住まわせてもらっていた恵さんの祖母の家であった。
「一体何が......」
私の目の前には、昨日まで話していた相手がナイフを刺され横たわっていた。今まで殺害現場を何度も見てきたが、やはり堪えるものがある。
「智恵子さんによると、宏樹さんがいきなり家に侵入し、娘の恵さんを刺し殺したみたいなんだ。」
「動機はなんでしょう?」
「分からない。だからすまないが、凶器のナイフから話を聞いてもらえるか?」
「分かりました......」
喉まで出かかっていた吐瀉物を無理やり押し戻し、血に染まったナイフに集中する。
『エーン、エーン。オラハ、ナイフ......』
愛着が浅く、話を聞くことが出来ない。
「このナイフは買ったばかりのようで、話を聞けません。」
「そうか。ココ最近で、このナイフを買った人がいないか調べさせる。まだ、3分経ってないよな? 害者が身に付けていたものから話を聞けないか?」
「調べてみます。」
そういうと私は、女子大生の第二の心臓であろうスマホを見つける。このぐらいの年頃の子で、スマホに愛着が浅い人は少ない。そんな考えから、スマホに集中する。
『親に刺されるとかまじありえない! 絶対殺す! 直人も殺す!』
「ねえ、あなたを殺した人のことを教えてくれない?」
『殺す。殺す。殺す......』
言葉は話せるが、感情的になっていて話を聞き出すことが出来ない。しかしスマホはSNSに何かを投稿してただの「物」に戻った。SNSには「金本智恵子(52)は武田直人(20)とママ活!?」と投稿されていた。その投稿を見て、全てのことが一つに繋がる。
「なるほど。そういうことか。」
いいねの通知が、私の推理のピースを繋いでいった。
――「ピーンポーン」
私達は、智恵子さんのいるホテルに来ていた。
「なんでしょう?」
涙で化粧の崩れた智恵子さんが出てきた。
「武田直人さんが道端で倒れているのが発見されました。」
「......どういうことですか!? じゃあ私の家で死んでいたのは誰なんですか?」
「まだ意識不明なので分かりませんが、意識が回復し次第話を聞く予定です。」
「早く宏樹を逮捕してください!」
「全力を尽くします。それでは。」
――数時間後。
「ガチャ」
重厚感のある扉が悲鳴のような軋み音を立てながら開く。
「なーんだ、私の直人ちゃんといるじゃない。」
「手を上げろ! 田邊智恵子! 」
佐々木刑事が向けた銃の先には、田邊智恵子と紐で椅子に縛り付けられた武田直人の姿があった。
「罠だったわけね。」
田邊智恵子は状況を理解して観念し、素直に手を上げ手錠をかけられる。
「田邊宏樹、田邊恵の殺害、武田直人の拉致監禁の容疑で逮捕する!」
「焼死体の正体は宏樹さんですね。宏樹さんの死体を直人さんだと思わせることで、直人さんを透明人間にし、自分だけのモノにしようとした。そしてそれに気づいた娘をあなたは殺した。」
「そうよ、私と直人は愛し合ってたの。それに宏樹が気づいて直人を殴った。それにびびった直人は終わりにしようって言ってきたの。だから問題を取り除いて2人で愛し合えるように環境を整えた。私の計画は完璧だったはず。なのになんで私だと?」
「タバコの持ち主、娘を殺した犯人の証言があなただったからです。あと最初からあなたを疑っていたからです。」
「どうして?」
「香水が強すぎたからです。真面目な宏樹さんの好むものではなかった。つまり他に男がいるのではないかと思ったんです。そして、宏樹さんのペンが言っていた「不倫」という言葉。そして最後に恵さんの投稿がダメ押しになりました。つまり直人さんの隠れた恋人はあなたなのではないかとね。」
サイレンが鳴り響き、事件の終幕を告げていた。