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この世界に愛されなかった僕たちは  作者: 春秋 一五
「黒と白のプロローグ」
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1-7


 街灯が点々と点いている見慣れた道を一人歩く。吐いた息は白く染まり、吹き抜けた風は少し早い冬を感じさせた。まだ秋も中盤に差し掛かったばかりだが、北方に位置するノースヘヴンは昼と夜の寒暖差が激しい。


 ノースヘヴン魔法騎士学園高等部は全寮制であり、僕も寮に住んでいる。アイラとヒナタはとても近いところに住んでいるのでいつもなら一緒に帰るのだが、今日は女子会があるだのなんだので断られてしまった。アイラの魔力不足が気になったが、まあヒナタもいるし大丈夫だろう。


 せっかくの機会だと割り切った僕は買い物のために街へと出ていたのだが、案外買う物が多くて遅くなってしまった。目に入った時計塔の針は午後九時を指している。訓練が終わって二時間以上経っているから、二人の方が早く帰宅しているかもしれない。女子会の時間相場なんて知らないけど。


 時計塔を少し過ぎたところの道で曲がり、再び真っ直ぐ進んでいく。すると左手側に赤茶色の煉瓦で組み上げられた三階建ての建物が見えてきた。徐々に漂ってくるクリームシチューの匂いが芳しい。レトロ調に作られた煙突からは細く白い煙が優雅に立ち上っていた。


 ノースヘヴン魔法騎士学園高等部・第三女子寮


 掲げられた長い表札の前で立ち止まり、門戸を開けて敷地内に入る。黄色く色づいた木の葉が門の明かりに照らされ、幻想的な雰囲気を創出していた。

 

 コンコン

 

 年季の入った木製の扉を二回叩く。それからややあって鍵が開く音がし、室内から暖色系の明かりが溢れ出した。


「お待ちしておりました、クロア様」


「すみません。買い物に少し手間取ってしまって」


 クラシックな給仕服を着た女性、ミスリエさんが頭を下げる。肩上で短く切り揃えられた紺色の髪が顔を上げると同時にふわりと揺れた。少し垂れ目気味のディープグリーンが柔和な笑みを象る。


「お荷物、お預かりいたしましょうか?」


「いえ、大丈夫です。自分で運びますよ」


「承知しました」


 再度頭を下げたミスリエさんは体を避け、道を開けてくれる。会釈しながらその横を通り過ぎた僕は、玄関ロビーを進んで右手側にある扉に手をかけた。


「失礼します」


 扉の先は木製の机が並べられた食堂になっている。外壁と同じく煉瓦で組み上げられた暖炉が特徴的だ。一層強くなったクリームシチューの匂いが空腹に拍車をかける。


「……んあ? 遅かったな、クロア」


 僕の声を受けてか、机で突っ伏していた女性がのっそりと顔を上げた。非常に緩慢なその動作は風に揺れる雲を彷彿とさせる。


「ふああぁぁ……」


 ただ突っ伏していたわけではなく本当に寝ていたのだろう、女性は乱暴に目を擦りながら大きく欠伸を零した。両手を上げて伸ばした背骨が軽快な音をたてる。


「お疲れ様です、ニナ先輩。もう戻って来てたんですね?」


 腕の形に寝癖がついた青いショートカットは、モニター越しより親近感に溢れていた。


「所詮外様は外様、中継が終わった途端に送り返されちまったよ」


 肩をすくめたニナ先輩はやれやれと言わんばかりに首を横に振る。演説を聞いて涙を溜めていた姿とその様子はいくら目を凝らしても重ならない。


 ……まあ、もう今更違和感もないけど。


 暖炉の前の実像も、モニター越しの虚像も、


 どちらも僕のよく知る、ニナ・スルガウィッシュ先輩なのだから。


「……ああ、さっきは聞き逃したけど、クロア」


「はい?」


 暖炉に体を向けたままのニナ先輩が顔だけをこちらに向けて僕を呼ぶ。その表情はどこか怒っているようにも見えた。何かしただろうかと思わず身を引いてしまう。


「いつになったら覚えるんだ?」


「……何をですか?」


 発せられた注意に思い当たる節がなく、素直に反省することができない。苦渋の決断で首を傾げた僕に、ニナ先輩は隠す素振りもなく大きなため息をついた。


 そして吐き捨てるように、言い放つ。


「ここはお前の家だぞ? 帰ってきた時の挨拶が違うだろ」


 ……ああ、そういうことか。


 全く予想していなかった注意に拍子抜けしたが、無礼をはたらいたわけじゃなくてよかった。自覚のない罪ほど性質の悪いものはない。


「ただいま帰りました、ニナ先輩」


「ああ、おかえり」


 ニナ先輩が片方の口角だけを吊り上げる。それは彼女が満足した時にだけ見せる表情だ。


 そう、彼女の言うとおりここ「ノースヘヴン魔法騎士学園高等部・第三女子寮」には僕が今住んでいる部屋がある。髪を伸ばしているためごくたまに見間違えられることもあるが、学校が間違えて僕の部屋をここに用意したわけではない。僕が男子だと知った上で、公然とした理由の元でこの寮を割り当てたのだ。


