6-1
目が覚めると、私は生きていた。
……いや違う、それは当たり前だ。私が言いたいのはそういうことじゃない。
言葉と現状を見つけることができないまま、熱を帯びた自分の体を抱く。全裸であることにいささか不満はあるが、それは紛れもなく十数年間の人生を共にしてきた私の体だった。しかしそれがおかしいのだ。ここに私の体があっていいはずがない。
私は『魔女病』を患い、目の前にあるベッドで横になっていた。
しかし今、私はどこも結晶化していない体を曝けだしている。
ん、生まれたままの体っていう表現の方がかっこいいかな。
……いや、そんなことどうでもいいや。
とにかく、私の記憶は両足が結晶化したところからあやふやになっているのだ。
確か本を読んでいたら誰か来て……、裸になっているってことは変質者? いや変質者なんかに私が組み伏されるわけなんてないし、そもそも病人を襲うような変質者に『魔女病』が治せるはずがない。
じゃあ、私の部屋に訪れた人物は誰か。
「………………クロア」
おぼろげな記憶の中、一つの言葉が口を突き破って出た。知り合いにそんな人いたっけ、と悩んでみるけど思い当たる人はいない。その辺に置いてあった制服に袖を通しながら、私は顔の見えない訪問者と顔を突き合わせていた。
にゃー。
「え?」
薄暗い部屋の中から甘えるような鳴き声が聞こえた。考えるのを中断し辺りを見渡してみるけど、声の主は見つからない。それも当然だ、私もアイラ先輩も猫なんて飼っていにゃー……、ん?
「……灯台下、なんとかってやつっすね」
再びの鳴き声を頼りに目を動かすと、足元で丸まっている黒い毛玉を見つけた。よく見るとくるぶしの辺りに噛まれたような跡がある。知らない猫を連れ込むような不埒な真似をした覚えはないので、きっとどこからか入りこんできたんだろう。
「お、どこ行くんっすか?」
両目の色が異なる黒猫と視線が合った瞬間、イケメンな彼は軽快な足取りで廊下の方へと歩いて行った。優雅な姿に見とれていた私も、カッターシャツのボタンを留めながらその後を追う。
「洗面所っすか?」
ドアを体で押した黒猫が入って行ったのは、脱衣所を兼ねた洗面所だった。てっきりキッチンの方へ向かうのだと思っていた私は、首を傾げてしまう。彼が人間であるなら下着泥棒目的であること疑いの余地なしだけど、猫がこんなところに何の用事があるというのだろう。
にゃ。
閉まりかけている扉を恐る恐る開けた私に、猫は短く鳴いて見せた。洗面台に上って鏡と向き合っている姿は、人間のそれとあまり変わらない。そう思うと何だかおかしくなって、私の口元はつい緩んでしまう。
……いけないいけない。
猫の魔力、恐るべし。危うく和んでしまうとこだった。
今回は洗面所だったけど、次こそキッチンに入ってアイラ先輩ご自慢の調理道具と私の大切なエネルギー源を滅茶苦茶にしてしまうかもしれない。ついついこれから猫と暮らす計画を立てようとしていたが、とりあえず一度この部屋から御退出願った方がいいだろう。今は他に考えなきゃいけないこともあるわけだし。
「黒猫さん、動かないでくださいっすー……、」
言葉が通じているのかいないのか、猫は忍び足で近づく私を静かに見つめていた。私はそれをチャンスとばかりに広げた掌をわきわきと動かし、そして、
「よっ!」
凛とした彼めがけて、素早く飛びついた。
「あれ?」
魔法なしでできる最善を尽くしたはずだった。しかし両腕は空を掻き、バランスを崩した私は洗面台を掴んで何とか体勢を立て直す。当の黒猫はと言うと、素知らぬ顔で洗面所から出て玄関の方に向かっていた。むぅ……、利口なやつめ。
「……ありゃりゃ」
冷や汗を拭った私は自分の髪が乱れてしまったことに気づく。カッターシャツ一枚という恰好が恰好なだけに、鏡に映る私はどう見ても不審者の体だ。とりあえず邪魔な前髪を左右にわけて、私は乱れてしまった髪を整え、
ととの、
え?
「………………え?」
目の前の鏡に映っているのは、どう見ても自分の姿だ。
赤い髪、中途半端に高い身長、運動をしていることで維持している体型……。
どれをとってもそれは私の体だ。
見慣れた、ヒナタ・スタシア・レッドソードの体。
しかしある一部分だけ、私の見知らぬものがある。
「……なん、で?」
それは金色の右目と対になっている左目、同じ金色に輝いているはずのその色が、
「白……、銀?」
英雄の一族しか持たない色へと、変わっていた。
「っつ!?」
それに気づいた瞬間、突然頭を突き刺されたような激痛が走る。体全体が熱を帯び、私はその場に立っていることができなくなった。滴った涙と汗が、床で弾けて醜い跡を残す。
何……っすか、これは……!?
朦朧とする意識の中、頭の中では幾つもの映像が流れ続けていた。どれも見たことないはずなのに、私はそのどれにも懐かしさを抱いている。
空いていた穴が埋まっていく。
バラバラになっていた欠片が元に戻っていく。
そんな感覚。
苦しいはずなのに、どこか安らかな気持ちで映像の奔流に呑まれていた。
私の……、記憶。
だから私は、すぐそれらの正体に気づく。
私が私を、「私」と呼ぶようになった理由。
短かった髪を伸ばそうと思ったきっかけ。
そして強くなるために努力した、日々。
何故かなくなっていた私の記憶たちは元の場所に収まり、様々な感情へと変わっていく。
その中心には、いつも一人の人がいた。
私は「彼」のために、今の私を創り上げたのだ。
「…………クロア」
まだ熱を帯びている舌を必死に動かし、私は彼の名前を呼ぶ。
しかし違う、しっくり来ない。
…………そうだ、名前を呼ぶことが恥ずかしかったんだ。
だから、別の愛称をつけて呼んでいたはず。
そう、確か、
「先輩」
こんな、風に。
呟いた瞬間、全てのピースが私の中に組み込まれた。
しばらくの間混乱し、でこぼこだったそれらは、やがて他の記憶たちと共に整地されていく。
ようやく私は、「私」を取り戻した。
「……先輩、先輩」
しかし私は、私よりも大切なものを失った。
「せん、ぱい、先輩ぃ……」
私は私の体を、何よりも大切な人の体だった私の体を抱く。
「せんぱぁい………!」
涙が頬を、喉を、体を伝い、床に落ちた。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
溢れ出る怒り、悲しみ、負の感情全てが声となって表出する。
そんなことで私の気持ちが晴れるわけない。
わかっていても、私はいつまでも声を上げ続けた。
それはいつかの私の姿と重なって、しかしあの時とは違って、
私を絶望から救い上げてくれる人は、もういない。




