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「っ……!」
その顔が、困ったように笑うその表情があまりにも似ていて、幻聴まで聞こえてきた。驚いた私は咄嗟に魔法を放ってしまう。ニヤリと不敵に笑った肉塊は炎の中に消えた。
「無事に、終わったね」
何も知らないレイちゃんが安心しきった笑顔を見せた。渾身の作り笑いは、ちゃんと人間らしくできただろうか。
しかしあの魔物は一体なんだったのか。
再生能力については知ったこっちゃないけど、最後に見せた姿。脳を覗き込まれたようで気持ち悪い。戦う相手に合わせているというのなら、あれほど私の弱点をついた攻撃はない。
……いや、私が疲れていただけなのかも。
全てが幻覚と幻聴だった。そう考えてしまった方が楽だ。
「ヒナタちゃん?」
「ん……、何でもないっす。良かったっすよ、無事に倒せて」
あの玉がどれほど硬かったのかまではわからない。黒雷でなくともいつかは壊せただろうけど、それまでに何度再生と強化を繰り返されていたことか。もしかしたら過去最強の魔物となっていたかもしれない。
だから倒せたことは喜ぶべきだ。
後味が悪いのは私だけで、他の人たちにとっては勝利の時間なのだから。
「……そんじゃ、そろそろ行くっすね。魔力が限界っす」
緊急招集命令の原因はあの人型だ。あとの様子はいつも通りだし、放っておいても大丈夫だろう。魔力不足も嘘じゃない、早めに退散しよう。
「あ、うん。ありがとねヒナタちゃん。ヒナタちゃんがいなかったら私たちきっと……」
死んでいた。
いつかは倒せていたと思うけど、前線にいたレイちゃんたちは、きっと。
「ま、当然のことっすよ。またいつでも呼んでくださいっす。私はいつでも来るっすから」
私だけ、の方が正しいかもだけど。
若い選抜騎士団の中には意識の高いやつもいる。マイルなんかがその最たる例だろう。しかしアホ騎士王のせいで招集命令は彼らの元に届かない。招集命令も出ていないのに「狭間の繭」に降りてくるのはよほどの物好きだ。品行方正な選抜騎士団に、そんな物好きはいない。
ちなみに私は物好きじゃない。ユーリ先輩に招集命令を教えてもらっているだけだ。だから物好きじゃない。
「えっと、それとね、ヒナタちゃん」
「どうしたんっすか?」
飛び立とうとした私をレイちゃんが引き留める。どうしたんだろう、またもじもじレイちゃんになっているぞ。もしかして告白されるのか? 危機的な状況下で恋が芽生えたのか?
「今度は、戦場じゃないところで会えるといいね。私あんまり友達いないから……」
「ほ……?」
予想外だ。予想の遥か上空だ。自分で言うのもなんだが私は人に好かれる性格をしていない。マイルといいレイちゃんといい、一体私のどこを気に入ったというのだろうか。
……まあでも、たまにはいいか。
延長された私の人生に、少しでも意味を持たせられるのなら。
「そうっすね。また暇な時にでも連絡くださいっす。寮にかけてくれれば、繋げてもらえるっすから」
人生において一人ぐらい、友達がいてもいいのかもしれない。
あの世に行った時先輩に「私にも友達ができたんっすよ」と言えば、喜んでくれるだろう。良い冥途の土産話だ。
「わかった。それじゃあまたね、だね」
「っすね。それじゃあ」
流星の出力を上げて上空へと飛び上がる。悪かった後味もレイちゃんのおかげで多少マシにはなった。
これが友達の魔力というやつだろうか。だとすると、私はこれまでもったいないことをしてきたのかもしれない。
さて……、気分がいい内に帰ろう。
浮遊島は「狭間の繭」の上空にある。だから戻るためには遠回りをしなければいけないのだが、下から見ただけではどう戻ればいいのかわからない。ユーリ先輩はどうせこの時間も起きているし、いつも通りナビしてもらおう。
「ユーリせんぱ……」
『待て、赤髪』
鋭い静止。ユーリ先輩が口調を変えることは珍しい。小さくはない問題が起こったということだろう。
「また魔物っすか? それなら急いで向かうっすけど」
『いやそうじゃない。そこで待機だ、流星の出力を抑える』
背後の光が消える。夜闇を照らすのは繭が放つ赤い光のみとなった。不気味な空間に一人取り残される。
……ん、あれは?
「誰か降りてるんっすか?」
『そうみたいだね。拡大しよう』
視界が暗くなったことで遠くに見える小さな光に気づいた。視界が自動でズームアップし、点だった光は翼の形になる。それは選抜騎士団の半重力装置に使われる、特有の光だ。
選抜騎士団が招集命令を受け取った……?
そんなことがあるはずない。だったら戦闘狂の物好きか、何らかの形で招集命令を傍受しているか。
または、招集命令以外の要因で降りているか。
『ん……待てよ? あの酔狂な恰好は、』
「見たこと、あるっすね」
重力に逆らう紫色のローブ。今日は何かとあれに遭遇する機会が多い。間違いなく紫氷騎士団の団員だ。
それに……、先頭を切るあの包帯姿は。
「カオルコ……」
カオルコ・デルタ・ヴィオレッタ。
あの大仰で鬱陶しいだけの女が、何故戦場に?
