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「それじゃ、先に寝るからな。ヒナタもほどほどにしとけよ」
「はい。おやすみなさいっす」
ニナ先輩が自室に入ったことを確認して、席を立つ。向かう先は自分の部屋。できるだけ音をたてないように扉を開ける。
『やあ、赤髪』
まるでそのタイミングを待っていたかのように、ユーリ先輩の声が私を呼んだ。でも実際に部屋にいるわけじゃない。ベッドの上に置いてある、小さな黒い機械を手に取る。
「お疲れ様っす、ユーリ先輩」
反重力装置、「流星」。
それは本来先輩のためにユーリ先輩が作ったものだ。前衛的な翼のデザインに、普及している最新型を置き去りにする機能性。ついでに備え付けられた通信装置は、決して二年前の代物とは思えない。
『今日も第二級が出ているよ。どうせそちらには届いていないんだろうけどね。行くかい?』
「当然っす」
『わかった。簡単な情報と特に酷い場所の座標を送るよ』
黒い三角の機械に、何行かの文字と地図が表示される。高機能すぎだ。「流星」が広く使われるようになれば、世界を変えるまでもなく平和になるんじゃないだろうか。
着替えて間もない部屋着を脱ぎ、投げたままの訓練着を着る。先輩は密着感の強いこれがあまり好きではなかった。私は動きやすいので、別に抵抗はない。
「……さて、もう一仕事っすね」
自室の窓を開けて、身を乗り出す。外に面した位置に部屋があったのは幸運だった。一度寮から出て、となると一気に危険性が上昇する。
例えば血の気の多い後輩に見つかってしまう、とかね。
「「流星」、起動するっす」
『了解。半重力装置「流星」起動シマス』
その名の通り機械的な声と共に、黒い三角は手元から消え去る。最初はびっくりしたけど、もう振り返るまでもない。背中から溢れる光が視界を照らす、それだけが確認できればいい。
「そんじゃ、行ってくるっすね」
『ああ。また何かあったら連絡するよ』
ぷつりと通信が切れる音がする。ユーリ先輩が要件しか伝えてこないのは珍しい。それほどまでに状況が切迫しているのか、別の理由か。天才の考えていることなんて、馬鹿な私にはわからない。
窓枠を蹴って、外に飛び出す。コンマ数秒落下した体は、しかしすぐに上空へと飛び立った。浮かんでいる島の上空ってのも少しおかしな話だ。鼻だけで笑って、さっき見た地図の方向へと向かう。昔から勉強はできなかったけど、物覚えはいいほうだった。
こんなに目立つ光る翼をはやしていても、誰かに見つかったことは一度もない。ありがたい話ではある。だけどそれは誰も警戒していないということに他ならない。
もしも浮遊島まで飛んでくる魔物が現れたら?
腐りきった浮遊島には、それぐらいの事件があった方がいいのかもしれない。
「……人間、変わるもんっすよ」
少し前まで上層部の腐敗なんて考えたこともなかった。他の人たちみたいに騎士王のことを崇拝する習慣はなかったし、かといって憎む理由もない。
つまり無関心。
私は先輩と平和で適度に刺激のある暮らしができればそれでよかった。それだけでよかったのだから。
それが今は選抜騎士団の腐敗を悲しいと思うまでになっている。この国の未来を憂うほどご立派な考えを持っている。考えがあっての目標だとは思うけれど、目標によって考え方が変わることもあるのだ。
浮遊島はさほど広くない。少ししみじみするだけで、すぐに縁へとたどり着いた。遠くに見える赤黒い光を確認して一気に下降する。冷たい空気が露出した肌を刺し、自然と涙が頬を遡った。
落下の感覚に慣れたころには、すぐ眼前に戦場が広がっていた。中央に聳え立つ「狭間の繭」を取り囲むように内縁警備隊が陣をなし、蠢く魔物たちがそれに襲い掛かる。赤黒い光で照らされた光景は昔絵本で読んだ地獄を彷彿とさせた。
今日の目的地は……、ノースヘヴン方面。
小さな魔物の相手をしにきたわけじゃない。第二級緊急招集命令が出たということは、かなり大きな脅威が現れたということだ。他の小物は諸先輩方でも十分だろうから私は巨悪だけを叩けばいい。
そう思って辺りを見渡してみるけれど、特に変わったところは見受けられない。いつもだったら明らかに大きな魔物がいるとか、わかりやすいピンチになっているのに。もしかして誤報?