「あらクロア君おかえりなさい。随分と大きな荷物ね?」


「こんばんは、マリーテさん。僕も予定外でして……」


 厨房から顔を覗かせた寮長のマリーテさんが、僕の返事を聞いて上品な笑みを見せた。ミスリエさんと同じディープグリーンの瞳が柔らかく細められる。


「アイラとヒナタはもう帰りましたか?」


「ええ、二十分ほど前に。クロア君、夕食は?」


「まだなんです、お願いできますか?」


「はいはい、お安い御用よ」


 やはり二人の方が先に帰っていたのか。食堂にニナ先輩しかいないところを見ると僕が最後である可能性も高い。後片付けの時間を押してしまって申し訳ないとは思うが、今は空腹を満たすことができる安堵の方が大きかった。


「新しいコーヒー豆か?」


 僕の対面に移動してきたニナ先輩が、今机に置いたばかりの袋を取り上げる。


「そうですけど……、よくわかりましたね」


「コーヒー狂いの嗅覚を舐めるな、若造」


 他にも多くの袋がある中で、迷わずコーヒー豆を手に取ったことに僕は驚きを隠せない。長い間コーヒーを愛飲してきたが、同じ状況だったら的確に選び取る自信はなかった。あまり役に立ちそうもない特殊能力だが不覚にも羨ましいと思う。


「……しかし嗅いだことのない匂いだな。どこ産だ?」


 袋の中から紙製の包みを取り出したニナ先輩が首を傾げる。さすがに飲んだことのないコーヒーの銘柄を当てるのは不可能なようだ。


「エストシオ第四地区です」


「エストシオ第四……、あの川沿いの街か?」


「そうですね。上流付近で栽培しているものだそうです」


 コーヒーと言えば温暖な地域であるシュダリア産が有名だが、他の地域でも栽培がされていないわけではない。エストシオ産のものは特に数が少なく値も張るが、酸味を極限まで抑えた圧倒的な苦みが一部のマニアの中で根強い人気を誇っていた。


「しかしエストシオ産か……、よく手に入ったな?」


「偶然見つけたんですよ」


 ニナ先輩が唸るように感嘆の声をもらす。その態度と言葉が表している通りエストシオ産は滅多にお目にかかれるものではない。


 僕がいつも通っているコーヒーショップでも常に売り切れ状態が続いていたが、今日たまたま店頭に並んでいるのを見つけたのだ。予定では半分以下の値段で買えるシュダリア産のものを買おうとしていたので手痛い出費とはなったが、全く後悔の気持ちはない。


「そうかそうか。丁度いい、私も今日は土産に焼き菓子を買ってきたんだ。食後の楽しみにしておこう」


 名残惜しそうに包みを置いたニナ先輩が、どこからか黒い紙袋を取り出した。エストシオ産のコーヒーは優しい甘みとよく合う。偶然もたまにはいい仕事をするようだ。


「先輩も夕食まだなんですか?」


「いや、私は一番に食べた」


「じゃあ先に淹れますよ?」


「馬鹿を言うな。それはクロアが買ってきたものだ、お前が一番に飲むのが当然だろ?」


 マゼンダの両目が不機嫌に歪められる。少しでも気を抜くと姉御と呼んでしまいそうだ。


「……ニナ先輩は絶対に素の方が魅力的だと思いますよ」


「ありがとう、お前だけわかってくれればそれでいい」


 モニター越しの喧しい姿について、僕は何度か苦言を呈したことがあるのだが、彼女には彼女の矜持があるらしい。僕とミスリエさん、マリーテさん以外には素を見せないという徹底ぶりだ。僕が何故その中に含まれているかはわからないが、最低でも彼女と知り合った中等部のころにはくっきりと線引きされた二人のニナ先輩が存在していた。


「そろそろできるわよー」


 厨房からマリーテさんの声が響く。その声質は今年で七十歳を迎える人のものとは思えないほど張りがあり、力強い。


「今日のクリームシチューも絶品だぞ? 私のことは気にせず味わって食え」


 机に頬杖をついたニナ先輩が笑う。


 その笑顔は少年のように無邪気で、母親のように温かい。


 ……このまま直視していると惚れてしまいそうだ。


 危機感を覚え、ぱちぱちと小さな音をたてている暖炉へと視線を移す。まだ秋ということもあってか、暖炉へはあまり薪がくべられていないようだ。


 小さな炎はどこまでも頼りなく、儚い。


 しかしそれでも穏やかな温かさが、部屋の中を満たしていた。


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