蒼い角
消防車が鎮火の鐘を鳴らして通り過ぎていく。湯気で曇った鏡を濡れたタオルで拭って自分の姿を映し出す。風呂上りの髪を撫でて髪型を整える。額の中央、ちょうど生え際のところに大きなできものができてしまった。いつも使っている整髪料のせいであろうか。治るまで整髪料を使うのをやめておこう。赤く大きく膨らんで真中にうっすらと芯のようなものが見える。つぶしてしまえば治りが早いかと思ったが、押しても何も出てこなかった。その代りにさらに赤みが大きくなってしまった。こうなっては仕方がない。もう何もせずに寝てしまおう。
悪い夢を見た。レストランの店頭に飾られている食品サンプルを次々に食べて、自分の歯がゴリゴリと欠けていく夢を見た。今日もおできは小さくなっていない。それどころか大きくなって中心から蒼い芯のようなものが出ている。これが原因かと思い爪で引っ張ってみるが硬くてびくともしなかった。その蒼い芯は日に日に大きくなった。今は小指の先程の大きさになってしまった。ばんそうこうを貼って見えないようにすれば日常生活にこれといって不自由はない。その頃はむしろどのくらいの大きさになるのか興味があった。
しばらく経って、そのおできは親指ぐらいの大きさになっていた。このくらいの大きさになるともはや角だ。頭に生えた蒼い角だ。角が生えたからと言って見た目以外に変わったことはないように思えた。しかし、実際は不思議な声が聞こえるようになっていた。それは頭の角度を変えると種類が変わるようでもあった。すぐにそれはラジオや携帯電話の通話音声なのだとわかった。どうやらこの蒼い角は電波を受信してしまうらしい。それからというものBGM代わりによくラジオを聞くようになった。話題が面白ければ電話の声を聞くこともあった。外国の短波放送まで受信できるようだった。寝るときなどは枕で角度を調整して角でラジオを聞きながら眠った。
角は何かと便利だったが、やはり見た目には悩みがあった。家に帰って蒸し暑い一日の終わりにじっとりと重さが二倍ほどにもなった包帯を取り除くとやっと安心して角を空気にさらすことができる。一時期はターバンも試してみたのだが、なんだか歪なヘルメットのようになってしまって美しくなかったのですぐにやめてしまった。それに何より生えるはずのないものが生えるというのはやはり異常であると言わねばなるまい。そこで僕は知り合いの医者を訪ねることにした。
手術応需と書かれた看板の下に知り合いの外科医がやっている病院の入口がある。和風の佇まいで待合室の椅子には畳が使われている。何分か待つと自分の名前が呼ばれたので診察室に入った。
「先生、手術をしてください」
「さて、今日はどうされましたか」
僕は質問に答えると、医者はレントゲンが必要ですと言った。狭いレントゲン室に通されるとX線を当てる潜望鏡のような機械が頭部に向けて設置された。レントゲンを撮るときは息を止めてしまう。これは癖のようなものだ。医者はレントゲンと僕の蒼い角を見比べながらなるほどなるほどとうなずいている。この角は頭蓋骨の一部というわけではなく爪に似た性質のものであるらしい。そしてそれを手術用の鋸で切ってしまえばいいらしい。それだけのことを言うと医者は僕の体を手術室へ運んだ。少々乱暴だが手術はすぐに終わった。僕の角の痕は円形脱毛症のようになってしまったが角はきれいに無くなっていた。
角が無くなってからは電波を受信することも無い。静かな一日が毎日過ぎていく。しかし、それでは満足しない、そんな体に僕はなっていたらしい。実は角はあれからまた少しずつ伸びている。今度は切り落とすことなく伸ばしておこうと思う。この国は電波に溢れている。最近は角を生かして盗聴器を探す仕事をしてみてもいいなと思っている。角が生え揃うその日まで電波の届かない生活をせいぜい楽しむとしよう。また蒼い角で電波を受信するようになれば、僕は次第に日常へと回帰していくのだ。そして僕は人恋しく、探しながら発信するのだ、蒼い角から同じ蒼い角へと通じ合うその日を信じて。
──生きている人、いますか?──