『いや、そんなことはない。赤髪は観察力が足りないね』
「……遠くから心を読まないでほしいっす」
そして状況が見えているなら答を教えてほしい。
『君が見ている方向であっているよ。驚異の大きさは体躯の大きさに必ずしも比例するわけじゃないからね。時には違う目線で見てみるものだよ』
違う目線……。
そう言われましても。
『……君も少しはマシになったかと思っていたけどね。相変わらずみたいで何よりだよ。案内するからその通りに動いてくれ』
「了解っす」
ユーリ先輩の皮肉には慣れている。指示された場所まで移動し、速度を緩めながら着地した。確かによく見るとその一帯の陣形だけ崩れている。なるほど、勉強になった。
「せ、選抜騎士団の方ですか?」
「そっすよ」
丸眼鏡の、まだ新しい鎧を着た少女が近づいてくる。新卒ちゃんかな? 金髪の三つ編みが彼女のイメージを幼くしている。
「ノースヘヴン六番中隊所属の、レイアリア・シルヴェストです。ぞ、増援感謝いたします!」
「レイちゃんっすね。こっちはヒナタ・スタシア・ランサグロリアっす」
新卒だとしたら同学年だ。ここはフランクに挨拶しておこう。
「ヒナタさん……? ヒナタさんって位階一位だった、あの?」
「そうっすよ。ま、積もる話は後にしてっすね」
状況を教えてほしいっす。
「あ、そ、そうですよね。すみません」
一呼吸おいたレイちゃんが、陣形の乱れている方を指さす。その足元には無数の死体が転がっていた。珍しい光景でもないけれど、やっぱり慣れないものではある。
「えっと、今日はいつもより魔物の数が少なく、先ほどまでは大きな問題もなかったんで、」
ヒュッ
「っと、危ないっす、ねぇ!」
鎌のような何かが二人の前を横切る。左手でレイちゃんの体を押し、右足で襲い掛かってきた本体を蹴った。ぐにゅっとした独特の感覚は人間のそれと違う。
「んで、先ほどからはどうなったんっすか?」
「っあ、え、今、今の、魔物が突然現れて……」
今の魔物?
蹴り飛ばした方向を見ると、ぐにゃりと折れ曲がった残骸が転がっていた。これが諸悪の根源というならば問題解決だけど。今の内縁警備隊はこんなもので緊急招集命令を出すのだろうか。
「ちが、あの、違うんです。あれ、あの、魔物は、ですね」
レイちゃんが取り乱しているので話が進まない。他の警備隊員も離れていってしまったし、何にも理解できないんだけど。私は一体どうすれば?
本当は別の何かが脅威だったりして。辺りを見渡すけど、脅威どころか魔物さえもほとんどいない。異様と言えば異様だけど、やっぱりおかしなことなんて、
「あ、危ない!」
レイちゃんの悲鳴で振り返る。
目の前に迫るのは鈍い光を放つ鎌。
空気を切る音が、鼓膜と体を震わせる。
「甘いっす、ねぇ!」
しかしそれほど速くない。鎌をかわし、再び右足で胴体を蹴る。嫌な感触も体の重さも変わらない。人型の魔物は想定通りに転がっていく。同じように横たわる警備隊員の死体と同じように、魔物はピクリとも動かなくなった。
「ほんとにあの魔物なんっすか?」
非常に疑わしい。あれぐらいなら十歳の私でも倒せる自信がある。これだけの人数の大人がいて対処できないのは笑い話にもならない。
「そう……、そうなんです! あの魔物、ただの魔物じゃないんです!」
やっと喉のつっかえがとれたレイちゃんの声は悲鳴みたいだ。
確かに怯え、恐れている。
「あれ、あれを、見てください!」
レイちゃんが指したのはやはり人型の魔物。地面に転がっている、その状況は変わらない。
……でも、確かに、おかしい。
四本だった手足が枝分かれし、死体の上を這いずっている。それは紛れもなく魔物が死んでいないということだ。今から攻撃すれば倒せるだろうか? しかし魔物が何をしているのかわからければ、同じことの繰り返しかもしれない。
様子を見た方がいいのか、否か。
ま、そんなことで悩む性格でもないか。
「あれ、全部死体っすか?」
「あ、え、そのはずですが、」
「紅の炎よ、全てを灰燼に帰せ」
レイちゃんが何かを言おうと口を動かしている。
攻撃した後でも間に合うといいね。
「『紅蓮弾』!」
手の平に生まれた小さな炎は、放たれた直後に巨大な炎弾となる。できるだけ魔物だけに当たるよう狙ったけど、うまくいっただろうか。火葬屋なんてあだ名がつけられた日には選抜騎士団を引退してしまうかもしれない。
地面を掠めた炎弾は繭の方へと飛んでいく。向こうは人も少なかったし大丈夫だろう。魔物が横たわっていた部分だけが黒焦げとなり、私のコントロールの良さは証明される。
さて、これでどうなったか。
一見解決したようだけど、薄く伸びていた手足もなくなっている。そして頭上を突然覆った黒い影。なるほどこれは失敗したようである。
「レイちゃん、さっき何を言いかけたんっすか?」
手の平を上空へと向ける。レイちゃんは相変わらず口をぱくぱくさせてお魚さんみたいだ。もう少し時間がかかるか? さすがの私でも何となくわかってきたぞ?
「『紅蓮弾』」
ぎぃぃぃぃぃぃ
先ほどの炎弾を今度は上に放つ。凡そ人間のものと思えない悲鳴にはどんな意味があるのか。頭の良い学者さんにでも聞きたいところだ。
「あ、あの、人型の魔物は、ですね!」
人が恐怖に飲まれた時、思うように言葉が出なくなる。喉が急に狭くなって呼気だけが外に出ていこうとする。それは私も身に覚えがあることだ。だから待つ。
それを打ち破って言葉にできた時、きっとレイちゃんは戦えるようになるから。
「再生、するんです! 魔物と、警備隊員の魔力を吸って! だから私たちには倒せないんです!」




