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この世界に愛されなかった僕たちは  作者: 春秋 一五
「黒と白のプロローグ」
37/66

5-6


「久しぶり、ヒナタ」


 ノックしながら扉を開けると、大きく見開かれた金色と視線がぶつかった。読んでいた本を躊躇なく放り投げた彼女は上体を起こし、両腕を一文字に広げる。床に落下した分厚い本の悲鳴は、僕を出迎えるファンファーレのようにも聞こえた。


「おかえりなさいっす、先輩!」


 その体勢は抱きしめろと言わんばかりだが、生憎僕の両腕は塞がってしまっている。色とりどりの紙袋を適当な机の上に置いた僕は、わざとらしく肩を回した。


「これ、アイラからの預かりもの。随分と買ったんだね?」


「私も女の子なんで、おしゃれには余念がないんっすよ!」


 おしゃれ……、ねぇ。


 紙袋に書かれている店名は甘味に関するものばかりに思えるが、ここは言及しない方が得策だろう。綺麗なお菓子をおしゃれと言う場合もある、そう自分に言い聞かせた僕は手近な椅子を引き寄せ、腰を下ろした。突然の上下運動に驚いてか、肩に乗っていたティアが短い悲鳴を上げる。


「あれ、ティアじゃないっすか。随分とご無沙汰っすね」


「そうなの?」


 同じ寮にいたらどこかで出くわしそうなものだけど。首を傾げている辺りヒナタが嘘を言っているわけではなさそうだが、そんな偶然あるものだろうか。


「なんでっすかね? ユーリ先輩ともそんな感じっすけど」


「ああ……、何となくわかったよ」


 ヒナタは未だ首を傾げているが、ユーリの名前を聞いて察しがついた。


 僕が留守にしている時はユーリにティアを任せているのだが、ご存じの通り彼女は極度の引きこもりだ。廊下で見かけたのさえ一年ぶりぐらいで、寮の外へ出た姿に至っては高等部に進学してから一度も見たことがない。


 ペットは飼い主に何とやらとはよく言った話だが、どうやら僕は任せる相手を間違えてしまったようだ。


「……そんなことより、体調はどうだい?」


 とはいえ、このまま話を続けていたら愚痴だけで一日が終わってしまう。まだ若い僕たちにとって、一日は長く貴重な時間だ。


「どうなんっすかね? 足はこんな具合なんで、悪いが正解なんっすけど」


 反対方向に首を傾げたヒナタは、何気ない素振りで布団を捲る。


 いつか見たワンピースの裾から伸びる白い足、その膝から下の部分。


 仰々しいほどに巻かれた包帯を突き破り、黒く無機質な結晶が顔を覗かせていた。


「体調自体は悪くないんっすよ。逆に寝てばかりで頭と体が腐りそうっす!」


 大きく伸びをしたヒナタは特段気に病んでいる様子もなく、寧ろ絶対安静の現状を不満に思っているようだ。辺りに散乱した本や玩具の残骸は、その弊害ということだろう。


 ヒナタらしい、といえばそうなんだけど……。


 思わず苦笑いを浮かべた僕は制服のポケットから手帳の切れ端を取り出す。手をじたばたさせていたヒナタは、目の前に突き出されたそれに不思議そうな唸り声を上げた。


「なんっすか、これ?」


「「魔力の詰まりを改善する魔法」だよ」


 消費されないまま体に沈着した魔力はやがて「古く」なり、新しい魔力を作り出す機構の妨げとなってしまう。魔力を有する生物は体を動かす時、ごく微量の魔力を消費することでそれを回避するのだが、毎日寝ているのならそうもいかないはずだ。


「ほ? そんな魔法あるんっすね! 早速使わせていただくっす!」


 僕の手から紙切れをひったくったヒナタは、早速呪文を詠唱し始める。僕も一度高熱を出した時に体験したが、魔力が詰まるのはとても嫌な感覚だ。


 強いて言葉にするなら、体が芯から錆びついていく感覚。


 だからヒナタがそれを受け取らないという選択肢はなかった。


「――ふぅ、少し楽になったっす。こんなのどこで見つけてきたんっすか?」


 紙飛行機にした切れ端を僕へ投げつけたヒナタは不思議そうに尋ねた。キッチンを借りて淹れたコーヒーを机の上に置いて、眉間に皺を寄せながらその瞳を見つめ返す。


「初等部の教科書。二つ目に習った基礎魔法だよ」


「ふぇ?」


 手帳に書いてきて正解だったと心底思う。アルグレオさんが見せた「分身を作る」魔法と同じであまり使う機会はないが、十傑候補なら覚えておいてほしかったところだ。


「先輩の時と内容、違ってたんじゃないっすか?」


「教科書は百年以上変わってないみたいだよ」


「…………百年の歴史も私の前では無力だったみたいっすね」


「そうみたいだね」


 飛んできた紙飛行機を受け取りながら、湯気のたつコーヒーを啜る。普段より濃いめに淹れたそれは強い苦みと渋みを誇っていた。受け皿にカップを戻して、横目で自分の掌を見つめる。