『あそこは魔物研究の一家だからね。やつが降りるのは納得行くが、紫氷騎士団が付帯する理由がわからない。どちらの理由で向かっているんだか……』
ヴィオレッタ家の事情か、紫氷騎士団の事情か。
ヴィオレッタの事情なら納得がいく。新型の魔物が出現したのならばそれは専門家の出番だ。カオルコが招集命令を傍受できるのも当然の理。研究に務めるがいいってところだ。
しかし紫氷騎士団の事情とはなんだ? カオルコは紫氷騎士団は別働のことが多いと言っていた。これがその「別働」の一環というならば、中身がわからない。まさかただの増援とは言うまいし、あの場所に宗教的な意味があるとは思えない。
「聞いてくるっすか? カオルコならぺらぺら話すと思うっすけど」
『……いややめておいた方がいい。君はこれから忙しい身だろう? あれは間違いなく厄介ごとだ。僕の領分だよ』
だから今は隠れておくといい。
『やつはヴィオレッタの中でも異端だ、僕が言うのも何だがね。関わらない方がいい』
「……わかったっす」
確かに余計なところから目をつけられたくない。向こうからはばれていないようだし、闇に隠れておくのが得策だろう。顔見知りの怪しい行動が気にならないわけではないけど、きっと私の人生には関係のない話だ。
全く……、カオルコはいついかなる時でも私の気持ちを落とさせる。
私だってできれば関わりたくないものだ。
「カオルコの代わりにレイちゃんが選抜されればよかったんっすけどね」
『君にしては珍しいセリフだね。余程おさげを気に入ったようだ』
「そうっすね。ちょっと懐かしかったのもあるっすけど」
『ああ確かにそうだね。先ほどの魔物といい、思い返すものが多かったよ』
ユーリ先輩と会話している間に光は繭の近くに降りて行った。それらがすぐに戻ってこないのを確認して、寮への最短ルートを飛ぶ。浮遊島の縁に着いた瞬間に視界は明るくなった。まさに別世界が広がっていると言っても過言ではない。
『さて、僕はそろそろ寝るよ』
「ほ、珍しいっすね。何年ぶりっすか?」
『覚えていないね。明日は学校に行かなければならないんだよ、面倒なことだ』
ユーリ先輩は現在留年中だ。出席しなければ卒業できない、裏を返せば出席さえすれば卒業できた試験に出席しなかったから。彼女らしいといえばそれまでだけど、もしかしたら何か深い意図があったのかもしれない。
「それじゃあ、おやすみなさいっす。またよろしくお願いするっす」
『ああ。君も早く寝るがいい』
通話が切れる音がする。ユーリ先輩に普通のことを言われるのは何だか新鮮な気持ちだ。天才だけど常識が通用しないからなあ、あの人は。まだ私の方が常識ありだと、先輩からも高い評価を受けている。まだは余計だ。
私が住んでいる寮は浮遊島の縁から近い。特に障害のないまま上空にたどり着いた私はスピードを緩めながら窓際に降りる。窓を開けっぱなしにしていたからニナ先輩に気づかれたかな、と一瞬不安になったけど暗い部屋に人影はない。まあニナ先輩なら気づいていても見ないふりをしてくれそうだ。
こっそりと窓から部屋に侵入し、反重力装置を放り投げる。電気を点けると既に時刻は深夜一時を回っていた。少し前まではどれだけ体を動かしても眠くならなかったのに、最近は駄目だ。すぐに疲れるようになってしまった。シャワーだけ浴びて寝てしまおう。
できるだけ音をたてないように部屋を出て、浴室に忍び込む。外は寒かったけどかなり汗をかいた。肌に密着する生地の訓練着は、吸水性がいいけど脱ぐ時気持ち悪い。先輩が嫌っていた理由もこの時ばかりはわかる。夏は夏が嫌いで、冬は冬が嫌いなのと同じ理由だ。人間とは都合のいい生き物である。
シャワーはどうしたって音が出る。私の毛量では水圧を抑えるわけにもいかないし、明日の朝は平謝り決定だ。蛇口を捻り、温かい水を体全身で受け止める。疲れと汚れがお湯と一緒に流れ落ちていく感覚はいくつになっても代えがたい。
「……っふぅー」
何だか私の日常を凝縮したような一日だった。ニナ先輩と仕事をしてマイルと訓練をしてカオルコに絡まれて招集命令を受けて……、こんなに濃密な一日もなかなかない。明日もこんな一日ならば二日分の日記だけで長編が一本出来上がりそうである。まあ近況を振り返るには丁度いい一日でもあったけれど。
思い返そうとしてぱっと浮かぶのは直近の出来事だ。レイちゃんと一緒に魔物を倒して、帰りにカオルコとすれ違った。レイちゃんの印象と魔物が最後にとった形、そしてカオルコ。「彼女」を想起させるには十分すぎる条件が短時間に濃縮されていた。
……そろそろ目を背けるのはやめよう。
いや決して目を背けていたわけではない。目の前に現れていなかった、とでもするとまだまともな言い訳になるだろう。
今の私の日常は常に欠けている。
だから私の日常を詰め込んだ今日という一日からは、その欠落が見えなかっただけ。誰もドーナッツを食べる時、ドーナッツの中心を想像しない。それと同じ話。
でも先ほど見てしまった。
今の私から欠落してしまった欠片を、本来は当然の内に存在していた私の一部分を。
だから私は自然と思い出さなければならない。
「彼女」のことを。
本来なら幸せになるべきだった。
悔しいけど、きっと先輩が誰よりも幸せを願った彼女のことを。
アイラ・バレットシード。
ずっと一緒に過ごしてきた彼女は、今私の傍にいない。
それどころか、どこにいるのかさえわからない。
今の私の日常にアイラ先輩はいないのだ。
せっかくこれまでの私を振り返ってきたんだ。この話で私の思い出話は締めくくりにしよう。いつまでも過去を振り返っているのはよくない。かといって未来は過去がなければ存在しないのだから、この話からは逃れられない。
これは去年の白銀祭、当日のお話。
まだ私が、学生だった頃のお話だ。




