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1-1


「――ぉい! おい、ヒナタ!」


「……ほ?」


 強烈な怒声で目が覚める。今日は早起きの予定じゃなかったから思いっきり夜更かししたというのに、一体何事だろう。


「何も知らない、みたいな顔すんな。今日は早朝から集合ってずっと前から言ってただろ!」


 ……そうだっけか。


 よくよく思い出してみるとそんなこともあった気がする。年はとりたくないものだ。昔は予定なんて書かなくても覚えられたのに、今ではこのざまである。


「……まっ、どーせくだらない集会だけどな。目をつけられるのも面倒だろ」


 芳ばしくて苦い香りがする。


本当に予定があるなら、仕方ない。


「そーっすね、ニナ先輩」

 

 勢いをつけてベッドから起き上がる。


 早起きが得意なのは変わらないところだ。


「おはよっす」


「ああ、おはよう」


 マグカップを仰いだ青髪の童顔、ニナ・スルガウィッシュ先輩が、口の端を釣り上げて笑う。その笑い方にもすっかり慣れてしまった。初めて対面した時の驚きが、懐かしいとさえ思えてくる。


「待ってろ、お前の分も淹れてきてやる」


 立ち上がったニナ先輩は台所の方へと向かう。遠慮した方が却って怒られてしまうので、今日の予定を改めて確認することにした。別に疑っているわけじゃないけれど、二度寝からの誘いを無下にするわけにもいかない。


 えっと……、今日は?


「……もうそんな時期っすか」


 確かに最近暑さも落ち着いてきた。忙しくて気にしていなかったけど、夏はもう息絶え絶えである。


 夏が終われば、秋がくる。


 そしてこの国で秋といえば、あの季節だ。


「いつものどーでもいい祭なら私もサボりたいところだがな。こればっかりは仕方ないだろ?」


 コトッ


 目の前に湯気の立つマグカップが置かれる。高いところから落とされた白い二つの塊は、熱に耐えかね一瞬で溶け消えた。


 息を吹きかけた私は、そっと口づけをする。


「なんせ『白銀祭』、この国で一番でかい祭りだからな」


 先輩が愛した苦みは、未だ苦手なままだけれども。


「そーっすね。それは絶対に出ないとっす」


 私はもうそろそろ、先輩より大人にならなければならない。


   ☆ ★ ☆ ★ ☆


 先輩が私に身体を託したのは、二年前の冬。


 私が選抜騎士団に入団してから、早半年強の時が過ぎていた。


「つまりこの『白銀祭』には建国の意と初代騎士王の栄光を再認識する意味が込められており――、」


 多分とても偉いハゲの話を右から左に受け流しながら、短く長かったここまでの道のりを思い返す。無駄な時間は有効に利用するものだぞ、若者たちよ。


 ……さて、思い出すのはきっとここからがいい。


 約二年前、先輩が私の前から消えた。


 その出来事は私にとって世界が滅びるよりも重大で重篤な事件だった。


 しかし、こんな言い方をするのは本当に嫌だけれど、先輩がいなくなったぐらいでは世界が変わることはなかった。


 もちろん全く変わらなかったわけじゃない。内縁騎士団の防衛ラインは日を追うごとに後退し、外縁の魔物が侵入する頻度も圧倒的に増えた。


 でもきっとそれは当たり前の変化。


 先輩がいても起きていたはずの、この国の自壊。


 世界は先輩がいなくなったところで、涙一つ流しやしなかったのだ。


 ……じゃあ何も変化はなかったのかって?


 それは違う、今までのは世界の話だ。


 この腐りきった、私たちを愛してくれない世界の話。


 そしてこれからは、私の話をしよう。


 あの頃とは全く変わってしまった、私の世界の話。


 まずは一番大きな変化から。


 これは範囲が広すぎるから、わかりやすい例を挙げよう。


 ニナ・スルガウィッシュ先輩。


 私が知っている彼女はいつでも猫撫で声で、モニターの中の自分を崩すようなことはしない。だからずっとそれが彼女の本性だと思っていたし、私の前でボロを出すようなことは一度もなかった。


 しかし今では、あの調子。


 どこまでも姉御肌で、決して媚びるようなことはせず、何よりもコーヒーが好き。


 もちろん彼女が今までのスタンスを崩したわけではない。私と限られたごく数人を除いては猫かぶりのまま、決して線引きを曖昧にすることはなかった。


 では何故ニナ先輩は私に本性を見せるようになったのか。


 それは彼女の態度が変化した日を考えれば明らかだ……と、ユーリ先輩は言っていた。


 ニナ先輩の態度が変わった日、それはまさに先輩がいなくなった日。


 先輩の『白銀の忘風』によって、この世界の人々が先輩の記憶を失った日だ。


 「……だから?」と私は思うけれど、天才はこれだけで全てを解明してしまうらしい。さすがは先輩の今までの人生を全て記録していただけはある。未だに理解しきったとは言い難いので、ユーリ先輩の言葉をそのまま引用するとしよう。


 僕の幼馴染が使った魔法は使用者についての記憶を消すというものでね。言いかえるとそれしか消すことができないんだよ。つまりやつが関与していた「出来事」の記憶は残ってしまうというわけさ。でもその出来事には必ずやつについての記憶も付随する。もうわかるよね、あの魔法は欠陥品なんだよ。


 ……わからないのかい、まあいい。


 簡単な話、使われた人の記憶には穴ができてしまうということさ。やつに関する記憶だけすっぽりとね。もちろん関わりが深かった人ほどその穴も大きくて、深い。しばらくは混乱する人も多いだろう。


 ん? 


 ああ、もちろん永遠にじゃないよ。あくまでしばらくの話だ。


 魔法の効果なのか人間自体の能力なのか、僕はその両方だと思うけれどね、あいてしまった記憶の穴は補完されるんだよ。青髪の変化を見ると話が早い。青髪が心を許している一人にやつがいた。しかしその記憶は大きな穴になり、その補完として君が選ばれた。青髪のやつに関するほとんどの記憶が君に置き換わったはずだ。

 

 無意識化で埋められた記憶の穴に、本人は気づかない。実生活の中で齟齬は生まれるだろう。でもその違和も次第にならされていく。だから混乱が続くのも、時間の問題というわけだよ。


 ……まあ、理解してくれなくてもいいさ。これからは嫌でも体感するだろうからね。自分の知らない自分との記憶を相手が持っている、それだけ覚えておけばいい。


 必ずしもやつの役を君が担うわけでもないからね。


 まあ、せいぜい与えられた役を演じきってみせることさ。


 ……と、こんなところだ。


 つまり先輩についての記憶を失ってしまった代わりに、他の誰かがその穴を塞ぐ。


 ニナ先輩が突然心を開いた理由は、先輩の役を私が担うことになったからだ。


 他に幾らでも例はある。特に高等部の寮に住んでいた人たちは、ほとんどが私を先輩の代わりに選んだ。


 コーヒーが苦手な私が無類のコーヒー好きになっていたり、勉強が苦手なはずなのに学術テストの質問をされたり。


 元々の私に関する記憶と、先輩の代わりとして上塗りされた記憶。その内のいくつかはどちらかが採用され、残りは折衷案が採用された。最初にあったはずの大きな食い違いは、いつの間にか自然なものとして受け入れられたのだ。


 これが一番大きな変化。


 先輩に関係していた人々の、記憶の変化だ。


「魔法と科学の発展を改めて再認識することで、アークエディンの防衛を更に強固なものとし――、」

 

 ……まだ長そうだから、次の話をしよう。


 長い回想で疲れちゃったって人は、一晩よく休んでから見てくれると嬉しいっす。


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