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そこで私は、目を覚ました。
「……え、私は、いつから寝て?」
アイラ先輩の手を握って、ベッドの横に座って。どうやらそのまま眠っていたらしい。どこまでが現実の出来事だったのか、区別がつかなくなってしまう。
強めに自分の頬を叩く。
鈍くはないこの痛みは、確かに現実らしい。
「アイラ先輩すみません、寝ちゃってたみたいっす」
ベッドに頭を乗せて寝ていたのだから、当然頭を起こせばそこにはアイラ先輩がいる。それが常識だ。何の揺るぎようもない、信用のおける日常だ。
「……アイラ先輩?」
しかしベッドはもぬけの殻だった。アイラ先輩どころか、彼女のいたぬくもりさえも残っていない。丁寧に施されたベッドメイクが妙に不気味だった。
「先に起きたんっすか? 学校には……、まだ早いっすけど」
部屋を歩き回りながら呼びかけ続ける。時刻はまだ早朝と呼べるぐらいの時間だ。早起きが苦手なアイラ先輩が出歩くような時間には思えない。
しかし部屋には他の人影はなかった。代わりにきれいに洗われたティーカップが二つ、キッチンに並んでいる。
……朝の散歩に出た、なんて可能性もある。
精神状態が不安定だからといって、何もアイラ先輩を監禁しているわけではない。調子の良い日は普通に学校にも行くし、昨日も茶葉を買うためにミスリエさんと出かけていた。
だから、まだ焦る段階ではない。
寮から出たというなら、必ずあの人が把握しているはずだから。
「ユーリ先輩!」
足早に部屋を出て、隣の部屋の扉を開け放つ。いつでも薄暗いはずのこの部屋が、今日に限って何故か完全に暗かった。煌々と輝いているモニターは暗闇へと姿を隠し、廊下から差す光だけが室内を照らしている。
「え、あ、寝てるんっすか? だとしたら申し訳ないんっすけど、少し聞きたいことが……?」
声量は抑えながらも、ここで退くわけにはいかない。今はまだ大事と日常の狭間にいる。ここで諦めてしまえば一生後悔することになるかもしれないのだ。ユーリ先輩に多少嫌われるぐらい、今更何ともない。
「ユーリ先輩?」
どこにも姿が見えない。一度部屋の入口まで戻って電気を点けた。少し間を置いた後、暗闇は光にかき消される。闇に慣れていた目が一瞬だけ機能を失った。
「……ん、誰だい勝手に電気を点けたのは。僕は妙に明るいのが嫌いなんだ」
いつもの憎まれ口と共に椅子が回る。どうやら大きい椅子に隠れていて見えなかっただけみたいだ。よかった、ユーリ先輩までいなくなっていたらもうわけがわからない。
「寝てたんっすか? 珍しいっすね」
「いや……、眠るつもりではなかったんだけどね。突然睡魔に襲われて……」
あくびを漏らしながら背伸びするユーリ先輩の姿は珍しい。この人でも人間らしいところはあるんだな、と気持ちが少し和んだ。これで落ち着いて話をすることができそうだ。
「突然申し訳ないっすけど、少し聞きたいことが、」
「ん、待て赤髪。モニターの電源を落としたかい?」
「ほ? いや、そんなことしてないっすよ。何より消し方も知らないっす」
機械を触るのは苦手な方だ。ユーリ先輩が使っているような高度な機械に関しては、一体何するものなのかもわからない。だからこれは濡れ衣である。
「そうか……。まあ、そうだね。しかし僕が寝惚けて消すなんてことがあるか……?」
ぶつぶつ呟きながら、ユーリ先輩が足元の何かをいじる。すると沈黙していたモニターが一つずつ起動し始めた。
「まあいい。可能性を考え始めればきりがないからね。それで要件はなんだい?」
「ああ、そうっすね。実は今アイラ先輩が――、」
昨夜のことから一つずつ事情を話していく。
体調を崩していたこと、精神状態が不安定だったこと、ユーリ先輩から薬をもらって眠っていたこと、今朝目を覚ましたらいなかったこと。
「……薬、か。昨夜薬をねぇ……」
最後まで聞き終えたユーリ先輩は不思議そうに首を傾げた。
「どうしたんっすか?」
「いや確かに渡したんだ、僕も覚えているよ。ただその後の記憶が曖昧でね。気づいたら赤髪が目の前にいた。つまりさっきまで僕は寝ていたんだよ」
「……そう、なんっすか」
確かにそれは不思議な出来事だ。
私も同じような状況に陥っていたのだから。
「そして今調べてみたんだが、モニターも同じような時刻で電源が落ちている。ただの偶然ではないかもしれないね」
これはまずいことになっているのかもしれないよ?
「嫌な予感がする。とにかく今は黒髪の所在を探すことが先決だ。その時刻から今までの監視カメラ映像全てにアクセスする。君も確認を手伝ってくれ」
そう言ったユーリ先輩はぐいっと前髪をかきあげた。彼女がこんなに焦っている姿はこれまで見たことがない。その真剣さが逆に不安感を煽ってくる。
……でも全ての監視カメラにアクセスするんだ。これで何かしらの情報は掴めるはず。
ユーリ先輩が狂ったように机を指で叩く。その動き一つ一つでモニターの映像は目まぐるしく変わっていった。
「……おかしい。いや、これはやられた。見てみろ赤髪」
椅子に深く腰掛けたユーリ先輩が反笑いでこちらを振り返った。何だろう、あっさり見つかったとか? そんなオチだったら笑い話にできるのだけれど。
「……監視カメラって、こういうものっすか?」
「そんなはずないだろう? 肉眼が捉える、そのままを映すのがカメラの役目だよ」
だとしたら、確かにおかしい。
暗かった映像は突然明るくなり、横切った人が一瞬でいなくなる。地面が空になり、雪が下から上へと降っていた。カメラのことは詳しくないからわからないけど、何かしら不具合が起きていることは私の目にも明らかだった。
「時間も向きも彩度も明度も全て滅茶苦茶だ。こんなのただの故障じゃない、誰かが意図してこうなるように仕組んだんだよ」
しかも悪いことに、後から細工したんじゃない。
「元々こう録画するようにカメラの設定を変えていたんだ。こんなのデータを消されるより厄介だよ」
ただの故障じゃなくて、誰かが細工した?
細かいことはわからなかったけど、それぐらいの単語はわかる。
「直せないんっすか? その映像」
「可能か不可能かで言えば可能さ。でも現実的ではない。この映像は「元々」こうなるように撮られたんだ。しかも丁度僕たちが眠っている時間分、全てのカメラ映像をね。直すまでにどれだけの時間を費やすか、想像もつかないよ。これはもう、直すという概念じゃない」
よくわからないけど、言葉で表せないほどの時間が必要なら、まだ無鉄砲に国中を探し回った方がいい。




