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「……もういいんじゃない? ヒナタ」
嘘くさい静けさに耐えかねた僕は、思わず頭を掻く。
毎度毎度これに付き合わされる僕の身にもなってほしいものだ。
「あ、そうっすか?」
僕に殺されたはずのヒナタがあっさりと顔を上げた。矢が突き刺さっていた眉間には傷一つなく、その表情には敵意の欠片もない。
『実戦訓練終了。勝者、クロア・ランサグロリア。敗者、ヒナタ・スタシア・レッドソード』
機械的な声が室内に響き渡る。その場に胡坐をかいて座ったヒナタが「わざわざ言わなくていいっすよー!」と口を尖らせた。機械にするといわれのない文句だ。
ここは学園の中にある屋内訓練所で、先ほどまで行われていたのは実戦であるが実戦ではない。この訓練所では戦闘開始前にダメージを無効化するバリアのようなものがお互いの体に張られる。しかし受けたダメージが一定の数値を越えた時、もしくは致命的な部位への攻撃を受けた時バリアは破れ、その瞬間室内に魔法を打ち消す特殊な魔法結界が発生するようになっているのだ。つまりここでは実戦とほぼ相違ない訓練を行うことができるが、それによって命を失うことはないということである。
バリアや結界を発生させる装置は非常に大規模でエネルギーも多量に使用するため「本当の」実戦で使用することはできないものの、科学技術の進歩には驚かざるをえない。しかもこれを開発したのが僕と同い年の少女であるのだからその驚きは尚更だ。
「いやー、しかし先輩には敵わないっすねー」
ヒナタが今度は仰向けになって地面に倒れる。僅かながら残った悔しそうな笑みまでは演技の続きじゃないらしい。
「アドバイス、もらってもいいっすか?」
「……珍しいね、どうしたの?」
いつもならここで「いかさまっす!」とか言って騒ぎ立てるはずなのに。彼女の隣に座りながら彼女の顔を覗き「デリカシーに欠けるっす」目を突かれそうになった。何故だ。
「別に。次は先輩のアドバイスをふんだんに活かして復讐してやろうと思ってるだけっす」
ふんだんの使い方が間違っているような気もするが、その向上心は素直に評価するべきだろう。追撃してきた二本指を抑えながら先ほどまでの戦闘を思い返す。
「正面突破だけのいつもと違って罠を仕掛けたことはよかったけど――」
罠の仕掛け方、一対一での視界の重要性、魔法の相性等々、戦闘中に感じたことを簡潔にまとめて伝える。その間ヒナタは顔を背けていたが、一度も暴れることなく黙って耳を傾けていた。彼女なりに今回の実戦訓練で心境の変化があったのかもしれない。
「――ぐらいかな。それにしても『炎獅子の砕牙』をあれだけの詠唱で使えるのには驚いたよ」
魔法を使う時の詠唱はいわばガイドラインのようなものだ。詠唱をすれば自動で体の中にある魔力が動き、任意の魔法が発動する。つまりその魔法に適性のある者が詠唱呪文を全て唱えきれば無意識にでも魔法を使うことが可能というわけだ。そしてそれは、裏を返せば魔力の動かし方さえわかっていれば魔法を使用できるということにもなる。
ヒナタが使用した魔法『炎獅子の砕牙』も本来ならば二分の詠唱が必要な、炎魔法の中でも高位に属するものだ。最低でも先週同じ魔法を使っていた時は二十秒ほど詠唱していたように覚えている。ヒナタに炎魔法の才能があることを加味しても、これは劇的な成長だ。
きっとこの一週間、かなりの練習を重ねてきたのだろう。
「私のまだ見ぬ才能が開花しただけっすよ、先輩」
ようやくこちらに顔を向けたヒナタが得意げに鼻を鳴らした。負けず嫌いなところは変わらないんだなと苦笑いを零してしまう。
「笑っていられるのも今の内っすよ。来週にはバリアを突き抜けて先輩をぶっ潰してやるっす」
バリアを突き抜けてしまったらそれはただの機械の不具合だ。
「……楽しみにしてるよ」
指摘しようとも思ったけど、あまりに堂々と宣言されてしまったのでやめておく。代わりに赤い髪をくしゃくしゃと撫でた。しばらくそのまま微動だにしなかったヒナタだったが、やがてむず痒そうに身をよじらせる。
「絶対馬鹿にしてるじゃないっすかー!」
「そんなことないよ。本当に期待してるんだ」
後輩の成長を素直に期待できないようじゃ先輩失格だ。
最新鋭の機械に不具合を起こさせ、その上で僕をぶっ潰すというのならそれは目覚ましい成長の証である。
例え本当にとどめをさされてしまっても本望。
楽しみではあれど、馬鹿にするつもりなど毛頭ない。
「ほんとっすかー……? まあいいっす、はい」
「はい?」
ヒナタが不意に両腕を天井に掲げる。穿った見方をすれば何かの儀式に見えなくないが、もしかしなくて別の用事だろう。どちらにせよ意図も語末の「はい」も理解できないので次の言葉を待つしかない。
「先輩に殺されたので、先輩が責任を取るべきだと思うっす」
「責任?」
「はい、私を無事に休憩室まで連れて行く責任っす」
八つ当たりにしか聞こえないがこういう時のヒナタはテコでも動かない。きっとこのままおいて行ったら次の日全く同じ姿勢のままヒナタが発見されることだろう。大げさに聞こえるかもしれないが、ヒナタとはそういうやつだ。
もう九年の付き合いだから、さすがに慣れてくる。
「はいはい、わかったよ……」
伸ばしている腕を首にまわさせ、抱き上げる。十センチほどしか身長は変わらないはずだが、その体は驚くほどに軽い。
「わかればいいんっすよ、わかればー」
足をゆらゆらと揺らすヒナタは機嫌がよさそうだ。元気な死者だな、と苦笑いを零しながら出口へと向かう。そろそろ表情筋が苦笑いの形に固まってしまいそうだ。
ヒナタに扉を開けるスイッチを押してもらい、外に出る。廊下に誰かいるかと警戒したが、運よく僕ら以外に人影は見当たらなかった。まあ誰かいても別に構わないのだが、変な噂が立つのは少し困る。
「そういえば、先輩のクラスってテストあったっすか?」
「ん? 多重詠唱の?」
ヒナタは僕とアイラより一つ年下だが、初等部卒業の時に飛び級制度を使ったため現在は同学年だ。よってテストと言われれば、自然と直近に聞いたものが想起される。
「そうっす」
「来週だよ。ヒナタは?」
「満点合格だったっすよ」
抱きかかえられたまま胸を張る姿は何とも微笑ましい。その表情は褒めろと言わんばかりだが、それは僕もテストを受けた後にしよう。返事をしない僕を見てしばらく不服そうに目を細めていたヒナタだったが、特段こだわりがあったわけではないらしくやがて別の話を始めた。
その後も言葉を交わしながら廊下を進んでいく。建物の最奥にある休憩室まではまだ遠い。さすがに腕の疲れを感じてきたが、一度やると決めたことはやりきる主義だ。そうでなくても降ろそうとした時点で二の腕に歯型が刻まれることは間違いないので、僕に選択肢はない。
狭い廊下に、二人分の重さを持った一つの足音が響く。
壁に、床に、天井に。
何度も反響したその音はどこまでも、どこまでも突き抜けていき、
しかし誰にも届くことなく、静寂へと溶け消えた。