 くしゃり


 器用に折られた小さい紙飛行機は、僅かな力で呆気なく息絶えた。


「んなことより先輩、アイラ先輩はどうしたんっすか?」


 分が悪いことを察したのか、強引に話題を変えたヒナタは視線を合わせようとしない。負けず嫌いもここまでくると大したものだ。心の中で心にもない賛辞を送った僕は、窓の外を見つめながら口を開く。


「グラスさんと学園へ報告に行ったよ。まだもう少しかかるんじゃないかな」


「へー、そうなんっすね。先輩はサボりっすか?」


「そんなとこ」


 グラスさんがアイラを連れて学園に向かったのは本当だし、僕が報告義務を怠慢したのも事実だ。これ以上嘘をつきたくない僕は、適当な言い回しで誤魔化す他ない。


「ふーん、そんなに私に会いたかったんっすね!」


「……そうだね、うん。会いたかったよ」


 蓄積した疲労と精神の摩耗のせいか、僕は心なしに心からの言葉を吐いてしまった。言葉が口から出て鼓膜を震わせた瞬間、脳内に後悔と反省が降り積もる。誤魔化そうとして開いた口はしかし、結局空気を呑みこむことしかできなかった。


「へ、へー。そうなんっすか。会いたかったん、っすねー……」


 僕が肯定すると思っていなかったらしいヒナタは悪戯っぽい笑みを引っ込め、似合わなくもしおらしい微笑みを口元に浮かべた。


 ぎこちない動作で俯いた彼女は、乱れた赤髪の中で深く息をつく。


 その様子は何かを覚悟したようでもあったし、諦めたようでもあった。


「……先輩、話聞いてもらっても、いいっすか?」


 ヒナタの声は暖房の効いていない室温よりも更に冷え切っていた。そんな状態で話すことなど、本当は聞きたくない。しかし鋭くも哀しげな金色の瞳は、僕が否定することを言外に拒絶していた。


「…………」


 だから僕は、黙って首を縦に振る。


 それを見たヒナタは一瞬だけ満足そうな笑みを浮かべた。


 色を失った唇が、物憂げに開かれる。


「私、先輩のことが好きっす」


 彼女の口から放たれたのは、とても簡素で単純な言葉。


「先輩に助けられた、あの日からずっと」


 しかしその裏に潜む感情は複雑で、きっと僕が計り知れるようなものではないのだろう。


「……私には夢があったんっす。恥ずかしいんで言わないっすけど、長年想い続けてきた夢が」


 一瞬だけ窓の方を見つめた彼女の視線の先に、一体何が映っていたのか。


「…………だけどもう、叶わないんっすね」


 長い沈黙の後乱暴に目を擦った彼女は、再びこちらを振り返る。


「私もう、死んじゃうんっすから」


 強がりが作り出した笑顔はしかし、触れれば崩れてしまいそうなほどに、脆い。


 僕は咄嗟に、何か言わなければならないと思った。


 励ましの言葉、単純な疑問、気の利いた返事、何でもいい。


「……」


 しかし結局僕の口から言葉は出てこなかった。


 こういう時の僕は、心底役に立たない。


「……先輩。私、先輩にお願いがあるんっす」


 僕の沈黙を受け取ったヒナタは、哀しげに目を細めながら言葉を続けた。


 再び降り始めた雪が、彼女の頬を仄明るく照らす。


「私を、殺してくれないっすか?」


 その願いはやはり単純で、しかし複雑だ。


「…………どう、して?」


 ようやく捻り出した僕の声を聞いたヒナタは、何故か嬉しそうに口元を緩めた。


 覗いた八重歯はいつもの凶暴性を失っており、寧ろ彼女の弱々しさを際立たせる。


「私、病気なんかに殺されたくないんっすよ」


 その言葉は『魔女病』と戦うことへの、決意表明のようにも聞こえる。


「病気に殺されるぐらいだったら、好きな人に殺されたい」


 しかし違う、そうではない。


「もう夢は諦めたっす、何もかも全部。だからせめて、それぐらいのわがまま、」


 彼女は消えかけた生を諦めつつも、最良の死を迎えようともがいているのだ。


「聞いて、もらえないっすか?」


 そしてその最終決定は、他でもない僕に委ねられる。


「……」


「やっぱ、駄目っすかね」


 相変わらずの沈黙に、ヒナタは自嘲気味な笑顔を浮かべる。


 ヒナタはこの沈黙を、僕が悩んでいる時間だと思っているのだろう。


「いや、駄目ならいいんっすよ? 先輩に負担、かけたくないっすから」


 破綻しているようで成立している、馬鹿げているようで何よりも真摯な自分の願いを、彼女は自分自身で否定しようとしていた。


 だけどそれは、違う。


 この沈黙は、逡巡のための時間ではない。


「…………わかった」


「……え?」


 何故なら僕はその答えを、


「僕がヒナタを、殺すよ」


 ここへ来るまでに、決めていたのだから。

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